無題(1)

ジョシュア

 少女がかしずくと、膝からその冷たさが感じられた。
 冷たいのは、この石の床だけだろうか。ふと、そんな考えが頭の中をよぎった。礼拝堂の石床が冷たいのは、大地も人の心も冷え切っているからではなかろうか。もしそのどちらかにも温かみが今よりずっと多ければ、この石床も多くの参拝者の体温によって温められていただろうに。
 頭を垂れて、彼女の前にいる司祭から言葉を待つ間、彼女はそんなことをぼんやりと考えていた。
 ほんの数歩先にいる司祭に呼び出されてから、彼女はこの礼拝室でずっとこの態度を崩していなかった。彼の司祭が話を始めない以上、彼女は礼節というものにより、頭を垂れ続けるしかないからだ。
 結局、司祭からは言葉は発せられることはなかった。代わりに、彼女にみえるようにそっと一枚の手紙が置かれた。そこには無骨な筆遣いで少女の名前が宛先として書かれていた。
 僅かに目をあげて、司祭の顔を見上げると、それを読むようにと目配せで伝えた。そして何も言わず、そのまま踵を返す。
 礼拝室が静かになると、彼女はそっとその手紙を手にとった。
 封は閉じられたままだ。厚い羊皮紙で作られた封筒から中身をのぞく事もできない。だが、その手紙を手に取っただけで、司祭の行動や、手紙の内容はすぐ少女に伝わった。
 血の気が引いたぎこちない動きの手で、そっと蝋封がされた裏面をみやる。
 本来、上面が開き口になるはずだが、その手紙は折り目が逆で下面が開き口になっていた。蝋には帝国の紋様。
 逆さ封が意味するものは一つしかない。それを確信してしまうと、もはや手紙を持つことさえもできなくなり、震えた手から石床へ、ぽろりと落ちた。
 訃報。
 それも家の断絶につながる文書。
「兄さん…」
 訃報につづられているである人物の姿がフラッシュバックした。優しい笑顔が浮かんで消える。我侭を言った私に対して困った笑顔を浮かべる。本を読む兄。勲章をもらって恥ずかしそうにしている。鎧を着ている。それから、それから、特別優しい笑顔で「行ってくるよ」と最期の言葉が、頭に、がんがんとエコーする。
言葉がやっと口から漏れると、一緒に留めていた悲しみが一緒にあふれ出てきた。体の震えがとまらなくなり、嗚咽と涙がとまらない。悲しみが、憧憬を呼び覚まし連鎖的にそれを破壊していく。
 兄が死んだのは間違いなかった。ロシェル家の正式な当主となってまだ1年もたっていない。平和主義者の兄はこれから色々と夢を語っていたというのに、この手紙一枚は兄の望みをすべて打ち砕いた。
 それは同時に彼女の平和の願いも木っ端微塵にしていた。神の教えという強力な屋台骨ごと、粉々に。
 彼女は、ステンドグラスから差し込む光を薄青の長い髪で遮断し、抜けるような白い手で顔を抑えた。それでも溢れてくる涙はとまらないし、内で止まることもなかった。手のひらを伝った涙は、はらはらと冷たい石床にシミをつくった。

(2002.09.04)


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