寸劇

ソフィア

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 薄暗い廊下を、帝国の貴族、軍人、官僚たちが歩いている。
 庭に面した窓はカーテンで閉じられ、昼間なのにまるで夕方のようだ。
「あ〜ぁ、いつ来ても辛気臭いトコだよね〜。ね?スケキヨ?」
「いつもこうらしいっスよ。ココ」
 アオヌマシズマとスケキヨの主従の格好は、この場では思いっきり浮きまくっている事甚だしかったが、薄い闇に包まれたこの回廊ではかえってシズマの雰囲気をより強調していたかもしれない。
「あーー、アレ、か」
 帝国広し言えども、彼女を顎で指して「アレ」呼ばわりできるのはシズマ唯一人であろう。
「・・・・・・・・・・」
 その何かに倦んだような眼差しの向こうには、プラチナの悪魔・・・・・・シズマとは別種の畏怖と恐怖、そして一部の者からは嫌悪を集める存在がいつもの二人、リリエとナハトを連れて歩いていた。
「なんか、禍々しい雰囲気ですね」
「そぉ? あの仮面の趣味、僕はけっこー好きだけどね」
 ゆったりとした、黒い喪服のような衣装に身を包み、その半顔を隠すのは物言わぬ仮面・・・・・・。プラチナの髪だけがサラサラと流れている。
 帝国では見慣れた光景であった。
 しかし。
 異変は突然であった。
 ぱたぱたぱた・・・・・・。
 まだ幼さの抜け切らないメイドが、掃除道具を抱えて回廊を走ってきていた。おそらく仕える主人が、自らに割り当てられた個室に飲み物でもこぼしたのであろう。酷く慌てた様子でメイド服を乱して人ごみを縫ってこちらに向かって走っていた。
「ナニゴト?」
「さぁ?」
 そして。
「キャッッッ!!!」
 周囲もろくに見ずに走っていたメイドが、案の定誰かにぶつかり、足をもつれさせ
る。
「す、スミマセン、スミマセンッ!!」
 よろけた体勢を立て直そうと、その手が宙を泳ぎ、咄嗟に何かを掴む。
 ・・・・・・そこから先は、あっという間の出来事であった。
 ベリッッッッ!!
 メイドが掴んだのは、窓を塞いでいた分厚いカーテン。
 そして、カーテンに人一人を支える事など出来るわけもなく、強引に窓から引き剥がされた布の向こうにあったのは陽光・・・・・・。
「!!!」
 その陽光がまともにソフィアの仮面を直撃した瞬間、かすかな声を挙げて黒服の女性はその場に崩れ落ちたのだ。
 突然の出来事に、一瞬にして周囲が騒然とする。
 ココは帝国。
 暗殺が横行する、権謀術策の真っ只中なのだ。遠くから見た者は、何者かによって彼女が暗殺されたと思ったに違いない。
「うお、どないしてん。しっかりしいや!」
 たまたま彼女の横をすれ違おうとしていた、空翔三郎がとっさに崩れ落ちるソフィアを支えようと手を伸ばし、その身体を抱きとめようとする。
 が。
「???」
 ゆったりとした服に反して、かなりの時差を置いてその身体を腕に抱きとめた為、空もあやうく体勢を崩しかける・・・・・・が何とか踏みとどまる。その腕に感じるのは、服の外見を裏切る華奢な重みだけ・・・・・・。天然の薔薇の柔らかな香りが空の鼻腔を優しくくすぐった。
「ナハト!」
 そして。
 リリエがソフィアを介抱しようと身を屈める傍らを、無言の怒気をまとった黒い疾風が、事の次第に怯えるメイドに殺到していた。
 カーテンが破れ、ソフィアが崩れ落ちてから、その間まさに一瞬。
 殺意は明らか。
 ここが皇宮の中であろうがなかろうが、ナハトにとっては関係ない。
 相手に害意があろうがなかろうが、それすら関係ない。
 主を害する者には死を。
 それが月の塔の掟だ。
「ナハト!!」
 もう一度リリエが叫ぶ。
 しかし、黒い「マドリガーレの番犬」を止める術を持つ唯一の人物の声でなければ、その牙は止められない。無論、その主を抱きとめている空にも、手の施しようがないほどナハトの動きは迅かった。
「!!!!!!」
 死神に心臓を握られた表情でたちすくむメイドが、観念の目を閉じたとき。
「おい、何やってんの?」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 異質なモノを嗅ぎ分けた狼のような表情で、ナハトの足が止まった。
「?」
 思わず空の腕からソフィアを取り返すことも忘れて、信じられない光景を見るような表情でリリエは、対峙する二人を見ていた。
 メイドの前に立っていたのは、アオヌマシズマ・・・・・・。
 ・・・・・・ナハトを、止まらせた・・・・・・? いつの間にあそこに・・・・・・??
「アンタも何、殺気立ってんの? それぐらいで腹を立ててる様じゃ、人間まだまだショボイね」
 おそらく、ナハトがその気にさえなれば、シズマの細い首をねじ切るのはおそらく容易であったにちがいない。しかし、黒い影の前に立つその姿は小さく、儚げではあったが、無視できない「何か」を発散させていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 しかし、ナハトもまた。
 罠があれば、それを噛み破ってでも、獲物の喉笛を食いちぎる獣であった。その全身からは隠しようのない殺気を発散ざせ、周囲にいる歴戦の将軍、武人たちですら止めに入る事を許さない。
「・・・・・・・・・・・・」
 まさに、一触即発のその時。
「・・・・・・ナハト」
 空の腕の中で、弱々しいが、はっきりとした声でソフィアがナハトに命じた。
「・・・・・・リリエ。そのコを行くべき主のトコロに行かせてあげなさい。カーテンの件は任せます」
 どうやら、突然強い光を目に受けたため、意識を失っていただけらしい。立ち上がるコトは難しそうだったが、ハッキリとした声で二人に命じるソフィアを、空は混乱した表情のまま見つめていた。
「・・・・・・・・・・」
「は、はい。あの、ソフィアさまは・・・・・・・?」
 瞬く間に全身から殺気が消えるナハトを、シズマは興味なさそうな眼差しで一瞥すると、メイドには目もくれずにその場から歩き去る。
 恐怖のあまり座りこんでしまったメイドに手を貸しながらリリエが問うと、ソフィアはかすかに微笑った。
「わかりました。ナハトを残しておきますので、何かありましたら・・・・・・」
 その言葉に、空は密かに「オレって信用ないんかいっ」とリリエにツッコミかけたが、あまりにも正面切って言われたコトと、ある程度の自覚もあったので苦笑するしかない。
 周囲で硬直していた人々も、ほっとしたような表情で、また何事もなかったかのようにその場から歩み去る。
「・・・・・・意外にいいトコあるじゃないっすか」
「・・・・・・・・・」
 どこか不機嫌そうに、その場から足早に去るシズマにスケキヨが声をかけた。
「はじめて見直したっすよ」
「るせーよ!」
 スケキヨは思いっきり蹴飛ばされていた。

