ある日、ある場所で

御剣 叢雲

叢雲がこれでもかと言うぐらいマイペースに営業している料理屋に彼女がやってきたのは本当にただの偶然だった。
人通りの多い街道を避けて細道に入って少し進んだところに突然人の群れた場所があったので、たまたまそれを覗いてみただけ…
そうしたら、ミルの目の前に赤ん坊を背負った叢雲が現れたのだった。

「知りませんでした」
「…ん?」
店の前に群がっているシンパ(=客)を「ごめんね〜」の一言で退散させた叢雲に向かってミルがつぶやいた。
「将軍をやめてから叢雲さんがこんなところでこんなことしてるなんて思いませんでした……それに子供だっ」
「『父親が誰か』は無しね」
どこか躊躇いがちなミルの言葉を叢雲がいつもと変わらぬマイペースさで遮った。
「ま、久しぶりなんだしちょっとゆっくりしてったらどうですか?今夕方だし、この辺夜になったら人が少ないせいで獣とか多くて危ないし」

暖色にまとめられた部屋。雑多に散らばったかに見える家具も小さくまとめ上げられている。
部屋の端に置かれたベビーベッドの上では秀華が穏やかな寝息を――というより赤ん坊にしては豪快に大の字になって寝ていた。
そこから少し離れた小さなテーブルの上にはいったい何人が食べるんだと思うほどの量の食べ物が並べられている。
「食欲ないんですか?」
目の前におかれたあまりに大きいステーキに視線を落としたまま何も口にしないミルに叢雲が問いかけた
「……あの時はすいませんでした」
ミルの心の中ではこの話を持ち出すにはかなりの葛藤があっただろう。同様にかなりの勇気も必要だったに違いない。
「あの時? …ああ、シチルのこと?」
「はい」
でもあの時と今の叢雲の様子はまったく違う。それにあの時は…
ミルは一瞬、自分が一体何について謝っているのかがわからなくなってしまった。
「う〜ん…それなんですけど〜」
少し悩むように叢雲。
「実は私、あの時代の記憶って部分部分しかないんですよね」
「え?」
「自分で『このときはこう思ってたぞ〜』って言うのがほとんどなくて、何か本でも読んだみたいな感じかな?記憶から自分の思ってたことが抜けちゃってるんですよ」
自分のことを記憶喪失のような状態だと自分の口で言うにしてはあまりに軽い口調。
「はっきり覚えてるのは…まあいろいろヤられてイヤだったこととか人が死んじゃうのがすっごく怖かったことぐらいですよ」
「………」
「あとは何か結論でないコトばっかりずーっと悩んでたこととかですね。ミルさんが今まで気にしてくれてたことは…何かすっごくうれしいんですけど…もう終わっちゃったことなんだからいいじゃないですか」
「それでいいんですか…?」
「いいのいいの、古いこと気にしたって何にもならないし。ところでミルさんは今何してるんですか?」

その後も叢雲のペースに乗せられるように話が進む。互いの近況や他愛の無い世間話、戦乱を戦った将たちについて…

「…そういえば叢雲さん」
帝国の将軍たちについての話が一段楽した頃、ミルがふいに切り出した。
「?」
「こんなこと聞くのも失礼かもしれませんけど、叢雲さんが月の塔の諜報活動をしてるって本当ですか?」
「ん〜…月の塔じゃなくてソフィアさんの諜報部員だけどね」
わからないと言った表情のミルに叢雲は別にたいした違いじゃないけどと付け加えた。
「コレは私の持論なんですけど、人が集まればそこが国になるじゃないですか。そうしたらその国の情報を集めるんならずっと上のほうにいる一部の人なんかじゃなくて、その国のそれぞれの人たちのコトを調べてるんです」
「それはつまり…大陸中の町の様子とかを調べているってことですか?」
「そ。でも最初は歩き回ってたんだけど実はこうやってた方が大陸中からみんな来てくれるんで出歩かないでいいから楽なんですよね〜」
少し腹黒い笑みを浮かべる。
「私にしかできないことなんてものはあるわけ無いんだから、それなら私にだからできることをやろうって決めたんです」
そう言って叢雲は屈託の無い笑顔を浮かべ、それを見たミルもつられるようにくすりと笑った。

(2003.04.23)


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