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2003年7月の図書館長日誌

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  • 2003年7月13日 23時08分40秒
    フリーなことはいいことなのか?

    前回のコラムで取り上げた、OracleとPeopleSoftの訴訟合戦ですが、
    私が調べた限りでは、かなりの長期化が予想されるようです。
    そんなわけで、この問題は1回棚に上げまして、前回のコラムで軽くしか取り上げなかった
    SCOとIBMの間で発生した訴訟問題をメインテーマにしてみたいと思います。
    1つの業界内のシェア争いという問題で片付けることも不可能ではない
    (独占禁止法の問題が絡むので、実は厄介な側面もある)OracleとPeople Softの問題よりも、
    こっちのほうがとてつもなく厄介な問題を内包しているように感じられたからです。



    問題となっている訴訟そのものは実に単純明快。
    「IBMがSCOの知的財産を不正に開示し、約10億ドルの損害を与えた」
    ということを理由に、IBMがSCOから訴えられたというもの。
    で、IBMの反応の悪さにぶち切れた(?)SCO側が、6月16日になって
    「IBMが作った『AIX』UNIX・OSの使用・配布を禁止する差止命令を申請」したり、
    「SCOがIBMに対して与えていたUNIX使用許可を停止」したり、
    「損害賠償請求額を30億ドルに引き上げた」りと、
    IBMに対する訴訟を一層エスカレートさせ、
    これに対してLinuxの製作に関わった人々──オープンソースコミュニティの関係者が
    色々と気勢を上げた……といったところ。
    この過程で、SCOは大手企業1000社以上に連絡をし、その中で
    IBM製Linuxが法的なリスクを抱えていることを告知するなど
    入念な(?)前準備も欠かしておりません。

    Linuxを販売している会社は色々とあるのですが、その中では今回、IBMだけが訴訟のターゲットとなっています。
    その原因ですが、SCOのCEOであるダール・マグブライドさんによると、
    LinuxとUNIXの知的所有権を巡る問題を数々のメーカーと協議して解決を図ろうとしたが、
    IBMだけが強硬姿勢を崩さず、逆にSCOへ圧力を掛けたことがきっかけだった
    そうです。
    確かに、SCOとライセンス契約を交わした会社がいくつか存在することを考えると、
    強硬手段には強硬手段で反撃したいという、SCO側の判断も理解できなくはありません。
    ただ、提訴直前のSCOの経営状態が必ずしも良好ではなかったことを理由にして、
    今回の訴訟が「金儲けの窮余の策だ」と陰口をたたかれることも珍しくありません。
    (経営状態がベストではないことは事実のようです。ただ、アメリカにおける
    SCOの株価はCEO交代後に持ち直していることも考慮に入れておくべきでしょう)


    実際にソースコードの盗用が行われたのかどうかは全く分かりません。
    SCO側が訴訟戦略の一環として、問題とされているソースコードの開示を裁判開始時まで拒否しているからです。
    それに、今回の訴訟に発展する経緯を考慮する上で欠かせないはずの、UNIXとLinuxの辿った複雑な歴史関係も
    ここで取り上げるネタとしては厄介なのです(SCO側とLinux支援者の間で、
    クリティカルな事実関係の認識が異なっている箇所もいくつかあります)

    というわけで、実際に盗用が行われたかどうかを元に、今回の問題を現時点で論ずるのは
    ある意味ナンセンスとも言えます。何しろ、裁判に関わる事実関係の正誤がチェックできませんからね。


    ……とまあ、事実関係を簡単に書いてみたわけですが、
    ここまでのテキストを見て「オープンソースコミュニティって一体何よ?」と思われる方も
    結構いらっしゃるのではないかと思います。
    少なくとも、コンピュータの世界に携わらない方にとっては初耳ではないでしょうか。

