ヴィネのお仕事頑張るぞ! 第三回〜ルーンへ
ヴィネ・ロンド
ヴィネは部屋に入り、在室者を目にして一瞬足が止まったが
そのままなにも言わずに中央にあるテーブルの端の席に座る。
テーブルの向こう側に座している四人の顔――
正確にはヴィネからみて一番遠くに座っている人物をみて
自分の期待した用件で呼ばれてないこと直感した。
「先にお頼みした件でお呼びになられたのですか?」
それでもそう尋ねる。
「いや……君にルーンに行ってもらいたい」
丁度向かいの席に座っている老人が
詰まったような口調でそう答える。
「ルーンに……」
少し考えるそぶりをみせ、ヴィネは老人を真っ直ぐ見据える。
「なにをしろと?」
「知ってると思うがこの帝都の兵士の数が足りなくてね――
ルーンに駐留している4000人余りの兵士を
帝都に連れてきて欲しい」
「そうですか」
ヴィネは老人から目を離し、列席者を順番に見つめた。
「つい先日、にいさまの……ユーディス・ロンドの件で
ラピス・ローズに戻していただけるようお頼みしたはずです――
ルーンへは他の者を向かわせてくださいますよう」
「ヴィネ君」
幼い子供に言い聞かせるような口調で少女の名前を口にすると、
離れた席にいるシルビオ・サーレスが言葉を続ける。
「この仕事は君にしか出来ないんだよ」
「わたしにしか……他の者が兵士の任地転換すらまともに行えないと?」
「そういうわけじゃなくてね……」
サーレスが隣の席に居る男に目配せすると、
その男がサーレスの後を継いで説明し始めた。
「いま帝都で療養している将軍……名前はなんといったかな。
彼が前線に戻る際に、当然ながら部隊を組織しないと行けないのだが、
残念ながら帝都にはそれだけの兵数が無い」
ヴィネが理解する時間を与えるようにいったん口を閉じ、
先ほどと同じ抑揚の無い言葉で話を続ける。
「それでルーンから兵士を持ってくる必要があるわけだが――
ルーンからの兵士の到着をのんびりまってから
部隊を組織しているほど現在共和国方面の状況は余裕は無いのだ。
彼が出陣出来るようになったらすぐに戦場に向かってもらわねばならない」
ここでまた男が口を閉じた。
「……ルーンからの兵士移動に時間的猶予は無い――と」
ヴィネがそういうと、満足そうに頷く。
「そう、ルーンから来たばかりで疲れている兵士をすぐさま戦場に向かわせるわけにもいかないし、
命令系統を含めての部隊整理などこまごました準備がある。
それらを行い、なおかつ彼の療養が終わってすぐさま出陣出来るよう
すみやかに兵士を帝都に連れてきてもらわねばならない、というわけだ」
「いまそれが出来るのは君だけ、なのだよ」
サーレスは男の説明が終わると、重要な部分だけを付け加えた。
ヴィネは一瞬だけ視線を泳がせたが、すぐに目の前の老人と目を合わせる。
「わかりました。ルーンへ行かせて頂きます」
「うむ。ありがとう」
老人が頷き終わるのを待ってからヴィネは
解決していない問題を口にする。
「わたしがルーンへ向かうなら、ユーディス・ロンドの件はどうなさります?」
「ロンド家の当主の精神疲労のことかね?」
「はい。にいさまはミーシャが敵に捕らわれてから
落ちつきを失っております。
ミーシャが戻ってからは落ちつきを取り戻しておりますけれど
もしもの時のために信頼出来る者を側に置かないと――
ロンド家から連れてきていた者はモンレッドで戦死してしまいましたから」
「そんなにお兄さんのことが心配かい?」
「にいさまはまだ若輩者ですから……
何分戦闘指揮なども不慣れですからご考慮頂けるものと」
「それだがね――医術の心得のある者を副官につけたほうがいいだろう。
主に精神面の方のだがね」
「それは……」
ヴィネは言葉を止め、サーレスの方をみた。
サレースがこの件の糸を引いているだろうからには
わざわざこんなことをした理由がある――
間違い無く、自分の息のかかったものをユーディスの副官するつもりだろう。
