モンレッド攻防戦・舞台裏
ソフィア
「・・・・・・・・・・・・」
ソフィア・マドリガーレは病に臥せっていた。
「・・・・・・意地を張られるから・・・・・・」
甲斐甲斐しく冷えたタオルを主の額に乗せるリリエは、言葉とは裏腹に心配そうにその白い顔を覗きこんだ。慣れぬ戦場の地にいる事、そして外気に当たり続けていたことが、脆い彼女の身体に思いのほかダメージを与えていたのかもしれない。風邪をこじらせ、二日前から熱は38度前後を上下していた。
「・・・・・・・・・・」
この地に展開している帝国軍の作戦は、既に夜の軍議でほぼ固まっている。帝国第12部隊は、鋼鉄参謀将軍率いる第21軍の後詰として、前方に突出した共和国軍を突破する段取りとなっていた。確か・・・・・・「煌槍の彩音」という女性が率いていた筈だ。
「・・・・・・・・・・・・」
もともと白い顔が生気を失い、苦しげにしかめられるのをリリエは成す術もなく見守るしかない。そして鏡台に置かれた主なき仮面が、そんな彼女を冷たい眼差しで見つめている。
攻撃は第21軍が朝、日の出と共に強襲をかけ、その後第12軍が時間差で攻めかかる段取りであった。そして今は深夜・・・・・・日の出には、かなりの時間がある。
「・・・・・・・・・・これ以上は・・・・・・」
無論、彼女が臥せっている事は、他の帝国軍の将軍には勿論、旗下の第12軍にも知らされていない。副将として実質の指揮を執っているアリス将軍だけには「ソフィアの不例」のみが伝えられているが、彼女の素顔を見せるわけにはいかない以上、詳しい病状までは伝えきれていない。
「・・・・・・39度5分です。早く何らかの処置をしないと・・・・・・」
何の感慨を抱いた様子もなく体温計を覗き込んでいた老医師が淡々と告げるのを、リリエにしては珍しく 感情を露にした眼差しで睨むが、その口は開かれない。
(・・・・・・いっその事、ここでソフィアさまが亡くなられればいいと思っている人間は、帝都にはさぞかし多いんでしょうね・・・・・・)。
ほとんど意識のない主が、口にくわえさせられていた体温計をリリエはそっと取り上げる・・・・・・熱がこもったそれは、彼女に決断を迫った。
「アリス将軍をこちらに・・・・・・」
侯からその才を見込まれた才媛の決断は早かった。
「あと、30分で出陣して下さい。鋼鉄参謀殿、前線の各将に伝令を」
「な・・・・・・・!?」
突然のリリエの言葉に、アリスはかすかに驚いた表情を見せたが、特に口を開く様子はなかった。顔色を失ったのは、監察官として同行していた士官である。
「そんな・・・・・・。わが軍は明朝、しかも鋼鉄参謀将軍の後詰として出る段取り・・・・・・。兵士たちも警戒の者を除いて休んでいる。それをたたき起こした挙句、30分で出撃しろだなんて・・・・・・無茶だ!!!」
日頃からリリエがソフィアの代理として作戦行動に口を挟むのを苦々しく思っていた監察官は、ここぞとばかりに噛み付いた。
「無茶は承知です」
(ぐずぐずしていたら症状が進んでしまう・・・・・・。さっさと目の前の敵を叩いて、しかるべき手当てを受けさせなければ・・・・・・)
はらり、と落ちた髪の一房をかきあげる動作一つでリリエは監察官を黙らせる。
「卑しくも帝国軍正規軍ともあろうものが、指揮官の命令一下、即座に動けないようでどうします??」
「貴女はあくまでも<副官>でしかなく、軍の指揮権はない! 私は、ソフィア様との面会を求める! 何でこのような重要な時に、あの方は出てこられないのだ? 今は夜ですぞ? 陽射しがどうのこうのという時間ではないはずだ!」
「貴方という方は・・・・・・・・・・!!!」
「・・・・・・・・・・20分で出ます」
軍人のプライドを粉々にするような言葉を珍しく口にしたリリエに、激哮した監察官が食って掛かる。・・・・・・しかし、その余計な言葉が、温厚で冷静なリリエの頬に朱をのぼらせ、激しい言葉が彼女の唇が漏れようとした時・・・・・・
「私は、帝国軍第12部隊の副将です。将軍職にあられるソフィアさまの言葉をリリエさまが伝えられ、私が了解したのです。問題はありませんね?」
アリスの若々しく、そして美しい瞳が監察官を射抜いた。その瞳は堅い意志に彩られ、歴戦の監察官をも沈黙させるには充分なものであった。
「まずは鋼鉄参謀さまに、そして前線の各将軍方に伝令を・・・・・・・・・・」
