闇夜の風刃
フィアーテ・V・S・B
――帝国領『カルカシアの街』の郊外
「はぁ、はぁはぁ」
暗い夜の森を、息を切らせながら走る一人の男がいる。
服装は中々に良い物を着ており、恐らくはそこそこ地位のある貴族なのだろう。
彼の周りには6、7人の何かしらの武器を持った男達が囲んでおり、また彼らも顔に汗を浮かばさせ、息を切らしている。
「はぁはぁ、くっ」
すると、複数の男に囲まれた貴族らしき男が急に立ち止まる。
囲んでる護衛と違い、彼は肉体を動かす事はあまり得意ではなく、体力もそう多くないのだ。
その様子を見た、護衛のリーダー格らしきが他の護衛に立ち止まる様に指示をする。
「取り敢えず、少し休憩しましょう……見たところ追っ手はいないようですし」
夜の森故に視界はかなり悪いが、それでも特に変わった様子は見られないし、誰かが来る様子もない。
護衛者達は、貴族の男を中心に円陣を組んで、いつ何が来ても対処できるようにした。
「くそっ、何なんだあいつはっ!」
円陣を組んでいる護衛の男の一人が、唐突に叫ぶように言う。
しかし、その顔色は何を思い出したのか病人よりも青白くなっている。
他の護衛者も震えている者、異常な程に汗だくになっている者、様々である。
彼らはほんの数十分前までは、彼らの依頼人である貴族の屋敷で、いつも通りの警護の仕事をしていた。
だが、突如としてその彼らの日常は破られる事となった。
突然、屋敷に一人の人物が現れたのである……それこそ、本当に唐突に……。
その人物が侵入した事に、誰一人気づきはしなかった。
気付いた時には、既に数多くの同僚が物を言わぬ屍と化していた。
自分達の護衛している人物が決して、まともな人物ではない事は知っていた。
だが、そう言う人物程、狙われる心当たりがあるが故に報酬を出してくれる……唯、それだけで選んだ。
彼らの大半はそういう理由だった。
そして、貴族が雇っている護衛はかなりの数だった。
これだけの数の護衛がいる屋敷にいる貴族を狙う奴はいないだろう。
それもまた、彼らの大半が思っている事だった。
しかし、彼らは知らなかった……“化け物”と言うのは本当に存在すると言う事を。
彼らは知らないが、裏の世界には『水薙一族』と言う暗殺者一族が存在する。
その一族の者には100人を相手にできる生きながらにして伝説的な忍もいる。
数は決して多くないが、確かに常識では測り切れない者も存在するのである。
そしてまた、今夜彼らの前に現れた人物もそうであった。
「そろそろ移動しましょう……流石にまだ奴が来るまでに時間は掛かるでしょうが、少しでも離れておかないと」
「う、うむ、そうだな……」
彼らが屋敷を抜け出す時には、まだ約20名の者がいた。
だが、恐らくは皆殺しにされるであろう。
だから、彼らは少しでも遠くに逃げる必要がある……見付かれば、勝ち目はないのだから。
ヒュオォォォォ
しかし、まるでその時を待っていたかのように夜風が吹き始め、今まで見えなかった月光が大地を照らし始める。
そして、その月光に照らされているのは――
「…………ぁ」
誰かが、そんな弱々しい呟きを洩らす。
カタカタカタと、誰かの歯がぶつかりあう音が聞こえてくる。
彼らには、まるで極寒の地にいるかのように周りの温度が急激に下がった様に思えてきていた。
月光に照らされながら、そこにいるのは漆黒のマントを羽織った一人の死を与える者。
「く、き、貴様、一体何者なんだっ!?」
普通の思考を持っていれば、暗殺者が答えるわけがない質問を護衛の一人がする。
最も、彼らの思考はとうにパニックを起こしているのだが……。
だがらこそ、彼の末路はもう決まっている……冷静でなくなった者から死んで行く世界なのだから。
「……ナイト・ブレイド」
しかし、ポツリと呟くようにその問いにその漆黒の暗殺者――ナイト・ブレイド――は答える。
貴族とその護衛達は、まるで夢でも見ているかのような表情でその呟かれた言葉を聞いた。
「ず、随分と律儀な暗殺者だな……名前を言うなんてよっ!」
何かを拒絶するかのように、護衛の一人は言う。
しかし、誰が見てもそれは虚勢の以外の何物にも見えない。
「……言う事にしている……依頼人と……“死”に往く者には……」
そう呟くと、スッと腕を一振りする。
何気ない……本当に何気ない動作であり、自然な動きだった為に誰一人、その動作の意図には気付かなかった。
そして、気付けば血飛沫が上がっていた。
物語で聞いた事のある、デュラハンと同じになった遺体から……。
「な、な!?」
あまりの出来事に貴族は分けが解らないと言う顔をしている。
護衛達もあまり変わらない状況のようだ。
つまりは彼らでは、この『ナイト・ブレイド』と言う暗殺者を相手にするのは荷が重すぎたのだろう。
「……さぁ、終わりにしようか」
銀の瞳が絶望の輝きを放ち、彼はその刃を手にする――
即ち【ブレイド オブ ディスペア】――絶望の象徴と言われる黒き刃を。
そして、また一つのトキが停まりゆくのだった。
|