崩壊への三物語

御剣 叢雲

≪兆し≫

朝日の差し込む部屋の真ん中で一人の幼い少女が枕を抱いて眠っている。
「う〜ん…少しは上達したかな?それにしても何で叢雲は金ダライなんか好きになっちゃったのかな〜…」
その布団の横で叢雲の母親、御剣村雨は天井を見上げてつぶやいた。
その天井に金ダライを吊るしている紐を解き、タライをおろそうとすると
「きゃっ!?」
金ダライの中に満たされていた水を彼女は頭からかぶる羽目になった。

「村雨〜、ちょっと仕事頼みたいんだけど…って……す、すまん!! 悪気は無かったんだ!!」
彼女の夫の御剣八雲は一枚の書類を持って叢雲を起こしに行った村雨を呼びに来たが、全身濡れそぼって体のラインがくっきりと浮かび上がってしまっている村雨の姿を見ると慌ててその場を右往左往した。
「いや、コレは不可抗力と言うものであって…そりゃ確かに俺だって『良いもん見たな〜』とか思ったりもしたんだけど…って、違うっ違うぞ!!今のは多分幻聴とかそういうもんだからな!!」
「も〜、そんなに騒いだら叢雲が起きちゃうでしょ…で、仕事?」
濡れた服を躊躇いも無く脱ぎながら村雨が八雲の持っていた紙に眼を通す。
「え〜と…まず堂々と脱ぐのはやめて欲しいと思うんだが…嫌ってワケじゃないんだが……第一村雨は叢雲を起こしに来たはずで起きたら起きたで良いんじゃないかと…」
八雲が視線のやり場に困りながら躊躇いがちに村雨に声をかける。
「暗殺…か……好きじゃないんだけどな…」
「開戦派の神官だね…色町に誘い出すからそこで…ってコトみたいだ……発令者は和解派の長老か」
村雨は普段は八雲の命を受けて様々な活動を展開しているが、時々このような件を受け持つこともあった。
「でさ、八雲はどう思う? 内政官として」
「帝国との外交に関する案件? 俺はシチルの北の川に国境線を設けるべきだと思うけどね。戦争になったら今のクレアが持ちこたえられるかどうか…」
「『今の』クレア?」
なかなか起きない叢雲の布団を勢いよく引き抜いて叢雲を無理矢理布団から追い出しながら村雨が反芻した
「帝国皇帝のセルレディカの勢いは凄まじい…今のクレアだと人材不足だ。ついこの間もレヴァイアを落としたんだ…喰われる前に手を打たないと」
「…まあいっか、そうだね…多分今日は遅くなるから叢雲の世話お願いね。それから」
「分かってる。その店にうちの部下を手配しとくよ」
「??」
村雨がきょとんとした顔で何かを考える
「ネギと大根買っておいて欲しかったんだけど…」

昼も過ぎ、八雲は一人で書類の束に眼を通していた。外からは叢雲や向かいの神社の娘の梢、そのほかにも何人かの子供たちの元気な声が聞こえてくる。
「ん? …これはひょっとして…」
一枚の書類に眼を通していた八雲は突然それまで見ていた書類をひっくり返し始めて、その中から一枚の書類を見つけ出すと深刻な顔つきで二つを見比べた。
「まさか…コレが本当だとしたら…」
忌々しげにつぶやく八雲の耳に子供たちの無邪気な声が響いていた。


≪始まり≫

帝国が共和国領へ侵入すると、クレアの国内でも次第に戦争への準備が進んでいた。
開戦派も和解派も数人ずつ暗殺され、八雲自身が危険に晒されたことも一度や二度ではなかった。
今や帝国と和議を結ぼうとする者は八雲を含めて数人となり、それも長老の一人の力に頼っているようなものだった。

戦は避けることができないと感じた八雲は夜になると娘の叢雲と向かいの神社の娘で叢雲と姉妹同然に育ってきた梢に政治に関する様々なことを教えていた。しかし叢雲は「小難しいことは梢に任せる」と、兵法以外のことには耳を貸さなかった。
帝国との開戦ムードが漂う中で次第にクレアにも優秀な人材が増え始めたものの、八雲はそれでも帝国と渡り歩くのは難しいと主張し続けた。

