-

エルドール大陸における結婚制度

-

 原則として一夫一妻制。貴族は例外。以上。

 これでは説明になっていないので、もう少し詳しく具体例を例示しながら説明しましょう。

 ここでは、ブレシス・ローディとルッカ・クトローネという2人のキャラクター(オンライン小説第2弾に登場予定)が結婚した時の話を具体例として持ち出し、最も高度で複雑且つ厳密な婚姻制度が確立されていたリマリック帝国の結婚制度を概観してみたいと思います。エルドール大陸における結婚制度の基本となっているものであり、他の国の結婚制度は全てこの制度をベースに少しだけアレンジを加えて作られています。

 その基本は「結婚=カップルに法的権利/義務を発生させる装置=戸籍制度の根幹」。

 でも、これって……現代社会と同じじゃないか(^^;)。

結婚するまで

 結婚に至るまでの過程は人様々です。結婚式前日に父親から呼び出されて結婚するように命令されることや、親達の知らないところで勝手に同棲生活を始めタイミングを見計らって駆け落ちすること、更には夫が事故死した時に遺言状で次の結婚相手を指名された未亡人のケースなど、世の中には結婚に至るまでの面において、実に様々な例が存在します。
 しかし、概ねのところは、

親4人の間で婚姻の話をまとめる
→話を聞いた後に当事者2人が面会
→当事者達が婚姻に同意
→結婚式
当事者2人が相思相愛
→当事者達がそれぞれ相手の両親に相談
→親4人が婚姻を追認
→結婚式


という2つのケースのうちいずれかで婚姻が成立します。ただ、どちらにせよ、婚姻が成立するためには当事者2人と両親4人(死亡・離婚によって欠けていた場合は親族か代理人が必要)の計6人全てが同意することによって婚姻の成立を認めるのが慣例となっています。リマリック帝国では、婚姻が法的に成立するために、6人全てが法的な宣誓を行わなければなりませんでした。
 一般市民の結婚は一夫一妻のみが認められています。

 ブレシスとルッカの場合、4980年に発生した反乱の余波で、親族の大半が4980年12月24日に処刑され、本人達もシルクス近郊の強制収容所へ移送されていました。そのため、両親の代わりとなる代理人が必要となりました。この時に代理人を引き受けたのは、2人が収容されていた強制収容所の所長、2人が収容されていた建物の捕虜側責任者(牢名主?)、そしてレイゴーステムで親族を失いここに強制連行された友人ライオット・スヴェンデル(4963.10.12−/現在はシルクスで菓子屋を経営)とマライア・ロードバート(4962.09.10−4986.03.12/収容所で病死)の4人でした。


結婚式

 続いて結婚式の話に移ります。
 結婚式は新郎が信仰する宗派の神殿で執り行われます。この時、新婦側の信仰宗派のことは一旦無視されます。結婚式の進行は神殿・地域ごとにバラバラとなっていますが、新郎と新婦に結婚の宣誓をさせるところはキリスト教の教会で実施される結婚式と何ら変わるところはありません。また、この結婚式には地方公共団体から派遣された係員も出席し、夫婦の結婚宣誓を見届けると共に、地方公共団体からの御祝儀を彼らに手渡すことになっています。
 この法的な結婚式が終わった後、続いて新婦の神殿で結婚式が行われます。ただし、こちらでは、結婚式と言うよりも安産祈願のための儀式に近い内容となっています。新婦の信仰宗派を無視して、この「2回目の結婚式」を農業神ファルーザ(一応安産の神様ですし)の神殿で行わせる両親も多いようです。日本の結婚式での披露宴(=お祭り騒ぎ)はこの後になります。

  幸か不幸か、ブレシスとルッカの場合は信仰する宗派が竜神タンカードに一致していたため、2回分の結婚式は一度に行われました。結婚式が行われたのは、強制収容所内に設置されていた同神殿の出張所。4983年12月20日に、シルクスから派遣されていたタンカードの司祭セバスティアン・ログローニョ(4950.10.27−/現在は大司教)の手によって厳かに執り行われました。
 この時の式次第は以下の通り。

