帰郷と再会と

バーネット=L・クルサード

「……レヴァイアが反乱、だと?」
 帝国領カルカシア。
 帝都ラグライナの東部に位置し、山と森、そして川の間にある街だ。
 その街の軍駐屯地に彼女――バーネット=L・クルサードは居た。
 つい先日までカルスケートに居たが、補給のためにこの街に下がっていたところにその報が届いた。
「それは、本当なんだな?」
 帝都から正軍師エルの書簡を早馬で届けてきた兵士が無言で頷く。
「やれやれ……参ったね」
 元より、エルがそんな冗談を言うとは思ってはいない。だが、この状況でこの知らせはこの上なく状況を悪化させていた。
「つきましてはバーネット将……」
「良いよ。あたしが行く。ただ、カルスケートの方が心配だが」
 兵士の言葉を遮りバーネットが呟く。当然、その表情は苦虫を噛み潰したように険しかった。
「その点はカルスケートにネル様が赴くそうです」
「そうか、なら心配はなさそうだな」
 言うが早いか、バーネットは執務室のドアを開けて外へ出ようとした。それに対して兵が訝しげに声をかけてくる。
「何処へ?」
「ちょっと出てくる。2日程で戻るのでその間に再編成の方、急がせてくれ」
「な……将軍!?」
 反論する間も与えず、開けかけていたドアの間をすり抜ける。兵士が慌てて追ったときには既に彼女の背中は廊下には見当たらなかった。




「こんな形でここに帰ってくるなんてね」
 執務室を飛び出してから約9時間。
 彼女はレヴァイア王国王都ラ・コリスディー、そこの郊外にある小さな教会の裏手にバーネットは立っていた。
 周りは鬱蒼と木々が茂り、日の光を時折遮っている。
 そして、多くの石が並べられており、それぞれの前には花などが置かれていた。
 彼女が居るのはいわゆる墓地である。
 左手に花束を持ち小さな小道を歩く彼女の姿は、いつもの鎧姿ではなく、普段家で着るようなラフな私服姿であった。レヴァイアが反乱を起こした以上、そんな姿でうろつくのは自殺行為だからだ。
「何年振り……かな」
 風で揺れる葉の音だけがその場の空間を支配していた中で、ポツリと呟く。
 そして、とある墓石の前で立ち止まると、バーネットは怪訝な表情を浮かべた。
「……花? 誰だろ」
 正直な疑問だった。
 両親が亡くなり、姉妹が帝都に移住してから久しい。
 特に親しい親戚が居たわけでもない。
 なのに、花が置いてある。
「まさか、な」
 ヒルデもこちらに来る暇もないだろうし、何しろ花自体、まだ新しい物であり、日は経っている様子はない。
 頭を過ぎる誰かの影。
 だが、それを忘れるように首を振ると、バーネットはその花の横に自分の持ってきた物をそっと置いた。
「……2人とも、もう大きくなりましたよ」
 墓石に向かって小さく呟く。
「右目……なくしちゃいましたけど、ね」
 誰にも聞こえない、誰にも聞かれない言葉をただ紡ぐ。
 独白を続けることで、バーネットは何かをしたかったのかもしれない。
 ただ、それが何かは当人にも良くわかっていなかった。
 だが、それでも喋り続けた。
 喋り続けることで自分の中の何かが無くなるなら、それでも良かった。
「そろそろ、帰ります。帰りに街の様子くらいは見ていくつもりですが」
 数十分後。
 そう言って答えることのない墓石に別れの言葉を告げると、ゆっくりと背を向けて彼女は歩き始めた。




