策謀の宴

ベルンハルト・フォン・ルーデル

−第一幕−

両開きの豪奢なドアを押し開けたルーデルの耳に、会場のざわめきが押し寄せてきた。
クルス暦1252年、10の周期3日目。
ラグライナ帝国第一皇女、ルディは今日17歳の誕生日を迎える。
今日開かれたのは、その祝賀の宴であった。
広大な会場にはすでに無数の人影が立ち並び、思い思いの話題で談笑している。
軽く溜息をついてルーデルはすぐ脇の壁にもたれ、腕を組んで主賓の登場を待った。
実は彼は、この手の宴は好みではない。
貴族達の話題の大半は先祖や領地、家の自慢であり、彼らの話を拝聴するのはルーデルの
ような無骨な男には耐えがたい苦痛をもたらすのだ。
もっとも、先祖や家をそのまま武勲や功績に置き換えれば、軍人にも同じ言葉が適用され
るだろう。
彼がいずれの話題にも加わらずに独り酒を飲んでいるのは、そうした理由からだった。
近くを通りかかったボーイからグラスを受け取り、淡々と空ける。
空虚な自慢話に付き合う気のないルーデルとしては、華やかなはずの宴の時間も黙って耐
える時間でしかなかった。
……その時までは。
不意に首の後ろの毛が不快に逆立つのを感じ、ルーデルは入り口を振り返った。
大勢の取り巻きを連れた貴族の一団が、ちょうど入って来たところだった。
それを眺め、ルーデルは眉を顰めた。
わずかだが、その場に相応しくない空気が含まれているような気がしたのだ。
それは、死の匂い。
職業的暗殺者等が持つ、独特の腐臭である。
不意に不吉な影が精神を侵食するのを感じて、ルーデルは顔を引き締めた。
この会場には、死によって帝国を震撼させる人物が2人来場する。
ラグライナ帝国皇帝、セルレディカ。そして、第一皇女ルディ。
「……何か、あるな……。」
ぽつりと呟き、今までもたれていた壁から身を引き離す。
これから起こるものが何であれ、防げるものなら防ぐ。
暗殺や謀略の価値を認めてはいても、それらを決して好きにはなれないルーデルだった。


−第二幕−

しつこく話しかけてくる若手の貴族を可能な限り丁重に追い返すと、ネルは心の中で溜息
をついた。
近衛騎士団に所属する彼女にとっても、今回の仕事は決して楽しめるものではない。
彼女の斜め後ろに、一人の娘がいる。
娘の名はルディ。
ラグライナ帝国の第一皇女にして、今回の宴の主賓である。
若く、可憐で、しかも皇位継承件第一位。
これを無視できる男のほうが、よほど稀少であろう。
蜜に群がる蟻のような男どもからその娘を守るのが、ネルの仕事だった。
次の招待客が話しかけてきた時に、その事件は起こった。

彼女達から少し離れたテーブルで、一人の老貴族が荒い呻き声を吐いてテーブルに手をつ
く。
理不尽な扱いを受けたテーブルが老貴族の体重を支えきれずに倒れると、並べられていた
料理の皿が派手な音をたてて砕け、ソースが跳ねて老貴族の服を汚した。
一瞬会場が静まり返り、視線がそちらに集中する。

駆け寄ったのは、ネルが一番早かった。
「……しっかり!」
老貴族に駆け寄って抱き起こそうとし……途中で断念して動脈に手を当てる。
既に手遅れであることは、恐らくネル本人がよく分かっていただろう。
老貴族の唇は紫に変色し、顔が断末魔の苦悶に歪んでいる。
「毒……!?誰が、何故……?」
彼女は気づかなかったが、答えは既に出ていたのだ。
……彼女が守るべき人物のところで。


−第三幕−

場内の注目が、ネルとその周囲に集中していた時。
密かにルディに歩み寄る男がいた。
男の左手に、5cmほどの針が握られていることに気づくものは、誰もいなかっただろう。
心配気にネルの方を見つめるルディの後ろに立ち、そのまま静かに腕を前に進める。
針には、猛毒のカンタレラが塗ってある。
効果は遅いが、しかし確実だ。
徐々に神経を侵食し、毒の効果が表面に現れるころには既に手遅れとなる。
僅か一刺しで、数分後にはルディもあの老貴族と同じ運命をたどるだろう。
その針を持った手首が、突如横から伸びてきた別の腕に掴まれた時、男はその事態を理解
できなかった。
「……暗殺とは、穏やかではないな。」
針を握ったままの男の手首を一動作で捻り上げながら、むしろ静かにルーデルは指摘した。

……気取られた。
その事実は、男を驚愕させた。
しかし、驚愕は一瞬で消え去り、男に次の行動を促す。
−もはや、逃げられん。それに、針と標的の間の距離は僅かなのだ…!−
思い定めた男は、体ごとルーデルに体当たりし、そして掴まれたままの左手から右手に針
を持ち変える。男の腕が折れる鈍い音は、周囲でおこった悲鳴にかき消された。
…そして男は、呆然としたままのルディに向かって一気に針を突き出す。
遠くで、また誰かが悲鳴をあげた。







近衛兵に取り押さえられた男が、冥い視線を上げる。
それを無表情に見下ろし、ルーデルは左腕に深く突き刺さった針を投げ捨てた。
赤い雫が、精緻な文様を描いたカーペットに新たな彩りを添える。
咄嗟に左腕でその針を受け止め、そのまま男を殴り飛ばした結果が、これだ。
「……何をしている。皇女殿下を、安全な場所にお連れしろ。」
自分の迂闊さと未熟さを心の中で罵りつつ、侍女達に指示を飛ばしてルーデルはその場に
背を向ける。
針に毒が塗られていることは、自明の理だ。
ただ、倒れるにしても、場所を選びたいところだった。
空虚な騒がしさは、好きではないのだ……。
「典医を呼べ…。早目に頼むぞ……。」
心配そうに見守る女性の近衛騎士に声をかけ、左腕を押さえたままテラスに出る。
典医が駆けつけた時に目にしたものは、テラスの壁によりかかって意識を失ったルーデル
の姿だった。


−…終幕、そして戦乱の開幕…−

数日後。
ルーデルは、しばらくぶりに執務室の扉を開けた。
「痩せましたか?」
開口一番の副官の問いに、ルーデルは苦笑して答えた。
「……いや、大丈夫だ。体重が減ったのは確かだがな。」
……軽く肩をすくめたルーデルの左袖は、肩から下が空洞だった。
笑顔を引き締め、ルーデルは命令を下す。
「……出兵の準備をしておけ。近いうちに、出番があるだろうからな……。」

(2002.08.02)


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