ひととき

アオヌマシズマ&ソフィア

「まったく・・・・・・頭いいんだか悪いんだか、分かんないよね。君」
 ずかずかとソフィアの部屋に入りこんだアオヌマシズマは、遠慮会釈もなく彼女の真向かいの椅子にふわりと座った。シズマのやや後ろには、引き止めようとして押し切られてしまったのであろう、リリエがやや憮然とした顔で立っている。
「帝国軍の暴徒? ほっとけほっとけ。わざわざ前線に出た挙句、こ〜んなつまらん職場で働いてたら、誰だって欲求不満になるよ」
 どうやらシズマには、ソフィアの周囲に張り巡らされた〜ソフィア本人にも無意識の代物であろうが〜冷気の障壁のようなモノは全く眼中に入らないらしい。その他人が入り込むコトを拒む壁を、シズマはごく自然にあっさりと乗り越えていた。
「・・・・・・私の目の前での暴挙を見過ごせ、と?」
 仮面の奥の眼差しは冷たかったが、シズマを見るそれは、いつもの氷のような冷たさではない・・・・・・。
 彼女とて大局的に見れば、放っておいた方が安全だという事はよく分かっている。モンレッドには、あのエヴェリーナ将軍もいるのだ。彼女であれば、自国民の危機を逆手にとって帝国軍を陥れる事など、何の良心の呵責もなしにやってのけるだろう。・・・・・・中には、キロール将軍のような人物もいるだろうが、彼のような人物は、恐らく少数派である。
「そこまで分かってて、なんでわざわざ火中の栗に手を伸ばすワケ? ルーンにしてもそうだし、君ってあれか。マゾ??」
「シズマさま!」
 完璧にソフィアの思考を読んでのけるシズマに驚愕しつつ、あまりといえばあんまりな言葉に、思わず分を越えるのを承知しつつリリエが声をあげる。
「解ってるでしょ? 世の中、頭ん中で考えてる通りには動かないんだよ」
 リリエの声など気にもとめず、可憐な姿がそれを裏切る滑るような、そして全く無駄のない動きで ソフィアに近付き・・・・・・その膝に無造作に腰掛けた。
 ・・・・・・ソフィアにも、そしてリリエにも指一本動かさせない、自然な、それでいて無意識な所作・・・・・・。
「・・・・・・・・・・」
 冷たい仮面と、帝国で一番妖しく美しいと称される顔が、ほんのわずかな空間を隔てて向き合う。・・・・・・二人の視線と視線が虚空に絡み合った。
「ソフィアさま・・・・・・」
 二人の雰囲気に飲まれたように、リリエですらその場に立ち尽くしている。
 白いドレスと、その白いドレスよりも白い顔を隠す白銀の仮面。そして流れるのはプラチナの髪・・・・・・。夜を切り取り、人の形に作り上げられたかのような華奢な姿に、一色の点睛を入れるのが、人形のように美しい顔を横切る真っ白な包帯・・・・・・。
 パチッ
 思わず、リリエが身をすくめるような音が、奇妙に硬く、そして虚ろに部屋に響いた。
 シズマの手が、ソフィアの仮面を外したのだ。
「・・・・・・・・・・」
 遠慮なく、しかし粗暴でもなく、優しくといって良い程の手つきで半顔の悪魔の仮面が外され、無造作に床に放り捨てられる。
 ・・・・・・カラン・・・・・・。
「・・・・・・ルーンの反乱・・・・・・それも、君のせいだな。君がルーンに前から居れば、反乱も起きず、クレアへの遠征軍が孤立することもなかった・・・・・・。 おとな しく帝都にいればいいのに、こんな身体で前線に立つ。・・・・・・自虐の趣味でもあんの?」
 軍事的見地に立てば、シズマの言葉は、全く正しい。
「・・・・・・・・・・」
 その白い手が、無造作にソフィアの髪をすくいとる。そして、笑みの形を作った艶やかな唇が、そのプラチナを一筋・・・・・・口に含んだ。
「・・・・・・あ・・・・・・」
 声をあげたのはリリエ・・・・・・。
 ・・・・・・銀盆に飾られた預言者の首に接吻する妖姫・・・・・・ある天才の狂気にすら満ちた一幅の絵画がリリエの脳裏に明確なイメージを描く。
「いい香りだね」
  シズマの片手は、素顔の頬に優しく添えられている。もしも・・・・・・もしも、シズマにその気さえあれば、帝国屈指の戦技の持ち主にはソフィアの細い首を一瞬にして手折るコトもできたであろう。
「そうですね・・・・・・」
 剥き出しにされた繊細な素顔・・・・・・そして霞むようなその眼差しは、何を想うのか、まっすぐにシズマの瞳をみつめていた。その表情は透きとおる風のように穏やかで、底知れぬ湖のように静かなまま・・・・・・。
「素直じゃないか。いい覚悟だね」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
「!!!」
 言うなりシズマはぐいっとその手に力こめ、強引にソフィアの顔を己の下に引きよせた。
 ・・・・・・・・・・・・・
 二人の視線が出会ったのは刹那の刻。
 次の瞬間。
 帝国で最も妖しい笑みを浮かべると称される唇が、最も侵しがたいと称される唇を優しく、しかし獲物を捕らえた凶猛な罠のように捉えていた。
「・・・・・・ソフィア・・・・・・さま・・・・・・」