    「オープンソース」という概念の分かりやすい説明については
    可知豊さんのテキスト『オープンソースって何だろう』に譲ります。
    思いっ切り簡単で乱暴な説明としては、「プログラムのソースコードを全部ばらして、
    これを見た他の専門家の手でプログラムを自由に修正・改良してもらおう」という目的で、
    いくつかの規定を含むライセンスを設定した上で第3者の目に触れる場所へ公開されたソースコード

    オープンソース……ということになります。
    かなりの誤解を含む表現だと思われますが、ここでは便宜的にこの解釈を使うこととします。
    現在では、コード公開時に設定する規約も数多く生まれています。
    “BSD”とか“GPL”とか“パブリックドメイン”いうような単語を耳にされた方もいらっしゃるかもしれません。
    ……あ、“BSD”というのは、以前世界で社会問題になった牛の病気のことではありませんのであしからず(爆)

    で、当然、オープンソースの手法にはメリットとデメリットが存在するわけでして……

    【メリット】
    ●ソースコードを公開して開発を行うことにより、善意の第3者による助力が格段に得やすくなっている
     →オープンソースに携わる人間がコミュニティを構成し、その内部で効率的に改良が行われることも多い。
      また、悪意の無いセキュリティーホールの発見率が高まると考えられている
    ●一般的に、オープンソースで作成されたプログラムは無料・安価で入手できる
     →費用対効果を考慮する時に、オープンソースのソフトウェアが有利になる場面が出てくる


    【デメリット】
    ●オープンソースに存在する各ライセンス間に細かい条件の差異が存在する
     →プログラマーが「どういうライセンスで公開すればいいのか」頭を痛めることもある。
      また、各ライセンスの信奉者による「宗教論争」が発生しやすい
    ●著作権法や企業の知的財産・企業秘密との関係が曖昧で、最悪の場合には法廷論争に至ってしまう
     →オープンソースのソフトウェアを導入する際に、訴訟というリスクを考慮しなければならない
    ●悪意の第3者によるプログラム改悪を招く恐れがある
    (ただし、これは「オープンでない」プログラムでも問題は一緒なので、オープンソース固有の問題にはならない)


    商売にソフトウェアを用いる場合には、
    オープンソースのソフトが持つ2番目のメリット(コストパフォーマンスの良さ)と
    2番目のデメリット(知的所有権に関する訴訟の余波を食らうリスク)を考慮しなければなりません。
    知的財産・企業秘密で、ユーザ等が被り得る法的リスクの数々については、
    三菱総合研究所の二瓶正さんが『WEB雑誌 自治体チャンネル』に寄稿した記事の中で
    こと細かく紹介されているので、そちらを御参照下さい。
    リンク切れなどに備え、簡単にサマリーを紹介させて頂きますが、
    オープンソースのライセンスとして最も一般的とされているGPLに関しては、
    これだけの法的リスクが存在しているとされているのです。

    ユーザにとっての、オープンソース(GPL)の法的なリスク

    ●当該ソフトに特許権侵害があると、利用差し止めを求められる可能性がある
    ●当該ソフトに著作権侵害があると、利用差し止め・賠償請求を求められる可能性がある
    ●当該ソフトにバグや不具合があった場合にも、補償を受けることは困難

    オープンソースのソフトウェアの改変/頒布者にとっての、
    オープンソース(GPL)の法的なリスク


    ●当該ソフトに特許権侵害があると、頒布した責任を追及される
    ●開発成果がGPL条項上の派生物と見なされた場合、派生物のソースコードをクローズしてしまうと
    著作権侵害/契約条項違反で訴えられる可能性がある
    ●日本の著作権法では著作者人格権を一切放棄できないため、
    オリジナルの作者が著作者人格権の侵害を理由に訴訟を起こす可能性がある

    他のライセンスにも法的リスクが無いわけではないと思うので、
    GPLだけを殊更取り上げるのは若干不平等という感があります。
    しかし、GPLだけを取り上げてみても、これだけの法的な問題が内包されているということは、
    コンピュータシステムを商売として扱う人間から見れば、決して好ましい話ではありません。
    更に言いますと、この問題点に関する判例・法令が積み上がっていないため、
    単に「リスクを抱えている」だけではなく「正確なリスクの程度が全然分からない」という
    もっとまずい状況を生み出しているとも言えます。

