掌を、虹へ(後編)
料理長
数分後
「これは………?」
「ここより遥か西の大陸で採れる薬草を使っています。今夜だけでも…楽になって頂ければ。」
そう言って緑に染まった粥を渡す。はたから見れば緑色のスープの様に見えるだろう。
「これはどこでお作りに…?」
「城の厨房をちょっと使わせていただきました。」
「いつの間にそんな事を…」
「いやぁ。いろいろと慣れているもんなんですよ。旅人ってのは。」
「しかし…この薬草は大事な………あっ……ん……」
なかなか遠慮して食べようとしない女性の言葉を遮って一杯、放り込む。
「……ん……」
「米を擂って葉の苦味を消したつもりだが……まだ苦いですか?」
「いえ…。冷たくて、ちょっと楽……ありがとう…久々に…物を食べました。」
「食事も辛いので…」
「ええ…心配なさって頂いている分、食事が豪勢過ぎて…。こういうのが、丁度良いです。」
そう言って女性が数回、口に含むのも見て安心した。
さぁ、いい加減行かなければならない。
「そうか………ひとまず何か病に効く珍味なりを置いていきますよ。」
「もう行くの……ですか?」
「ええ、旅人ですからね。」
「旅人ですか…私も…色々な地へと行ってみたいものです……羨ましいな……」
「世界は…広いですよ…あなたの病も…きっとどこかで治せますよ。どうです、一緒に行きますか?」
冗談なのか本心なのか、自分でも分かりもしない事も口走ってしまっていた。
「そうかも知れませんね…ですけど、私はここで、娘と…夫と…平和に暮らしていきますから。」
「夫…?」
「はい…。何かにつけて強引な夫ですけど…それでも…私は見守っていくと決めましたから。」
家族の話をしている彼女はとても嬉しそうであった。だが、私には一つの考えがよぎった。
城内のこんな場所で寝室を構えている女性が何であるかなど今の今まで全く思考が及んでいなかった。それほどまでに、私はこの女性にペースを崩されていたようだ。
そして、疑問を口にする。
「あの、夫とは…もしや…」
「はい……あなたがこれから撃とうとする…皇帝セルラディカ…。私の、夫です…」
どれほどの間であっただろうか。二人の間に沈黙が流れる。
私は彼女が発した言葉の意味を理解できず、表情を作る事も忘れ突っ立っていた。
「なぜ…お分かりに?」
どれほど思考を張り巡らせたかは分からないが、しばしの沈黙の後に口から出た言葉はあまりに単純なものになってしまっていた。
だが、本来この大陸ではまだ発明されてもいない武器の気配を一人の女性に見破られた事は単純に驚きだった。
「硝煙の……匂いが……」
「………知っているのですか?」
「はい…。以前、一国の王であった父の元に居た時に…感じた覚えがあります…」
「それで……………撃ちに来たのですね。」
女性は躊躇わずに言い放った。
「………ええ。」
嘘をつくわけでもなく、気が付くと銃口を女性に向けていた。
存在を知られたから殺す…?
当時、そんな感情から銃を抜いたのかどうかも、今や覚えていない…。
ただ、気が付くと慣れた手つきで銃を瞬時に目の前に向けていた。
「そのまま…私をお撃ち下さい。」
「何を………」
「ただ…出来るならば夫と…この娘達には手を出さないでいただきたいのです…。」
女性の傍らで寝ている二人の子供に目を向ける。もちろん、銃は向け続けている。
「もうじき死ぬ私の最後の願いを…神に代わって聞いて頂きたいのです。家族だけは幸せになって欲しいですから。」
「ならあなたを殺してから……考えましょうか?」
冷徹な目を向けつつ……引き金に手をかける。
「………」
(私は……………何をしているんだ………)
「………」
女性は真っ直ぐに銃口を、その向こうにある私の目をそらすこと無く見つめている。
「………」
(………死ぬのが……怖くないのか………)
「………」
「………ふぅ………。」
ため息をつきながら銃を胸にしまった。
それでも女性は臆する気配も無く、こちらを見据えている。
(強いな………本当に………)
「降参ですっ! ………どうもあなたといると変になりそうです。もう出ていきますから。」
「え………」
突然の事で何が何だかわからないと言った表情を女性はしている。
「もう……このままこの大陸からは出ていきますから。お別れですね。」
冷徹な目で銃を向けていた男が一瞬で明るく温和な人間に戻ったのをまだ女性は理解できないでいるらしく、きょとんとしている。
(私は先程から………何をしているんだ………)
自分でも、おかしな事をしているのは気が付いていた。
いや、初めにこの部屋に入る事を決めた時から、どこか変だったのかもしれない。
「悪者になんてなりたくないですからねっ。」
あいかわらず身体を固めたままの女性に背を向け、部屋を出ていこうとする。
(さぁ………終わりだ………)
「もう少し………夢を見続けませんか?」
後ろから声が聞こえた。
「アームズさん…………私は…もう永くありません………死は……………怖いものです………生に未練もあります……それでも笑っていられる空間が……ここにはありますから……」
「……この城で……この国で……腕を振るって頂けませんか?」
(……………何を…)
心とは裏腹に、歩みが止まる。
心のどこかで、選択肢としていたこと………。
「腕を振るう…ですか。」
自分には二つの腕がある。
食卓を彩る力と
戦場を彩る力と
「娘達と…夫と…平和な世界を……旅してみませんか?」
旅する先で、幾つもの物語は綴られてきた。
今回もまた、小さな…小さな…。
それが永遠でないと知っていても、いや知っているからこそ。
「………」
「……」
「…」
「しばし……………ご一緒しましょう。」
だから
再び振り向いた。今度は、必然に。
「私の名はルフィア……皇帝セルレディカの妻でございます…」
「……アームズ………通りすがりの料理人です。」
1245年末
帝国に皇妻直々の異例登用として、アームズとその一向は帝国の城入りをする。
彼らがその奇抜な腕を生かして帝国の厨房を任される事となるまでに、そう時間はかからなかったという。
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