回想

ベルンハルト・フォン・ルーデル

通常、勤勉は賞されるべき美徳であるはずだが、なかには何時の世にも
勤勉であるほど呪われるものが存在する。
1249年春、クレアとの国境線で起こった軍事衝突において死神はその望
まれざる勤勉さを遺憾なく発揮。敵味方有名無名を問わず、多数の魂を
冥界に連れ去った。
帝都ラグライナにある士官学校の校長室で、呼び出しを受けた客はそん
な死神の勤勉さを呪っていたかもしれない……。

客に背を向けて窓の外を眺めている初老の人物に、学生服を着た客が静
かな問いを発した。
「……事実ですか?」
「このような事を冗談で言えるほど、私は酔狂ではないよ。」
後ろ手に手を組み、客に背を向けたまま校長は答えた。
窓の外では、雨が降り続けている。
それを眺めながら、校長は心の中で溜息をついた。
士官学校という組織の特性上十分ありえることではあるのだが、生徒に
肉親の死を告げる役目というのは決して心楽しいものではない。
まして、それが重なったとあればなおさらだ。
両者を隔てるデスクの上には、3通の手紙と紙の包みが三束置いてある。
その中にあるのは、前線からの戦死の通知と故人達の頭髪の一部。
「…形見だよ。父上と叔父上、それに兄上のものだ。」
降りしきる雨を眺めながら、校長は言った。
客は、言葉を発しない。
その沈黙を自失の現れと解釈した校長は、激励の必要性を感じたようだ
った。
「…私にできることがあれば、相談にのろう。」
「…………では、29年もののシャトー・ラトゥールを頂けますか?」
校長がどのような相談を受けるつもりであったにせよ、この要求を予想
することは困難であったろう。客の声は十分に抑制が利いており、校長
は自分が秘蔵している最高のワインを要求されたことにしばらく気づか
なかった。
「……好きにしたまえ。」
酒への逃避も必要と判断したのか、それともこのような時に酒を要求す
るような遺族に愛想をつかしたのか。
「……感謝いたします。」
ともあれその客は、最高のワインを入手して校長室を後にしたのである。


1252年春。他に誰もいないバーのカウンターで、ルーデルは軽く頭を振
って過去の情景を追い出した。
「……どうなさいました?」
グラスを磨く手を止めたマスターの声に、微苦笑を浮かべて答える。
「……士官学校時代を思い出してな。我ながら可愛げのない学生だった
と、そう思っただけだ。」
無言で一礼し、グラスを磨く作業に戻ったマスターをぼんやり眺めなが
ら、ルーデルは今一度過去に思いを馳せた。

……………そういえば、3人とも数日前が命日だったな………。

「……マスター、29年もののシャトー・ラトゥールはあるか?」
「……ございます。」
「いや、開けなくていい。そのままで貰おう。」
慣れた手つきで栓を開けようとしたマスターを止め、ルーデルはストゥ
ールから降り立った。
そしてボトルを無造作にコートのポケットに突っ込み、支払いを済ませ
る。少し怪訝そうなマスターに、ルーデルは苦笑して言った。
「……久しぶりに、飲ませてやりたい奴らがいるのさ……。」
無言で一礼し、マスターは若い客を見送った。
ドアが開き、そしてまた閉じる。
雨の中へ傘を置いて出て行った客に対する興味を振り払い、誰もいなく
なったカウンターで、マスターは静かにグラスを磨き続けた。
客の過去を詮索するのは、彼の仕事ではないのだから……。

(2002.08.07)


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