小部屋
ソフィア
「皇女殿下には御機嫌麗しく・・・」
「あら? これから父様のところ? 早いのね」
回廊ですれ違ったセリーナに、恭しく臣下の礼を取る仮面の女性に皇女は何処か不機嫌そうに答えた。
湯浴みをしたのであろう。仮面の女性は黒一色の喪服か尼僧かと見まごう服に着替えていた。黒と白、そしてプラチナのコントラストの中で、胸元の巨大なピジョン・ブラッドがまるで心臓であるかのように妖しくセリーナの目を射る。
「はい。皇女殿下もお早いですね」
素肌は相変わらず隠されているが、珍しくやや身体のラインが出る服であったのは、ココが身分の高い者しか通らぬ回廊であったからであっただろうか・・・。
「言っておくことがある」
傲然とセリーナはソフィアに命じた。言われるがままに、彼女はリリエに少し待っているように伝えると、そのままセリーナの後ろにつき、とある小部屋に入った。
「・・・御典医に異な事を伺われた、と」
「・・・仮面を外せ。仮面に用はない」
やや溜息まじりの言葉を遮るようにセリーナは硬い声で命じる。
「・・・・・・本当に、陛下によく似ていらっしゃいますね」
深々と溜息をつくとソフィアは仮面を外し、コトン、と机に置いた。その淡い眼差しがまともに皇女の顔を見つめる。
「・・・耳の早いことだ。あの医師は口が軽いな・・・」
「私の目の前で、そのような事をされる、と?」
ふっと。
辛うじて現世に留まっているかのような存在感が、急に現実感を増したような錯覚を皇女は覚えた。
「ルディさまとセリーナさま・・・。お二人とも大切な帝国の皇女殿下でいらっしゃいます。ここ最近、何人の貴族が失われたとお思いですか・・・?」
「・・・プラチナの悪魔、か。悪魔の呪縛は、無慈悲に、そして冷酷なまでに平等に魂を喰うといわれるが・・・」
ルディとセリーナ。
セルレディカの後継者はどちらか・・・?? どちらが帝国の女帝として君臨するのか???
昨今、一事セルレディカが病に臥せって以来、その話題が帝国の中で急速に広まっていた。しかし、ルディ派、セリーナ派を標榜する者たちが不可解な死を次々と遂げると、生き残った者たちは何かに呪われたかのように、口を噤み、帝都は再び静穏を取り戻しているが・・・。
「お前の忠誠は、誰に向けられている??私には向けられていないのか???」
「マドリガーレの忠誠は、永遠に陛下、そしてラグライナ皇帝家のものでございます」
「私が死ぬ、と命じれば、死ぬ、と?」
「無論です。何ならお試しになられますか?」
「では、私の味方になれ、と命じれば?」
段々と、目の前に座る女性の眼差しが哀しみに沈んでいくのを知りながらも、セリーナは言葉を続けた。
「私はセルレディカ陛下の忠実なる下僕でございます。陛下の御息女に従うことに何の問題がございましょう?」
「・・・・・・そうやって、そんな微笑でヒトを篭絡するのか・・・?? では、父様が亡くなられた後の帝国の皇帝には誰が相応しいと考える??」
「現在、帝国を統べられているのはセルレディカ陛下でございます。陛下が右と仰れば右と従い、左と仰れば左と従うのが臣の道でございます」
それでも、ソフィアの眼差しはまっすぐにセリーナを見つめていた。
その揺れる眼差しは、一体何年後を見ていたのだろう・・・。
「殿下・・・。では、そろそろ宜しいでしょうか。陛下がお待ちになられてます」
ソフィアは、いっそ冷たいと言っても良いぐらいあっさりと皇女との会話を打ち切ると立ち上がった。
「僭越ながら、私は、セリーナさまも、ルディさまも同じくらいお慕いしております」
「・・・悪魔に好かれても嬉しくはない」
「セリーナさま・・・本当に陛下に似ていらっしゃるんですね」
戸口に立ち、皇女を振り返った時に無理矢理浮かべた透き通るような微笑が、彼女の精一杯の優しさだと知りつつも、武帝の血を色濃くひいたセリーナには、ただそれだけしか応えられなかった。
「・・・・・・」
その儚い眼差しが、何かに濡れて光っているように見えたのは、きっと皇女の気のせいであったに違いない。
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