シュガー家の娘
カーチャ・ボルジア
美しい湖、飛び交う水鳥達。
カーチャが育ったコーリア国の首都キリグアイの街は霧の都とされ、いつも霧につつま
れている。
アデリア海には古来から神が住んでいると言い伝えられている。
学者たちによると、背後の山から吹き下ろす季節風が湾内の寒気で冷やされて霧が生じ
るらしい。
特に南風が強くなる夏場ではキリグアイの街は、周辺の山々の輪郭さえも見て取れなく
なるくらいに深い霧に包まれる。
霧のかなたから異界の者が姿を現したとしても、不自然さは全く感じさせない。
シュガー家の娘であったカーチャが育った街は、そんな所であった。
だが、昨年のコーリア事変はコーリアの首都キリグアイに不穏な空気を漂わせている。
ラグライナの使節団が行方不明となり、全員が斬殺された死体で発見された事件は不協和
が続いていた。
ラグライナ帝国とコーリア国の関係を悪化させた。アデリア海東部の通商に不安を感じ
たガルデス共和国は両者の仲介に立とうとするが、帝国は一方的にコーリアに宣戦を布告
した。
コーリア水軍は海からの帝国軍上陸を阻止し続けているが、陸では圧倒的な物量の帝国
軍に押されている。野戦軍の戦線が北上している状況では、農民たちの間でも日々の暮ら
しに不安を感じるようになって来ていた。
キリグアイの東南に位置するシュガー家は牧畜を営んで生計を立てる、共和国では一般
的な農民階級の家である。当主、ラーヒデ・シュガーには二人の息子と一人の娘がいる。
カーチャはシュガー家の末娘であった。本来なら目に入れても痛くないはずの末娘である。
だが、ラーヒデはカーチャが12才になると兄たちと一緒に武芸の稽古をさせた。
カーチャも何故、女の自分が武芸を覚えなくはならないのかは、分からない。
だが、生まれついで筋が良かったのだろう。16才になった彼女は馬術では兄たちですら、
敵わないほど腕を上げていた。じゃじゃ馬という言葉がまさに似合う娘である。
二人の兄もそんな妹を可愛がり、弓や剣の稽古を一緒に行っていた。戦線は近くに迫っ
ている。
兄たちもいざとなれば戦わなくてはいけない。訓練は真剣に毎日行われていたのである。
そんなある日のことである、馬の稽古で遠出して帰ってきた彼女が見たものは帝国軍の
傭兵隊の焼き討ちにあった我が家であった。二人の兄は傭兵との戦いで力尽きたらしい。
滅多斬りにあった兄たちは屋外で息絶えていた。
父は・・・ ラーヒデはどうなったのか・・・
無我夢中で屋内に飛び込んだカーチャはベランダで倒れている父を見つけた。
背後から斬りつけられていつが、まだ息はあるようだ。膝の上に父を抱き起こすカーチャ
であった。
「お父様、しっかりして!」
「カーチャ様、ご無事でしたか。」
「カーチャ様? 何言ってるの。アタシはお父様の娘じゃない!?」
「いえ、あなた様はボルジアのカーチャ様です。私はもう駄目です。」
「何を言っているの? お父様!」
「カルスケートのフライアー・ベンケーをお尋ねください。」
殆ど聞き取れない言葉を残してラーヒデは息絶えた。
建物には完全に火が回り、カーチャの肩にも火の粉がそそぎ落ちて来る。
それでもカーチャには、すぐにはその場を離れることが出来なかった。
****************************
戦乱の中、カルスケートを尋ねることもままならなかったカーチャは共和国軍の入隊試
験を受け、その才能を発揮して部隊長まで上り詰めた。
そして、1253年共和国はラグライナ帝国との戦争に突入する。
29才となったカーチャには因縁とも言えるラグライナとの戦闘であった。
そして、彼女の出生には何が隠されているのか?
すべての物語はこれから始まる・・・
|