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2004年5月の図書館長日誌

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サロニア私立図書館・玄関へ戻る日誌収蔵室で過去の記録を閲覧する

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  • 2004年5月29日 04時04分50秒
    『ドラクエ』に見る「歴史問題」

    約3週間、日誌の更新が止まっていましたが、これは図書館長の本業である仕事が忙しかったのと、
    空いている時間に『ドラゴンクエスト7』の攻略を1からやり直していたためです。
    近日中に『5』を購入しようかと考えており、その為の「下準備」も兼ねています。
    この間、アメリカ軍のイラクでの捕虜虐待問題や日朝国交正常化交渉などで色々な動きがありましたが、
    仕事が忙しくて詳しい情報を仕入れておりませんし、面白いコメントを出すことができない状態にあります。
    (北朝鮮との国交正常化交渉は、日本側が譲歩しすぎてるのではないかという印象がありますけど……)
    それに、今から紹介する『ドラゴンクエスト7』のイベントの方がネタとして面白そうでしたし。


    では、今から4年前のゲームの話題に移ります。
    ……え? 「どうしてこんな昔のゲーム話題を引っ張り出すか」って?
    私の見たイベントが「2004年の現実世界でも十分にありそうな」内容だったからなんです。
    その詳細は以下の通り。

    (注意。『ドラゴンクエスト7』は過去と現代を行ったり来たりするシナリオになっています。
    そのことを御理解の上で以下のテキストを御覧下さい。
    過去のイベントは赤字現代のイベントは青字で表記しています。
    なお、編集の都合上、ゲーム内ではひらがなで書かれていた個所を一部漢字に変えています)


    イベントの舞台となるのは、山奥にある「レブレサック」という名前の小さな村です。

    主人公達が謎の遺跡から過去の世界に飛び、過去のレブレサックに着いた時、
    村の周辺には凶悪なモンスターが多数現れており、村の周辺には冷たい霧が立ちこめる状態でした。
    しかも、モンスターを倒そうとした村の力自慢達は相次いで行方不明となり、
    村人達の中で信頼を集めていた神父までもが失踪するという有様。
    その上、村の教会には「神父の衣装を着た魔物が住み着いている」とのこと。
    この神父の衣装を着た魔物は村人達から忌み嫌われており、
    たまたまレブレサックに辿り着いた主人公達は、この神父の衣装を着た魔物の退治を依頼されたのです。
    しかし、問題の魔物が魔物特有の邪気を発していないこと、村人相手には悪事を働いていないこと、
    村人達に襲われている時にも無抵抗のままでいることなど、
    おおよそ魔物らしからぬ行動ばかりを取っているため、
    主人公達が村長に魔物退治を止めるよう進言したところ、主人公達が魔物の仲間と勘違いされ、
    レブレサック近くにある山へと追放されてしまうのでした。

    事件の真相を話しておきますと、神父の服を着た魔物の正体は神父本人。
    近くの山に住む魔物からレブレサックを守るために、魔物と取引して魔物と神父の姿形を入れ替え、
    魔物姿の神父がレブレサックに残っている限り、魔物が村を襲わないことを魔物に約束させたのです。
    追放先の山の中で、この取引の当事者である神父姿の魔物からこの話を聞き出した主人公達は、
    神父の格好をした魔物を倒すと、急いで山を降りレブレサック村に戻るのですが、
    村に着いた時には、魔物の格好をした神父が磔にされ、今にも火炙りにされそうになっているところでした。
    幸い、火炙りの実行直前に神父の変身が解けることで村人にも真相が伝わり、
    レブレサックの騒動は一応の決着を見ます。

    事件解決後、渦中の人物だった神父はレブレサックを去りました。
    そして、村を必死の思いで救おうとした神父を殺そうとしたことに負い目を感じたレブレサックの住人は、
    神父と主人公達の活躍を称える記念碑を村の中央に立てることを決めたのでした。

    以上が過去のレブレサックで起こった事件のあらましです。
    ゲームの攻略サイトを見ればもう少し細かい話が出ていると思いますが、今回日誌で取り上げる範囲では、

    ●神父は自分の姿を魔物にするという取引を行い、レブレサックの村を魔物から守っていた。
    ●そんな「魔物姿の」神父を、レブレサックの村人達は忌み嫌い、殺そうとした。
    ●主人公達は本物の魔物を倒すことで神父が殺されるのを防ぎ、レブレサックに平和をもたらした。


