刃を交えて
朝霧 水菜
その2人がそれまでに面識があったわけではない。
けれど、帝国で隻腕のルーデルと言えば有名であったし、
対する朝霧水菜も、ルーデルはルディの侍女として何度か見かけていた。
しかし、古くから帝国で生きてきたルーデルと、
半年ほど前に帝国に入ってきた水菜とでは、やはり、接点は少ない。
「この度は、本当にありがとうございました・・・」
だから、ルディの誕生祝賀会での一件のお礼にと、
水菜が彼の元を訪れたのは、傍から見れば、珍しい光景だろう。
ルーデルは当然のことだ・・・とでも言うかのように、軽く肩をすくめただけだった。
俄かに帝国とクレア、共和国との緊張が高まっている時分、
彼としては訓練をして実戦の勘を維持しておきたい、というのが本音だろう。
そもそも、礼であればルディから直々に彼は受けているし、
彼女の侍女であり、親しい仲である水菜がそれを知らない事もあるまい。
「将軍の様に国に忠誠を誓っておられる方も今では稀有なんですよ」
そんなルーデルを見て、口元に微笑を浮かべながら水菜が言う。
確かに―ここ最近の兵力増強で集められた者達は、
腕の立つのだが、国に忠誠を誓ってはいない者も少なくはない。
まあ、ルーデル程になると、逆に少ないかもしれないが。
暫く空いた間に、ルーデルは視線で他用はないか・・・と、問いかけた。
「あ、いえ・・・1つ、お聞きしたい事があったんです」
水菜のやや慌てた様子で、間を埋めようと取り繕う。
慌てる彼女とは対照的に、ルーデルは、あくまで冷静にその先を促す。
隻腕の事であれば、彼は特に気にはしていなかった。
そもそも、根っからの軍人気質である彼がこの程度で前線を退くはずもない。
「その・・・じつ――――――」
「ん、ミズナ。ここに居たのか」
何かを言いかけた水菜の言葉を遮るように、彼女の背後から声が響く。
ルーデルが視線をやり、水菜が振り返った先に居たのは、
ラグライナ帝国第七代皇帝セルレディカ、まさしくその人だった。
ルーデルが落ち着いた動作で敬礼をし、水菜も向き直って深々としたお辞儀をする。
「それで・・・陛下、どういったご用件でしょうか?」
先程の彼の言動から自分を探していた事を察し、水菜が問う。
「ふむ、ルーデルも一緒か。丁度、良かったな」
セルレディカは1つ、頷くと、ルーデルの方を見やりながら、
「ルーデル。ミズナと模擬戦をやってはくれぬか」
「・・・・・・・え?」
唐突な皇帝の申し出に、水菜が素っ頓狂な声をあげ、
ルーデルも表情には出ないが、その瞳に僅かながらの怪訝の色を見せる。
その2人の疑問を汲み取って、セルレディカはもう1つ、頷き、
「実はな・・・」
―皇帝私室―
(ふむ・・・兵力は十分なのだが、それを指揮する将軍に欠けるな)
用意された豪勢な食事を口に運びながら、セルレディカは思索に耽っていた。
今現在、クレアと共和国に対しての両面戦争を展開しようとしている彼に、
一時でも無駄な時間が惜しいのだ―特に、将軍の不足には頭を悩ませていた。
国内外を問わず志願兵を募り、中から優秀な人材を抜擢したりはしていたが、
それでも国に居る全兵力を指揮するには余りにも足りなさ過ぎた。
「あ、お父様。お仕事、お疲れ様です」
言って、彼に声をかけたのは彼の娘であり、
ラグライナ帝国皇位第一継承者である、ルディだった。
「ん? ルディか・・・そういえば、ミズナはどうだ?」
ミズナとは、遠出から帰って来たルディが、彼女自らの願い出により、
彼女の侍女として異例の登用をされた女性―朝霧水菜の事である。
「最初に比べて、こちらの生活にも慣れてきたようですし、
それに・・・国外の事とか、色々と面白い話もしてくださいます」
言って、その話を思い出したのか、ルディがクスクスと微笑を漏らす。
娘の笑顔に心を和ませる彼は、ふと、思いついたように疑問を口にした。
「そういえば、どうして彼女の登用を頼んだりしたのだ?」
純粋に話し相手が欲しいのであれば、カレンも居るはずだ。
「その事ですね・・・彼女、物凄く強いんですよ。
最近、身の回りが何かと物騒なので、身辺警護も兼ねて頂いてるんです」
その話を待っていたのか、嬉しそうに話すルディを見、
それならば警護兵が居るだろう―そう言おうとして、やめた。
灯台下暗し―存外、将軍に適した人材というのは身近に居るかもしれないのだ。
「・・・と、いうわけだ。ルーデルには彼女の実力を測って欲しいのだ」
言い終えて、セルレディカは改めて2人を見やった。
確かに、そういった話ならば、勝負事には手を抜かないルーデルは、
これ以上のない相手だろう―それに彼の推薦があれば、他の将軍の反対もない。