開式の辞 → 代理人による婚姻承認宣誓 → 新郎新婦入場 → 聖歌『濃き血の流れに』斉唱 → ログローニョ司祭の挨拶
→ 新郎新婦による結婚宣誓 → ログローニョ司祭の説教 → 新郎新婦による挨拶
→ 聖歌『聖なる誓い』斉唱 → 新郎新婦退場 → 閉式の辞


 所要時間は46分。
 ただ、結婚式終了後のお祭り騒ぎは存在せず、2人は元の建物に戻されて他人との共同生活を余儀なくされました。法的には「夫婦」になったとはいえ、所詮は虜囚の身なのですから……。無論、新婚早々の性生活に必要なプライバシーなどは存在しませんでした。


婚姻の法的関係

 リマリック帝国では、結婚に伴い以下の法的権利と法的義務が発生しました。

法的権利
(1)子供を産む権利未婚のカップルが子供を産んだ場合、その子供は両親から強制的に引き離される。
子供は《ロスト・ペアレンツ》と呼ばれる孤児院に預けられ、後に既婚の家庭に養子として出される。
また、婚姻無しで子供を産んだ2人には結婚後の租税控除が無くなるペナルティーが課される。
(2)結婚に伴う税の控除子供を産んだ場合には控除額が増大する。
(3)相続・贈与権これには遺産相続も含まれる。
配偶者が死亡していた場合を除き、独身のまま死亡した人物の財産は親/国のものと定められていた。
法的義務
(1)子供の出産・死亡の届出これは当然であろう。
(2)重犯罪における連帯責任量刑が死刑のみと定められている犯罪での死刑判決が確定したら、配偶者も自動的に死刑となる。
(3)納税単位の構成夫は納税責任者となる。租税は家族単位で収めることになっていた。
不足分は年率2%の利子付きで翌年収めねばならなかった。


 なお、量刑が死刑のみになっている犯罪は以下の通りです。

1親等以内の全員が
連座して死刑となる犯罪
内乱、最高機密漏洩、外患誘致、仮想敵国に対する重大な利敵行為
通貨偽造、御璽偽造、上水毒物等混入、人身売買、麻薬取引
配偶者のみが
連座して死刑となる犯罪
不敬、内乱予備、内乱陰謀、内乱幇助、公文書偽造
御璽以外の公印偽造、強盗殺人、放火殺人、往来妨害致死(故意)、未成年者略取


 レイゴーステムでブレシスとルッカが助かったのは、彼らの両親が犯した罪が内乱幇助に相当すると判断されたためです。


 リマリック帝国での家族制度は国家の根幹を成すものであり、封建制度の一翼を担うという点では極めて重要なものでした。そのため、結婚した夫婦に対しては上記の法的権利以外にも様々な社会政策上の優遇措置が採られていました。また、子供を6人以上産んだ夫婦に対しては、6人目以降の子供を《ロスト・ペアレンツ》に引き取らせる代わりに、税金を1年間免除する制度(利用は随意)が存在しました。公的には「育児免税制度」と呼ばれていたのですが、盗賊ギルドやナディール教団からは「政府主催の人身売買だ」と批判されていました。

 なお、現在のシルクス帝国には法的権利(2)(3)、法的義務(1)(3)が受け継がれています。
 また、育児免税制度も継続して実施されています。

最も困難な離婚

 一方、離婚に際しては複雑且つ困難な手続きが用意されています。
 離婚の申し立て自体は夫婦のどちらからでも認められていました。また、この時の申し立て理由はいい加減なものでも良く、「妻の鼾がうるさい」と離婚を申し立てた夫も存在します。ただ、実際の離婚申し立ての多くは、夫の暴力や勤労意欲の喪失を理由にして妻が離婚を申し立てるもだったようです。離婚の申し立ては彼らが住む地方公共団体の役所にて受理されます。