    ……ということを確認していただければ大丈夫です。


    で、過去に発生したイベントを解決した主人公達は現代のレブレサック村にやってきます。
    村に入ると、レフという男の子が他の子供から「嘘吐きだ」と言われて虐められている場面に遭遇します。
    レフが虐められる理由はしばらくしてから判明するので、子供達の話は一旦脇に避けておいて、
    先に過去のイベントで村人達が「作ろう」と言っていた石碑のほうへ向かってみます。
    すると、確かに石碑(大きな十字架)が立っています。花壇に囲まれていて、なかなか立派なものです。
    そして、石碑の手前には説教師のおじさんがいて、過去にこの村で発生した事件に関して説明してくれました。
    それによると──

    「かつてこの村は魔物によって深い霧に包まれました。それは恐ろしい霧でした。
    霧の中から襲い来る魔物達。村人達は苦しんでおりました。
    さあ! そこへ現れたのが我らが神父様です!
    神父様は村を守るため魔物と取引して、自ら魔物の姿に。
    村人は喜び、神父様に感謝をささげました。……ところが。
    どこからか現れた旅人が、神父様を魔物と間違えて殺そうとしたのです!
    村人達は力を合わせ、旅人から神父様を守りました。
    旅人が逃げ出すと、何と! 山を覆っていた霧が晴れたではありませんか。
    その上、神父様も元の姿に戻ったのです!
    そう。旅人こそが魔物の手先だったのです!!
    そして、神父様は他にも魔物達に苦しめられている村があるだろうと言って、
    この村を出ていったのです。村人に別れも告げずに。
    それからずっとこの村では、村を救って神父様をおまつりしているのです」


    ……………………
    ………………
    …………
    ……
    ……あれ? 事件の事実関係が全く違っていますよ?
    「この神父が世迷い事を言っているのではないか」と思い、石碑を観察してみると、
    石碑にはこんな文字が刻まれていました。

    その身を魔物姿に変えて村を守った神父様を
    我々は
    心から愛していた。
    ところがある日やってきた魔物の化身が、神父様を殺そうとした。
    我々は力を合わせ、神父様を守った。
    我々は神父様への感謝を忘れることは無いだろう。



    説教師のおじさんの説明と大筋で一致する内容です。
    ただし、主人公達が石碑を1回見ただけで、
    「その身を魔物姿に変えて村を守った神父様を我々は」の部分は古ぼけてかすれた字で刻まれているのに、
    「心から愛していた」以降の部分は新しい石を継ぎ足した上に文字が刻まれていることが判明します。
    継ぎ足された部分の石の色と土台の石の色が違うのですから、
    主人公達がすぐに気付いても不思議ではありません。

    現代のレブレサックの村人は、この「歪められた」記録を「真実」と信じ込んでいるのです。
    また、その後少し情報収集を進めることによって、レフに対する虐めと歪められた歴史の因果関係が判明します。
    レフが他の子供に虐められているのは、彼が「石碑に書かれていることは間違っている」と言っているせいだったのです。

    その後、レフを虐めていた子供達との会話イベントを進めていると、
    子供達の秘密基地(村長宅の床下部分)の地中から、石碑の一部と思われる古びた石版が発見されます。
    その石版にはこのようなことが書いてありました。

    (その身を魔物姿に変えて村を守った神父様を
    我々は)
    殺そうとした。
    神父様を魔物の手先と疑い村中の皆で殺そうとしたのだ。
    神父様こそが我々を守ってくれたというのに。
    我々の過ちは旅人達のおかげで防がれたが、罪は消えることは無い。
    我々はいつまでもこの過ちを忘れてはならない。
    そして、旅人と神父様への感謝の心も……。



    つまり、石碑ができた直後は、石碑には事件の記録が正しく刻まれていたのですが、
    時代を経てから石碑の文面が改竄されてしまい、改竄後の記録が「真実」となったというわけです。

    このことを知った子供達は多いに驚き、「大人達に本当のことを話してくる」と秘密基地から飛び出していきました。
    一方、主人公達はこの「歴史的大発見」を手に階上の村長宅へと向かい、昔の石碑の一部を村長に見せます。
    すると、村長は迷惑そうな表情を浮かべて「村のためにはこんな物はあってはならない」と言うと、
    すぐ側の暖炉の上に置いてあったハンマーを手に取り──

