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『クイズ番組が長続きする条件』

(0)何で今頃……
 今回のコラムのテーマは「クイズ」。
 さて、クイズのブームが到来していると言うわけでもない(どちらかというと衰退期とも言える)のに、どうして今頃になってクイズ番組をテーマにしてコラムを書くのか…………そう疑問に感じられている方も多いのではないだろうか。いや、私だってこんなテーマでコラムを書くことになるとは思わなかったぞ。とりあえずは、「『クイズタイムショック』『地球まるかじり』復活記念」ということで考えて頂きたい。

 書くきっかけとなったのは、サークルの仲間である大学の後輩達と食事を食べに行った時。どうしてかは分からないが、突然「昔のクイズ番組」というテーマの話題に突入し、周囲の人間が「何事か」と訝しげな視線を投げ掛けるのを無視し、3人でクイズ談義に花を咲かせていたのである。さて、このクイズ談義の中で、こういう言葉が出てきた。

「そう言えば、最近、クイズ番組って少なくなりましたね」

 実際には、今日でもクイズ番組はしっかりと残っているのだが、一時期のブームに比べれば、その数は少なくなったと思われる。
 では、どうして減ってしまったのか? ここでは、そんなことを考えながら、「面白いクイズ番組の条件とは何か」というものも併せて考えて……ええと……結論、どうしようか(--;)。
 とりあえず、クイズ番組に関する「雑記」としてお読み頂きたい。


※なお、クイズ番組のタイトルについては一部略した形を使っていますが、どれがどの番組に対応しているのかはすぐにお分かりだろうと思います。

(1)クイズ番組

 まずは、クイズ番組とはどういうものなのかを考えてみたい。

 基本的なルールは、出題者が問題を出し、解答者が早押し(もしくはクリップボードへ記入)によって解答、正解だった場合は得点が加算され、最終的に得点が最も多かった者が勝者となるというもの。で、テレビ番組の視聴者は、出された問題を解こうとする解答者達の姿を見たり、自分達が解答者と同じ立場に立って問題を解こうと頭を働かせたり、問題と附随して紹介される様々な情報──歴史の知識や商品情報など──から知識を得ようとしたりして、クイズ番組というものを楽しむのである。
 このクイズ番組を乱暴に分類するとすれば、「視聴者の参加度」という観点から大きく2つに分類できる。

視聴者参加型
 一般の人がクイズ番組に出演し、解答者として参加することが可能な番組。昔はかなり多かった。2000年7月1日現在、この方式のクイズ番組は

 『アタック25』(5×5に区切られたパネルを4人で取り合う)
 『クイズミリオネア』(最高賞金額1000万円の番組)
 『クイズ赤恥・青恥』(基本的なルールは『クイズダービー』と似ているが、一般人と芸能人の立場が逆転)
 『クイズママダス』(『はなまるマーケット』内の1コーナー)

の4本のみが確認されている。ケーブルテレビなどを探せば他にも見つかるかもしれない。
視聴者非参加型
芸能人がクイズ番組に出演する。一般視聴者は完全なオーディエンスとなる(視聴者プレゼントは「参加」にはならない)。番組で取り扱う情報・問題の中身、コンセプトの良さ、出演者の性格・行動、更には司会者の素質によって番組の良し悪しが左右されてしまう。


 「どちらのクイズ番組がより××だ」という論議は行わないことにする(面倒だし)。


(2)良いクイズ番組の条件

 では、長続きする「良い」クイズ番組の条件とは一体何か?
 これは個人的な見解だが……まあ、御覧あれ。

(a)問題難易度の適正さ
 クイズ番組の視聴者が「この程度なら私にも少しは分かる」という気分(それが幻想だとしても一向に構わない)になるくらいがベスト。簡単過ぎると「誰にでも分かってしまいつまらない」となり、難し過ぎると「これってマニア向けじゃないか」ということになる。NHKの作成するクイズ番組(特に日曜午後7時20分から放送されている番組)は、どれを見てもこの加減が絶妙なのである。
(b)面白い「追加ルール」
 問題を出題しただ答えるだけでは面白くない。これでは学校のテストを口頭で行っているのと大して変わらない。
 そこで必要となるのが、クイズ番組独自のルール(主として得点計算に関わるルール)である。このルールが比較的単純であり、それでいて楽しめるものでなければならない。『アタック25』が20年以上続いているのは、「25枚のパネルの取り合い」という単純だが独特なルールが優れているからであろう。
(c)司会者の才能
 番組進行能力だけではなく、場の雰囲気を掴みそれを巧みに活かす能力や話術の才能も含まれる。あとは、司会者独特の人格……といったところであろうか。司会者が変更した直後に番組が終了したり視聴率が低下したりする場合には、前任の司会者が後任の司会者よりも「有能だった」と考えることができる(実際には、スポンサーの離脱など別の事情が絡んでいることが多いのだが……)。
(d)解答者の人選
 これは視聴者非参加型クイズ番組のみに言える事情である。
 視聴者非参加型クイズ番組では、解答者と司会者のトークが番組の1/3ないし1/2の占める。そのため、解答者と司会者の人選を間違えると、トークの部分がまるで面白くなくなり、番組全体の評価を下げてしまうことになる。



