劇中劇

ソフィア

「突然の訪問で失礼するよ」
 若き獅子が案内も通さず執務室に入ってきたにも関わらず、彼女はその柳眉一つしかめるでもなく、顔だけあげて迎え入れた。
 巨大な机の上には分厚い書類がきちんと整理され、その傍らには彼女が飲み干したのであろう、コーヒーのサーバーが三〜四個程無造作に置かれている。
「ルドルフさまには御機嫌麗しく……。申し訳ございませんが、帝都を暫く空けておりました故、何の御もてなしも出来ませんが、よろしければコーヒーでも如何ですか」
 グァテマラの香り高い芳香漂うカップを目で指し示すと、リリエは立ち上がって銀のサーバーから、熱く、そして黒いコーヒーを注いだ。
「……」
 その細い腰に、ルドルフが滑らかで自然な動きで腕を巻きつける。リリエも170cm程と女性にしては長身だが、若獅子は優にその10cmは高い。
「その償いはこのとおり、私の唇という二人の巡礼が、今こそ優しい接吻をもって手荒なこの痕を拭い取ろうと、はじらいながら控えております」
 ……さり気なく熱いサーバーをその手に押し付けようかと考えていたリリエが、若き帝国貴族の言葉に、気を変えたようにその顔を上げた。目の前には、端正な面差しと、何処か酷薄な色を湛える眼差しが……。
「もともと聖者の御手は巡礼たちが手をふれるためのもの……。そして掌と掌を合わせるのが巡礼たちの接吻じゃございませんか」
 その深い瞳が、何かを試すようにルドルフの瞳を覗き込む。
「だが、唇は聖者にもあり、巡礼にもありましょう」
 ルドルフは、びくともせずに、その瞳を正面から受け止めた。
「でもね、巡礼さま。これはお祈りに使おうためのくちびるですわ」
「おお、では手にお許しになることなら、唇にもお許し下さいませんか? 願わくば許したまえ、信仰の、絶望に変わらざらんがために」
「いいえ、心は動きませんわ。たとえ祈りにほだされても」
 リリエの両手は、カップと熱いサーバーで塞がれている。頤をあげさせられ、ぱらりと髪が一筋、耳元に流れ落ちた。
「では、動かないでください。祈りのしるしを頂くあいだ」
 そして、二つの影が重なる。二人の眼差しは、何かを見るかのように閉ざされぬまま……。
「さあ、これで私のくちびるの罪は清められました。あなたの唇のおかげで」
 目と目があっているのに、瞳の奥で目を逸らしたのは、一体どちら……?
「では、その拭われた罪とやらは、私の唇が背負うわけね」
 闇世界の若き獅子と称される若者が背負ってき罪……。その兄弟を全て謀殺し、ゲーレン家を我が物にし、その若さと、己の能力で瞬く間に隆盛を極めるにいたったルドルフに彼女は一体何を言おうとしたのだろうか……。
「わたしの唇からの罪?? あぁ、なんという優しいおとがめだ、それは! もう一度その罪をお返し下さい」
 そして、もう一度……。
「くちづけ一つに、ずいぶん難しいことをおっしゃいますね。……ルドルフさまの接吻ほど、貞節に満ちたものはないというのに」
 ようやく腕を離したルドルフから、柔らかくその身体を離し、立ったままカップにコーヒーを注ぎながらリリエは微笑った。
「また、そおいう手厳しいことを……」
 リリエの言葉に、ルドルフの端正な顔が苦笑を浮かべる。
「……私をおからかいになりたいのであれば、あとにして下さい。ソフィア様もこちらにはいらっしゃいませんし、ルドルフさまの御興味を引くものはなにもありません」
 何事もないかのように椅子に腰掛けると、形の良い脚を組む。いっそ冷たいとも思える言葉がその唇から漏れた。……もっとも、その目は怒ってはいなかったが……。
「あぁ、何なら跪いてその美しい御足に接吻した方が、この誠実なる巡礼の忠誠がお理解りになるかもしれないというのに……」
「そぉいう御趣味が?」
 視線を感じたリリエが、あっさりと椅子を前にひいて、その美しいラインを描く脚を机の下に隠してしまうのを見て、思わずルドルフは嘆息した。
「あいかわらず冷たい方だ……」
「ルドルフ様にとってみれば、さぞかし都合の悪い女性のタイプなんでしょうね」
 くすくすと、柔らかく笑うリリエに、もう一度ルドルフは大仰に溜息をついてみせた。
「やれやれ。わかりましたよ。仕事の邪魔をするつもりは全くないから、これで退散します」
 あっさりとルドルフは踵を返すと、来た時と同様、唐突にその部屋を去る。
「……役者さんになれますね……」
 リリエの呟きは、ルドルフの耳には届いていなかった。

P.S
というわけで、脇役(ルドルフさん、ゴメンナサイ 平伏 ^^;)のみのSS…(^^;)。
あ、いえ、単に何となく……。
ちなみに出典はとある古典だったりします♪


(2002.10.14)


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