巻末付録:中絶した女性達の記録(抜粋) ケーススタディ4人目となる人物の名前は三瀬留美子さん(20/仮名)。福岡県久留米市に生まれ育ち、現在は福岡市内の4年制国立大学に通うごく普通の女子大生であるが、彼女もまた高校生の時に妊娠中絶を経験せざるを得なかった。彼女が他の9人のケースと異なっているのは、彼女を妊娠させた男性が妊娠発覚時に失踪していた点と、三瀬留美子さんの周囲が、早い時期から妊娠中絶に対して理解ある態度を示していた点の2つ。 今回、本書の執筆に際しては、三瀬留美子さん御本人と御両親、それと親友の永森静香さん(仮名)、広末真希子さん(仮名)に、「実名を隠す」という条件を付けた上で、インタビューにも御協力して頂いた。この場を借りて、謝辞を申し上げたい。 ケーススタディ4:三瀬留美子さんの場合 留美子さんが「妊娠しているのではないか」と思うようになったのは、1999年5月13日(木曜日)のこと。留美さんは4月7日・5月5日に予定されていた2回の生理がどちらも発生せず、4月末からは頭痛や吐き気など体調不良が続いていた。このことを友人の永森静香さんや広末真希子さん(仮名)に打ち明けたところ、広末さんが「それって妊娠してるんじゃないの?」と言ったのである。 しかし、この時留美子さんには、過去に男性と付き合っていたという記憶が全く無かった。だから、「友人達の忠告も他人事としか思えなかった」と語っている。 「久留米駅近くの《ボスバーガー》だったかな……あそこで、あたしが『体の調子が悪い』と言って、生理が来ないことも話したのよ。そしたら、真希子が『それって妊娠してるんじゃないの』と言ったの。信じられなかったから、思わず『アホじゃないの』って大声を張り上げちゃって……。あの時は大変だったわ。泣き出した女の子もいたし……」(談:三瀬留美子さん) 「でも、今から考えてみたら、兆候はもっと前からあったわ。緑の日に、三瀬と永森と私の3人で、福岡のキャナルシティに遊びに行った帰りのことなんだけど、天神のイタメシ屋で夕食を取ってた時、三瀬が気分悪そうにしてたわ。女子生徒の中でも大食漢として知られている三瀬が何も食べられず、ジュースとデザートだけしか口に運んでいなかったの。あの時には、もうつわりが始まってたのかもしれないわね」(談:広末真希子さん) その後、周囲の勧めで妊娠検査薬を購入した留美子さんは、家族が寝静まった13日の深夜に検査を実行に移した。その結果は陽性。 「あの時は取り乱してしまったわ。『これは嘘よ!』って叫んで、買ってきた妊娠検査薬4個を全部使ってしまったんだから。ずっと後になって、お医者様から『そんなことしても無駄だったのよ』と言われた時には、思わず笑い出してたわ」(談:三瀬留美子さん) この後、三瀬留美子さんは検査結果に自失呆然としているところをお父さんに発見され、妊娠の疑惑が親にも知られるようになった。ところが、留美子さんの御両親は、他の多くの親と異なり、事実を知った直後から、彼女に対して優しく接してくれたそうだ。留美子さんが後になって聞き出したところによると、お母さんは20歳の時に集団で性的暴行を受け、妊娠中絶を余儀無くされたことがあったらしい。 「可愛い1人娘だったから、というのもあるかもしれないけど。でも、三瀬の御両親が立派な人で本当に良かった」(談:広末真希子さん) 5月14日(金曜日)、三瀬留美子さんは学校を病気を理由に欠席し、同じく娘の看病を理由にパートを欠席したお母さんの車で、自宅から80分ほど離れた所にある福岡市西区の母体保護法指定医を訪れた。ここはかつて留美子さんのお母さんが妊娠中絶手術を受けたところであり、またお母さんが留美子さんを出産した場所でもあった。 「ママの親友だった人に診てもらえて安心したわ」(談:三瀬留美子さん) そして、超音波などによる診断を経て、最終的に三瀬留美子さんの妊娠が確認された。最後の生理から数えて妊娠9週目の正常妊娠。出産予定日は1999年12月29日(水曜日)である。この時、医師の口からは、診断結果に続けて次のような言葉が飛び出していたという。 「この子、どうしますか?」 