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・よろしゅうな」
 空も武人である。しかも常に素手で戦っているのだ。相手に触れれば、どれ位の技量の持ち主なのか、スピードの持ち主なのか、その強い弱いは筋肉のつき方等ですぐに分かる。そして、その両腕が感じたのは・・・・・・。
 ナハトの無言の要求でソフィアを彼に託した後も、その両腕にはまるで淡雪のように脆く儚い感触が残っていた。
 ・・・・・・あれが、プラチナの悪魔・・・・・・??
 空の腕の中で、発せられた声。
 間近で見た白磁のような白い肌と、何もつけていないのに淡い朱色で飾られた唇。
 そして、何より仮面の奥にあった薄い色の、柔らかな瞳・・・・・・。光の加減で、赤とも青とも、金とも銀ともいえぬ色に変化する瞳は、空と目があった瞬間、無意識のうちであろうが、確かに微笑ったのだ。
「・・・・・・・・・・」
 やがて、メイドを送ったリリエが戻ってくる頃には、ソフィアも自分の足で立っていた。
「御迷惑をおかけしまして・・・・・・」
 絹のようになめらかな声と共に、ソフィアが空に頭を下げる。
「ん、あー・・・・・・」
「?」
 何か声をかけようとして、珍しく口ごもった空に、ソフィアはかすかに怪訝そうな顔をして小首をかしげたが、空には彼女にかけるべき言葉が何かは分からなかった。
「いや、ええわ。気にせんといてや」
「・・・・・・・・・・・・・」
 その言葉に、仮面の奥の表情がほころんだ事に気付いた空は、どこか満足気な思いを抱いて主従に背を向け、自らが行こうとしていた場所に足を運んでいったのである。

(2002.09.16)


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