過去に捧げる鎮魂歌
白峰 渚
1246年、冬…その奇縁は始まった。
士官学校の玄関前広場に備え付けてある、朽ちたベンチ…そこに佇む少女をルーデルは見つけた。
別にベンチに座っている人間など、珍しくはない。普段なら一瞥をくれただけで通りすぎていただろう。
だが…しんしんと降る雪の中、魂を抜かれたかの如く遠くを見つめる少女に、何故か興味をひかれた。
厚めのトレーナーにロングスカート、薄いコートを羽織った少女は、ルーデルには気がついていないようだった。
「…風邪をひくぞ」
散々迷ったあげく、出た言葉はそれだけだった。
少女は、やっと気がついたようで、自分の横にいるルーデルを見上げた。
「…そうだね」
それだけ言うと、またどこかに視線を向けた。
「…何を見ているんだ?」
普段の彼ならそんな事に干渉はしないが、何となく気になったのだ。
少女はその細い手を伸ばして指差すと、こう言った。
「…十字架」
教会の十字架…別にありふれたものだ。
その銀色に輝く十字架も、今は雪が積もっていた。しかし…特に珍しくもない。
少女はそんなルーデルの様子を見ていたが、やがてぽつりと言った。
「…あの十字架…君には何に見える?」
「…?」
少女の質問の意味が分からなかった。とりあえず、思いついた事を言う。
「宗教の象徴…だな」
少女はそれを聞くと、そっか…と頷いた。
「アタシにはね、墓標に見えるよ」
雪がしんしんと降る中、何故か少女は泣いているように見えた。
1247年春…ルーデルは少女に再会した。
少女の服装はトレーナーが薄手のものに変わっただけで、あとは全く同じだった。
「や、また会ったね」
今度は向こうから声をかけてきた。
「こっちこっち」
有無を言わさずルーデルの腕をぐいぐい引っ張っていく。
「…なんだ?」
ルーデルが聞くと、よくぞ聞いてくれました!とルーデルの正面を指す。
そこには、南から持ってきた木の実のジュースを売る屋台があった。
「おごって♪」
思わず、長い溜息が出た。
木の実ジュースを飲みながらルーデルは、自分は何をしているのだろう…と考えた。
ちなみにこのジュースはルーデルが買ったものではない。
勘違いした屋台の親父が、気前良くくれた物だ。
隣で幸せそうに木の実ジュースを飲んでいる少女を見て、周りからはそう見えるのだろうか…と考える。
近頃娯楽に飢えている士官学校の悪友達に知られれば、とことん馬鹿にされるであろう。
それを考えると、少しばかり頭が痛かった。
「そういえばさ…」
少女が突然声をかけてきた。
「アタシ…君の名前知らないね」
「…それは俺もだ」
あの時は聞く必要がなかったから聞かないでいた。
いや…それとも、聞く事すら忘れるほど…
自分の考えた事に、内心苦笑する。
「アタシは、ナギサ。ナギサ・ブルーフォース」
「俺は…ベルンハルト・フォン・ルーデルだ」
ブルーフォース…と言う姓には、少しばかり心当たりがあった。
将来有望と言われる将軍、「鋼鉄の鬼神」ガレス・ブルーフォース。
ひょっとしたら関係者なのかもしれない。
「…もしかして、ガレス・ブルーフォース将軍の関係者か?」
「うん、アタシの義理の親」
やはり…と言いかけたルーデルだが、「義理の親」という単語にふと眉をひそめる。
「アタシの親…死んじゃったから。妹と2人…どうしたらいいかわかんなかった。
ナギサは、淡々と語る。
「そんな時、ガレスが来た。昔から…アタシの両親とは仲が良くてさ、アタシ達姉妹を引き取ってくれたんだ」
ふと気がつくと、ジュースは空になっていた。
「あ…ごめん、つまんない話しちゃって。また明日ね!」
そそくさと走っていくナギサの背中を見ながら、ふとルーデルは気がついた。
「…明日?」
この時、ルーデル17歳、ナギサ16歳…2人の人生の歯車が、がっちりと噛み合った瞬間であった。
1247年秋…ルーデルとナギサが知り合ってから数箇月が過ぎようとしていた。
あれ以来、ナギサは毎日のように士官学校に遊びに来て、悪友達もルーデルの予想通り大騒ぎであった。
ナギサが弁当を作ってきた時など、お祭り騒ぎであった。
しかし不快感は感じず、どことなく充実した毎日であった。
完璧な軍人を育て上げたい教官達が渋い顔をしているのも事実ではあったが…
「ルーデル君、剣ってさ、変だよね」
「…何がだ?」
ナギサはいつも、唐突な話の入り方をする。いきなり剣が変だと言われても、わけがわからない。
「剣ってさ、『斬る』ためのものでしょ?」
「…当然だろう」
「でもさ…剣って、そんなに切れ味は良くないし、重いし…『斬る』より『叩き割る』って感じだよ?」
何となく、ルーデルは言いたい事が分かってきた。
「『斬る』のが剣なのに、不必要に重くして『割る』事に重点を置くなんて…ほら、変でしょ? 斬りたいなら刀みたいにすればいいのに」
「それは…戦法の問題だな。鎧はとにかく硬い。鎧の上からでも斬ろうとするには、重くして『割る』しかない」
「ふ〜ん」