 雑踏の中、バーネットは歩きながら街並みをただ眺めていた。
「変わってないな。この街は」
 6年前にこの街を出て、帝都に移り住んでからここは何も変わってない。
 温度も匂いも、時間も、風も。
 昔自分たちが住んでいた頃と、変わっていない。
 そして、変わったのはそこに住む人とその生活だろう。
 そんなことを考えていた矢先。
 それは、唐突に起こった出来事だった。
「バーネット=リンデ・クルサードですか」
 突然、フルネームで呼ばれて振り返る。
「……誰だ?」
 ここが故郷とはいえ、敵国だということを忘れ一瞬身構える。
 慌てて振り返った視線の先には一人の女性が立っていた。
 人ごみの中でも、軍服を着たその女性は一際目立っていた為にバーネットの視線は直ぐそこへ行き着いた。
「お忘れですか?」
 軽く首を傾げ、その女性は再度バーネットに声をかける。
 忘れてなどいない。
 この顔、声、喋り方ははっきりと覚えている。
「……ファミリア。ファミリア=スティーヌか?」
 バーネットの脳裏に旧友の名前が蘇る。
「お変わりないようですね」
「まぁ、ね」
 ファミリアは軍服を着ている、ということは彼女は恐らく反乱軍の関係者なのだろう。
 ならば、今は自分の立場は明かさない方が安全である。
 いくら旧友とはいえ……そこまでは甘くは無いだろうから。
 そんなことを考え、バーネットはファミリアへと近づいた。
「久しぶり、だね」
「6年振りでしょうか」
「……」
「……」
 軽く挨拶を交わしたものの、なかなか会話が続かない。
 2人とも友人であるという認識はあっても、それは6年前で止まってしまった関係である。
 その6年という時間が、昔の2人の関係に、文字通り間を空けたのだろう。
(昔なら、こんなこと無かったのにな)
 バーネットは頭の中でそう呟く。
 そして、次に浮かんだ言葉は彼女らしい、お決まりの言葉だった。
「立ち話もなんだし、どこかで飲まないか?」
「お酒は……と言いたいところですが、せっかくですしお付き合い致しましょう」
 くすりと微笑むとファミリアは了承の返答をする。
「そう言うなよ……今日はおごるから、さ」
「その言葉、忘れないでおきますね」


 2人が連れ立って入ったのは街外れの酒場だった。
 入った際にファミリアの服装が、一瞬店内の客の視線を集めたが、直ぐに興味を無くしたように酒を飲み始める。街の人たちも今回の反乱に対して複雑な感情を抱いているものが多いのだろう。だが、軍人を相手に、直接言えるだけの信念を持ってる人間はどうやらここには居なかった。
 カウンター席に揃って腰を落ち着けると、バーネットは2,3注文を出す。ウェイターはそれを聞くと、2人の側から離れて行き、そして、2人の空間が出来上がった。
「ファミリアは、今何してるの?」
 ふと、気になった質問をしてみる。
「見ての通りレヴァイア王国の軍人です……」
 答えは予想通りの物だった。
 当たり障りの無い、それでいて、色々な意味で取れる答え。
 だが、先の考えとは裏腹にバーネットは彼女が反乱軍に加担していないことを切に願った。
 自分が国を出たとはいえ、旧友と刃を交えたくは無かった。
 交えることになるのは、あまりにも悲しすぎる。
「そういう貴女も、かねがね噂は聞いています。何でも帝国の尖兵となり活躍されているそうですね」
 ファミリアの言葉にバーネットの刻が一瞬止まる。
「……知ってたのか?」
 明らかに皮肉を込めた彼女の言葉は、バーネットの願いも見事に打ち砕いた。
 頭の中で警鐘が鳴る。
 ファミリアは敵だ。
 そして、彼女は自分の現在の素性を知っている。
「私服で来たのは……無駄だった、かな」
 苦笑交じりに呟くと同時に、ウェイターが酒を運んでくる。
 重い溜息を一つ漏らすと、バーネットは軽くグラスを傾けた。ファミリアもそれに続く。
「それにしても、敵国に一人で来るとは貴女らしいですね。その気になれば、この場で取り押さえる事もできると言うのに……」
 ファミリアの言うことはもっともだ。
「確かにできるな」
 バーネットは心中穏やかではない。
 当然といえば当然だが、ファミリアが、ここまでストレートに言ってくるとは思っていなかった。
「そうなったらそうなったであたしに運が無かっただけさ」
 だから、素直に諦めの言葉を返す。
 今更隠してもどうしようもない。
 ならば、言いたいことだけは言っておいた方がいい。そう思ったのだ。
「だけど、それ以上に……」
「それ以上に?」
「親父たちの墓参りくらいはしておきたかったのさ。ここに“来る前に”、ね」
 バーネットは諦めの言葉以上に本心をファミリアに漏らした。
「そういう貴女こそ、そう思うなら何故そうしない?」
「民間人を守るのも、私の役目ですから。“今の”貴女は、民間人なのでしょう?」
「……そうだな。“今の”あたしは民間人だよ」
「戦場で戦う軍人は、墓参りなどしませんから」
「そういうもんかい? あたしはただ立場とか忘れて、帰ってくるなら墓参りがしたかった。ただそれだけだよ」
 肩を竦めるとバーネットは再びグラスを傾ける。
 グラスの中の氷が、軽く乾いた音を立てた。
「……そう、ですか」
「変かい?」
「いいえ……貴女らしいと思います」
 またくすりとファミリアが微笑む。
 それは、先ほどの表情よりも軟らかい微笑みだった。
「ファミリアだろ。親父たちの墓、見てくれてたの」
「あら、解りました?」
 謙遜も否定もせず、ファミリアは肯定の言葉を返してきた。
「花の選び方が昔と変わってなかったんでね」
「変わってませんでしたか」
「ああ、変わってなかった。だから一瞬まさかな、と思ったよ」
「それを言うなら、貴女も会ったとき直ぐに解りましたよ」
「そうかい?」
「ええ、声をかける時、まさか、とは思いましたけど」
「きっと、お互い……知っている“お互い”が変わってないんだろうな。記憶も、何もかも。ただ変わったのは、それぞれの立場だけか」
「貴女の場合はその目も、でしょう」
「……そういえばそうだな」
 ファミリアの言葉に思わず苦笑する。
 昔から、最後に一言、的確についてくる。
 変わっていない。
 本当に変わってない。