    バキッバキッバキッバキィッ

    ──と、昔の石碑の一部であった石版を粉々に破壊してしまったのです。
    そして何事も無かったかのように、こんな台詞を発しました。

    「フーッ! さて、何の話でしたかな? おお、そうか、旅立たれますか!」

    主人公達が村長との会話の一部始終を伝えるために、階下の秘密基地に戻ってみると、そこには子供達の姿が。
    彼らは「本当」のことを大人達に伝えて回っていたのですが、
    親からおやつ抜きにされたり叩かれたりするなど大変な目に遭っていました。
    唯一、彼らの話をまともに信じたのはレフの父親のみ。
    それでも子供達は、「村に起こった本当のこと、ずーっと僕達が伝えていくんだ」と前向きな姿勢を見せています。
    レフとその他の子供達は仲良くなりましたし、この村の将来には明るい希望が持てそうです。

    ……しかし、相変わらず(?)、殆どの大人達は「歪められた」歴史を信じ込んだままでした。
    ちなみに、古い石碑を壊したレブレサックの村長は、イベント発生後にこんなことを言っています。

    「広場の石碑が間違っているですって? そんなことはありませんよ。
    我々村人が伝説の神父様を殺そうとするなんてありえません!
    第一、何一つ昔からのものは残っていませんから確かめようも無い!


    レブレサックのイベントはこれで終わりです。
    多くのレビューや攻略サイトでは、このイベントは「『7』では最も後味の悪いエピソード」と言われています。

    ……それにしても、このレブレサックのイベントと似たような話、
    日本の近隣諸国のどこかで聞いたことがあるような気がしないでもないという記憶があるのですが、気のせいでしょうか?
    シナリオライターの堀井さんがこのイベントを書いた際、政治的な意図を持っていたとはとても思えないのですが……。

  • 2004年5月8日 09時29分21秒
    比較されて苦労しそうな方へのエール

    昨日の福田官房長官の辞任劇、ああいうのを「寝耳に水」というのでしょうか。
    マスコミの皆さんも裏付けを取れていなかったようでして、記者会見場の記者さん達も「えっ」と驚くばかり。
    個人的には、年金問題程度で官房長官を辞める必要性はあったのかという疑問もあったのですが、
    未払い期間が当初の報道よりも長かったらしいとニュースを見て思わず納得。
    先手を打って動いたのか、これ以上のバッシングに本人が精神的に絶えられなくなったのか、
    それとも年金の不払い問題で批判の矢面に立たされている民主党の党首を道連れにしようとしているのか、
    辞任の真意については色々と憶測は可能ですが、
    官房長官の職を退く決断に上記の報道が関係していることは十分に考えられそうです。

    ……で、前任者の退任に伴って、図らずも(?)官房長官への昇格を果たした細田博之さんですが、
    御本人の公式サイト首相官邸内の略歴を見る限りでは、
    情報技術を中心とした科学技術の分野で経験を数多くお持ちのようでして、
    「『科学やIT技術には疎い』という偏見を持たれがちな日本の政治家の中では例外的な存在なのか?」
    という印象を受けます。
    一方、前任者が得意としていた外交政策についてですが、
    首相官邸内にある細田さんの役職欄に、自民党の外交部会長を経験したことがあることが書かれているだけで、
    御自身のホームページで外交関係の提言を行っている様子は全くありませんでした。
    (「その代わり」と言うべきかどうかは微妙ですが、新しい官房副長官・杉浦正健さんは、
    外務副大臣の経験を持ち、自民党の憲法改正プロジェクトチーム座長を務め、ホームページ内に外交関連の記事を置くなど、
    「直属の上司」よりも外交問題に通じているようです。
    首相官邸における新しい外交の舵取り役は、細田さんではなくこちらの方のお仕事になりそうです)


    前任者があまりに有能で、朝日新聞ですらその手腕を評価していた(2004年5月8日付社説参照)ほどなので、
    細田さんは前任者と比較されて色々苦労しそうですが、めげずに頑張って頂きたいものです。



