夢幻

水薙 雷夏

彼が生まれて1年経った頃、彼の前に様々な「モノ」が並べられた・・・
彼の目の前には、彼の両親や5つ上の兄と双子の妹、その他の親族達―――尤も、その時の彼自身は
それらの者達が自分の両親や親類とは認識できなかったが―――がいた・・・

目の前に並べられた様々な「モノ」から彼は一つの「モノ」を手に取った。
それから彼に一つの「コト」を教えられた―――即ち「ソレ」を使った一つの動作である。

与えられた部屋の中で「ソレ」を手にして教えられた「コト」を繰り返す。
「ソレ」を選んだ時から彼は一人、そうやって過ごした。
彼は与えられた部屋に不満はなかった。
部屋はそれほど広くは無いが、教えられた「コト」をやるには十分過ぎる程の広さがあった。

彼に与えられたものは部屋と「ソレ」だけであった。
その事に不満はなかった、別にそれ以外のモノが欲しかった訳ではなかったからだ。

半年経って、また彼の前に様々な「モノ」が並べられた・・・
そして、また一つの「モノ」を手に取った。
それから一つの「コト」を教えられた―――即ち「ソレ」を使った一つの動作である。

与えられた部屋の中で「ソレ」を手にして教えられた「コト」を繰り返す。
「ソレ」を選んだ時から彼は一人、そうやって過ごした。
時々、誰かが来てまた一つの「コト」を彼に教えて部屋から出ていく事はあったが、
それ以外は、彼は一人部屋の中で与えられた「モノ」を使って教えられた「コト」を繰り返すだけであった。
尤も、二番目に選んだ「モノ」よりも最初に選んだ「モノ」で持っていた事が多かったようである。



彼が生まれて7年経った頃、彼は初めて外に連れられた。
それから誰かの前で与えられた「ソレ」で教えられた「コト」を再現するようにと
別の誰かに言われたので、彼はそれを其処で再現した。
生まれて初めて与えられた「ソレ」が人殺しの道具であった事は、彼はそれ以前から知っていた。
生まれて初めて教えられた「コト」が人殺しの技術であった事は、彼はそれ以前から知っていた。
ただ・・・知らなかったのは、何の為に「ソレ」を与えられて、そして教えられたかという事―――

生まれて初めての人殺しの感じがどんな感じであったかは覚えていない。
彼からすれば、教えられたコトを正確に再現した、ただそれだけの事だったからだ。
彼の家が暗殺者の家系であった事は、彼はそれ以前から知っていた。
そして、その時に初めて人を殺した・・・ただそれだけの事。
そして、これからもずっと与えられた「ソレ」と教えられた「コト」で人を殺し続けるのだと思った。
そうなれば話は早い、あとは与えられた「ソレ」で教えられた「コト」を繰り返すだけだ。
時々、外に出されて殺す・・・それ以外は暗い部屋の中で一人殺す技術の練習・・・それの繰り返しである。

生まれて初めての人殺しの相手がどんな人間であったかは覚えていない。
何故なら、彼は他人というものに対して無関心であったからだ。
彼は生まれてから部屋の中に一人であった事があまりにも多かったが故に、
自分以外の人間が何をやってどう過ごしているのかという事を知らなさ過ぎた。
なにせ当時の彼は自分の両親が認識できなかったどころか、自分の兄妹の存在すら知らなかった程である。
それこそ、初めて自分に「両親」と「兄妹」というモノがいたと知ったのは17の頃という有様であった。
彼はその事に不自由はなかった、むしろ与えられた部屋の中に誰かが来る事自体に不満を覚えた程である。

今まで、そしてこれからも彼のやる事は与えられた「ソレ」で教えられた「コト」を繰り返すだけだ。
ただそれだけの事に他人というモノを知ってどうなるというものでもないと思った。
だから彼は言葉という他人との意志疎通の手段を覚えなかった―――
否、学ばなかったとも言える、それこそ18になって漸く覚え出した程である。


彼が生まれて10と5、彼の兄が血に狂った。
暗殺者の家系―――否、暗殺者の家系の者に限らず、謀略や陰謀、暗殺に携わる者達には
その携わっている仕事柄、往々にして精神を病む事が起こり得る。
発狂して死に至る、血の匂いを至上のものと感じるようになる、命が失われる瞬間に快楽を感じるようになるなど
その症状は様々だが、精神を病む事によって起こる弊害は、狂人や廃人と致命的なものが多い。
それ故に血の匂いに酔い快楽殺人を繰り返すまでに至った状態を「血に狂った」と言っていた。

―――一族の中から血に狂った者が出れば、一族総出となってでもこれを処刑する―――
それが家の掟の一つである・・・要は身内の恥は身内で雪ぐという事である。
無論、それが後継ぎであっても例外ではない・・・否、それが後継ぎであるからこそ身内で始末せねばならなかった。
血に狂った兄の始末―――処刑と言い替えてもよいが―――には、彼も狩り出された。
当然の事ながら、処刑には手を焼いた・・・発狂に至ったとはいえ、後継ぎとして育てられた兄である。
彼のとどめの一撃で兄の始末を終えた時には、母親と伯父、祖父と祖母が不帰の客となっていた。
尤も、その時に殺めた者が自分の兄であった事を彼が知ったのはずっと後であったが・・・。

