見舞い客〜ある未来視?〜

ソフィア

「お早い退院ですね」
 病室を訪れた見舞い客は、やや驚いた様子で軍服姿の入院患者を見ていた。
「・・・・・・・・・・(各地で激戦が続いている中、寝ているわけにもいくまい)」
 肩をすくめるルーデルの姿に、仮面の奥の表情がわずかに微笑んだように思えたのは、隣に控えていたネルの気のせいであっただろうか。副官のリリエが見事な胡蝶蘭を持って病室に入ると、無機的だった空間があっという間に瑞々しい香りに覆われる。
「ヴィネさまやアーネストさまのおかげで、帝都の治安もかなり回復していますし・・・」
 そして彼女はルーデルの視線の先、そしてその云わんとする所を正確に理解していたらしい。否。ルーデルが云わんとするよりも早く、この臨戦態勢にあるような病室に入った瞬間にそれを悟っていたのかもしれない。
「・・・・・・・・・・」
 その視線の先には、西部戦線の地図。そしてリュッカの拡大図には、帝国、そしてクレアの軍を示す旗・・・。まるで最前線の作戦会議室のような趣の病室は、ある意味非常にルーデルをはじめとする第三騎士団らしかったと言えよう。
「リュッカ戦線への参戦、ですか? まだお身体も回復されたとは言いがたいです。リュッカ迄の強行軍とあれば、ルーンの比ではないんですよ?いかに戦闘はアリスさまにお任せするといっても・・・」
 差し出がましいのを承知しつつ口を開いたリリエを、ソフィアは小首をかしげる動作一つで沈黙させた。彼女にしては珍しいノースリーブのあっさりとしたドレスから浮き上がるような白い二の腕がネルの目に止まる。・・・白磁のそれは、伝え聞かれる体調不良によるものなのだろうか・・・。
「閣下も御無理は重々承知しています。ルーンの件についても然り・・・。無論、アリスさまを一将軍として非常に信頼されているので、ソフィアさまも共にあれば決して危険はないかと」
 ある意味、戦場でのソフィアは足手まといである事を言っているようなものだが、聞く者にそれを不快と感じさせないトコロがネルの人徳の成せる技であろう。思わずリリエが微苦笑を浮かべるのを見たネルは、何かマズい事でも口走ったかとキョロキョロするが、その様子にソフィアの唇にも笑みが浮かんだ。
「おそらく、ルーデルさまもネルさまも、私には全く違うコトを期待されているんでしょうね」
 しかし。
「・・・・・・・・・・・」
 口元は笑みを浮かべていたが、仮面の奥から見える淡い眼差しは決して笑ってはいない。
「・・・・・・」
 時々。
 この女性が巷で噂されている通り本当に悪魔なのではないかと錯覚を覚える時がある。いや、それとも歴史の先を見通す不可視の視線・・・? 彼女の眼差しが現世の日差しに耐えられず、常に仮面に守られているのはその代償だったのだろうか・・・。
「その通りです。無論、アリスさまはリュッカ制圧の為の重要な戦力。しかし、それも踏まえてお身体が弱いのは重々承知の上アリスさまと共にリュッカにお運び頂けるよう、お願いしたいのです」
「・・・第三騎士団は、勇猛果敢なるも単なる武骨者の集まりだと言っている宮廷の者たちは、一体何を見ていたんでしょうね・・・」
 ネルの言葉の正しさを素直に認めながら、リリエは西部戦線の地図に目をやる・・・。その視線は戦場となるリュッカを通りすぎ、今まさに激戦が繰り広げられているモンレッド、そして遠く聖都、共和国首都を見ていた。
「共和国でも屈指の武力を誇るカオス将軍が国境付近を伺う位置に・・・。クレアの危機に際して、この精鋭が国境に向かうのは<共闘>を前提とする限り至極当然の成り行きですね」
「はたから見れば、ですね」
 入院している筈の患者が、元気に軍服を着て元気に歩きまわっているので、ソフィアは軽くそのベッドに腰掛けた。・・・マットが殆ど沈まないのにネルは気がついた。
「・・・月風さまが査問にかけられ、共和国の評議会も分裂。レヴァイア王国内紛、西部戦線・・・所詮どんなに聡くとも流れの中に生きる魚には、流れの色は見えないんでしょうね・・・。そして、私たちも・・・」
 その視線は、一体何を見通していたのだろうか・・・。
 このわずか3年後に皇帝セルレディカ崩御。
 そして、そのわずか1年後には二人の美しい皇女ルディとセリーナが二つに分かたれ、後の悲劇にもつながる二つの「帝国」が生まれる。・・・その時、レヴァイア王国は既になく、クレアと共和国は存在しながらも、現在のような「共闘」戦線は決して組まず、むしろ血で血を洗う激戦を繰り広げる事を、後世の冷たく揺るがすことの出来ない歴史の眼差しは教えてくれる・・・。一体、その「きっかけ」は何だったのか・・・??
「ソフィアさま・・・」
 常に手を伸ばせば届く程の距離にいながら、たまに己の主がとてつもなく遠くにいるような・・・目の前にいるのは単なる幻影に過ぎないのではないかという錯覚に襲われる事がリリエにはよくある。
「・・・どう、したんですか?そんな心配そうな顔をされて・・・? アリスさまも一緒なのですから、大丈夫ですよ」
 決して、彼女が長生きできるとはリリエも思ってはいなかった。生まれる前から仕えていた彼女の目にも、今の主が無理に無理を重ねているコトがよく理解る。・・・まるで、自分の「先」が分かっているかのように生き急いでいる様子が・・・。
 プラチナの悪魔は、将来の帝国分裂が避けられない事を知りつつ、己もまた長くはない事を充分理解した上で「それ」を成したのだろうか・・・。無論、彼女一人だけでは、何も出来なかったはずである。様々な偶然と必然、運命の輪を巧みに回し、様々な人を赤い糸、黒い糸、白い糸で結びあわせ、朱に染まったタペストリーを人は編み続けていく。
「・・・・・・・・・・(すまん)」  万感の思いの中、ルーデルはその誇り高い頭を深々と「悪魔」と呼ばれる女性に下げた。彼のような男が頭を下げる、という事が、どれほど「重い」ことかを、その場にいる者は充分に悟っていた。
「・・・・・・・・・・・」
 そしてネルは。
 ルーデルと、ソフィアを哀しそうに見比べるリリエの眼差しに気がついていながらも、何の言葉もかける事はできなかった。
(・・・そうして、追い詰めないで・・・)
 そう言葉に出来れば、どれだけリリエにとって幸せであったか・・・。あともう少し賢いか、もしくは愚かであれば、そう口を開く事も出来たかもしれない。しかし、才媛と呼ばれる彼女は、そこまで「利口」にはなれなかったのだろう・・・。
「ソフィア・・・さま・・・」
 あの男・・・。
 常に影のように仕え、牙を剥く者は容赦なく引き裂くあのナハトであれば、どうしただろう・・・。ふと、そんな埒もない考えがネルの心を通りすぎる。
「では、ルーデルさまはレヴァイアへ。私は、リュッカに向かうとしましょう・・・」

 そして。
 後世、二つの帝国とクレア、共和国の「四つ巴」の戦いが勃発。混乱を極める時代の中、結局「帝国」は最後まで残り、更に後世、帝国とクレアという二大勢力に収斂していく・・・。
〜それでも、帝国は最後まで残った・・・〜
 もしかしたら、それだけが、彼女の願いだったのかもしれない・・・。
 あの時の事を思い出す度、そのような思いが終生ネルの心をかすめ続けたのだ。

(2002.10.23)


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