「そこまでおっしゃられるからには
皆様にお心当たりの人物がおられるのですね」
「ああ、アマナという者で……」
「わたしの方にも心当たりがあります」
老人の言葉を遮るようにやや早口でヴィネが言う。
「マドリガーレ家を通じてのお知り合いですけれど
そういうことでしたらその方にお頼みしようかと思います」
「む……」
ヴィネ一気に言い切ると、老人が言葉を詰まらせ、
そのまま部屋を沈黙が支配した。
元々ヴィネをユーディスの元に戻そうかと考えていた
老人達にサーレスが頼んで、ヴィネをルーンに送ることになったのである。
それはもちろんユーディスの副官人事に絡んでのことだから、
ここでヴィネがいう人物が副官になってしまっては目的は失敗してしまう。
かといってマドリガーレ家に関係している人物となると
へたに文句をつけるわけにもいかず、老人達は戸惑い、
サーレスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
どう理由をつけて自分の手の者……アマナをユーディスの副官にするか、
サーレスはヴィネの涼しそうな顔を睨みながら考えるが、
そううまい考えは思い浮かばない。
「もちろん」
重い空気の中にヴィネの声が軽やかに舞い踊る。
「皆さんがいう、アマナさんでしたね。その方も信用出来る人なのでしょうから……
きちんとした方の保証さえあるならアマナさんがよろしいかもしれませんね。
ミーシャやにいさまにも納得いくよう文書の形で出していただければ……」
ヴィネは言い終わると、サーレスの方に視線を向ける。
老人達も同じようにサーレスに目配せした。
「………」
サーレスは黙って視線を受けている。
ヴィネが暗にこの場にいる中でもっとも上位のもの……
サーレス家の保証を寄越せといっているのは明白だった。
老人達にしてみてもサーレスが保証して、それでうまく事が進むならそれでいい。
しかしサーレスにしてみれば、わざわざアマナをユーディスの元に送りこむのは
なにもユーディス自身のためではない。
ユーディスに不利になるような働きをさせるためである。
とはいえ、サーレス家がアマナがユーディスの副官としての勤めを無事に果たせると
文書という形で保証してしまうと、アマナがへたな真似をした時に
サーレス家の責任まで問われてしまう。
これではわざわざアマナをユーディスの副官に出す意味がない……
「………そうだな、アマナのことは私が保証しよう」
2,3分考え、サーレスはそう言った。
ヴィネが、ルーンと副官の件で二度も譲歩してみせた以上、
副官にしてくれるように頼んだ本人であるサーレスがここで突っぱねると
老人達のサーレスに対する心証が悪くなる。
今後の付き合いも考えると彼らに悪感情を持たれるのは困る。
サーレスに選択権は無かった。
「サーレス家の保証なされる人物でしたら問題無いと思います。
……ロンド家の当主に代わって皆様のご好意に感謝を申し上げます」
ヴィネは慇懃に頭を下げた。
部屋を出たヴィネは大きく深呼吸をした。
本当のところ、マドリガーレを通じての知り合いに
ユーディスの副官に適格な人物などはいなかった。
この居もしない人物のことを突っ込まれていたら
嘘に嘘を重ねればならず、
そうなるとどこかでボロが出ていただろう。
危ういところではあったが、
自分の力で出せた結果としては満足……には程遠いものの
これ以上のものは望めまい。
アマナなる人物もこれでへたには動かないだろうし、
サーレス家の保証した人物、という肩書きは
それだけでヴィネが何も言わずとも兄も妹も注意を向けるだろう。
マドリガーレの名前を出したのは不本意ではあったけれど……
「………ふぅ」
ヴィネは背伸びをして腕を回すと、
ルーンに立つための準備を今日中に整えるために
執務室に向かい歩き出した。
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