信頼

カオス・コントン

「それでは今回の会議はこれで終了します。お疲れ様でした」

会議室に情報活動委員会副委員長、エヴェリーナ・ミュンスターの声が響く。
ここは共和国首都ガイ・アヴェリにある会議室の一室、今日も情報委員会のメンバーが集まり他国への諜報活動と自国の防諜のための会議が行われていた。そして会議の決定を受け次々と部屋から退出していく職員と同様に次の仕事に向かおうとした時、エヴェリーナは誰かに呼び止められた。

「副委員長。すみません、少しよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ。何か?」

男は帝国方面の諜報部隊の一つを指揮している人間だった。次の会議の準備に向かいながら、以前に彼から提案のあった件について話し合う。

「……その件については、多少の修正と共に許可を出したはずですけど?」
「はい、それは受け取りました。修正部分も妥当なもので異論はありません。ただ、その……」
「何か新しい問題でも起きましたか? 急に状況が変化したとか」
「いえ、この件は本当にこれでいいんですが……何というか、こういった細かな案件については私たちに任せて頂いても…」
「えぇ、ですから大体の方向付けだけ決めたら細かい修正などは現場の判断を尊重していますけれど」
「そういう事では……いえ、何でもありません。それでは、私はこちらに用事がありますので」
「お疲れ様。それではまた…」

一礼して去っていく職員を見送るエヴェリーナだが、その胸中はスッキリしない。先程の歯切れの悪い返答が気になっていた。一体何が言いたかったのか……考えようとするが頭に霞がかかったようでうまくまとまらない。
(今日は……今、答えを出そうとするのは、さすがに無謀かしらね…)
そう思い軽くかぶりを振るエヴェリーナを、突然誰かが背後から抱きしめた。

「エヴェリーナさぁ〜んっ、こんちわー♪」
「あら、カオスさん……こんにちは」

やたら明るい声と共に抱きついてきたのは共和国の抱きつき魔、カオス・コントンである。
そしてそれとは対称的に落ちつきはらって対応するエヴェリーナ……ちなみにさりげなく肘打ちを入れて引き剥がすのも忘れていない。

「アイタタタ……き、今日はまた見事にツボに…(TT)」
「【ふぅ】…用がないのなら私はこれで」

言うなりさっさとその場を離れようとするエヴェリーナ。
その普段以上にそっけない反応に戸惑いつつ、ともかく呼びとめる。

「待ってまってー! あの、ちょっと遅いけど一緒にお昼でもどうかな〜と…」
「ごめんなさい。まだ忙しいし今は何も食べる気がしないから」

そう言って踵を返し、今度こそ情報委員会の方へ歩み去っていくエヴェリーナ。
カオスはぽかんと見ている事しかできない。
(なんだろ…怒ったのかな? けど、今さら抱きつくくらいで……それに何かこう、ミョーに引っかかるものが…)
そう、さっき話していて何か妙な違和感を覚えた。しかしそれが何だったのかがハッキリしない。
(なんだろなぁ…髪型? 眼鏡を変えたとか? いや、そんな事はないな…。
 けど待てよ、そういえば少し目が…それに息も少し上がってたし………まさか!?)
ほとんど確信に近い思いで振りかえる。その目に廊下の先、エヴェリーナの体がゆっくりと傾いていく姿が映る。

「っ……、エヴェリーナさんっ!」

全力で駆け出し、その下に飛びこむようにしてなんとか体を打ち付けるのだけは防ぐ。
が…倒れ伏した後もエヴェリーナは目を覚まさない。
抱き直してからその額に手を当て、予想通りの事実に思わず舌打ちする。

「やっぱし……あぁっ、もうこの人は! どーしてこう…」

そのまま思わず愚痴りかけるが、今はそんな場合ではない。近くで呆気に取られている職員に散らばった書類の整理と情報活動委員会への連絡を頼むと、できるだけ急いで……できるだけそっと、エヴェリーナを医務室に連れて行く。そして医師の下した診断は、疲労からくる風邪――これだけの熱でよく普通に振る舞っていたもんだ、との感想つき――だった。

「まったくです…【はふぅ】」

思わずため息がもれる。咳が出ないのをいい事に、顔色は濃いめの化粧でごまかして執務を続けていたのだろう。女医の手で楽な格好に着替えさせ体を拭いてもらった今では、顔に赤みがさしているのがハッキリと分かる。そしてカオスが何度目かで汗を拭いている時、エヴェリーナが少し身じろぎをした。

「う………ん……………」

起こしちゃったかな……そう思い少し手を止めて様子を見ていると、ゆっくりとエヴェリーナの瞳が開いた。

「ん………あ、あら? 私、どうして……」
「エヴェリーナさん、廊下で倒れかけたんすよ。んで、そのまま目を覚まさなかったから医務室に…」
「そう………。ごめんなさい、迷惑をかけてしまいましたね」
「いやそんな……それより今はゆっくり休…」
「遅れた分、早く取り戻さないと。私の服はどこですか?」

言いながら身体を起こそうとするエヴェリーナだが、思うように動かず途中でフラついてしまう。

「無理ですって! まだ熱も引いてないんですから…今日くらいゆっくり休んでください」
「……皆が国防に追われて大変な時に、一人だけ寝ていろと?」
「だーーーっ、もぉ! だからっ、なんでそうなっちゃうんですか!?」
「えっ…?」
「エヴェリーナさんはホントよく働いて、働いて働いて働きすぎて倒れちゃったんでしょ!? なのにどうしてこれ以上一人で頑張ろうとするんですかっ!!」

真剣な顔で詰め寄るカオスを前にエヴェリーナは珍しく押されていた。
確かに最近は2つの都市で戦闘が起きていて軍部と情報活動委員会の往復やら会議やらに追われていた。
何日も泊まり込みが続いたりヘタをすれば徹夜になった事もある。でもそれは必要だったからだ。

「でも、私は自分の仕事……」
「エヴェリーナさんっ!!」
「は、はいっ!」
「………いっしょに、やりましょうよ…。同じ国に集まった、仲間じゃないですか」

カオスがそっとエヴェリーナの手を取る。その細くしなやかな手を、両の手で包むように。

「せっかく側にいるんですから……助け合いましょうよ」

そう静かに告げてくるカオスを前に、エヴェリーナは会議室で声をかけてきた職員が何を求めていたのか分かった気がした。エヴェリーナが今の地位を維持するためには実績が必要だった。しかしそれを意識するあまり、責任の伴う案件はほとんど自分の元で処理するのが常になっていた。これでは能力のある職員の中に不満を抱くものが出てもおかしくはない。

「………そう、ですね…」

ゆっくりと息をつき、エヴェリーナが微笑む。ほんの少し……とても、穏やかに。

「取りあえず、今日は休む事にします…。それと急ぎの用件だけ連絡しておきたいんですけど、お願いできますか?」
「うい、オッケーすよ♪ それじゃエヴェリーナさん、ゆっくり休んでくださいね…(^^)」

ぽむぽむ、と軽く撫で、そっと医務室を出ていくカオス。幾分和らいだ瞳でその背中を見送ると、エヴェリーナの意識は闇の中へと落ちていった。
―――ちなみにこの翌日、「もう熱は下がったから」と早速職務に復帰したエヴェリーナとそれを見たカオスの口論している姿が目撃されるのだが……それはまた別の話である。

(2002.09.29)


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