聖都のある朝
永倉 光成
おもむろに一人の男が、寝床から立ち上がった。クレアムーン建国以来
武勇をうたわれる永倉家、その若き当主 永倉光成である。
寝間着を羽織り袴に着替え、9年来の愛刀を手に庭へと出る。
「・・・今日も早いな、沙霧」
「あ、兄様。おはようございます」
光成の妹 沙霧は、毎朝 家の誰よりも早く起き、庭の花を世話している。
「今年は水仙の色づきが良い」
「ええ、本当に・・・」
光成もかなり早い時間に起きては、庭先を散歩する。
沙霧もまた兄に毎日の草花の成長を話す。
執務と鍛錬に忙しい光成が、妹と過ごせる唯一の時であった。
「光成様、沙霧お嬢様、朝餉の準備 整いました」
最古参の家臣であり、永倉家の小姓頭でもある望月 忠辰のこの言葉も、
この家の日課である。―――が、今日は趣が異なっていた。
この日は光成及び補佐官の面々が屋敷を出、この翌日には出陣する。
本来は兄妹のみでの食事であるがこの関係で広間にての会食の様相を呈する。
人数は全員で12名。皆、通例 永倉家に仕えてきた家臣達である。
板垣宗冬とその父石周斎を初めとする7名の侍大将、小姓頭の忠辰、
経理等担当する雲野伯玄と桐野才蔵、それに光成と沙霧。
質素倹約を旨とする永倉家の食卓も、この時ばかりはささやかながら
豪華となる。皆気心も知れている。僅かに酒も振る舞われた。和やかな雰囲気と談笑――
しかし、皆この戦いの先が、決して明るくないこともまた知っている。
次に集まる時、空席がいくらあるかは知れたものではなかったが・・・。
「・・では、これにて解散しよう。出立は予定通り一刻半後とする」
光成は先に部屋を辞した。いくつか、やることがある。
まずは自室にて遺言状をしたためる。永倉家は厳格ではあるが、お家騒動と
無縁では無い。戦乱の最中、無用な混乱は避けたかった。
次は、当主としてではなく武人としてやるべきことを成す。
白装束へと着替え、台に扇子を乗せ、しばしの瞑想。
十数分続け、心を落ち着かせる。
「・・・・」
――おもむろに目を開き、胸をはだけ、扇子――短刀の代わりである――を
突き立て、横に流した。
古来より、武人は戦場に赴きその命を賭ける。
永倉家に伝わるこの儀式は「自らを捨て、全てを捧げる」という決意を現すのである。
また、しばしの瞑想。迷いを残してはならない。
最後として言えるのは、兄としてか。
再度 羽織袴に着替え、茶室へと向かった。この時刻に妹が訪れるのはここだけである。
「沙霧、良いかな?」
「はい」
障子戸を開けると、沙霧が正座していた。他には誰も居ない。
「出立の前に、茶を一杯貰いたいのだが・・・」
沙霧が断るわけも無いのだが、光成は変に律儀であった。
「はい、喜んで」
兄のその律儀さに、沙霧は微笑む。
「・・・旨くなったものだ」
僅かに口に付けた後の第一声。
「先生に恵まれましたから」
沙霧は笑顔で返す。
「フ・・・よくも言うな」
そも、茶の湯を沙霧に初めて教えたのは光成だった。その後は独学に近く、
専属の教師が就いたことはない。
光成も決して悪い腕では無かったが・・・。今の沙霧に比較することは出来なかった。
「さて・・・そろそろ刻限だろう」
ゆっくりと賞味した後、器を置き立ち上がる。
「お見送りします」
永倉家の正門前。
護衛の十数名と、先頃食膳を共にした家臣ら。10名の内、
光成に従って出立するのは丁度半数の侍大将5名である。
「沙霧、皆をよくまとめ、しっかりと家を守ってくれ」
「はい・・・兄様もお気をつけて」
「うむ・・・忠辰、伯玄、沙霧を頼む」
「心得ております」
「御意に・・・」
かしこまる二人。
そして光成は馬上の人となった。 (了)
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