パーティ(1)

ユーディス・ロンド

 クルス暦1252年、大陸は揺れていた。
 コーリア事件を機に悪化の一途を辿っていたラグライナ帝国とガルデス共和国の関係は
もはや修復しがたく、開戦は避けられそうもない。
 さらにここに来て、国境の小競り合いから端を発したクレアムーン国と帝国の間には埋
めがたい溝が出来ており、新たにクレアムーン国神威巫女(国主)となった月風麻耶は厳
しく帝国を糾弾。事実上の宣戦布告である。

 共和国とクレア。
 二つの強大な敵を同時に抱える事になった帝国は急速な軍備の増強を推し進めた。
 結果、兵数こそ十分なものの、それを指揮する人材に不足が生じてしまう。
 そんな事態に対処するためには、年齢、経験、身分、素性を問わず、有能なものを積極
的に登用する他なかった。
 帝国全土から自薦他薦が相次ぎ、とにかく数と陣容だけは整えたあたり、やはり帝国の
国力のすさまじいところだろうか。
 そしてめでたく、新部隊設立を祝う宴が催される運びとなった…。


「いやぁ、こんなに早く私の才能を世に知らしめる機会が来るとは」
「共和国もクレアも、我が帝国に楯突こうなど、存外頭が足りないとみえる」
「所詮は下賎の者達の集まりという事さ」

 会場のあちこちで聞こえてくる、自信と過信に満ちた言葉の数々。
 いやでも聞こえてくるそれらの声に、ベルンハルト・フォン・ルーデルは溜息をついた。
 新たに新設された部隊には多くの若い貴族の子弟が参加している。
 そのほとんどがまだ実戦経験のない(または数えるほどしかない)ひよっこ達であるが、
「由緒正しき貴族である」というそれだけで彼らは自分の成功を信じてやまない。

(………前線に出ない奴ほど、よく喋る……)

 こんな連中を味方にして戦わなければならないのか…と、ルーデルの心中は暗澹たる思
いに包まれていく。
 何と言っても、無能な敵は切り捨てれば良いが無能な味方はそうはいかないのだ。
 緊張の高まるクレア国境から報告に戻ってくるなり、「実戦部隊の代表として新設部隊
へ挨拶してきてくれ」とこのパーティへの出席を命じられたが、全力で断るべきだった。

(少しは楽しみにしていたのだが…)

 いずれ自分と肩を並べるであろう面々である。
 少しは興味があったのだが、いまや増設された部隊には欠片も期待していなかった。
 目の前を通り過ぎる、二人の少女を侍らせて歩く若い男の何の苦労も知らなさそうな
甘ったれた顔を見ていれば、そう思わざるを得ないルーデルだった。


「にいさま、ルーデル将軍がいらしてますね」
「ん? あのルーデル将軍か?」
「はい、先ほどすれ違いにお見かけしました」

 隣を歩く少女からの言葉に、思わず立ち止まる。
ちらっと振り返ると、確かに隻腕の男性が壁に寄りかかってワインを飲んでいた。
帝国で隻腕といえばまずベルンハルト・フォン・ルーデルと思って間違いないだろう。
 噂通りこういった場は苦手なのか、不機嫌そうな顔ではあるが。

「本当だ。挨拶して来た方が良いかな?」
「いえ、必要ないと思います」
「…それはまたどうして?」
「今のにいさまは、彼の嫌う『無能な貴族』と同じにしか見て頂けないかと。武勲を挙げ
た後、改めて挨拶される方がよろしいでしょう」
「ふーん。まあ、ヴィネがそう言うならそうしようか」

 全面的な信頼を感じさせる男の言葉に、ヴィネと呼ばれた少女はわずかに顔を綻ばせた。
 ヴィネ・ロンド。帝国の最南端に位置する○○領を治めるロンド家の長女である。
 16歳と若いが、きりっとした眼差しときびきびした動作のせいか、実際より幾分年上に
見える。
 束ねた髪を右側で結わえ、チョーカーで先端を首の後ろに留めるという特徴的な髪型も
出会った者に強い印象を与えるだろう。
 今日は、ロンド家の家紋でもある薔薇の飾りがワンポイントのシンプルなワンピースの
ドレスをさり気なく着こなしている。
 そして飾り気はないが、右の耳で輝くアメジストのイヤリングがヴィネの瑞々しい魅力
を引き立てていた。
 そしてもう一人。

「…ねえ様、にい様は無能などではありません」

 今まで黙って二人の後ろに控えていた少女が、控えめに反論を唱える。
 少し拗ねたような響きの言葉に、ヴィネがくすりと笑みを漏らす。

「そうですね。ミーシャの言うとおりです。でも、にいさまに実績がないのも事実。ルー
デル将軍には、実績を示すのが一番信頼を得る確率が高いはずですから」
「…そうですか」