「対して、クレアムーンのように鎧の隙間をついて斬る場合には、軽く、鋭く…『斬る』刀を作るわけだ。」
なるほどぉ…とナギサが呟く。2人で歩いている時は、もっぱらこんな感じである。
「そだ、ルーデル君、今日夕飯食べに来ない?」
ブルーフォース家は、意外と大きくはなかった。
ガレス将軍がそういうのが嫌いなのだろうと納得した。
権威の象徴のような家を建てず普通の家で暮らすこだわりには、ガレス将軍の人柄が現れていた。
「おかえり、ナギサ」
ドアを開けて入ると、立派な髭の男が出てきた。ガレス将軍である。
鎧や軍服をつけずともにじみ出る貫禄はさすがである。
ガレス将軍の視線が向いたのを見て敬礼しようとすると、いきなり喉元に槍が突き付けられた。
「やはりついたか…腐れ虫め…」
状況が飲みこめない。何が起こっているのか分からなかった。
「お祈りはすませたか? 俺は神父じゃねえが懺悔の言葉は聞いてやるぞ。なぁに安心しろ、来世はきっとハッピーだ」
「ガレス、ストップ」
ガレス将軍の顔にナギサの手刀が入る。
「何すんだナギサ。腐れ虫を排除しなきゃいけないっつうのに」
「人のボーイフレンドに何すんの。なんかしたら、ガレスの事嫌いになるぞ」
うっ…とガレス将軍がうめく。よほどナギサを大切にしているのだろう…とルーデルは自分を納得させた。
その後出た夕食は中々美味しかったが、ガレス将軍の凄まじい殺気を込めた視線と、ナギサの妹の好奇の視線が気になって仕方がなかった。
1247年冬…夜中にナギサが突然、ルーデルの家にやってきた。
「ルーデル君、この街で一番高い所に行こうよ」
結局、街で一番高い屋根に登った。こんなところで何をしようというのだろう。
「朝日を見るんだよ」
しばらく考えて、「初日の出」の事を思い出す。そんな事、すっかり忘れていた。
「な〜んとなくさ、ルーデル君と新年を迎えたくて」
臆面もなく、そんな事をナギサが口にする。
「ナギサー! どこ行ったんだぁ! ちくしょう、あのエロガキ、やはりこの前殺しておくんだった! 人の娘をさらいやがって!」
下からガレス将軍の声が聞こえてくる。見つかったらどうなるか考えると、正直恐ろしい。
「やばっ…バレたか。ルーデル君、一応身を伏せとこうか」
ナギサがルーデルの体を屋根におしつけて、自分もそのまま屋根にうつぶせになる。
冷たい雪と対照的なナギサの体温が心地よかった。
そのまま2人は朝日が昇るまで…ずっと、そうしていた。
朝日を見ながらルーデルはガラにもなく、この時が永遠であれば…と思っていた。
1250年春…この時ルーデル19歳、ナギサ18歳…運命の日は訪れた。
帝国とクレアムーンの兵士の小競り合いが起こった。
「…そっか、ルーデル君の家族…死んじゃったんだね」
ナギサが悲しそうに言う。
「帝国とクレアムーン…戦争になるのかな」
「どうだろうな」
そんな事は上が決める事である。ルーデルのような学生には知るよしもない。
「十字架」
ナギサが突然話題を変えた。
「十字架…昔、嫌いだ…って話したよね」
確かに、ナギサは十字架が嫌いだと言ってた…それに、初めて会った時は、墓標に見えるとも…
「アタシの両親…暗殺されたんだ。アタシと妹の目の前でね。帝国の差し金じゃないかって言われてる。それなりに重要人物だったらしいし…」
妥当な考え方だ。しかし、皇帝がそんなことをするとは思えない…とルーデルは考えていた。
「今でも覚えてるよ…倒れた両親…それと、その背中に刺さる…銀色の剣…まるで十字架みたいで、墓標みたいで…」
ルーデルは黙って聞いていた。下手な同情などはない方がいいのである。それに…ナギサはそれほど弱くはない。
「でもね、帝国は嫌いじゃない。皆優しくて、暖かくて…それに、君にも会えた」
ナギサは真剣な表情でルーデルに言った。
「アタシ…クレアムーンに帰る。帝国は嫌いじゃないけど、もし戦争になると言うなら、あそこにある思い出を踏みにじらせたくはない…」
そうか…ナギサはクレアムーンに帰るのか。それだけの事が、ルーデルには酷く悲しかった。
「向こうに帰ったら、『白峰渚』を名乗るよ。『ナギサ・ブルーフォース』じゃ、色々とマズいしね」
「…元気でな」
それだけを言うのが精一杯だった。
他に何が言えるというのだろう。
「ルーデル君」
はっと顔を上げると、ナギサと唇を重ねていた。
その間は数秒だったろうか、しかし永遠とも思える時間であった。
「君の事…好きだったよ。また会おうね」
ナギサが走り去る。その背中をルーデルは、ずっと見つめていた…
ガレス将軍が将軍職を返還して娘達と共にいずこかへと旅に出た、と聞いたのは翌日だった。
「クレアへ行ったのか…」
ただ一人、事の真相を知るルーデルはそう呟いていた…。
クレアの「白鎧の将」白峰渚の噂をルーデルが知るのは、その僅か3年後であった。
そして、2人はやがて戦場で再会する。思い出を檻の中に閉じ込め、戦うために…
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