その瞳をまともに見返す事ができず、もごもごと口の中で何かを罵りながら監察官が去るのに見向きもせず、アリスはテキバキとその場で自分の副官に出撃準備、それに伴う手続きを指示していく。
「各々部隊の指揮官に、10分後にこちらに集まるように伝令を出しなさい。・・・・・・寝ていたら? 構いません。たたき起こしてでも、こちらに引きずってきて結構です。・・・・・・まぁ、そんな指揮官は一人もいないと思いますけど」
・・・・・・後世「勝利の女神」と伝えられ、常勝を謳われる俊英がそこにはいた。
「ご安心くださいませ」
自分の事を不思議そうな眼差しでリリエが見ている事に気付いたアリスは、クスリと笑いかけた。
「・・・・・・お具合、相当悪そうですし、こんなトコロでぐずくずしているわけにいきませんからね。リリエさまのお顔色を見れば、分かります」
一転、その表情が心配そうなそれになると、その表情は年相応の愛らしさに変わる。
「リリエさまも、ずっと眠られていない御様子・・・・・・。あの方が素顔でいられるのは貴女の前だけとの事。お気持ちは分かりますけれども、貴女まで倒れられたら、一体あの方を誰がお守りするんですか?」
リリエの表情が、その朗らかなアリスを前にして、やや曇った。
「・・・・・・ごめんなさい。貴女を信頼していないわけではないの。いえ、ソフィア様は貴女のことを誰よりも・・・・・・」
「? ・・・・・・あぁ、そんな事ですか。あの方が仮面を被っていらっしゃるのは、相応の御事情があっての事と、陛下からも伺っていますし、別に気にした事もないです。・・・・・・第一、素顔を拝見したら、私が自信を無くしてしまうかもしれないじゃないですか」
一瞬、不思議そうな表情を見せたアリスであったが、リリエの言葉の意味を悟ると、破顔一笑した。・・・・・・そこが戦場である事を忘れさせるような、華やかで、忘れられないような笑顔であった。
「・・・・・・・・・・ありがとうございます。その言葉だけで、どれだけ救われるか・・・・・・」
アリスの素直な言葉に、不覚にもリリエの目から涙が溢れ出しそうになり、慌てて笑顔を作りだす。
「では、私は先陣を指揮しますので、こちらで失礼いたします。500、ここに残しておきますね。御安心下さい。鋼鉄参謀様も帝国軍屈指の将。夜明け前までに勝負はつけます。だから、安心してソフィア様のお側についていてあげて下さい」
きりっと、「将軍」の顔に戻ったアリスは、白い歯を見せた。
「ただ・・・・・・」
「ただ?」
らしくもなく、不安そうな表情を見せたアリスに、リリエは尋ねた。いつの間にか、アリスの方がこの場を取り仕切っていたが、それは心地よい空気ですらあった。
「あの監察官・・・・・・。忠実な帝国軍の軍人である事は確かですけれども・・・・・・あの目、あの言葉・・・・・・気になります。お気をつけください。ソフィアさまも、リリエさまも、頭の良い方・・・・・・。誰しも皆、お二人のように合理的に動くのでないコトを御心に留め置き下さいませ。世の中には、その者の責ではないものの、リリエさまのような方から見れば<非合理的で><愚かな>選択を選び取る人間がいる、ということをお忘れにならず・・・・・・」
それは、いかなる賢者の言葉であっただろうか・・・・・・。アリス将軍は、決して武一辺倒の将軍では確かになかった。
「御忠告、感謝します・・・・・・」
はたして、アリスの忠告を耳にし、後悔したのはどの者であったか・・・・・・。それは、さらに歴史の歯車を回さなければ分からぬ命題であった・・・・・・。
深夜。
慌しく伝令が飛び交い、帝国軍は動きだす。
帝国第12軍は、待機状態から出撃の準備を整えていた第21軍よりも先に出陣し、アリス将軍の指揮の下、一糸乱れぬ陣形で共和国軍を急襲するという離れ業を演じた。無論、わずかに遅れて、鋼鉄参謀率いる帝国第21軍も共和国軍に襲い掛かる。攻撃開始決定後、わずか30分という時間での完全な連携、作戦行動は彼女の非凡な才能の現れでもあったであろう。
その日の夜明けを待たずに、共和国軍は壊滅。
ソフィアは厳重にその身柄を守られながら、安静の床についていたのであった。
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