 わずかに顔を上げされられたソフィアの白い顔に、シズマの髪がさやさやと流れおち、 その表情をリリエから隠す。そして、彼女に覆いかぶさるようにその唇を奪うシズマの表情もまた・・・・・・。一体、二人の間には、一体どのような思いが渦巻いていたのだろうか・・・・・・。
 黒が白を侵食し、そこだけ、時が止まったような錯覚がリリエを襲う。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 二人とも、そのまま動かない。
 しかし
「・・・・・・・・・・」
 15秒ほどたったであろうか。
 まだ、シズマはソフィアの唇を塞いだままだ。
「・・・・・・・っ・・・・・・・」
 息が苦しくなったのだろうか。
 ソフィアの細い両腕がシズマの腕にかけられ、己の身体から略奪者をもぎ離そうと苦しげに力がこめられる。しかし、それは哀しくなるほど無力な抗い・・・・・・。
「・・・・・・」
 最高レベルの武将でもあるシズマを、ソフィアが押し戻せるわけもない。むしろ、ますますシズマはソフィアをきつく引き寄せ、己の両腕の中に取り込んでいく・・・・・・。黒の下で白がよじれ、黒がますます白を覆い隠していくのを、リリエは手をこまねいて見ているしかない。
 ・・・・・・もしも、この場にあの皇宮で会った将軍・・・・・・空という名前だった・・・・・・がいたら・・・・・・彼ならばどういう対応をとっただろう・・・・・・。
 無力感に膝をつきそうになりながら、リリエはぼんやりと一人の男の顔を思い浮かべていた。
 シズマの黒い腕の中で、苦しげに白い姿が身をよじるのが見えるが、彼女にはどうしようもない世界の出来事のようにすら思える。
 いや、一体誰が、プラチナの悪魔にこのようなコトをする人間がいると思い浮かべたであろうか。
「・・・・・・・・・!」
 弱々しい抵抗が尽きかけ、彼女が気を失うかと思われた瞬間。
 ようやくシズマが顔を離した。その白い顔には、まだ妖しい微笑みの残滓・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・」
 ようやく解放されたソフィアが、酸素を求めて口を開いた瞬間。
「・・・・・・あ・・・・・・・・」
 それを狙っていたかのようにシズマが再びその唇を強引に塞いだ。ソフィアのかすかな叫びも、シズマはゆっくりと咀嚼し、飲み下していく・・・・・・。
 それまで意識を失おうとしても尚、頑なまでに拒んでいたソフィアであったが、とうとうシズマの侵入を許し、その柳眉が苦しげにしかめられる。一体、その眼差しは一体何を見、何を望んでいたのだろうか・・・・・・。
「!?」
 そして。
 リリエは、シズマが再びソフィアを手中に収める数瞬前、すばやく自らの口に何かを含むのを目にとめていた。
「・・・・・・・・・・・!?・・・・・・」
 何かが、押し込まれる。
「・・・・・・・・・・・・・・」
 一瞬の葛藤。
 困惑。
 わずかな抵抗。
 しかし、砕き折らんばかりに、シズマがキツくソフィアを拘束する。
 あきらめ?
「・・・・・・・・・・・・・」
 ・・・・・・こくん・・・・・・。
「ソフィアさま!」
 かすかな躊躇いの後、ソフィアの白い喉が動き、何かを嚥下したのを見たリリエは、今度こそシズマを主から引き離そうと二人に駆け寄った。
「いいね〜。ま・・・君のお陰でルーンなんて行く羽目になったんだ。これくらいはお代としてもらわないとね」
 荒い息をつきながらも、怒りでもなく、哀しみでもなく、ただ端然と自分を見つめるソフィアの淡い眼差しに、シズマが破顔する。機先を制されたリリエが、違うモノを見るような眼差しでシズマを見ていたが、全く意に介した様子はない。
「さっすが、誰も味わったコトないだけあって、美味も極めりだね♪」
 飲まされたモノの影響だろうか・・・・・・。
 薄かった瞳の色彩が、常人並のそれになり、頬の紅潮も、今のシズマの行為とは別の要因で濃くなりはじめていた。
「置き土産だよ・・・。あまり質の悪いモノはやめておいた方がいいな」
「・・・・・・・・・・よく、言っておきます」
 荒い息を整えながら、ソフィアは微笑った。シズマが部屋に入ってきてからの、はじめての笑顔であった。
「お口が悪いから・・・・・・」
 それは、シズマから投げつけられた言葉を指したのであろうか。それとも、強引に奪われた唇のコトであったのだろうか・・・・・・。
「ちぇっ。これだから、頭の良いねーちゃんは・・・・・・」
 その微笑を見たシズマも、何を想ったのかアルカイックな笑みを浮かべた。
「ま、あとは頼んだ。美味かったよ。ゴチソウサマ・・・」
 にやりと。
 お世辞にも上品とは言えないが、綺麗な微笑みを浮かべたシズマは、入って来た時と同様、あっさりと踵を返すとソフィアの部屋から出ていったのである・・・・・・。

(2002.10.04)


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