「妊娠中絶を暗に促しているような口振りでした」(談:三瀬留美子さんのお母さん) この時、三瀬留美子さんは妊娠が確定したことに大きなショックを受けていて、妊娠中絶の決断を下せるような状態ではなかった。そのため、妊娠中絶をするかどうかの決断は先送りされ、この日は久留米市内の自宅に戻ることとなった。 留美子さんが妊娠しているという事実は、御両親と留美子さん本人、そして広末真希子さんと永森静香さんの計5人だけの秘密とされた。そして、5月15日(土曜日)の午後、5人による話合いが行われ、妊娠を中絶すべきか否かが検討された。母体に対して負担の少ない掻爬法などによる初期中絶のタイムリミットは6月1日(火曜日)、妊娠中絶そのもののタイムリミットは8月10日(火曜日)。妊娠中絶を行うならば、できる限り早く決断しなければならなかった。 この時の話し合いでは、妊娠中絶手術の速やかな実行を主張したお母さんや広末真希子さんと、妊娠中絶に慎重な姿勢を見せるお父さんや永森静香さんが鋭く対立していた。しかし、それぞれの意見は微妙に異なっていたという。 「家内が妊娠中絶手術を受けたという医師の腕前は信頼していたのですが、いつどこでどのような事故が起こるとも限りません。この時の事故で留美子の子宮に傷がつくようなことがあったら、二度と子供を産めなくなってしまうのではないか……そういう不安が頭の中をよぎっていました」(談:三瀬留美子さんのお父さん) 「あの時、私は赤ちゃんのことも心配だっだよ。『産まれてくる赤ちゃんが可哀想だよ』って言ってたもん」(談:永森静香さん) 「人それぞれ、色んな意見があるというのは分かってたけど、あの時は永森に対して本気で怒鳴り散らしたわ。『父親が誰だか分からない子供をどうやって産めるの!? 誰が面倒を見るの!?』って。彼女、頭はいいけど、時々世間知らずなこと言うから困るのよね……」(談:広末真希子さん) また、留美子さんの胎内にいる子供の父親が誰であるか分からない点も問題となった。 「留美子の相手の男性が誰だったのか……それが分かれば、もう少し相談しやすかったのかもしれません。でも、あの時は、相手の男性が誰で今何をしてるのか、それすら全く分かりませんでした。もっと困ったことに、留美子は『男性との関係を持った記憶が全く無い』と言い張るのです。本当のところは分かりませんが、母親としては彼女の言葉を信じるしかありません」(談:三瀬留美子さんのお母さん) 論議は5時間続けられたが、はっきりした結論は出なかった。 「産むにせよ堕ろすにせよ、その決断は娘に任せ、私達はそれを無条件に支持する──私達5人の間で同意できたのはそれだけでした」(談:三瀬留美子さんのお父さん) 「みんながあたしのことを真剣になって心配してくれてることが分かって、とてもありがたかった。でも、あの時は、相手の男性のことが分からなかったから、『今すぐ中絶する』なんてとても言い出せなかったわよ。パパや静香は中絶に反対していたし」(談:三瀬留美子さん) 「あの時にはもう、三瀬は中絶する意思を固めているように見えたわ」(談:広末真希子さん) 妊娠中絶を実行するかどうかの決断は先送りされていた。だが、翌16日(日曜日)になって、留美子さんは突然、「妊娠中絶をする」と御両親にはっきりと告げたのである。妊娠発覚から僅か2日にしての決断であった。 「相手のことは分からないしセックスをした記憶も無い。それなら、腹の中の赤ん坊なんて『異物』でしかないわ」(談:三瀬留美子さん) 妊娠中絶を決断した留美子さんはそれだけしか語らなかった。御両親によると、彼女は昔から4年制大学への進学を希望していたらしい。妊娠中絶に至った理由について、御両親は「子供が産まれることによってその夢が断たれることが怖かったのではないか」と考えている。広末真希子さんもほぼ同じような見解を示していたが、永森静香さんだけは少し異なった考えをしていたようだ。 「三瀬さん……ひょっとしたら、相手の男性のことを知ってたのかもしれないよ」(談:永森静香さん) いずれにせよ、妊娠中絶という決断は下された。 留美子さんが妊娠中絶手術を行う意向を病院側に伝えたのは5月17日(月曜日)のことだった。その後、病院側との協議が行われ、入院は5月21日(金曜日)からの2泊3日、手術は5月22日(土曜日)の午前に行われることとなった。