 ヴィネに諭され、不承不承頷くその顔はヴィネに瓜二つだった。わずかに、髪を結わえ
る位置がヴィネとは左右対称の位置にあるのが差異と言えるだろうか。
 彼女の名はミーシャ・ロンド。名前と外見が示す通りロンド家の次女…なのだが、何故
かメイド服に身を包んでいる。態度も主人に仕える召使のそれである。
 首から下げた黒水晶のネックレスは高価な物なのだろうが、何故か装飾が施されずに水
晶に鎖がついただけとちぐはぐな様子だった。
 しかしその事はこの3人の間では全く問題にはなっておらず、兄妹の関係と主従の関係
をごく自然に受け入れていた。
 それが、たとえ外から見ればどんなに奇異な事だとしても。

「さて、後は誰が来てるんだっけ?」
「後は主催者のリーフ家のインカラ候がいらしてますね」
「…よりによってあの人か」

 ヴィネの答えに渋い表情を見せるユーディス。
 インカラといえば強欲で我侭な事で悪名高い有力貴族である。
 もし二人を連れて行けば邪な目で見られて、何を要求されるか分かったものではない。
 いや、そもそもそんな目に二人を晒す事さえユーディスはイヤだった。

「…いいや。今度は俺一人で行こう」
「にい様、私達は別に気にしませんが」

 兄の気遣いを感じ、そうミーシャが告げる。
 実際、ミーシャにとっては兄と姉が世界の全てで、その他の人間にどう思われようが見
られようが全く関係なかったりする。
 それでも、ユーディスは苦笑しながら首を振る。

「まあ、最低限の礼儀を果たしてくるだけだから。それにこれは俺の我侭だよ。聞いてく
れないか?」
「…にい様がそうおっしゃるなら」

 そう答え、ミーシャは深々と一礼する。
 基本的にミーシャは兄の言葉に従順だ。ユーディスが二人の妹を溺愛していて無茶な要
求などしないという事もあるが、ユーディスを信頼し切っている証拠である。
 そして、それは兄妹3人全員に共通する事でもあった。

「それじゃヴィネ。二人で食事でもして待っててくれ。すぐ戻るから」
「それくらい、にいさまをお待ちしてますよ」
「いや、ここまで飲まず食わずで歩き回ってたから疲れただろう?」
「そんな事はありません」

 ヴィネの言葉にこくりと同意するミーシャ。
 だが、この二人が自分より先に食事をしようとしない事は、ユーディスにも簡単に予想
できる事だった。

「じゃあ二人で、俺が好きそうな料理を探しておいてくれないか? 戻ってきたら3人で
食べような」
「…分かりました」
「はい、お任せ下さい」

 これは彼にしては気の利いた誘導の仕方だった。
 ヴィネは「しょうがないですね」といった笑みで、ミーシャは真剣な表情でそれぞれユー
ディスの言葉に頷く。

「それじゃまた後で。何かあったらすぐ俺を呼ぶんだぞ」
「はい。ご心配なく」
「にい様もお気をつけて」

 そんな二人の声を受けて、ユーディスは足早に人並みの中に消えていった。


 ネル・ハミルトンは困っていた。
 ルーデル将軍のお供でパーティに来たのは良いが、将軍のためにと食事を用意しに別行
動を取ったのがまずかった。
 今まで近寄りがたい空気を発散していたベルンハルトがいなくなった事で、ちょっとし
たアイドルである彼女に声を掛けようと近づいてくる男が出てきたのだ。
 それでも最初は上手くあしらっていた。
 このまま急いで将軍の下に戻ろう…そう思った矢先に、ソレは来た。

「にゃぷぷぷ!! おみゃあがネルか。さすがに別嬪にゃも〜」
「ひゃあ!?」
「何を驚いてるにゃも? この偉大なインカラ様に会えて嬉しいにゃもか?」
「あ、あはは…そ、そんなところです」

 実際はいきなり自分の横幅3倍はあろうかという大男に視界を遮られ驚いたのだが、
かろうじてそう答える。
 だが目の前の男はそれを真に受け、ますます調子に乗ってしまった。

「そうにゃもかそうにゃもか。可愛いヤツにゃも。朕は気に入ったにゃも!」
「そ、それは光栄です…」
「ではこの後朕の館に来るにゃも。自慢の育毛剤コレクションを見せてやるにゃも」
「そ、そぉいう訳にもいきませんでして…少々人を待たせておりますので」
「待たせて置けばいいにゃも! 朕の方が優先にゃも!」
「そ、それはちょっと…(ひ〜〜〜〜〜ん!!)」

