未来語り

ソフィア

 トントン
 上等な樫の木の扉が、柔らかく叩かれた。
「・・・・・・入れ・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 もう、時刻は夜半を過ぎた頃であろうか。
 音も無く巨大な扉が開かれ、仄かな明かりの中に浮かび上がったのはファントム・・・・・・。ぼんやりと虚空に浮かびあがったそれは、かつて中世の歌劇場にて、唯一人の美姫を闇へと誘った亡霊の姿であったのかもしれない。
「陛下には御機嫌麗しく、恐悦至極に存じます」
「機嫌が麗しかったら、わざわざ部屋の灯をおとして、そなたを待ちなどせん」
 優雅に一礼する仮面の女性に、部屋の主・・・・・・覇王セルレディカはニコリともせずに言い放つと、椅子に座るように促した。
「・・・・・・御配慮、痛み入ります・・・・・・」
 さやさやとした絹ずれの音と共に女性は席につく。
 仮面の女性・・・・・・プラチナの悪魔・・・・・・。
 彼女が椅子に座っても尚、しばしの沈黙が二人の間を支配するが、それも永くは続かなかった。
 パチッ
 軽い金属音がすると、その禍々しい半顔の仮面が外される。
 ほのかな蝋燭の灯の下、露になったのはそのまま闇に融け消えてしまいそうな淡い素顔。
「・・・・・・・・・」
「そおいう目で余の顔を見るな・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 何処か哀しそうに伏せた彼女の目に映っていたのは「孤独」と題される肖像画に描かれた覇王の姿・・・・・・。いや、むしろ「孤高」と題した方が正確かもしれない。ラグライナ帝国皇帝として、恐らくこの地上で最も巨大な権力を持ち、またそれに相応しい器を備えた男が見せる、もう一つの姿。
 そして覇王を見る、その彼女の瞳の淡さ・・・・・・。到底、陽の光には耐えられるわけもない澄んだ瞳は、ほのかな蝋燭の灯がゆらめく度に、様々な彩りをもってセルレディカを映し出している。赤・・・青・・・緑・・・紫・・・金・・・黒・・・銀・・・儚く色彩は彼女の瞳を揺らし、皇帝の姿を揺らす・・・・・・。
「ルディとセリーナはどうだ? きちんと学んでいるか? 家庭教師になってもう3年だな」
 それは、皇帝の言葉であったのか、「父」の言葉であったのだろうか・・・・・・。
「お二人とも、利発で聡明でいらっしゃいます。・・・・・・ルディさまにはルディさまの、セリーナさまにはセリーナさまの、各々の良いトコロをお持ちです。お二人とも、陛下の血を引かれているのですから」
 それは、一体どれだけの意味を含ませた言葉であったか。
 自然な淡い朱の唇からこぼれる言葉は柔らかく、そしてセルレディカの心の一番柔らかな部分を痛いほどにとらえていた。
「二人とも、各々、か・・・・・・・」
 手酌で、真っ赤な葡萄酒を錫の杯に注ぐと、一息に干す。
「ルディは、余とは似ておらんな・・・・・・・。アレは、母の血だ。何も求めず、何もせず、ただ、愛される・・・・・・・。セリーナは、余の血しか引かなかったようだ・・・・・・強さを求め、服従を求め、心すら力で奪おうとする。余にそっくりだ」
 言葉だけを聴けば、ルディの「弱さ」の源である亡き皇母を責めているようにすら聞こえる言葉であったが、孤高の覇王は后を失った後、生涯独身を貫き、側室すら置かなかったのである。
「所詮、己は自分以外の誰かにはなれないというのに・・・・・・」
 彼女の呟きは、そのまま闇に沈んでいく。
 セルレディカが後妻、側室を置かない以上、皇帝の座はルディかセリーナしか継ぐ者はいない。長女であるルディが順当ではあるのだが、宮廷内部では彼女の「優しさ」を危惧し、セリーナを後継に、という暗闘が既に見え隠れしていた。
 もっとも、現在は表面上何とか平穏を保っている。セルレディカが健在な為、そして不穏な動きを見せる者たちを脅かす「悪魔」の存在・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・」
 無表情に、セルレディカは己の杯を目の前に座る女性に差し出した。・・・・・・彼女は、全くお酒を飲まないというのを充分に知っていたというのに・・・・・・。
 後世セルレディカの没後、ついに皇帝の座を姉妹で争う「内乱」が勃発、二つの帝国が地上に現れ、やがてセリーナが非業の死を遂げる未来を、彼女の淡い瞳から覇王は読み解いていたのかもしれない。
「そなたが、おればな・・・・・・」
 若きセリーナが、側近たちと共に皇帝の座を継ぐ事を高らかに宣言。そして、それを不満とするルディ派がもう一人の皇女を「誘拐」し、新たな帝国を名乗るという暴挙は、動かしがたい、しかしこの場にいる者には知る由もない歴史の「未来」であった。
「・・・・・・・・・・」
 はるかなる未来、確かにセリーナは野心に燃えていたが、若い彼女を皇帝に担ぎ出した事によって、一体どれほどの血が流れるのであろうか?そして、野心のないルディを新皇帝に担ぎ出したことにより、一体どれほどの血が流れるのであろうか・・・・・・。
「ルディさまも、セリーナさまも、まさに陛下のお後を継ぐに相応しい御器量の持ち主。私が生きていれば、一命を賭してお仕えするでしょう・・・・・・」
 プラチナの悪魔が生きていれば・・・・・・。
 二つの帝国が存在していた時代。
 皇族、貴族、市民たちの間では「〜が生きてさえいれば、帝国分裂はなかった」という話題が盛んに囁かれていた。そして、そこに名前が上る者たちは、みな、歴史の表舞台から消え去っていたのだ・・・・・・。
「ふん。思ってもいない事を・・・・・・・。やはり、そなたは<悪魔>だな。甘い顔と言葉で人の心を惑わせ、魂を奪い、そして・・・・・・」
 面前の霞のような容姿が、ふわっと闇に溶けるような錯覚を覚えた皇帝は、少し慌てたように腰を浮かした。
「・・・・・・許せ。本意ではない。・・・・・・ァ」
 覇王の言葉の最後は、弱々しい蝋燭の灯りと共に揺れ、溜息と共に消えた。
 かつて、一人だけ、皇帝の側室候補として名が挙がった一人の女性・・・・・・。彼女は今、一体ドコにいるのか・・・・・・。
「陛下・・・・・・」
 己の未来を知るかのような静かな彼女の表情に、セレルディカは苦く微笑った。
「余の治世の内にこの世界を統一すれば、余の亡き後、ルディとセリーナの争いは生じぬ・・・・・・。そなたは、その為だけに兵を率いる事を承諾した。テンプル・ナイツ編成を命じた時、正直、余はそなたが首を縦に振るとは思ってなかったぞ・・・・・・・」
 クレアと共和国。
 その帝国の二つの「敵」の存在が、ルディの優しさを危惧させ、覇王の血を色濃く引くセリーナを担ぎ出す口実ともなる・・・・・・・。共和国消滅、そして帝国とクレアの歴史的和解には、更に永い年月がかけなければならない事を、二人は知る由もなかった。
 しかし。
 それを「理解って」いたから、彼女は身に余る将軍という職を引き受けたのであろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 プラチナの悪魔は皇帝の独白にも何も応えず、まるで物言わぬ綺麗な人形のようにその場に座ったまま、孤高の覇王の姿を、ただ見守っていた。

(2002.09.29)


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