(3)クイズ番組が終了する条件(厳密には終了の引金となる事象)

 ここまでの項目を見れば、逆にクイズ番組が終わってしまう条件も見えてくる。

(a)'一般視聴者を無視した問題難易度
 クイズ番組で最も重要な要素の1つである問題難易度。これは一般視聴者に許容できる範囲内でなければならない。一発企画の番組で難易度を異常なレベルに設定したり、元から異常な難易度の問題ばかりを出すことしか考えていなかったりする(『カルトQ』など)場合は別に問題無いのだが、異常な難易度が恒常化してしまったら、番組の存続は困難になる。
(b)'番組内容の変質
 長続きしたクイズ番組が終了する場合、これが原因になっていることが少なくない。特に致命的なのが、視聴者が参加しないクイズ番組で、クイズ以外の要素(運動など)や、今までのコンセプトと全く異なる内容のクイズを不必要に導入してしまった場合である。私が記憶している限りでは、新しいルールや番組内容の変更が成功したのは、『クイズ Show by ショーバイ』の「横取り40萬」と、『世界!ふしぎ発見』の「ひとし君人形(とスーパーひとし君)」くらいのものである。

 例えば、『マジカル頭脳パワー』という番組では、昔は「マジカルミステリーシアター」など面白い問題が用意されていたのだが、放送時間帯が木曜日に移り、所ジョージ氏が番組を離れた頃から、番組の質的変化が進み始め、いつの間にか「どこでどのように頭を使っているのか丸で分からない」奇妙なクイズ番組になってしまったのである。最後の1年間は、これでもかこれでもかと新クイズを連続して発表していた。これは末期ガン患者に効き目の薄い抗がん剤を大量に投与するかのような状態であり、「近い内に終るな」と思っていたら、案の定、去年終了した(この番組の後に開始されたのが『週刊ストーリーランド』)。
 同様の現象は、名司会者だった逸見政孝氏(故人)がガン治療の為に番組を離れた後の『クイズ Show by ショーバイ』でも発生している。こちらでは、「得点額のインフレ現象」など別の問題も抱えていたが、番組内容が変化してしまい、「『商売』ってどこ?」と首を傾げたくなるような光景が展開されていた(この番組の後に開始されたのが『歌の大辞テン』だったと思う)。

 それにしても、上記の2つの例はいずれもNTVの看板番組だったのである。その変貌ぶりは正直言って唖然とするばかりであった。同社の放送作家達に何があったのだろうか?(唯一の救いは、後から始まった2番組の出来がとても良いこと)
(c)'司会者の変更
 この要素が重要なのは確かである。ただ、これはうかつに足を踏み入れると個人攻撃に直結しかねないので、論議は避けることにしたい。
(e)'長期化したことによるマンネリ化
 こればかりはどうしようもない。
 これを防ぐ為、クイズ番組では時々出演者の変更やルールの変更を行うのだが、これに失敗する即アウトである。
(f)'コンセプト自体の誤り
 「企画段階から間違っている」というもの。これもどうしようもない(これは放送作家の責任なので自業自得である)。また、企画自体は面白い物であるのだが、時代が変化したことによって対応が不可能になったケースもこれに含まれる。


 テレビ番組というものはいつかは終焉を迎えるものであるが、みすぼらしい末路だけは迎えたくないものである。


(4)ちょっと異質な論議

 1990年代の前半には大規模なクイズブームが存在し、「クイズ王」なるものを決定する為の番組が色々と製作されていた。このブームは一過性のものであり、今日ではかつてのようなクイズブームの面影は無い。
 しかし、クイズブームがそもそも存在しなかった一昔前と今日を比較しても、クイズ番組そのものの数が減少してしまったという実感はどうしても否めない。この減少は何が原因なのだろうか?