「二人ともこれだけは覚えておくようにしてくれ…」
ある日の夕方、八雲は叢雲と梢に向って神妙な顔つきで言った。
「人を率いる立場に立ったとき…自分の考えを捨てろとは言わないが公と私は分けてくれ…二人の意見が対立したとしたら『仲がいいから』とどちらかの意見を丸め込むようなことは絶対に駄目だ…今のクレアにはそれができない人間が多すぎる」
それはわずか12歳だった叢雲と梢に重くのしかかる一言だった。

「八雲…」 ようやく寝た叢雲に布団をかけてやると村雨は懐から一枚の紙を出して八雲に渡した。
「あの長老…二年前に暗殺依頼出してきた時に何かヘンな所があるって言ってたよね…」
「ん? …ああ、帝国の諜報部員と見られる人間と接触してたって報告があったな」
そう言いながら村雨に渡された紙に眼を通す八雲。
「え〜と…」
「その書状をあの長老が受け取ってたのよ…こっそり奪ってきたんだけどね」
「嘘だろ…あの長老…」
「そ。あの長老は自分の欲のためにこの国を売るようなこと考えてたってワケ」
「村雨…もう少しあの長老の周りを調べてくれ…この話を表沙汰にするのはまだ早い…」


≪終わり≫

夕方に届いた報告書は八雲にとって最悪のものとなった。
「始まっちまった…戦争だけは避けたかったんだが…」
その報告書には国境での小競り合いに国境警備隊が動き、戦争状態に突入したことが書かれていた。
「八雲…」
村雨に声をかけられた八雲はその村雨の声が深刻な色を帯びていることを察した。
「前から眼をつけてた長老だけど…決定的な証拠つかんだわよ…あのジジイもコレで終わりね」
「ああ、そうだな」
心なしか八雲の顔が安堵の色に染まる。

「動くな…お前たち二人を帝国の諜報部員として連行する」
突然背後から黒装束に身を包んだ男が冷え切った声をかける。
「長老からの命だ。抵抗する場合は殺害する」
「まて、その前にこの文書を読んでくれ…本当に帝国にこの国を売ろうとしていたのは…」
そこまで言った八雲の言葉は男が八雲の胸に突き刺した脇差によって永遠に封じられた。
「愚か者が……っ!?」
背後から奇襲をかけた村雨の斬撃をすんでのところで避わした男は無造作にその腕をつかむと驚異的な体捌きでその腕を逆方向へと捻じ曲げる。
「あぐっ…」
鈍い音がして村雨の腕があらぬ方向へと捻じ曲がる。関心無げにその腕を掴んでいた手を開くと、その男はその手で八雲の胸に刺さったままの脇差を抜き取った。
「一つだけ教えて…『長老』って…」
「お前たちの予想している通りの長老だ。お前たちは帝国の諜報部員として処理される。わざわざ文書を盗み出したまではよかったが運が悪かったな…それから…無駄な足掻きはやめておく事だ」
折られていない方の手で密かに小刀を抜いていた村雨のその手のひらに苦無が突き刺さる。さらに同時に投げていたであろう苦無が村雨の太腿に突き刺さった。
「くぅ…っ」
前かがみになりながら村雨が一歩、また一歩と後ろへ下がり、男との距離をとる。
(もう少し…もう少し前に来てくれれば…)
村雨はそこに仕掛けてある落とし穴に男が落ちてくれることを祈りながらゆっくりと男との距離をとっていった。
(そう…後一歩…そこっ)
男が落とし穴の上に足を踏み出す。予定通りに畳が隠していた穴の中へと男が落ちる。村雨は痛む身体を無視して穴のふちへと駆け寄った。
「残念だったな」
穴のふちから穴の中を覗こうとした村雨の背中から胸へかけて白刃が通り抜ける。
(空蝉…か……)
村雨は自分の身体を貫いている刃が抜かれていくのを慈しむような憎むような複雑な眼で見つめていた。
(八雲も殺された…私も死ぬ…せめて叢雲と梢ちゃんだけは……ゴメンね…)
それが村雨の最後に思ったことだった。

(2002.11.05)


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