会議室
ソフィア
「では、これから陛下の御決裁を頂きにいきますね」
パタン、と分厚い書類の束が閉じられる。
「これから、ですか?」
タイミングよく運ばれてきたコーヒーの香りに目を細めながらヴィネは尋ねた。その目はコーヒーをサーヴするリリエを見ている。
外はようやく白々と朝陽がさしこめる頃であろうか。とはいっても、部屋の中の人物に配慮してか、全ての窓には幾重にもカーテンが架けられ、瑞々しい陽光も僅かしか当らない。
「別にクスリに頼らなくても、一杯のマンデリンがあれば一夜の睡眠に代えられるぐらいの体力はあると思いますよ」
やや表情の硬いリリエとは対照的に、クスリ、と仮面の下の表情が微笑った。
帝都の内政を司る者たちは徹夜で作業をしていたのだ。クレア、そして共和国の首都迄兵を進めた帝国にあっても、国力、兵士数、ともに幾らあっても足りないというモノではない。もうすぐネルも到着するであろう。
「・・・・・・・・」
ミルクと砂糖をたっぷりと入れたカップは、カフェオレのようである。ミーシャがせっせとコーヒーにミルクと砂糖を入れるのを見て、その微笑はさらに淡くなった。
「少し熱いお湯を浴びてから、ぐらいの休息は頂きますけど」
「それで、レヴァイアにルドルフさまを派遣する、というのは本気ですか??」
「もちろん、本気ですけど・・・何か問題でも??」
闇の獅子と呼ばれるルドルフを、占領下のレヴァイアに送る、というコトがどのような副作用をもたらすのか充分に知り尽くした様子でソフィアはヴィネに答えた。
「いえ、別に・・・。レヴァイア貴族の残党を相争わせて根絶やしにされる、と?」
「勿論そのつもりです。・・・不要ですし。ファミリアさまやフレアさま、イリスさまや叢雲さまとの約束にも、貴族たちは入っておりません」
最近、月の塔に敵意を持っていると噂される彼をレヴァイアに放逐するつもりなのか・・・。しかし、まさに虎を野に放つような所業である筈だが、それを理解できない筈もない彼女には、何か別の意図があったのだろうか。
「そんなに生き急がれて・・・どうなさるおつもりですか?」
「・・・これで、国力、兵士の確保に目処が立てば、アリスさまに再編成をお願いして、また前線にでも伺おうかしら・・・。お兄さまのお顔など拝見しに」
それは、ヴィネの問いに応えたのだろうか。それとも・・・
「ソフィアさまの宜しいように・・・」
「ありがとうございます」
嘆息したヴィネに、仮面の眼差しがけむるような光を浮かべた。
「???????」
そんな二人をミーシャは不思議そうな顔をして見比べるが、誰も何も答えようとはしない。
「では」
立ち上がったソフィアを送ろうと、ヴィネが扉を開ける。書類の束を抱えたリリエがその後ろに続く。
「・・・・・・御安心を。所詮、水面の月は水面の月ですから」
ふわりと。
プラチナの髪が流れると、薄く澄んだ眼差しがヴィネの顔を覗きこんでいた。柔らかなバラの香りがヴィネの全身を包む。
「そんなこと・・・」
思わず目をそらしかけるが、二人の眼差しは白銀の仮面を隔てて、わずか数センチの虚空で絡んだ。その距離は、二人にとって果たして遠かったのか、近かったのか。
「ほんとうに、可愛いですね」
「!?」
今まで触れたこともないような、柔らかな何かがヴィネの唇に触れると、まるでそれは幻であったかのような感触を残し、すぐに離れた。かすかに強いバラの香気が唇に残り、あえやかに融ける。
「・・・・・・・・」
「失礼します」
驚いたような顔でミーシャがヴィネを見るが、彼女もまたプラチナの悪魔の後姿を黙って見送るだけであった。
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