※実は、クイズ番組と並ぶバラエティー番組の2本柱の1つだった歌番組も、一時的にその数を大きく減らしていた時期が存在した。こちらの場合、「国民的歌謡曲」なるものが消滅し、歌の好みが世代別に大きく分かれ、同一世代内でさえ好みが分かれてしまうという時代背景が存在していた。もっとも、今日では歌番組の数もまた増えつつあるのだが……。


 クイズ番組の場合、その数が減った原因は主として2つに分けられるのではないだろうか。

(g)長寿クイズ番組の終了
 1990年以降続いたクイズ番組の相次ぐ終了とは、その多くが1980年代以前から続いていた長寿番組だったと思われる。各番組が打ち切られた理由は様々であるが、これらの番組の後番組にクイズ番組以外のバラエティーが用意されたため、結果としてクイズ番組が減ることになったのである(無論、ここで登場したクイズ番組以外のバラエティーの中には面白い番組も数多いのだが)。

 打ち切られたクイズ番組というのは色々あるのだが、その中でも最も「致命的」だったのが『アメリカ横断ウルトラクイズ』の終了であろう。この番組は、その名前の通り、グアムやハワイなどを経てからアメリカ西海岸に上陸し、ニューヨークに到着するまでにアメリカ各地の遺跡・名勝を見て周りながらクイズを続けるという非常に規模が大きい番組だった。日本での放送は10月下旬から11月末まで行われていたが、予選会や実際のアメリカ横断旅行は8月から9月──大学の長期休暇と重なる──に行われる。
 参加者に対する門戸の大きさも他のクイズ番組とは比較できない。パスポートと身分証(パスポートが身分証になっているような気がするが……)さえ持っていれば、第1次予選当日に後楽園(→東京ドーム)で飛び入り参加も認められたのではないだろうか。
 この番組が抱えていた最大の問題点は、製作に多額の費用が要求される点であった。正確な費用が幾らになるのか考えたとは無いのだが、数千万円(規模が大きい時には億単位)の費用が必要だったはずである。こんなバブリーな番組をバブル崩壊後の日本で製作するのは至難の技である。実際、バブル崩壊と共に終了してしまった。視聴者参加型クイズ番組の花形であったこの番組が無くなったことは、視聴者参加型クイズ番組の「衰退」を如実に現しているようにも思える。
 『ウルトラクイズ』の例ではないが、視聴者参加型クイズ番組の命脈を保つのに最も重要なのは「賞金(商品)」である。

 もっとも、スポンサーの懐具合が苦しくなったら、クイズ番組に限らずどの番組も危機に晒されるのである。「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉があるが、テレビ業界では「金の切れ目が番組の切れ目」になっているのだろう。
(h)クイズブームの「余波」
 一時期流行ったクイズブームでは、様々なクイズ番組で過去に登場した「クイズ王」達が再登場し、彼らによる激しい戦いが、ブラウン管上で幾度と無く再現されていた。このクイズブームに手を出していたのは主としてTBSとフジの2局であり、『アメリカ横断ウルトラクイズ』も彼らの出現に(結果的に見て)一役買っていた側面がある。
 確かに、彼らの持つ知識量は想像を絶し、早押し問題などにおいて披露されるクイズの「テクニック」なるものは芸術の域に達していた。某有名国立大学法学部を卒業している私も、子供の頃に彼らの様子を見て「なんでこんなことまで知っているんだ、こいつらは凄過ぎる」とただただ驚くばかりであった。
 しかし、それと同時に、「これを見ていて楽しいと感じる人間がどれくらいいるのだろうか」という素朴な疑問も感じていた。私の場合、この手の番組を見ていて結構楽しんでいたのであるが、これは「一定以上の一般常識/知識」を持ち、知識を集めることに喜びを感じる人間に限った話なのかもしれない。あまりに難しい問題を楽々と答える出演者達の姿は、視聴者を感心させると同時に、クイズ番組に対するイメージを変化させてしまったのではないだろうか。「クイズ番組というのはこういった連中が平気で出歩く世界だ」と……。

 解答者達にその気は全く無かったとしても、クイズブームの加熱が結果的にクイズ番組の衰退を招いたのではないだろうか。ある番組がより多くの人々に受け入れられる為には、「ごく一部の人間だけに受け入れられる」ような番組であっては決してならないのであるが、一連のクイズブームで作られた番組はその「犯してはならない過ち」を犯してしまったように感じられる。


 さて、今後クイズ番組が増えることがあるかというと、微妙なところである。ただ、クイズ番組が完全に無くなることだけは決してないということは確かであろう。

 だって、NHKが絶対に1本は残しそうだし。

 本文書が、クイズ番組を新たに作ろうとする放送作家の方の参考になれば幸いである。


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