夜に浮かぶ陽炎
フィアーテ・V・S・B
――“孤狼”と言う言葉を知ってるだろう?
――酷く……寂しく哀しい言葉だと思わないか?
――孤独な狼は、唯歩き続ける……暗い夜の間も、熱い夏の日も……そして、冷たい雨の中を……
――終わりのない夢を見るように
――心はいつも時を彷徨う
――“弧狼”の陽炎となって……
『夜に浮かぶ陽炎』
「そう言えば知ってるかい、隊長」
「ん? 何をや? カレンちゃん」
帝国第14部隊『WINGS』の隊長室のデスクワークについて、仕事をしているフィアーテに赤髪の女性が声をかける。
声を掛けられた当の本人は、ペンを走らせている書類に眼を向けたままであるが、一応返事はする。
「今、ウチの兵士の間じゃ異性の好みについて結構話題になってるみたいなんですよ」
フィアーテの問いに、カレンの横にいた男が答えを返す。
男の名前は『アーディス・フォールト』……カレンと同じく『WINGS』の副将である若き士官である。
「そらまた、おもろい話題やな……うーん、じゃお二人さんの好みは?」
書類から顔を上げて、カレンとアーディストの方に顔を向けて聞いてみる。
すると、二人は暫く顎に手を当てて考えて――
「あたしは取り敢えず、うじうじしない奴かな」
と、カレンが最初に答える。
「俺は家庭的な人っすかねー」
すると、アーディストも後に続くように答える。
「ふーん、成る程なー……ま、二人ともええ人が見付かるとええな」
笑って目の前にいる二人にそう言うと、フィアーテは再び視線を机の上にある白い紙に戻す。
因みにワークデスクの右端側には随分な量の書類が詰まれていたりする。
「そう言う隊長こそ、好きな人の一人や二人いないんですか? 家の後継ぎは隊長しかいないんでしょう?」
「アホ、今まで浮いた話の一つもなかったこの人にいるわけないだろ」
バシッとカレンがアーディストの背中を思いっきり叩く。
中々派手な音がして、アーディストは「いたた」と背中を押さえている。
最も、その光景はあまり珍しい光景ではなかったりするのだが……。
「好きな娘? おるよー」
………………………………………………………………………………。
「「なにぃ!!!!」
フィアーテの突然の発言に数秒ほど固まっていた二人だが、ほぼ同じタイミングで再び活動を再開する。
そして、またもやほぼ同じタイミングでフィアーテがかけているデスクワークにもの凄い勢いで詰め寄ったりしている。
「あん、なんやねん」
二人のその剣幕にフィアーテは思わず、デスクワークから顔を起こして椅子を少し移動させて距離を取る。
「いや、今何って言いました、隊長!?」
「す、す、好きな奴がいるって言ったよな!?」
しかし、相変わらず二人のテンションは非常に高くなっていた。
最も、今まで絶対にないと思っていた事柄を覆されたのだから当然の反応なのかもしれないが。
「取り敢えず、二人とも落ち着き」
が、そこはやはり年上故かそれとも隊長故か、フィアーテは顔色一つ変えることなく冷静に対処する。
普段と何ら変わらない上司の姿を見て、カレンとアーディストも幾分落ち着きを取り戻す。
そして――
「で、質問を繰り返しますけど……本当なんですか?」
しかし、やはりそれでも多少の興奮は抑えられないようである。
アーディストは手に持っていた資料を、フィアーテのワークデスクに置いて再び質問をする。
「……さぁ?」
位置がずれたサングラスを中指で戻しながらフィアーテは言う。
その口にはニヤッとした笑みが浮かんでいた。
「だーー、はぐらかすんじゃないよ」
バンとカレンがワークデスクを強く叩く。
その時、ピシッと嫌な音が三人の耳に届いたが、敢えて無視する事にした。
「あー、冗談冗談や……ま、おる事はおるよ、一応な」
その言葉を聞いた二人は、再び驚愕の表情を取る。
「一体、誰なんですか?」
しかし、数瞬して立ち直ったアーディストが今度は先ほどのフィアーテがしていたような笑みを浮かべて、質問をする。
「それは流石に秘密や」
クスと笑ってフィアーテは言う。