それからである―――親類達が彼に殺人技術以外の事を教え出したのは。
兄を殺めた時、彼は本当に淡々としていた、だからこそ彼を次代の当主にしようと結論づけたのであろう。
だが、後継ぎが殺人技術以外のモノを全く知らないでは彼等からすれば非常に困る問題であったらしい。
尤も、彼からすればただ殺しただけにすぎないので、迷惑極まりなかったようであるが・・・
まず最初に覚えたのは―――教える親類達は想像すらしていなかったが―――不快と面倒いう感情だ。
その時から教えられた「コト」は彼にとっては「イラナイモノ」ばかりであったからだ。
なにせ今まで教えられた「コト」とは、直接関係無いものばかりなのだ。
「無駄」とみなした「モノ」ばかりを延々教えられる・・・気が狂うのではないかと危惧した程である。
だから彼は不快感を覚えた―――極少数ではあるが中には不快ではないモノもあったが―――
同時に、今の今まで人殺しをする時以外は一人であったのを、特に殺しをするわけでもないのに
彼の周りには大勢の他人―――といっても、彼の親族にあたるものばかりなのだが―――がいた。
だから彼は面倒だと思った、至極当然の事である。

そして、その時からである―――彼が女と子供を殺す事を拒絶したのは。
その時以前の彼にはあり得なかった事である。
愉しむ訳でもなく、哀しむ訳でもなく、如何なる者であろうとただ淡々と殺す。
そんな彼が女か子供・・・ただそれだけで殺す事を拒絶したのだ。
それに驚いたのは親族達だ、親族達も女子供を殺めるのは非道ではあるが頼まれれば殺す。
暗殺者が殺すのは自身の意志、しかし殺す相手は選べない・・・
正確には殺す相手を選んでしまったら、暗殺者としては不完全というべきか・・・。
皮肉な話である、次代の当主としての教育が彼の暗殺者としての純粋さを失わせる事となったのは・・・



目を覚ます―――最初に視界に入ったのは見慣れた天井。
帝都ラグライナ近郊の森林の中に密かに建っている屋敷の一室・・・。
その屋敷は一言で言えば、クレアムーンの家屋によく見られる建築様式で彼等が帝国領内での
仕事の時に拠点としている隠れ家だ。

この時代、税収の確保の観点から戸籍制度が確立されているとはいえ、土地などの不動産の概念は
しっかりと確立されている訳ではなかった。
大きな都市部はともかく、辺境ともなれば何処其処の地区というようにしっかりと区分けされている訳ではないのだ。
要は何処の川から何処の森の入り口までが何処其処の貴族の領地・・・この程度のものである。
さらに開拓技術が発達している訳でもなければ、開拓する必要性自体あまりなかった。
だから彼等は誰も踏み入れないような森の奥に―――当然の事ながら、誰の許可がある訳ではない―――
家屋を建ててそこを拠点としている。

目を覚ました男―――水薙雷夏は天井を視界に入れたまま受けた傷の確認をする。
異常はない・・・行動に支障が出る事はまずない・・・そう判断したのか
起き上がって寝巻きを脱ぎ捨て、下帯を替え、サラシを巻いて、襦袢に袖を通す。
それから、鎖帷子―――細かい鎖を縫い付けたもの―――を装着し、黒装束に袖を通し、
篭手をつけて、脚半をつけて・・・帯に白鞘の小太刀を差す。

それから顔を洗って、保存食、山刀、毛布等個人携行する装備を確認して外套を羽織って
赤色の襟巻きを口元を隠すように巻き、愛用のトンファーを手にして、部屋を出る。


屋敷を出てから、父水薙刀迦が声をかける。
「・・・もう容態は良いのかの?」
「・・・問題無い」
雷夏の回答はにべもないものだ・・・尤も、もって回った言い方は刀迦もしないのだが。
「ああ、そうそう・・・御主が寝ている間、ハルバートに暗部を待機させておいたぞ」
「分かった・・・これから其方に向かう、親父殿はどうする?」
「儂は後から合流する・・・まったくセルレディカ帝も無体じゃのう・・・儂等に部隊を指揮しろとは・・・」

刀迦も雷夏も共に生粋の暗殺者である・・・生業が暗殺業とはいえ、いわば「戦闘のプロフェッショナル」である。
だが、彼等の殺人技術は「戦闘」の為のものであり「戦争」の為のものではない。
あくまで彼等は「戦闘のプロフェッショナル」であり、「戦争のプロフェッショナル」ではないのだ。
それ故に、彼等にとっては「戦争」というものは完全に畑違いの行為であった。

「戦闘」と「戦争」は突き詰めて言えば「殺す事」とはいえ、その性質は非なるものだ。
「戦争」は「戦闘」と違って自分自身が強くある必要はない、寧ろ自身の戦闘力以外の要因が多いのだ。
そして彼等は自身が「戦闘のプロ」であるが「戦争のプロ」ではない事を自覚していた。
それ故に、1252年10周期にセルレディカから「部隊の指揮」をしてくれと要請が来た時には
彼等は思わず覇王と呼ばれる男の正気を疑ったぐらいである。


嘆息する父に詮無き事と告げてから、雷夏はハルバートの方へと走り去っていった・・・。

(2002.11.05)


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