トラブル

グレイアス

「グレイアス君! グレイアス君はいるかねっ?!」
士官学校の校長が家に怒鳴り込んで来たのは、まだ朝も早い時間だった。
(校長がわざわざ、何しに来たんだ?)

訳が判らないまま、客間へ入ると、
「グレイア…!!」
「おや、キャサリン嬢。なんで家に?」
校長の横にクラスメートの姿があった。
「そ、その…じつは……」
「………! ……!! …………!! ………!? ………!!」
彼女は俯いたまま、小さな声で答えようとする。
隣で校長が何か喚いているが、まぁ大した事じゃない。

「実は…あの晩の事が………父に知られてしまったんです……」
「あの晩?」
「聞いてるのかね!? グレイアス君!!」
彼女に問い返す俺の声と、校長の怒号が重なった。

「悪い、校長。ちょっと静かにしててくれや。今は彼女の話を聞いてるんだ」
「〜〜〜〜〜〜〜!!!」
怒気を高める校長を尻目に、俺は彼女に問い返した。
「あの晩って、一昨日の夜の事か?」
「え、えぇ…もちろんですわ…」

「グレイアス君! いい加減に人の話を…!!」
「やかましい! まだ彼女との話が終わってないんだ。関係無い校長は大人しくしててくれ」
校長に突き付けるように怒鳴った俺の袖をキャサリン嬢が引っ張る。
「ん?」
「あ、あの…父なんです……」
「はい?」
「…私の父、その…校長先生なんです……」
「………」
チラリと校長を見る。
ジッとキャサリン嬢を見る。
全く違う…。
いや、一応校長も人間だから、目は二つだし、鼻は一つで口も一つあるんだが。
しかし、その造型が全然…。
「……ほんとに?」
「本当です…」
「全然似てないね」
「えぇ、幸い私は母親似ですから」
さり気なく酷い事を言うキャサリン嬢。

「グレイアス君! 先日、わしの娘を毒牙に掛けたと言うのは本当かね!?」
のんびりとした会話をする俺達の間に、校長の叫びが割り込んでくる。
「お父様! 毒牙とはなんですか! この方は……!!」
俺は彼女の憤った言葉を聞きながら、一昨日の事を思い返していた。

あれは行き付けの賭博場の帰りだった。
そこそこ勝った俺は、ほくほく顔で酒場へと向かっていた。
その道すがら、彼女を見つけたのだ。
とぼとぼと俯き加減で歩く女性は、意外にも知った顔だった。
流れるような黄金の髪。眦の切れあがった青い瞳。肌は白く染み一つ無い。
『キャサリン・ヅイツアー』
俺のクラスメイトで、ツンと澄ましたお嬢様だ。
そのお高くとまった態度が気に食わなくて禄に話もした事無かったが、涙を浮かべた美女を放っておくのは俺のポリシーに反する。
声を掛け、近くの食堂に連れていった。
普段と違い、実にしょんぼりした彼女に戸惑いつつも訳を聞き出すと、婚約者の態度がつれないらしい。

……なんでも、キャサリン嬢には生まれた時から決められた婚約者がいるらしい。
で、小さい時から聞かされて彼女はその気になっているのだが、相手の方はそうでもないらしい。
今日も門前払いされて、その後町をふらふら歩いていたらしい。
「私に悪い所があるなら、言ってくれれば直すのに……」
事情を話し終えた後、そんな事を言って泣き崩れる。
そんな学校では見せた事の無い健気な一面に、俺もつい、熱を入れて励ましてしまう。
曰く「相手の虫の居所悪かっただけさ」「お前さんを嫌っているはず無いさ」「お前さんは魅力的だよ。間違い無い、保証するって!」等など…。

その慰めと励ましは延々と続いた。
日が変わり、朝が来るまで。
場所を変え、宿の部屋で…。
ベットの中で、二人とも裸になって…。

……………キャサリン嬢は初めてだった。

朝を迎えた後の彼女の変化は目を見張るものだった。
鼻持ちならなかったお高くとまった点は影を潜め、擦り寄るように甘えてくる。
今まで聞いた事無いような甘えた声で話しかけてくる。
元気になったのは良い…のだが…。
結局彼女と昼過ぎまで一緒に過ごした。