 心の中で悲鳴をあげながら、何とかこの場を逃げ出す方法を模索するネル。
 だが、普段からおっとりしたところがある彼女にはスパッと断ってさっと立ち去るとい
う事が出来なかった。
 さらにこう正面から向かいあってしまうと、断りの言葉すら切り出しづらい。
 何かキッカケがあれば…そう思っていた彼女に、偶然救いの手が差し伸べられた。

「インカラ殿、少々よろしいですか?」
「む、誰にゃも! 邪魔するなにゃも!」

 やや遠慮気味にかけられた声に、インカラとネルの視線が集まる。
 そこには、いかにも人のよさそうな、育ちの良さを感じさせる青年が立っていた。
 落ち着いた態度に優しげな表情…だが、戦場を生き抜いてきたネルには、ただそれだけ
の頼りない青年に映った。

「えーと、ロンド家のユーディスといいます。この度、父の不幸につきロンド家当主とな
りましたのでご挨拶に…」

 ネルは、その青年本人には見覚えがなかったが、ロンド家については記憶にひっかかる
ものがあった。
 今まで帝都では話題に出る事もない田舎の地方領主だったが、少々前に領地内で大規模
な鉱脈が見つかったというニュースが流れた事があったのだ。
 これから戦争を迎えるであろう帝国にとっては、貴重な資源になるという事で注目され
ていた気がするが…。

(こういう話題はアレクシスさんが詳しいんですよね…)

 今頃帝都で部隊の事務処理を一手に引き受けてくれているだろう後輩を思い浮かべる。
 と、自分の状況を忘れて物思いにふけりそうだったネルの意識を、インカラの怒声が引
き戻した。

「うるさいにゃも! そんな用事なら後にするにゃも!」
「あっと、それは失礼しました。それではご挨拶も済んだのでこれで…」

 どうやらユーディスもあまり長居はしたくなかったらしく、あっさりと引き下がる。
 しかし、戦場で培ったネルの直感はこれが最大最後のチャンスだと告げていた!

「あ、それでは私もそろそろ失礼して…」

 ネルは逃げ出した! 

「待つにゃも! まだ話は終わってないにゃも!」

 しかし逃げられない! インカラに回り込まれてしまった!

「あぅ〜〜〜」

 早くも万策尽きたかと思えたその時、突然ネルの肌に寒気が走った。

(…殺気!?)

 一瞬で戦士の顔つきになり、気配の先を伺うと…先ほどまでの印象がウソのような機敏
さで駆け去っていくユーディスの後ろ姿を視界の端に捉えた。

「申し訳ありません、何か起きたようですので失礼します!」
「にゃぷ!? ま、待つにゃも〜〜〜!」

 もはやインカラの静止など聞きもせず、先ほどまでの狼狽振りがウソのように毅然とし
た態度で場を辞するネル。
 ただし、走る速度は亀のようだった。


 兄と別れたヴィネとミーシャは、律儀に料理の吟味を行っていた。
 今回のパーティは、兄・ユーディスが新たにロンド家の当主となって以降初めてのもの
である。
 そのため、各方面の有力貴族への挨拶回りがパーティ開始前から延々と続き、本来こう
いった場が苦手な兄は相当疲れているはずだった。
 両親の突然の死により思わぬ早さで当主となってしまった兄。
 それでもロンド家の役目、領民の生活を守るために少しでも当主の責務を果たそうと頑
張るユーディスの為に、二人は陰に日向に兄をサポートしようと決めていた。
 だから、今も少しでも兄の労をねぎらおうと真剣に料理の吟味を行うのだった。

「これは少し味が薄いかも知れませんね…」
「はい。こちらの方が辛味が効いていて、にい様のお好みかと」
「そうね。それと先ほどの海老のソテーが…」
「おい、そこの二人!」

 そんな二人の背後からぶしつけな声がかけられた。
 ヴィネがチラッと背後に目をやると、にやにやと品の無い笑みを浮かべた猿のような男
が立っていた。

「そういえばにいさまのお好きなシュークリームがありましたね」
「はい。食後のデザートに必ず用意しましょう」
「って無視すんなぁ!」

 顔を真っ赤にして地団太を踏む猿に、うるさそうにヴィネが振り向く。

「…なんですか。今は忙しいのですけど」
「へ、へっ! 俺を無視するとは良い度胸だ…田舎育ちは礼儀がなってねぇなぁ?」
「礼儀には礼儀を、非礼には非礼を返してやれというのが家の教えでして」
「こ、こ、こ…」
「ニワトリ?」
「違う! この田舎モンがぁ!」
「ボキャブラリが不足してますね…もう罵倒の言葉が尽きましたか?」
「ぶふーーーー!!!」