だが、手術を行う為には、手術に必要な費用と中絶同意書が必要不可欠であった。 手術費用は134000円。こちらは、三瀬留美子さんのお父さんが運用していた外国株を売却することによって、すぐに調達することができた。 「医師と相談した結果、往診費用などを含めて21万円ほどの出費が必要だと言われました。そこで、私は2年前から運用していたアメリカのハイテク株を全て売り現金化し、一部を日本円に両替して手術費用に充てました。あの時は『痛い出費だ』と思ったのですが、私の持っていた株がしばらく後になってどんどん値下がりしましたから、あの時に売り払って正解だったと思います。娘には悪い言い方になりますが、怪我の功名だったのかもしれません」(談:三瀬留美子さんのお父さん) 問題は、もう1つの中絶同意書であった。留美子さんの相手の男性が誰なのか分からなかったので、5人は中絶同意書を偽造しなければならなかったのである。 「悪いことだとは思ったけど、こうしないと中絶できないからしょうがないわ」(談:三瀬留美子さん) 「中絶同意書に書かなきゃならない男性の名前は、三瀬がすぐに考え付いたわ。『浅原晃平』にしようって」(談:広末真希子さん) 「中絶同意書の偽造は私と広末さんが行うことになりました。広末さんに『浅原晃平』役として中絶同意書の文章とサインを書いてもらい、私が『浅原』のネームが入った印鑑を買ってきて同意書に押しました。罪悪感は……無かったですね。あの時は、娘を助けようとするのに精一杯でしたから。それから、妊娠中絶の理由は『強姦されたから』ということにしました」(談:三瀬留美子さんのお母さん) 「後から聞いて驚いたのですが、留美子の中絶手術を執刀して下さった先生は、中絶同意書の偽造には気付いていたそうです。それでも手術したのは、『留美子の筆跡だけは本物だったから』だそうです。女性の意思さえ整っていたら、男性の意思はどうでも良いかのように仰ってました。その言葉を聞いた時には……正直言って、説明し難い複雑な気分になりました」(談:三瀬留美子さんのお父さん) 手術までの数日間、留美子さんは病気を理由に学校を欠席し、その間にインターネットや市立図書館で妊娠中絶に関する資料を読み漁っていた。この時の資料には、妊娠中絶の体験談を集めたホームページや医学書だけではなく、浄土真宗の僧侶が書いた生命倫理の本や、インターネット上に解説されている過激なプロ・ライフ派の宣伝記事も含まれていた。だが、妊娠中絶を行うという決心は揺らぐことが無かった。 「三瀬、苦手なはずの英語の資料にも手を出したんだから。あれにはびっくりしたわ」(談:広末真希子さん) 「考え直すのかなって思ったけど、そんなことにはならなかったよ。三瀬さんって結構強い人だなって思ったよ」(談:永森静香さん) 「色々な資料を読んだけど、一番ドキッとしたのは、中絶された胎児の写真を載せたホームページだったわ。パパはあれを見て、『死んだ胎児を冒涜していないか』って怒ってたけど」(談:三瀬留美子さん) 5月21日(金曜日)──手術前日。留美子さんと御両親はその日の会社・学校を全て休み、家族3人で福岡市内にある前出の病院へと向かった。中絶同意書と費用、それと留美子さんの健康状態の確認が終わると、手術の前段階にあたるラミナリアの挿入が行われた。九州の産婦人科の間では「名医」という評判が高かった執刀医の腕前のおかげか、挿入時の痛みは殆ど無かったという。 「インターネットや本で『物凄く痛い』という話を聞いてたから、思わず拍子抜けしちゃったわ。『あ、そんなに痛くないんだ』って。でも、やっぱり恥ずかしかった……ママ以外の人に私の大事な部分を見せるのは……」(談:三瀬留美子さん) 「何も食べられなかったことの方が苦しかったようでした。夜中、『おなか減った〜』って何度も言ってました」(談:三瀬留美子さんのお母さん) そして、運命の日──5月22日(土曜日)を迎えた。留美子さんに対する妊娠中絶手術は午前11時から開始された。手術は吸引法と掻爬法の併用である。薬品に対して特に強い耐性を持っていなかった留美子さんの場合、全身麻酔が投与されてからすぐに意識を失い、次に気付いた時には既に手術も終わっていたという。