 しかし、ここからが大変です。まず、婚姻宣誓に参加した「部外者」4人全員が離婚手続き開始に同意せねばなりません。彼らが死亡又は戸籍を移動していた場合は、新郎の属する神殿が代理人を同郷の村民から無作為抽出し、その代理人が同意しなければなりません。1人でも手続き開始に反対したら、離婚手続きはそこで終了します。
 次に、夫婦に子供が存在した場合、彼らの中で最年長となる人物が5人目の離婚手続き開始の承認者となります。彼(彼女)が反対しても、離婚手続きは即座に停止されます。
 第3段階として、離婚申し立てが一時的に受理されたことが、実名入りで役場の掲示板に張り出されます。これは単なる告知ではなく、村民からの(!)異議申立てを受け付けるためのものでした。10日間以内に村民の10%以上が離婚への異議申立てを行った場合も離婚手続きは停止します。シルクス近郊のある村では、村民による異議申立てによって、1142年間一度も離婚申し立てが受理されなかったのです。

 ここまできてようやく離婚申し立てが受理され、離婚調停のための裁判が役場の中で開催されます。ここでの裁判は通常の民事裁判と同様に進行し、判決までには約1ヶ月程の時間が必要とされます。必要経費は裁判終結後に敗訴した側が支払うことになっていました。
 そして、判決が下され、離婚の是非が決定されます。一審制。控訴は認められませんでした。

 離婚が承認された場合、その日付で婚姻は解消され、結婚によって成立していた全権利・義務が失われます。再婚に関しては、性別に関係無く原告は1年間、被告は2年間禁止されました。慰謝料の額は裁判所(役場)が過去の納税実績から計算しているため、感情論によって金額が非常識な額になることは見られなかったようです。夫婦に子供が存在した場合には、その養育権は原則として原告側に移動しますが、子供の意思も大きく尊重されていました。
 申し立ての段階も含めて、離婚が認められなかった場合、その夫婦からの離婚申し立ては1年間禁止され、原告側はさらに罰金100リラを支払わされました
 ちなみに、離婚申し立ての理由が被告側の浮気だった場合は、離婚申し立てはほぼ確実に成功したようです。道徳神ラミアや農業神ファルーザが、浮気や夫婦以外での性交渉を厳しく戒めていることがその背景に存在しています。また、実は原告側に浮気が存在した場合は、離婚申し立てはその場で中止され、原告は訴権乱用と姦通によって逮捕されます(最高刑は10年間の追放刑)。ここで逆に被告が離婚を申し立てた場合は、例外的に全ての手続きが省略され即座に離婚が認められました。この時は元被告(逆に離婚を申し立てた人)が慰謝料の名目で夫婦の全財産を相続することが可能となっています。
 なお、離婚成立に伴い、夫婦の両親や子供達、そして婚姻を承認した4人が特別な法的制裁を受けることは一切ありません。

 駆け込み寺や三行半のような「一方的な離婚」の制度はリマリック帝国では認められませんでした。唯一、ダウ王国では道徳神ラミア神殿が「駆け込み寺」として機能していました。それはダウ共和国となった現在も継承されています。

貴族での結婚

 今までの話は一般市民が結婚する時の規定です。貴族が結婚する時は、今までの話に以下のような変更点が加えられています。

(1)一夫一妻制だったのが多夫多妻制に変更される。ただし、貴族の慣習では一夫多妻制が基本となっている。
この時、夫の側は全ての妻を平等に扱う旨を宣誓せねばならない(同様の規定はイスラム教諸国に存在する)。
(2)結婚式当日は保有領地での祝日となる。
この時は、領主達が領民達に対し酒や食事をふるまうことが慣例となっている。
(3)法的義務(2)で述べた連帯責任制度が拡充される。
夫婦のみが処刑対象と規定された罪状に関しては、1親等以内の卑属(=子供)全員も処刑された。
(4)離婚問題は宰相、最高裁判所首席判事、内務大臣、宮内大臣(又は侍従長)の合議によって討議される。
最終的な裁断は皇帝が下していた。