 顔を真っ赤にして蒸気を上げる猿を、眉一つ動かさずにヴィネが切り捨てる。

「猿じゃねぇ! この俺様こそリーフ家の長男、ヌワンギ様だ!」
「…リーフ家の?」

 ここで初めてヴィネが眉を潜めた。
 それを見た猿…ヌワンギはようやく余裕を取り戻したようだ。

「へっ、そうよ。帝国随一の大貴族、リーフ家の次期当主様だ。それくらい覚えておくん
だなっ」

 得意げに胸をそらすヌワンギに、ヴィネは黙して思った。

(…なんてステレオタイプな…)

 それをようやく自分に畏怖を覚えたせいだと勘違いしたヌワンギはますます図に乗って
いく。

「随分なめた口利いてくれたが、さっきまで金策に必死だったんだろうが。ああ? ウチ
に楯突いたら色々困るんじゃねぇのか?」
「………」

 実際は、単に『当主ユーディス』を印象付けるための、本当の意味での挨拶周りだけだっ
たのだが、イチイチそれを説明する気にもならず沈黙を通すヴィネ。

「お前等のとこの兄貴も部隊じゃどうせ俺の下で働く事になるんだ。少しは愛想良くして
おいた方が良いと思うぜぇ?」

 実際はまだ人事は何も決定していない状態なのだが、リーフ家の後押しがあれば確かに
ヌワンギが司令官となる可能性は高いだろう。
 正規軍ならともかく、ほとんど実績のない者ばかりが集まっている急造部隊では政治力
が大きくモノを言うのも現実なのだ。

「会場で見た時一目で気に入ったぜ。最近綺麗なだけの女にゃ飽きてたんだが、双子の美
少女なんざそう会えねぇからな」
「…私達は双子ではありませんよ」
「は? あんだけそっくりでそんなわきゃねえだろ? ほれ、お前と…ありゃ?」

 と、ヴィネと見比べようとしたミーシャの姿がない事に今頃気付く。
 きょろきょろと辺りを見渡すと、すぐ隣のテーブルで黙々と試食をしているメイドの姿
が見えた。

「キ、キ、キ…」
「やっぱり猿…」
「ちがぁう! おい、貴様! さっきから俺の話を聞いてなかったのか!?」

 普通気付きそうなものだが、自分の世界に没頭しがちなヌワンギには無理だったようだ。
 今更爆発した怒りを離れた後姿にぶつけると、さすがにミーシャも気付いたのか料理の
皿を手に戻ってきた。

「申し訳ありません。遅くなりました…」
「ふ、ふふん。まあ…」
「おかげでにい様に喜んで頂けそうな品を見つけられました。ねえ様」
「そう、それはご苦労様。ミーシャ」
「ぶぶふーーーーーー!!!!」

 激しくのけぞるヌワンギ。
 どうやらミーシャは、話どころか存在すら無視していたようだ。

「貴様! メイドの分際でよくも俺様を…!」
「この子は貴方に対してはメイドではありませんわ。れっきとしたロンド家の次女です。
貴方こそ礼儀をわきまえなさい」

 冷然とヴィネが言い放つが、ヌワンギに点いた火は衰えない。

「はっ、次女!? 田舎じゃメイドも雇えないで妹にやらせてるのかよっ!」
「私はにい様だけのメイドですので…」
「貴方には関係のない事です。そろそろお引取り願えませんか?」
「…っのやろぉ!」

 ここまで自分の存在を軽視された経験がないヌワンギは完全に激昂した。
 もはや紳士的態度(最初からそんなものはなかったが)なぞ放り出し、ヴィネ相手に手を
振りげた。
 これにはさすがに周囲から悲鳴とどよめきが沸き起こる。
 その中でも表情一つ変えずにヌワンギを見据えるヴィネとミーシャ。
 それにますます苛立ったヌワンギが振り下ろした拳がまずヴィネの頬を捉え…

「ぼふぅ!?」

 …る寸前、横殴りに飛んできた七面鳥の丸焼きがヌワンギの顔面にヒットした!
 そのまま料理が山盛りのテーブルまで吹っ飛ぶヌワンギ。恐ろしいまでの勢いである。
 そして先ほどまでヌワンギの立っていた位置に風のごとく走り込んできたのが…。

「だ、大丈夫か!? ヴィネ、ミーシャ! 怪我はないか? 何もされなかったか?」

 もはや『落ち着いた若き当主』のポーズをかなぐり捨てた、地のユーディス・ロンド
だった。

(2002.09.06)


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