シチルの攻防−凱旋−
朝霧 水菜
シチル川を跨ぐ橋の付近でクレア軍と帝国軍の本格的な衝突が始まった頃、
バライの街に水菜率いる『紅月夜』の残存兵は強行軍で戻ってきていた。
ちなみに―余談ではあるが、帝国兵に囲まれたクレアの将が、
何故か帝国の将を背負っていたのを見たとの目撃情報があるが、定かではない。
―診療所―
「ご迷惑をおかけして・・・済みません・・・・」
「起きていきなりそれかよ・・・・(==;」
病室のベッドで身を起こし、開口一番に頭を下げた水菜に、
エアードは嘆息と共にそう呟いた―まあ、らしいと言えば、らしいかもしれない。
周りの視線を感じながら、彼は軽く伸びをする。
この視線は、クレアの将がここに平然と居る事に対してか、
それとも、水菜と俺との関係を疑っての事か。
(まあ・・・どっちでもいいけどな・・・・・)
考えるのも面倒臭くなって、そう結論付けて、思索を止める。
「そういえば・・・メイリィさんは見かけましたか?」
「ん、ああ・・・あのメイド姿のヤツか? 今、食事を貰いに行ってるよ」
応えながら、苦笑を漏らす―彼が、ここに水菜を連れてきた時を思い出したのだ。
穏やかな寝息を立てる水菜を見て、メイリィは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
最初、自分が何者かと疑われると思っていたエアードが、思わず虚を突かれたぐらいだ。
「あれ・・・私・・メイリィさんの事について、話してましたっけ・・・・?」
つと、今さら気づいたように―実際そうなのだろうが―水菜が首を傾げる。
あの副官にしてこの指揮官あり―いや、この場合は、この指揮官にしてあの副官あり、か。
「まあ、クレアでも色々と有名だしな・・・」
最後の方は言葉を濁しながら答える―というか、メイド服で戦場に出ていれば、
有名にならない方がおかしいと思うのだが、その辺りの当然の疑問は既にないのだろうか。
(それに・・・コマから聞かされているしな・・・・)
胸中で付け加えながら水菜を見やると、案の定、それで納得していた。
何となく、調子がズレているのを自覚し、軽くこめかみを抑える。
理由が明白なだけに、余計に質が悪い。
「あ、水菜様! お気づきになられたんですか!?」
その時、私服姿のメイリィが買い物袋を抱えながら部屋に入ってくるなり、
体を起こしていた水菜を見て、嬉しそうな声を上げる。
エアードには、何故か、今の彼女の存在が混沌の使者の様に思えた。
―果たして、その予感は正しかった。
「メイリィさん・・・元気そうで、何より・・です・・・・」
「水菜様も。本当に、この人に運んできていただいた時は・・・って、あれ?」
労いの言葉を返そうとして、エアードを指したメイリィが、唐突にどもる。
まあ、この時点で―彼には、その先に続く言葉がハッキリと予想できた。
何気ない動作で、手近にあったスリッパを手に取りながら、待つ。
「そういえば、水菜様・・・この人って、誰なんですか?」
「お前は知らずに看病を任せてたのかっ!!」
―スパァァァァンッ!!
小気味よい音と共に、エアードの放った突っ込みは、あっさりとメイリィを叩き倒していた・・・
「随分とお疲れのようだニャ・・・・」
コイツに笑顔という物があれば、どれだけ素直に怒れただろうか。
―部屋から出てきた俺を見て、そう呟いた紫苑に、思わず、そう思う。
「ああ・・・胃がキリキリと痛んでる気がする・・・・(−−;」
感情の読めない無表情な紫苑に、そう返しながら、窓際に体を預ける。
「でも、今回は礼を言うニャ。主を助けてくれて、ありがとうだニャ」
言われて―改めて紫苑を見やるが、やはり、そこに感情は読み取れない。
ただ、何となく、その視線が穏やかな物になっているのは、気のせいか。
「お前・・・俺がこうするだろうと思って、わざと俺に頼んだだろ?」
それは、既に確信に近い答えだった。
そして、否定される事もないと、わかりきっていた。
「どうかニャ・・・あの時、アンタに会ったのは本当に偶然だニャ」
そう言って、それこそ、自分が猫ではない証明だと言わんばかりに、
器用に肩を竦めて見せて、紫苑が音もなく水菜の病室に入っていく。
「何だかなぁ・・・・」
改めて、窓辺から日暮れに近いバライの街の情景を見やり、呟く。
本当にこれが最良の選択だったのだろうか?―まだ、胸を張って、そうだとは言えない。
“あの時”に自分が出せなかった答えが、本当にこれなのだろうか。
その疑念が、まだ、心の中を渦巻いていて、すっきりとできない物はある。
「エアードさん・・・・」
その背中に、水菜がポツリ、と呟く―決して触れられない、近くて、遠い距離で。
その背中に声をかけないと、本当に手の届かないぐらい、遠くに行ってしまいそうで。
―儚く、危なげなままで、しかし、引き留めたい一心で言葉を紡ぐ。
「あの・・・捕虜になる、という話なんですが・・・・」
「あー、やめろやめろ。そんな暗い表情で・・・」
―コツンッ・・・
そう言いながら、振り返ったエアードは、意識的に一歩、踏み込んで、
俯き加減の水菜の頭をコツンッ、と小突く―結局は、こういう事らしい。
「お前は俺の部隊に勝ったんだ・・・もっと嬉しい顔をしてろ」
「あっ・・・・!」
顔を上げた、水菜の嬉しそうな瞳がエアードをしっかりと見据えていた。
(ま・・・どうなるかは、後から考えればいい事だしな・・・・・)
胸中で呟き、水菜の横を通り過ぎて、病室の扉を開ける。
「あ、女難男のエアードさん―――」
「一言多いっ!!」
振り返って言ったメイリィに、本日二度目のスリッパが炸裂する音が、夕暮れの病室に響いていた・・・
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