下腹部に鈍い痛みが残っており、彼女は鎮痛剤をもらうと再び眠りに落ちた。 「あの日の朝は私達も緊張していました。もし手術が失敗したらどうなるだろうか、気が気でありませんでした。家内は『絶対大丈夫』と言っていたのですが……。こういう時には、男より女の方が強いのかもしれません」(談:三瀬留美子さんのお父さん) 「手術台に乗せられてからのことは、あまり覚えてないの。足をベルトで固定され、注射された後、看護婦さんが優しい声で『一緒に10数えましょう』と言う声が聞こえてから意識が無くなって……。次に気付いた時には、もう病室に戻された後だったの。でも、疲れがひどかったしお腹が痛かったから薬をもらってまた寝て……次に目が覚めた時には、外は真っ暗。パパとママ、それに真希子と静香の顔が見えた時には思わず泣き出していたわ。『ごめんなさい』って……」(談:三瀬留美子さん) 「とにかく、三瀬が無事でほっとしたわ。これが偽らざる本音よ」(談:広末真希子さん) 三瀬留美子さんは5月23日(日曜日)に退院した。術後の経過は良好であり、約3ヶ月半の9月4日(土曜日)に行われた術後検診を最後に通院も終了した。6月末には生理も再開され、彼女の肉体は中絶手術前の健康な姿をとりあえず取り戻していた。 「お医者様の腕前が良くて娘も無事助かりました。本当に感謝しています」(談:三瀬留美子さんのお母さん) 「日曜日の夜はレストランで食事だったけど、あの時の三瀬さんは凄かったよ。だって、1人でステーキ定食2人前を平らげていたもん。でも、あれで安心したよ。『三瀬さんは元に戻ったんだ』って」(談:永森静香さん) しかし、三瀬留美子さんの傷が完全に癒えたわけではない。まず、留美子さんの月経が以前の28日周期から30日周期へと変化してしまったのである。術後検診で精密検査を受けた結果、妊娠には大きな支障は無いという結果が得られたものの、御両親達の心に一抹の不安を残す結果となった。 そして、最も大きな傷は、留美子さん自身の心が負った精神的なダメージである。手術後、留美子さんは「中絶した赤ん坊が夢の中に登場したことがある」と語る。彼女を妊娠させたと思われる男性が夢の中に登場したことも1回あったと言う。 「最初に見た夢は6月の初めだったかな。真っ暗な中に男の子が現れて、『ママ、どうして僕を殺したの?』って話し掛けてきたの。あの言葉を聞いた時には、胸をえぐられるような痛みを感じて目を覚ましたわ。パジャマは汗でびしょびしょになってたのを、今でも思い出すわ」(談:三瀬留美子さん) 「もう1つ見た変な夢は……ええと、7月の終わりだったかしら。あの時は、あたしと同じ位の歳の男が夢の中に現れて、『俺の大切な子供をどうして殺したんだ? 俺の大切な<絆>をどうして壊してしまったんだ?』ってわけの分からないことを言ってたわ。気が狂ってるって思ったから、『殺してやるわっ!』って殴りかかろうとしたら、ベッドから落ちて目が覚めてしまったの。物凄く不愉快だったから、今でもあいつを殴れていたら良かったと思うわ」(談:三瀬留美子さん) 「男の人が夢に現れたって聞いたから、私が『その人が浅原って人なの?』って聞いてみたけど、三瀬さんは『分からない』としか言わなかったよ。でも、私の意見は当たってると思う」(談:永森静香さん) 「今から振り返ってみれば、三瀬が中絶同意書で男性の偽名をすぐに考え付いたのは不自然だわ。その夢の中に登場した男性の名前が『浅原晃平』で、そいつが彼女を妊娠させたのかもしれない。だとすると、三瀬って本当に不憫ね。憎むべき相手が夢の世界の住人でしかないのだから」(談:広末真希子さん) しかし、問題の「浅原晃平」なる人物の正体は、我々取材スタッフには分からないままであった。留美子さんも、彼について語ろうとする時には口が重くなってしまう。 「……あたしは知らないわよ。あの名前もとっさの思い付きなんだから」(談:三瀬留美子さん) また、「いつ」「誰が」彼女と性交渉を持ったのかという謎は全く解決されていない。三瀬留美子さんの話によると、3月23日午後の記憶が殆ど無く、何かあったとすればその時ではなかったかということらしい。だが、この時間帯には彼女は高校の中にいたと考えられている。