「そろそろ行くよ」
 何時間話しただろう。
 時間を忘れて話したのはもう既に久しいことだった。
 程ほどに酒があって、旧友が居て、昔話に華を咲かせて。
 これで、この後……彼女と戦うことさえなければどれだけ良かっただろう。
「帰りは気をつけてくださいね。……と言っても貴女なら大丈夫だとは思いますが」
「買い被らないでくれ。あたしはこれでもひ弱な女だぞ?」
 おどけたようにバーネットが笑うと、ファミリアも軽く微笑んだ。
「戦場でまた会えるの、楽しみにしてます」
「こっちとしては願い下げだけどね。そうも言ってられんか」
「ええ。しっかりと迎え撃たせてもらいます。第13部隊“ブラッディ・クルス”指揮官バーネット将軍殿」
 形式的な口調でファミリアが答える。
 これが、軍人としてのファミリア=スティーヌなのだろう。
「……そこまで知ってるなら、やっぱり最初からあたしを捕まえておけば良かったんじゃないか?」
「それはフェアではありませんから」
 その返事はバーネットにとって少々意外だった。
 そのためか、思わずきょとんとした表情を浮かべてしまう。
「私、何かおかしな事を言いました?」
「いや……別に」
「表情が物語ってましたけど?」
「何でもないってば」
「ふふ……なら、そういうことにしておきましょう」
「相変わらず嫌だな、その言い方」
「でしたら、言ってみてはどうです? 正直に」
「遠慮しとくよ」
 苦笑交じりに答える。
 やはり、ファミリアには敵わないな、とバーネットは正直に思った。
「それじゃ……改めて。そろそろ失礼するよ」
「ええ……また、“お会い致しましょう”」
「ああ……“会おう”」
 ファミリアの言葉に振り返ることなく、バーネットはその場を去る。
 ファミリアもバーネットの姿が見えなくなるまでその場を動かなかった。



 そして――。


 数日後、ラ・コリスディー郊外で2人は再会する。
 互いに戦場の人として。

(2002.10.11)


年表一覧を見る
キャラクター一覧を見る
●SS一覧を見る(最新帝国共和国クレア王国
設定情報一覧を見る
イラストを見る
扉ページへ戻る

『Elegy III』オフィシャルサイトへ移動する