    上の記事とは関係無い追記(というか生存証明):
    最近、『CLANNAD』関連の情報収集(私のPCにはDVD-ROMが無いためプレーできず、未購入のまま)のため、
    『ONE卒業文集』関係者のホームページをチェックしている最中にKISAさんのページも久々に訪れたのですが、
    過去の日記の記述を見るまで、トップページ最上部に貼られているバナーが
    ビジュアルアーツ社の広告であることに全く気付きませんでした(爆)
    アダルトサイト閲覧等の経験から「横に極端に細長いバナーは原則無視する」という習慣が身についてしまったせいなのでしょうか。

  • 2004年5月4日 01時30分40秒
    「左」の深淵で拾った物

    あらかじめお断りしておきます。
    私は政治的には「どちらかというと」<右>の立場に立つ人間です。
    憲法9条第2項に掲げられている「交戦権の否認」「戦力不所持」なんて規定はとっとと消えたほうがいいと思っていますし、
    自衛隊のイラク派兵ももうしばらくは現状維持のまま続けても良いと思っています。

    ……そんな人間が、5月3日に行われた日比谷公園での「2004年5・3憲法集会」という政治集会の様子を見に行ってきました。
    行った目的? そりゃ当然ネタ集め取材です(爆)


    この集会は、「2004年5・3憲法集会実行委員会」という団体が主催して行ったもので、
    連名で日本国内にある9つの政治団体が主要メンバーとして参加しています。
    会場は日比谷公園内にある野外大音楽堂でして、コンサートの聴衆が座る位置に参加者が座る形を取っています。
    公式のパンフレットを見たのですが、野外大音楽堂内部での座席配置はあらかじめ決められているようでして、
    個人参加者用のブースは全体1割前後──残りは団体関係者の座席ということになっていました。
    「そんなに団体関係者が多いのか?(つまり、個人参加者はその程度なのか?)」とツッコミを入れたくなりましたが、
    この点については今日の話題の本筋とは関係無いので、これ以上追求致しません。

    集会そのものは約30分ほど遅れで終了。
    ラストでは、社会民主党の党首と日本共産党の委員長が縁談に立って演説をぶっていたのですが、
    口調といい盛り上げ方といい慣れ具合といい、日本共産党の委員長のほうが上手だという印象を受けましたね。


    さて、この種の集会では、似たような思想をお持ちの方が事務所からビラを持ちより、
    自分の勢力の主義・主張を広めるべく後方活動を展開するということは良くある話です。
    そんな何気なく受け取ったチラシの中に、発行団体名としてこんな名前が印刷されているビラがありました。

    「革マル派」

    (゜д゜;;;

    「まだいたのか」というのが率直な本音ですが……まだいたんですね。
    ただ、それよりもびっくりさせられたのが、ビラに書かれていた小見出しとその中身。

    「自衛権」を肯定する日共中央を弾劾して闘おう!

    (前略)

    日本共産党の不破=志井指導部は、「日本が平和の国として生きる羅針盤」として
    憲法第九条を擁護するべきことを主張している。
    だが、自衛隊のイラク派遣をもっぱら「アメリカの戦争に協力するものだから反対」と
    唱えていることに示されるように、彼らの「憲法擁護」の内容は、
    日本国家の主権国家としての自衛権は肯定したうえで集団的自衛権の行使に反対するというものでしかない。

    (中略)

    しかも、米英軍の占領支配を打破し「独立」をかちとるためのイラク人民・ムスリム民衆の闘いを
    「野蛮で卑劣なテロ」と口を極めてののしり敵対してきたのが日共中央ではないか。

    (中略)

    それは、根本的には日共中央が現存資本主義を改良するために「保守層との共同」という名において
    保守政党にすり寄るという基本路線をとっていることを最深の根拠としているのだ。

    (後略)


    (゜д゜;;;

    日本共産党と革マル派ってそんなに仲が悪かったのですか……って、あれ? 「共産党が『自衛権は肯定』」?