「グレイアス君! 君はわしの娘がもうじき結婚するのを知っているのかね!?」
俺の回想を遮るように校長の叫びが割り込んだ。
…もうじき結婚?
「本当なのか?」
「え、えぇ…。わたくしが卒業したら式を挙げる事になっていました」
小声でやり取りする俺とキャサリン嬢。
ちなみに卒業まで後半年ってとこだ。
「これまでにも色々問題を起こしてきたが、まさかわしの娘にまで手を掛けるとは!!」
それに気付かず、熱弁を振るう校長。
「今度と言う今度は許さん! 退学だ!!」
「退学ですってっ!!?」
校長の言葉に俺以上に反応したのが、キャサリン嬢だった。
「グレイアス様は何も悪くありませんわ! ただ、わたくしの事を親身になって下さっただけです!」
「体を重ねるのが、親身と言うのか? えぇい、お前は黙っていなさい!」
「そんな…!」
「エタナ家の長男との結婚が決まっておるのだ。 グレイアス君、君はそんな娘を傷物にした責任をどう取るのかね!?」
俺がもらっちまえば傷モノにはならねぇだろ。
キャサリン嬢は美人だし、一昨日の一件で性格も可愛くなったし、別に一緒になるのは吝(やぶさ)かじゃない。
そう口を開こうとした俺をキャサリン嬢は遮った。
「わ、わたくしはエタナに行ったりなどしません!!」
「な、何を言うんだ、キャッシー」
「だって…だって、わたくしのお腹には、グレイアス様の子供が…!」
「いるか〜〜〜〜っ!!」
思わず大声を出す俺。
一昨日の今日で子供が出来る訳無いだろ!
「な、何!? 本当なのか?」
信じてんじゃねぇよ、おっさん…。
「えぇ、ですから、あの方の所へお嫁に行くわけには…」
「い、いかん。そうと判れば、式を早めなければ…」
ほんのりと頬を染めてうっとりと告げるキャサリン嬢と慌てふためく校長。
俺はいきなりの事に呆然としているしか出来なかった。
っと、キャサリン嬢がうっとりとした顔で自らのお腹をさする。
「あ、今動いた…♪」
「なに?! は、はやくエタナと連絡を取らねば……」
「動くか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「あぁ、愛しい赤ちゃん。早く顔を見せてね」
「〜〜〜〜〜〜〜!!!」
バンバンと机を叩く。
全然人の話を聞いてねぇ…。
こいつ、こんな性格だったのか…。
こんなに思い込みの強い奴だったとは思っても見なかった。

キャサリン嬢が自分の世界にはまっている間中、俺は頭を抱え続ける羽目になった…。
「あ、今お腹を蹴ったわ。うふふ、元気な子…きっと男の子ね」
……勘弁してくれよ……

結局、引き止める気力もなくした俺はそのまま退学を受け入れ、キャサリン嬢は卒業を待たずにエタナ家の長男と結婚する事になった。


「……退学を切っ掛けに家を出たんだよなぁ…」
酒場のカウンターに座り、古ぼけた士官学校の襟章を眺めながら、俺は感傷に浸っていた。
あれから10年…。あちこちを歩き回り、色々な人と出会った。
しかし…
「後にも先にも、あいつだけだったな…」
体重ねてすぐに「子供が出来た」なんて言った奴は……。
思わず口元に笑みが浮かぶ。
そんな彼女も今では幸せに暮らしているらしい。

カラン…
扉が開く音に目をやると、物憂げな美女が一人入ってきた。
そういうのを見ると放っておけないのは性分らしい。
俺は襟章をしまうと、軽く頭を振って、感傷を追い払った。
そしてグラスを取ると、席を立った。
美人とお近づきになる為に……。

(2002.09.18)


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