終幕

ベルンハルト・フォン・ルーデル/キロール・シャルンホスト

降り止まぬ雨が、戦場に灰色のヴェールを下ろしていた。
そのヴェールの下、突き上げられた槍が馬上の騎士の脇腹を貫
き、振り下ろされた刃が兜ごと頭蓋を叩き割る。
秩序なき殺戮の応酬。
指揮系統はもはや存在せず、兵達は個人の武勇のみを頼みに戦
っていた。
そんな無数に屍の転がる戦場でルーデルは一人馬を進めていた。
幾度か共和国軍の小集団と交戦を繰り返して戦場を転戦するう
ちに、ルーデルの周囲からはいつしか誰もいなくなっている。
敵も、そして味方も。
全身を敵味方の血で赤く染め、倒木に座って一人休む敵将の姿
を発見したのは、そんな時だった。
互いの視線が交錯する。
……微笑を浮かべたのは、どちらが先だったろうか。
立ち上がり、ツインソードを構えるキロールに、ルーデルは愛
馬を疾駆させ、駆け抜けざまに斬撃を叩きつけた。
鋼同士が激突する激しい音が響き、衝撃がルーデルの体を鞍か
ら跳ね飛ばす。
空中で体勢を立て直し、片膝をついて着地したルーデルにキロ
ールの斬撃が襲いかかった。
立ち上がりざまのルーデルの斬撃が、それを迎え撃つ。
刃鳴りが連鎖し、二人の間の空間を剣閃が埋めつくした。
隻腕と隻眼。互いに相手の死角に回り込もうと移動し、時に離
れ、時に接近して斬撃の応酬を繰り返す。
火花を散らす激しい攻防に、最初に耐えられなくなったのは武
器だった。
ルーデルの斬撃を受けたキロールのツインソード、その一方の
刃が中ほどから折れ、回転しつつ近くの木に突き刺さる。
勢いの止まらないルーデルの長剣が、そのままキロールの左肩
を捉えた。
……しかし、笑みを浮かべたのはキロールの方だった。
ツインソードには、柄を中心として刃が逆方向に2本伸びてい
る。
キロールのツインソード、その折れずに残ったもう一方の刃が
ルーデルの左脇腹から逆袈裟に切り裂く。よろめいたルーデル
の脇腹の傷口に、繰り出されたキロールの蹴りが炸裂した。
「……ここまでだ、若造!」
木に叩きつけられ、血を吐いたルーデルの首筋に、ツインソー
ドの斬撃が振り下ろされる。
防御も、反撃すらも間に合わない絶好のタイミング。
……だが、隻眼が目測を誤らせたのか。
振り下ろされたキロールの斬撃は木に深く食い込んでルーデル
の首筋を浅く傷つけたに留まり、その半瞬後に繰り出されたル
ーデルの突きがキロールの脇腹を深く貫いた。
「ふん……私としたことが……。……ここに至るまでに猛り過
 ぎたか。……また、会おう……戦場でな」
僅かに自嘲の笑みを浮かべながら、キロールはツインソードを
放して踵を返し、ふらつきながらも指示を飛ばす。
「Legion退却!!……次の戦いの為にな……」
血を吐きながら静かに呟き、戦場を彷徨うように後にするキロ
ールの周りを
腕や、足の無い共和国兵士が数名集まり護衛するかのように共
に戦場を去っていった。
その様は、何処か歪で………幽鬼の様でもあった。

木に背中をもたせかけたまま敵将の退却を見送り、ルーデルは
深く息を吐いた。
ルーデルを駆り立てていた狂気は去り、疲労感だけが後に残っ
た。
降り止まぬ雨が容赦なく体温を奪っていく。
傷口だけは熱いのに、他の部分は無性に寒かった。
そのままずるずると座り込んだルーデルのもとに、戻ってきた
黒毛の愛馬が心配そうに鼻面を寄せる。
悲しげな目で主を見つめる愛馬に、ルーデルは大丈夫だと言わ
んばかりに笑みを返した。
全身が重く、ひどく眠い。
(…………少々、疲れたようだな…………。)
そんなことを思い、目を開けているのが億劫になってルーデル
は目を閉じた。
急速に薄れゆく意識の中。
ルーデルは誰かの泣き声を聞いたような気がしたが、その声が
誰のものかを思い出すことはできなかった……。

一人の共和国兵士が戦場を歩いていた。
長い亜麻色の髪は、血と泥で汚れ乱れていた。
動ける者たちが去った戦場を見渡せる位置まで、兵士は歩きつ
づけた。
屍の山、大地を覆うは赤い血の海。
「何処まで行っても…救われない」
詠うように呟くその声は…女の物であった。
Legion隊中隊長リディア・リードマンは天を仰ぐ。
さっき助けてやった帝国の坊やは無事に離脱できたのだろうか?
坊やと言えば、リックは無事に首都に帰れたのだろうか?
そして、大将も…。
「悪いけど…爺さんに続いてリタイヤさせてもらうよ……」
無理して動き回ったせいか、わき腹の傷が大きく開き始めている。
痛みはある、だが、それ以上に彼女を突き動かす物は一つの想い。
10年以上前、キリグアイで失ったあの人と同じ所に行きたいと
少しでも天に近い場所に向かおうと言う想い。
黙って寝ていたほうが助かる確立も増えたのだろうが…
「流石に…疲れた…もう10年以上前になるのね…兵士に志願し
 てから」
仇が討ちたかった…ただ、泣き崩れているのは嫌だったから。
だが、それは…
「…可哀想に、あんた等にも待ってる人が居たんだろうにねぇ…」
それは、哀しみの連鎖を紡ぐだけだった。
それでも、頑なに戦いつづけてきたが……。
「………」
再度、天を見上げる。
「うっ…ごほっ、ごほっ…」
咳と共に体内から血液が溢れ出てきた。
長くは無い…そう思いながらも周囲を再度見渡すと
見知った剣が転がっている…キロール・シャルンホストの剣。
そして、気付かなかったが誰かが倒れている…
こちらも見知った顔だ。
馬に乗って散々暴れていた帝国兵士…否、帝国の将軍…ベルンハ
ルト・フォン・ルーデル。
「冥土の…土産……ねぇ……」
苦しげに呟きつつ立ち上がり、キロールの剣を掴む。
だが、その剣が振るわれる事は無かった。
「…待ってる人が居るなら…帰ってやりなよ……あたしみたいな
 のは、もう見たくない」
そう言って、手に持った剣を自分の首に宛がう。
……………楽しかった?
……………辛かった?
もう、薄れ逝く意識ではそれすら判断出来なかった。
だからなのだろうか、彼女は自分の意識が消える前に、自分の首
を切り果てた。

前のめりに倒れていく彼女の後を続いて、亜麻色の髪がふさりと
地面に落ちた。
彼女が愛した男が誉めていた髪が……。

(2002.11.12)


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