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2004年6月の図書館長日誌

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  • 2004年6月30日 0時12分40秒
    選挙の季節だけど……

    現在、参議院選挙の選挙期間中なのですが、
    個人的な関心・興味は既に山場を越えてしまったという感があります。
    所用により投票日当日に自宅を開けることが確定しているため、
    「トツゲキイチバーン」の掛け声と共に、公示日当日に(爆)不在者投票を済ませてしまいました。
    選挙が始まる前の時点で誰に入れるか──というよりも「どの党の候補者に入れるか」というのを決めていたので、
    比例区候補者の経歴は全くといってもいいほど確認しないままの投票となりました。
    投票日当日の夜には、再びいつものように目をぎらぎらさせながら選挙速報を見ることになるのでしょうが、
    しばらくの間は遠目で選挙の様子を眺める日々が続きそうです。

    あと、最近日記の記述が再び少なくなっているのは、単純に私の仕事が忙しくなっているせいです。
    ここしばらく、残業が続いていますし。
    選挙の前後にはまとまった休みが取れていますので、この時期を目標に色々と日誌に書くネタを考えたいと思います。

    それにしても、選挙権を行使してしまった後の選挙期間中がこれほど退屈なものになるとは思いませんでした。
    次回からは、不在者投票もぎりぎりまで遅らせようか……。

  • 2004年6月23日 23時20分40秒
    対萌えゲーマー向けデストラップ

    今回、刀和祥子さんから頂いた『はなマルッ!』のレビュー。
    いつもながら、ありがとうございます。
    もしも、18禁ゲームの世界に「デストラップ」というものがあるとすれば、
    このゲームは「デストラップ」に相応しい罠と破壊力を持っていたと言えるでしょう。

    ゲームの詳細やレビューについてはこちらを御覧下さい。

    「トラップ」の中身を掻い摘んで説明すると、大体こんな感じになります。

    いわゆる妹属性キャラが実は男性で性同一性障害持ちだった
    その「男性」キャラと主人公(男性)の間でリアルな18禁イベントが発生する

    ……で、この設定とストーリーにぶちきれたユーザが製作元であるTinkerBellのOHPに殺到し、
    掲示板がダウンしたという騒ぎを起こしています。
    ただ、数ある批判のうち18禁シーンについては、事前に警告メッセージがちゃんと表示されますので、
    警告メッセージを見て先に進んで「取り返しのつかないダメージを負ってしまった」としても、
    それは自ら好き好んで(?)イベントを閲覧した人間の自己責任ですから、
    18禁シーンの強烈さを根拠にオフィシャルBBSでクレームを付けるというのは筋違いではないかという気がします。
    非常に厳しい言い方ですけど、警告を無視した人間も「悪い」んですし。

    プレーするべきかどうかについては……かなり真剣に頭を痛めています(爆)

  • 2004年6月5日 12時18分15秒
    冷戦の勝利者

    最初に流れていたニュースは「余命数週間」というものでしたが、
    日付が変わり目が覚めた時には、死亡記事になっていました。

    日本時間の今日に亡くなったロナルド・レーガン元大統領は、私の記憶に残る現職大統領としては最初の人物です。
    (フォード政権以前には私が生まれておらず、カーター大統領の時期も私があまりに幼すぎて記憶の残しようが無かったので)
    ですが、私がレーガン大統領に関して持っている記憶も1982年頃からのものだけでして、
    「末尾が0の年に当選した大統領は在任中の命の危険に襲われる」というジンクス通りに発生してしまった
    1981年の暗殺未遂事件の記憶は全くありません。
    私が同大統領の在任中に為した事跡の中で、子供心でもはっきりと覚えていたのは、
    「飛んでくる核弾頭を宇宙空間で撃ち落そう」と考え、コンピュータゲームやSFを彷彿とさせてしまうような
    様々な兵器の開発に勤しんだという戦略防衛構想──通称「スターウォーズ計画」、
    1987年にソ連との間で締結した中距離核ミサイルの撤去に関する条約くらいしかありません。
    私が本気になって国際政治というものを考えるようになったのは、次のブッシュ政権の時代になってからのことでした。

    満面の笑みをたたえながら自信たっぷりの表情を見せる姿は、1980年代の「強いアメリカ」そのものと言えました。
    また、マーガレット・サッチャー女史(レーガン氏が大統領だった時のイギリス首相)を
    「彼女はイギリスで最高の“男”である」と評したり、
    1981年の暗殺未遂事件の直後、手術を行う医師団に
    「君達は全員、共和党員かね」とジョークを飛ばしたりするなど、
    ユーモアのセンスにも長けた大統領でもありました。
    (かつて俳優だった時代の経験が政治家になってから生きているのかもしれません)
    そんな在任中のレーガン氏の姿を多少なりとも知っているせいもあり、
    1994年に氏が年老いた姿でテレビカメラの前に姿を見せ、アルツハイマー病であることを告白した時には、
    少なからざるショックを受けたものでした。

    世間一般におけるレーガン元大統領に対する評価は、その人の政治姿勢によって変わる面があります。
    しかし、氏が「冷戦の勝利者」と呼ばれるのに最も相応しい人物であることに、疑いを挟む余地はありません。
    ソ連を「悪の帝国」と一刀両断して軍拡競争に付き合わせ、ソ連と共産主義諸国の経済を悪化させることで、
    最低限度の武力行使すらなく共産主義諸国を事実上崩壊に導き、
    20世紀後半の40年近くに渡って続いた冷戦を西側諸国の勝利で終結させたのは、他でもないこの人なのです。
    その一事だけでも、「20世紀を代表する偉大な政治家」の1人に列せられるだけの資格は十分にあります。

    経済面では、富裕層を中心とした大胆な減税策──通称「レーガノミックス」を実行に移し、
    カーター政権時代には10%前後の失業率を誇るほど悪化していたアメリカ経済の再生にも成功しています。
    アメリカでは、レーガン政権によって実現された減税と「小さな政府」が、
    クリントン政権におけるアメリカの好景気の下地になったとの意見が有力とされています。
    ただし、レーガン政権の財政運営には、財政赤字の肥大化という結果を招いたとの批判が多いのも事実です。
    このことを考えると、レーガン政権最大の功績は、やはり「冷戦に勝ったこと」になるのでしょうね。

    なお、1980年代には最大のテロ支援国家であったリビア(テロ組織であるPLOに対して資金援助をしていたり、
    1986年4月に西ドイツで爆弾テロを起こしたり、1988年にスコットランド上空で米パンナム機を爆破したり……)
    に対し、
    1986年にリビアの最高指導者であるカダフィ大佐の司令部兼自宅を爆撃するという方法で制裁を加えたのもこの人。
    現在のアメリカによる対テロ戦争の先例を作ったと言えるでしょう。


    参考ながら、私の現在の派遣先のすぐ近くには、アメリカ合衆国の大使館があります。
    ここで何らかの追悼イベント(日本で皇室関係者の冠婚葬祭に際して行われる記帳のようなもの?)があれば、
    私も参加するかもしれません。


    「冷戦に勝った男」の死に、心からの弔意を。

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