「はぁ・・・・」
「・・・(それが皇帝閣下の命であるなら、仕方あるまい)」
曖昧な返事を返す水菜と、無言のルーデルを見やり、
彼は最後にもう1度、頷いて、
「それでは、模擬戦の詳細は後日、追って伝える」
そう言い残し、部屋を出ていったのだった・・・
模擬戦の会場となった訓練場の広場には、俄かに人が集まっていた。
どうやら、今日の事が誰かから漏れてしまったらしい。
その人だかりの中央、数歩分の間合いをとって、2人は対峙していた。
ただ、水菜は中に耐刃繊維の織り込まれた服を着ている以外は普段と変わらず、
その格好が余りにも戦闘に不向きなのは誰の目にも明白だが。
「将軍、始める前に1つ、お願いしておきます」
模擬戦用の模造刀の柄に手をかけながら、水菜が口を開く。
「人を殺す覚悟と、人に殺される覚悟を・・・しておいてください」
ルーデルが、その言葉の真意を問うよりも早く、
「はじめっ!!」
開始の合図とともに、水菜が一瞬で数歩の間合いを詰めてきていた。
何も、彼女が人外の脚力などを持っているわけではない。
ただ人より並外れて優れた瞬発力を生かした静から動への転換が、
相手の視覚に捕らえられず、まるで忽然と消えたような錯覚を持つのだ。
―キィィィンッ・・・・
「・・・・・・っ!」
しかし、ルーデルも猛烈に迫り来る気配に咄嗟に身を引き、
素早く繰り出された水菜の突きを寸での所で受け止める。
「・・・・(先程までとは雰囲気が違うな・・・)」
それは水菜が刀を抜いた時から感じていた事だった。
刀を抜いた水菜の周りの空気は凍りついたかのような錯覚を覚え、
彼女から感情は抜け落ちていた―あるのは、ただ、鋭利なまでの殺気のみ。
返す刀でルーデルも剣を袈裟に振り下ろすが、
水菜は躊躇する事なく、横に飛び退いてその一撃をかわす。
「・・・(これは・・クレアの戦い方・・・か?)」
続いて放たれる水菜の胴薙ぎを剣の背で受け、胸中で呟く。
帝国には空翔三郎というクレア出身と思われる将軍がおり、
その戦い方を知っているルーデルは咄嗟にそこに思考を結び付けていた。
具体的にクレアと帝国の戦い方の違いというのは、
根本的な戦法の違い―ひいては、剣と刀の違いになる。
帝国の多くの将軍が鎧に身を包んで、
相手を鎧の上からでも叩き潰す剣を用いるのに対して、
クレアの多くの将軍は一撃離脱の身軽な戦法を主に用い、
相手の鎧の隙間から刺し殺すような刀を好んで用いる傾向があるのだ。
「・・・・(しかし、速いな・・・)」
真横に薙ぎ払った彼の一撃を、また水菜がかわして、次撃に移ってくる。
その速さが彼が今まで戦ったクレアの兵と比べて明らかに違う。
確かに、この速さで突きが喉元にいけば幾ら模造刀といえど容易く貫くし、
ルーデル自身の一撃も相手が生身なのだから下手すれば命を奪いかねない。
つまり、先に水菜が言っていた覚悟とは、こういう事なのだろう。
何度目かの攻防を凌ぎ合い、タンッ、と水菜は大きく退いた。
ここまで自分の攻撃を受けられる相手に会ったのは、
今まで渡り歩いてきた戦場でも数える程しかいない。
この実力ならば周りの兵が一目置いて接するのも十分に頷けた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・」
互いに沈黙しながら間合いをはかりつつ睨み合い、
張り詰めた空気に、周りの観衆が息を飲むのがわかった。
まだ、体が十分に動く事を確認して、手にした刀の柄を握りなおす。
タッ、と軽い音を残して、水菜の体が疾駆した。
対するルーデルも剣を構え、迎え撃つべく態勢を僅かに動かす。
「砕っ!!」
ダンッ、という鋭い踏み込みと気合いの入った声と共に放たれた攻撃を、
しかし、ルーデルは咄嗟の判断で受けずに、真後ろに飛び退いた。
彼には見えたのだろうか、自らに迫る4筋の銀閃が。
―キィィィィィィィィンッ・・・・
鋭い音と共に隻腕のルーデルの喉元を狙った一撃が止められる。
咄嗟に身を引いて避けた4つの攻撃も完全には避けきれず、
模造刀だから切れはしていないものの、微かに鈍い痛みがはしっていた。
「凄いですね・・・【夜叉】を止めたのは、将軍で二人目です」
ふぅ、と、水菜の口から小さい吐息が漏れ、急速に周囲の殺気が弱まった。
―それが、この模擬戦がルーデルの勝利で終わった事を告げていた。
数日後、水菜はセルレディカの命により侍女から解雇、
同日付で帝国軍第7部隊「紅月夜」の指揮官に配属される事になる。
―そして、彼女は戦場に立つ・・・
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