面
御剣 叢雲
叢雲は担架の上で暴れていた。
石抱きの際に臑が痣だらけで真っ黒になってしまった上に骨も折れているらしく、叢雲は立ち上がることすらできなかったのだ。そしてその叢雲は担架の上で元気に暴れている。
ソフィア・マドリガーレが御者に出した命令は『御剣叢雲を王都まで安全に送っていくこと』であったのだが、叢雲は馬車の前につながれている馬を見ては暴れ、馬車で王都まで送ると言われては敵の世話になるくらいなら逆立ちして帰ると言って暴れた。
その度に叢雲に殴られていたりしていた御者は律儀にも担架を落とさないよう細心の注意を払っていた為に叢雲の攻撃をことごとくその身に喰らっていた。
叢雲を送り返す際に野次馬が集まったりすることを避けようとして周囲に一般人の通行を禁止していたのは幸いだったとその場に居る誰もが思ったことだろう。厳格かつ重厚な雰囲気を建物自体が醸し出しているかのような月の塔が、この時ばかりは異様な滑稽さに満ちているかにも見えた。
「…この眼で見ていない限り本当に彼女は拷問されたのかと疑ってしまいますね……」
馬の鼻息に恐れをなして担架から転がり落ちた上にそのまま這いつくばって逃げようとする叢雲とそれをあたふたと追いかける御者を塔の上から見ていたリリエがそう呟く。
「……」
その横でソフィア・マドリガーレは何も言わずにその光景を見つめているのだった。
「あら、何騒いどんのん?」
突如として通りの向こうから空翔三郎が歩いてきた。
彼がたまたま現れたのかそれとも叢雲がそこに居ることを分かっていて現れたのかは誰にも分からなかったが、少なくとも空がその場の様子に疑問を感じている節は見当たらなかった。
「んで、嬢ちゃんはなして暴れよっとね?」
「ほん、随分とええ馬車やの。飯とか布団とか、まあ・・・」
付き添うぐらいなら怪我人でもできると叢雲をなだめすかして一緒に馬車に乗った空は馬車とは思えないほどに設備のしっかりとしているマドリガーレ家の馬車に感嘆の声を漏らした。
一方で叢雲は布団からツインテールの先だけを覗かせてその中でふてくされていた。
未だに拷問を受けたのに何も聞かれなかったことの理由が分からない。かと言って理由もなしにあそこまですることなどは考えられなかった。ましてそれが終わったら馬車で送ってくれるなど、とても叢雲には理解できない。
鞭で打たれた時は本当に痛かった。背中の感覚がマヒした気がした。
木馬に乗せられた時はさらなる痛みと羞恥が激しく襲ってきた。
石抱きをさせられた時は脚が潰れるかと思った。
股裂きにあった時は両手両足を引き裂かれるように両側から引かれ続けて手足がもげてしまうような気がしたし、名前の通り身体が割れてしまうかと思った。
水責めをされている時はほとんど何も考えられなかった。
その先は何が起こっていたかなど全然覚えていない。ただ、ソフィア・マドリガーレの言っていた言葉だけが一言一句全て頭の中に残っている。
馬車に乗る前はあれだけ騒いでいた叢雲だが、空と二人きりになった途端に布団の中で身を縮こまらせている。
「空さん…」
「よい、どしたん?」
「怖いん…です」
「何が怖いん?」
「…分かりません……」
馬車がカルカシアの街から王都へと南下し始めたころになってようやく叢雲は口を開いた。
「自分でも…何が怖いか分からないんです…でも……でもやっぱり何かが怖くて…」
「そけ」
布団の中から顔だけを向けながら叢雲がぽつぽつと話すのに対して、空は静かにたった一言だけ言っただけだった。
「私は…どうしたらいいのかな…そんなことも分からないんです…でも…それが怖いわけじゃなくて……」
いつしか叢雲が眼に見えて震えだす。おびえるように顔を伏せて、小刻みにがたがたと震えている叢雲の頭を空は優しく撫でた。
「………空さん」
「あん?」
震えは止まったものの、顔を伏せたままの叢雲が小さい声で呟く。
「私は…将軍なのに…何もできないから…政治とかに詳しいわけでもないし…自分一人だと逃げ回ったり罠仕掛けたりしかできないし部隊を指揮するのだってそんなにうまいわけじゃないし……何でみんな私なんかに付いて来てくれるんですか………?」
だんだん涙声になる叢雲。
「だってみんな『死ぬ』って分かってるのに付いて来てくれたんですよ? …それなのにみんな文句も言わな……」
叢雲の言葉は優しく頭に置かれた空の大きな手に押しとどめられた。
「空さん……多分…私…これから何回も戦場に行きます…そこであった時は…また相手になってください…」
「ええよ、いくらでも相手したるわ」
その後、しばらく車内を静寂が包み込み、王都の町並みが地平の彼方に見え始めた。
「空さん…」
布団の中の叢雲が誰にも聞こえないような小さな声でそっと呟く。
「もし…戦争なんか無い平和な時代に空さんと会ってたら…どんな話するんだろ……」
しかしその言葉をしっかりと聞いていた空はただ黙って窓の外を見つめていた。
「あ〜っ!! 脚ケガしてんだからそんな持ち方しないでってば!! 痛っちょっと痛いイタい!!」
王都の城門の外で王国の兵士に叢雲を引き渡そうとした時に、叢雲は再び暴れだした。
「右!! 右傾いてる!! あ、そうやったらもっと傾くってば!!」
「元気やの…」
馬車を降りた瞬間に打って変わって騒がしくなった叢雲を見て空は苦笑した。
「あ、空さんありがと〜ございました〜!! ソフィアさんにもよろしく〜ってだからそれやったら痛いんだってば!!」
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