同性愛者に対する処置

 リマリック帝国では、同性愛者に対しても特に明確な罰則規定などは設けられていませんでした。逆に、現在のフランス共和国のように、同性愛者のカップルをPACSとして法的に一部保護するようなことも見られませんでした。リマリック帝国の政策責任者が同性愛者に対して示した態度は、「ホモ? レズ? 好きにやれば? 俺達は知らないから」という素っ気無いものでした。
 宗教右派から見れば、同性愛者の存在は家族制度と社会に対する重大な挑戦であり、到底容認できないものであります。結婚制度を重視していたリマリック帝国が同性愛に対して無関心を決めこむことに疑問を感じられるかもしれませんが、それには立派な理由がありました。端的に言えば、それは「同性愛者には社会が勝手に制裁を加える」という現実でした。

 第1に、社会的には同性愛は容認されていませんでした。リマリック帝国での2大宗派であった道徳神ラミアと農業神ファルーザの経典には、「同性愛は撲滅されるべき」と共に明記されていたのです。その他の神で経典に全く逆のこと(同性愛の容認)を書いているのは芸術神メルデューサのみであり、この神はリマリック帝国では10本の指にも入らないマイノリティーだったのです。そのため、同性愛が発覚した場合、そのカップルは間違い無く村八分の憂き目に遭い、村から追放されていたのであります。
 保守的な封建領主の中には、自らの持つ領主裁判権と域内法律制定権を乱用して、「同性愛=死刑=火炙り」と定める者も存在したほどです。例えば、リマリック帝国屈指の封建領主であったルディス家領内では同性愛者に対する火刑が制定されており、シルクス帝国成立直前まで制度として実際に運用されていました(最後の処刑は4998年5月14日)。なお、ルディス家と領地を隣接するテンペスタ家のほうは同性愛に対して寛容であり、同性愛者のカップルがテンペスタ家の領地内に逃げ込むことも数多く見られたそうです。

 第2の理由として、リマリック帝国で異端とされた新興宗教団体の過半数が、経典の中で同性愛を公式に認めていたことが挙げられます。今、シルクス帝国で話題のナディール教団では、ナディール・ラント・インダール自身の発言という形で「女が女を、男が男を愛して何が悪い?」と教えています。この背景に何があるのかは定かではなく、ナディールもしくは教団創始者のドロイド・セヴェールが同性愛者だったという説や、同性愛を禁じる各種経典を「封建制度の異物」と認定したという説などが唱えられています。いずれにせよ、新興宗教団体が同性愛を認めていることが道徳神ラミアの神殿を刺激し、同神殿とその過激な信者の反発を招いているという事実は無視できないのです。

 その他にも、同性愛者が迫害される理由は様々なものが存在しますが、それらは宗教的・道徳的なものばかりでした。


 
PACS
※以下のデータはhttp://www.kcn.ne.jp/~mo-mo/deki98-10jp.htmの記事を参考にさせて頂きました。
 正式には「連帯市民協約」。未婚のカップルにも既婚者に準じた社会保障、税制優遇などの法的権利を与えることを目的とした法律。同性愛者が掲げていた「ゲイ・カップルに市民権を」という要求に応え、1997年の総選挙で社会党が公約の1つにしていた。家族制度を根本から変える要素を孕んでいる法律であり、保守党議員、カトリック教会、カトリック家族協会連合、右派の学生組織UNI、更には与党内の同性愛者嫌いの議員から反対を受けていた。
 なお、法案は1年間の審議を経て、1999年10月13日、国民議会(下院)で賛成315、反対249で可決された。

-

-玄関(トップページ)   -閉架書庫・入口(設定資料集・トップページ)