    そんなわけで、この点に関し、私は、「何はともあれ法令と判例を熱烈キボンヌ」
    という立場を取ることになると思います。
    法的リスクの範囲がある程度明確になれば、
    安心してオープンソースのソフトウェアに手を出すことも可能になりますからね。
    ここから先は、SEと顧客が自分達の置かれている条件などを考慮して、
    「オープンソースのソフトウェアを導入したほうが得なのかどうか」を個別に判断すればいいわけです。
    得だと判明した場合には、躊躇うこと無く導入しても全く問題無いでしょう。



    以上は、「コンピュータシステムを商売として取り扱う人間から見た、
    オープンソースのソフトウェアに関する率直な意見」です。



    ここから先は、そうではない立場の視点に基づいた、個人的で若干危険な意見になります。
    私自身の本音を言いますと、オープンソースの運動や理念に対しては、
    そのアイデアの良さやプログラム開発における多数のメリットは素晴らしいと思う一方で、
    現時点における内容に関しては、諸手を挙げて賛成することができない面もあります。


    上のほうで乱暴に定義した「オープンソース」という単語ですが、
    厳密には、以下の条件を満たす必要があると言われています(詳細はこちら)。

    ●ソースコードが入手できること

    この条件を満たした上で、下記の条件をクリアしなければならない。

    ●再配布の自由の保証
    ●再配布時における原作者への報酬要求の禁止
    ●ソースコードを提供する義務
    ●派生ソフトウェアにも同じライセンスでの配布を許可する義務
    ●第3者による修正と原作者のオリジナルを区別して配布できる権利の付与
    ●配布時における個人やグループに対する差別の禁止
    ●使用する分野に対する差別の禁止
    ●ライセンス条項追加の禁止
    ●特定製品でのみ有効なライセンスの禁止
    ●他のソフトウェアに対する干渉の禁止

    そして、上記に掲げた諸条件と最も合致しているのが
    GPL(一般公衆利用許諾契約書/General Public License)と呼ばれるライセンスです。
    無論、世の中にはこの他に、こちらのページの解説にもあるように、
    「オープンソース」と一括りにされることの多い、ソースコードを開示するタイプのプログラム開発技法と
    プログラムに付属するライセンスは多数存在します。
    比較的名前の知られているものだけをピックアップしていきますと……

    LGPL、X11ライセンス、パブリック・ドメイン、BSDライセンス、修正済みBSDライセンス
    Perlライセンス、OpenSSLライセンス、Academicフリーライセンス、Apacheライセンス
    LaTeXプロジェクト公衆利用許諾契約書(LPPL)、Mozilla公衆利用許諾契約書(MPL)
    Netscape公衆利用許諾契約書(NPL)、PHPライセンス


    ……などなど。

    この多種多様なライセンスの存在が、オープンソースの醍醐味かつメリットであるのと同時に
    混乱や「宗教対立」の元凶となるデメリットでもあるわけです。

    技術的な観点から言えば、プログラムを実際に書いている人間が、
    自分自身の開発環境に最も適したライセンスを選べばそれでいいはずです。
    事実、オープンソースの活動では、多数のライセンスが登場しているわけですし、
    その気になれば、自分でライセンスを作ってしまっても一向に問題無いわけです。

    また、オープンソースというものをプログラム開発の技法の1つとして縮小解釈した場合には、
    自分が開発したプログラム以外で日常に使うプログラムのソースコードが、
    どのライセンスによって書かれていようが、あまり大きな問題ではありません。
    極端に言ってしまえば、ソースコードがオープンだろうがクローズであろうが、一向に問題は無いはずです。
    それこそ、プログラム開発とは無関係に、日常の家計簿を管理する為に
    典型的な「ソースコードがクローズのプログラム」であるMicrosoftのExcelを使ってもいいはずなんです。
    (当然、Excelの代わりに、GPLライセンスの元で作られた表計算ソフトで同じ仕事を行っても良いことになります)

    ところが、世の中にはそうは思わない方がいらっしゃるようです。
    例えば、上に列挙した様々なライセンスに関する情報の出典となったページの中を精読すると、
    「フリーではないライセンス」の解説で、こんな文言が登場するんです。

    Of course you should not use this license,
    and we urge you to avoid any software that has been released under it.