    不思議に思って日本共産党のページを調べてみるとこんな記事を発見。
    究極目標は自衛隊の放棄であるとはいえ、
    その途中で急迫不正の有事が生じた場合には自衛隊を投入すると明記していますね。
    インターネットの中では日本共産党は社会民主党と比べたら数段マシとの評判ですが、
    このチラシと共産党ホームページ内の記事は、その評価を間接的に裏付けるものになるかもしれません。

    ……最後に、チラシを読み終えて気付いたことを1つだけ追記。
    社民党の批判記事が1文字たりとも無かったのですが、これってどうしてなんでしょう?
    (革マル派からも無視されてしまった? それは無いと思うんですが……)



    追記。最近イラクで報じられているアメリカ兵等によるイラク人捕虜への虐待については、
    情報が不足気味なのでコメントすることができません。あしからず。

  • 2004年5月2日 13時27分40秒
    連休中の雑感

    現在、ゴールデンウィーク中。
    5月3日に予定が入っておりますが、それ以外は特段の用事が入っておりません。
    今年は家の掃除やら荷物整理やらに追われる事になりそうです。


    さて、その連休に入る直前に行われたイラクでの拉致被害者2人の記者会見ですが、
    記事やテレビでの発言内容を見ていると、思っていたよりも落ち着いていて、
    ネットで騒がれているほど問題がある人物であるには見えないという印象がありました(特に高校生)。

    事件に巻き込まれてしまった今の3人にとっては、事件の状況を国民に伝えてもらうのが「責任」の最も良い果たし方。
    自作自演の疑惑がネットで流れてしまった現状を打破するという点でも、記者会見での状況説明は必要になります。
    現在療養中と伝えられているNGO活動家からも、事件に関する説明を聞きたいものですが、いつになるのでしょうか?

    で、この事件の論議で巻き起こった「自己責任」の論議ですが、これって結局は
    「自分の起こす行動によって生じた結果の責任は自分で取れ」
    「自分の行動に伴うリスクは常に考慮し、可能ならばリスクを最大限減らせ」
    ということでしかありません。
    (我々一般人から見ると、最も端的な自己責任は、株のオンライン取引など金銭取引で発生するものです)

    被害者3人(後から誘拐された人も含めると5人)は、端的に言ってしまうとリスクヘッジに失敗したため、
    今回のような誘拐事件の被害者になってしまったわけでして、その危機管理の甘さや自己責任について批判が出ています。
    ですが、被害者5人が危機管理や自己責任の問題で批判されるとすればここまでになります。
    次に外国でNGOや記者として活動する時には、今回よりも入念なリスクヘッジを心掛けてもらえれば良いだけの話。
    無論、基本的な危機管理ができないのではあれば、無用なリスクを背負うことになりますので、
    自分達の代わりに、ベテランで危機管理の基本を知ってるような方に活動をお願いするとことも考えねばなりません。

    ……私が自己責任の問題に関して考えていることって、実はこの程度でしかないんです。
    自己責任の問題と併せて「政府の責任」も論議されることがありますが、基本的には個人の自己責任と同じ問題だと思います。

    この程度で済ませられる問題のはずなんですけどねえ……どうしてこまで論議が広がってしまうんでしょう……。
    問題の本質とは全く関係無いところで、
    「自己責任」という単語が政争の具として一人歩きしているという印象が拭い切れないのですが……。


    こんな今日この頃ですが、隣の国の新聞に気になる記事を発見したので御紹介。

    ウリ党当選者の63%「外交通商パートナーは中国」(2004年4月28日付朝鮮日報記事)

    (前略)

    ウリ党の政策委員会(委員長:丁世均(チョン・セギュン))が今月26日〜28日
    江原(カンウォン)道・襄陽(ヤンヤン)で開かれた党ワークショップで、
    130人の当選者を対象に行った内部アンケート調査の結果、
    「今後最も重視すべき外交通商相手国は中国」という回答が63%と最も多く、「米国」という回答は26%にとどまった。

    これと関連、ウリ党の金槿泰(キムグンテ)院内代表は
    「このアンケート調査が伝統的友邦である米国を重視するという前提下で企画されたということを理解してほしい」とした。

    (中略)

    「最近、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が国連の対北朝鮮人権決議案の採決で棄権したことをどう考えるか」
    という質問に対する結果は発表されなかったが、党関係者によると
    「適切な判断だった」が82%、「賛成票を投じ、北朝鮮の人権問題により積極的に望むべきだった」が18%だった。

    (後略)


    台湾問題やら沖ノ鳥島周辺での中国船の観測作業など、
    中国に膨張主義的な傾向が目立つ今日この頃であることを考えると、
    このウリ党議員達の意見には、少々困惑(というよりも怯え?)に近いものを感じずにはいられません。


    明日は5月3日。
    連休中なのに、日本国内がえらく政治的な空気に包まれる1日でもあります。
    そんな「政治的」な空気をより深く、濃く感じ取れるような記事をお送りできればと思います。

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