「教えてくれても良いじゃんか、隊長」
どうやらカレンも自分の上司の思い人に興味があるらしい。
まぁ、彼らの上司であるフィアーテはあまり恋愛ごとに興味はないタイプだと思っていたのでそれも仕方がないのかもしれない。
「あかんって……君らに教えたらその娘のところまで噂がいきそうやもん」
確かに噂と言うモノほど良く伝わるものはない。
『風の噂』とは良く言ったものだと思う。
最も、『人の噂も七十五日』というクレアの諺もあるように、直ぐに忘れられる事も多いが。
「それが何か?」
不思議そうな顔をして、カレンが尋ねる。
「何ってその娘に迷惑かかるやろ」
その言葉を聞いた二人は眉をしかめて、顔を向き合う。
そして、頷きあった後、徐にフィアーテの方へと顔を向ける。
「まさかとは思いますけど……隊長、その人に何も言わないつもりですか?」
そう言うアーディストの顔からは既に先ほどの笑みは消えており、真剣な表情になっていた。
横にいるカレンもそれは同じであった。
「んー、いや、まぁ……」
珍しく困ったような顔をして、頬をかく。
その返事もどこか困ったような歯切れの悪いものであった。
「……隊長?」
そして、アーディストの顔は真剣なものから多少、怒っているような感じの表情に移り変わっていた。
元々、温厚な彼がここまで怒りを露にするのははっきり言って、珍しい。
その事を知ってるカレンは、少なからず内心驚いている。
最も、カレンよりもアーディストと付き合いが随分長い、フィアーテはその事自体には驚いていないのだが。
(うーむ……ゆうんじゃなかったかも……)
と、フィアーテは心の中で呟く。
フィアーテ自身、アーディストがこういう奴である事を忘れていたのかもしれない。
「…………やっぱりそうなんですね?」
アーディストが言葉を呟く。
「でも、そんなのは俺は絶対に赦しませんよ」
「いや、しかしやな」
「しかしも何もない!」
今まで黙っていたカレンもフィアーテに向って言う。
「いやー、えーと……あ、もう昼飯時やん」
確かに部屋の中にある時計はもうすぐで12時を指そうとしていた。
だが、誰が見てもそれは単なる逃げの口実でしかないのは明らかである。
「昼飯を食ったら、キッチリ話し合いましょうね」
当然ながら、アーディストに釘をさされるフィアーテであった。
「あーしつこいのう」
「当たり前だっちゅうの」
フィアーテが椅子から立ち上がり、彼に続くようにアーディストとカレンが扉から部屋の外へ出て行く。
それは彼らにとっては極当たり前の光景であり、数年の間続いてきた当たり前の生活。
しかし、そんな極普通の日常にほんの僅かな『運命』の歯車が廻り始めた。
どこかで赫い“鎖”がジャラリと音を立てる……誰にもその音は届くことはないが……。
「……と、忘れてたわ」
ガチャリと音を立てて、再び部屋の扉が開く。
入ってきたのはこの部屋の主であるフィアーテだった。
先ほどまで座って書類にペンを走らせていたデスクに向う。
「あったあった」
先ほど書いていた書類の下から二つの首飾り――ペンダントとロケット――を探しあてる。
「………………………」
フィアーテは無言でその二つのアクセサリーを見つめている。
そして、ペンダントの方を裏返しにする。
『To バレッテーゼ From ミル』
そう、そのペンダントの裏側には彫られていた……。
――生まれて来る事が罪ならば……想うことさえも罪なのだろうか?
――赫い鎖は運命を告げる
――求める絆さえも揺らめく陽炎
――恋することさえ禁じた戒めの枷
――貴女の風も今は遥か遠く
――しかし、思い出の欠片は集まり、確かに戒めを砕いた
――我が闇にうつろうは月の陽炎
――それでも想いを断ち切れない月夜
――未来へと進む度に鎖は軋んでいく
――そして、いつしか夜空へと消えていく
――それは確かな、そしておぼろげな月の陽炎
<Fin>
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