問いかけ
ソフィア
「・・・・・・・・・・」
皇宮奥深くにある、とある広間。
薄暗く灯りが落とされたその部屋に鎮座しているのは、覇王セルレディカ。
「・・・・・・よく来たな」
翼ある軍師と、二人の女性が静かに入ってくるのを認めると、孤高の武帝は軽く杯を上げた。この部屋に居る時のセルレディカは、よく酒を呑んだ。決して酔うことのない、追憶と後悔のような苦い酒・・・。
「あまりお召し上がりになりますと、お身体に障ります」
声をかけたのは一人の亡霊。仮面を外した彼女は、病に臥せっているせいか、いつにも増してその顔色は白く、瓏たけて見えた。
「そこにいるのは、ヴィネ、か。帝都での働き、大儀であった。プラチナの悪魔亡きあとも、その方の手腕あらば帝都は安泰だな」
「・・・!?」
では、やはりこの女性がプラチナの悪魔と呼ばれる女性その人であったのだ。半ば以上予想していたとはいえ、驚きを禁じえず思わずその白い顔を見上げる。不覚にも、その時セルレディカが零した言葉の意味も解らず・・・。
「時間がございませんので、単刀直入に申し上げます」
「・・・何故、そんなに生き急ぐ? ・・・ァ?」
セルレディカの最後の言葉は、鮮血のような葡萄酒と共に武帝の喉に流し込まれた。
「レヴァイアで、買い物をしてもよろしいでしょうか?」
一人、杯を干す孤高の武帝の言葉を聞き流すかのように、柔らかくその朱の唇から言葉が漏れる。その言葉は軽く、秘めた意味は重く・・・。
「エルと、その方に任せた、とあの場で申した筈だ。クレアもクレア方面軍に一任しておる。万事、良きに計らえ。・・・どの道、お前がレヴァイアの将を皆殺しに出来るとは最初から思ってはおらん」
澄んだ眼差しでセルレディカは、彼女の顔を見つめた。
戦いに明け暮れ、また戦いに明け暮れ、現在の帝国を磐石にした覇王の、あまりにも澄み切った眼差しに、ヴィネは思わず息を呑む。
皇帝の眼差しは、一体何を見据えていたのだろうか・・・。
「・・・・・・」
唯一人。
その杯を満たすことのできるエルが、静かな表情のまま、空いたグラスを朱で満たす。人にあらざる彼女であれば、孤独な魂の一端でも感じ取れるのかもしれない。そして、人でしかないヴィネや、そして彼女すら、その魂の行き場を見失う。
「レヴァイアは、帝国の、領土、だ」
しかし、無言で己を見詰める彼女の眼差しに、嘆息とも溜息ともつかぬ吐息を漏らしたセルレディカは言葉を継いだ。
「レヴァイアもまた、帝国の臣、だ」
「・・・・・・・・・・」
深々と頭を下げた時、さらさらと見事なプラチナ・ブロンドがなびいた。
「勅命、承りました。御前、失礼いたします・・・」
「・・・・・・・・・・・それが、お前の望みか?」
「主が黒と言えば、それが白であったとしても、己の心が血を流そうとも黒と従うのが臣の道でございます」
部屋を出て行こうとした彼女を引き止める皇帝の言葉に、首だけ振り向いて悪魔は応えた。濡れたような眼差しは、熱によるものか、それとも・・・。
「そおいう皮肉はやめよ」
「・・・・・・・御無礼いたしました」
苦笑する皇帝に、丁寧に、そして完璧な臣下の礼をすると、今度こそ彼女は部屋を出て行った。
「・・・・・・・・・ヴィネ。あのようには、なるなよ」
それは、今、出て行った彼女のことであろう。
「はい・・・」
直接的な言葉とは裏腹に、その奥に沈む皇帝の想いを察しかねてヴィネも珍しく口ごもるしかない。
「あの者、どうすると思う?」
「レヴァイアの民を人質に、レヴァイアの将を恭順させようとするかと・・・」
そして、彼女を試すような皇帝の言葉に、ヴィネは即答する。
そして、そんな彼女にエルが柔らかく微笑んだ。
まるで、出来の良い妹の解答に目を細める姉のように・・・。
「では、それは本当に、あのコが望んでいることかしら?」
「おそらくは、否、かと・・・。もともと、あの方の魂は柔らかく、傷つきやすいかと推察されます。何故、あのような仮面をつけ、悪魔の名を冠せられるのでしょう・・・。あの方は、一番自分が傷つく方法を選ばれるでしょう」
「ヴィネ・・・」
疲れたようにセルレディカは、才媛の名も高きロンド家のヴィネを制した。ヴィネの言葉は、全て正しかった。だからこそ、彼女と兄、ユーディスが近付くことを懸念していたのだが・・・。
「あのようには、なるなよ・・・」
もう一度。
誰かに言い聞かせるような言葉に、今度こそロンド家の才媛は言葉を呑み、ただ黙って杯を空け続けるセルレディカを見ているしかなかった。
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