    (日本語訳:当然、このライセンスは使うべきではありません。
    また、それの下で作られたいかなるソフトウェアも使わないよう強く求めます)


    “urge”の訳をどの程度の物にするか(「強く命じる」から「促す」まで、表現は色々ある)によって
    多少印象が変わってしまう例であることは注意しておきます。
    しかし、この文言は

    (1)フリーではないライセンスは使うな
    (2)オープンソース(フリー)ではないプログラムは使うな

    と解釈可能です。
    前者の意見((1)のこと)が出てくることは、
    オープンソースという開発技法の定義を厳密に定める必要があるという観点から見れば、理解できます。
    しかし、後者の意見((2)のこと)は、オープンソースコミュニティ外の人間から見れば、
    どう考えても言い過ぎ(押し付け)としか思えません。


    また、個人的にとても気になったことが、
    「ソースコード以外に関するフリーのライセンス」という話が出て来ていたこと。
    これもまた、前出ページからの引用になるのですが……

    ソフトウェアや文書以外の著作物向けライセンス
    (中略)
    フリーアートライセンス(Free Art License)
    これはフリーかつコピーレフトを主張するライセンスで、芸術作品への適用を想定しています。
    商業的な頒布は許可していますが、(このライセンスが適用された)コピーレフトが主張される
    著作物を含むより大規模な作品は、すべてフリーでなければならないとしています。


    芸術作品に対しても、わざわざライセンスを作るべきなのか、疑問に感じられます。
    詳しいことは分からないのですが、既存の著作権法の枠内でどうにかできる問題ではないかという気がします。
    それ以前に、芸術作品とコンピュータのソースコードに、
    似たようなライセンスをそのまま適用してもいいのかどうか
    、考えなければならないと思います。


    以上の2つは極端なケースの一部であると言えます。
    ですが、こういった「極端な意見」に目を通していると、
    オープンソースというものが、単なるコンピュータ開発の技術ではなく、
    「既存の大手ソフトウェアメーカーに対する露骨な反攻」とか、
    「現行著作権法(知的財産権に関する法律全て?)に対する挑戦」とかいうような
    政治的活動の旗印にとして使われているように映ってしまうんです。
    その主張の是非は別(私自身としては、これらの政治的発言は過激だと思わざるを得ない)にしても、
    プログラム開発技法の1つであるオープンソースに、
    極端な政治的意図──“革命”など──を付与することは好ましいことではないと思います。
    政治的意図を付与することは一部の拒絶反応を確実に引き起こしますし、
    既存の知的財産権の体系に慣れている人間にとっても、決して小さくない困惑の種になるでしょう。
    オープンソースの開発技法を広めることによって社会的利益を増大させることが、
    過激なことを唱えることの動機となっていたとしても、
    既得権益から真っ向正面から対決するような姿勢は逆効果にしかならないのではないでしょうか。

    しかし、上の「極端な意見」を提唱している人間が、「オープンソースの活動の中で
    『過激過ぎる』と爪弾きにされているのかどうか分からない」
    ことが気掛かりなんです。
    過激な意見がGPL信奉者に多いように感じられたが為の印象なのですが、
    この私の意見が外れていることを祈らずにはいられません。



    「オープンソース」というものを本気で世間に浸透させたいのならば、
    「思想面における毒抜き」は必須ではないか
    と思うのですが、
    こんな私の意見って少数派なんでしょうか?

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