また、この時に彼女の相手となった可能性のある「浅原晃平」の名前は、2000年春の卒業者名簿には記載されていなかった。 「相手が分からないのでは、私達も法的な手段に訴えることができないのです。まさか、学校相手に管理責任を問う訴訟を起こすわけには行きませんし、そんなことをしたら留美子も学校を追い出されてしまいます。留美子の妊娠が発覚した時に、この謎を放置して正解だったのでしょう。それに、今更知りたいとは思いませんし……」(談:三瀬留美子さんのお父さん) 「もやもやとした霧の中にいるようなものだわ」(談:三瀬留美子さん) 妊娠中絶によって留美子さんが負った心の傷は、手術後1年以上経った今日でも、完全に治癒されたとは言い難い。留美子さんは今でも「以前と比べて性的欲求が減退した」「子供を産むのが恐い」と語っており、今後男性と付き合う時には、必ず経口避妊薬を服用するつもりだとも言う。 「あたし……子供を産むのが嫌になったのかな」(談:三瀬留美子さん) 「妊娠中絶したことには、少なからず罪悪感を抱いているのでしょうね。いくら自分の為に仕方無かったとはいえ、1人の胎児を殺したという事実は曲げられませんから。今の留美子を見ていると、25年前の自分の姿を見ているような気分になります。あの娘の子供達が、私達2人と同じような経験をしなければいいのですが……」(談:三瀬留美子さんのお母さん) 去年(2000年)、三瀬留美子さんは広末真希子さんや永森静香さんと一緒に福岡市内の国立大学に無事合格、4月に入学を果たした。3人は今でも親友同士の間柄にあり、大学のキャンパスでは3人が仲良さそうに歩いている光景がしばしば目撃されている。現在、三瀬さんは大学で建築学を専攻しており、将来は都市計画に携わりたいと話している。また、かつて習っていたことのある合気道のサークルに加わっており、試合には出ないものの、1年生の時からサークルの師範代として先輩達を指導する毎日を送っている。 「終わったことは変えられないから、今からは前向きに生きていくわ。用心深くならないといけないけどね。それに、あの騒ぎでは、パパやママ、それに友達に色々と助けられたから、それにはとても感謝してるわ」(談:三瀬留美子さん) 三瀬留美子さんに対する取材の最後、私達は今まで訊ねられなかった質問を3つぶつけてみることにした。 「中絶した子供に対してはどういう感情を抱いているのか?」 「悪いことをした、とは思ってるわ。でも、産まれていたら良かったかもしれないとは全然思わなかったし、妊娠中絶というあたしの判断が間違っているとは思わないわ。セックスの記憶が残っていたら、違った気持ちだったかもしれないけど」 「留美子さんを妊娠させた男が再び現れたらどうするか?」 「そんなことは絶対にあり得ないと思うわ。でも、『if』ということで答えるなら……そうねえ、『このドアホっ!』って叫んで、合気道と武術で鍛えた10連コンボをお見舞いしてやるわ(笑)」 「この問題で悩んでいる女性達にアドバイスはありますか?」 「頼れる同性の友人に助けを求めるのが最も大事ってところかな。あたしの場合はパパやママにも助けられたけど、親があたしのような人間を助けてくれることはそんなに多くないから気を付けてね」 この質問を最後に、私達は三瀬留美子さんとお別れすることにした。だが、去り際に、留美子さんは興味深い言葉を残していった。 「結局、あたしは乙女になれなかったわ。でも、それで良かったのかな……」(談:三瀬留美子さん) ケーススタディ4・追記: 本文中に記載すべきかどうか迷ったので、追記にて紹介したいエピソードが1つある。 取材の際、私達は三瀬留美子さんの御両親の許可を得て、留美子さんの部屋を拝見したことがある。その時、机の上に置かれていた国語辞書を捲っていたお母さんが、興味深い記述を辞書の中で発見した。「乙女」の項目を囲むように、赤いボールペンで大きな丸が描かれていたのである。だが、それと一緒に、青いボールペンで「乙女」という字の上にバツが描かれていた。 誰が何の意図でいつこれらの記号を描いたのかは不明である。どちらの図形が先に描かれたのかも分からない。 参考程度に、乙女には「処女」という意味が含まれていることを指摘しておきたい。 |