吊り橋の幽霊
カーチャ・ボルジア
第二次モンレッド会戦の先端が開かれたというのに、共和国軍の物資は不足がちになっていた。ここ数日の食料、武器の補給が途絶えているのである。このままでは、会戦の半ばにして戦闘が出来なくなる。評議委員会は何をしているんだ。モンレッド待機部隊の代表としてカーチャは首都のガルデス公邸へ物資補給の交渉へ出向いていた。そこには、たまたま前線から帰還して公務に戻っていたセグトラ将軍がいた。
「セグトラ、いい所で逢ったな。モンレッドへの物資補給が遅れている理由を聞かせてくれ。」
「カーチャさんじゃないですか。お久しぶりです。実はモンレッドへ続く主管道路の橋が敵の工作隊に破壊されたんですよ。」
「何!」
首都とモンレッドの間にはブルーウォーター川が流れている。カーチャは馬で川の中を駈けて来たので気が付かなかったが3日前に帝国軍騎兵の一部がこの区域まで進出して破壊工作を行っていたのだった。
「それで補修作業は行っているのだろうな。」
「それがあれは石で出来た橋なので簡単には直らないんです。それで上流にある木造の吊り橋を修繕して馬車が通過出来るようにしようとしてるんですけど・・・」
「けど?」
「あの木造橋は元々老化していて通行禁止にしていたんですよ。それで橋の袂に(この橋渡るべからず)という看板を立てて置いたのです。そしたらある日、東洋からやってきた若いお坊さんが『ハシがだめなら真ん中を渡ればいいだろう』と仰って、頭をポクポク叩きながら無謀にも橋を渡り始めました。」
「どこかで聞いたような話だな。」
「そしたら案の定、橋の中ほどまで辿り着くと底板が抜けて川底へ真逆さま。そのまま息を引き取りました。」
「間抜けな話だ。」
「で、それから出るんですよ。夜になると吊り橋に幽霊が。それで工兵達も嫌がって作業をしようとしないんです。評議委員会としても困っているんです。」
「そんな間抜けな坊主のために作戦が失敗してたまるか。物の怪が出ようと兵達には作業をさせろ!」
「はぁ。なんとかやってみます。」
それから数日が過ぎたが、やはり物資は前線に届く気配がない。もう待てないと判断したカーチャは直接現場を下見に行くことにした。
「カーチャ様、現場まで行ってどうされるおつもりなのですか?」
「これ以上は待てない。その坊主とやらを斬り殺す。共和国に害をなすものだ。構わないだろう。」
「斬るもなにも、相手は幽霊です。もう死んでいると思いますけど・・・」
「だったらもう一度斬り殺す。間抜けな坊主のくせに邪魔をしているというのが気に入らない。アメリア、後は頼んだわよ。」
言い出したら回りの意見など聞かないカーチャである。単身で吊り橋まで馬を進めた。時刻は夕刻である。夕日に照らされた吊り橋に特に霊気は感じられなかった。しかし、かなり朽ちてきており、手擦りや底板には苔が生えている。馬を下りて橋の上に足を進めてみた。バッキと音がして底板が割れた。とても渡れるものではない。セグトラは補修をすると言ってはいたがこれでは一端、橋を取り壊して架け直さないととても物資輸送用の馬車は走れないだろう。それでも、この辺りは川幅が狭まっている。下流の石橋を架け治すよりは早く作業が終了することは間違いなさそうだった。
「さて、坊主の幽霊とやらが現れるのを待つか。」
河原に降りてテントを張って今夜は過ごすことにした。手元には愛用の短剣を何本か並べてある。ためしに一本を橋げた目掛けて投げてみた。スットといい音がして短剣が橋げたに刺さる。それだけで木片が上から落ちてきた。橋の朽ち方はかなり激しいらしい。橋の中央の底板は確かになくなっていた。あそこから僧が落下したのだろうか。その直下には濁流が流れており、周囲は花崗岩の岩肌がそびえていることから判断すると、たしかに橋の中間点から落下した僧は生きて河原に上がることは出来なかっただろう。東洋から来た僧がここで死亡したという話は本当らしい。
河原の石でかまどを作り、夕食を済ませて幽霊が出没するのを待つ。下弦の月が夜半過ぎには昇って橋を照らし出した。梟が近くでホウと鳴き、秋の虫達も鳴き声を立てている。時々、草むらが音を立てるのは山の動物達が水を飲みに水辺へやって来ているのだろう。用心のため、焚き火の火を強くした。幽霊ならともかく熊にここで食べられる訳にはいかないのだ。
空には満天の星が見える。戦場から離れて気が休まる夜だ。本当に物の怪や悪霊が現れるのだろうか?夏の星座がまだ良く見える。ベガ、アルタイル、ベネブ・・・ それらの一等星をバックに釣り橋は静かに佇んでいる。いつしかカーチャは寝てしまった。
目が覚めるともう日が昇っている。ついに幽霊を目撃する事無く一夜を過ごしていたカーチャであった。橋は昨夜の姿のままその朽ちた姿を見せている。
「何の問題もなさそうだ。作業を急がせよう。」
そう判断したカーチャは馬に飛び乗るとガルデス公邸へと駈け走った。
公邸では相変わらずセグトラ将軍がディスクワークを続けていた。どうやら前線どころではないらしい。
「セグトラ! 昨夜から今朝まであの吊り橋を見張っていたんだがな、何も出なかったぞ! 工兵隊はサボる口実で幽霊が出るとか言っているのではないのか!?」
「昨夜から今夜? あの橋を見たとでも言うのですか?」
「?・・・ どういうことだ?」
「カーチャさんに催促されてあの吊り橋は一昨日撤去させたんですよ。もうないはずなんですけどねぇ・・・」
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