パーティ(3)

ユーディス・ロンド

「それでは私達もそろそろ失礼致しましょう。にいさま」
「ああ、そうだな。ミーシャ、手当てありがとう」
「いえ、後できちんと処方致します」
「それじゃ、ソフィア殿。本当にお世話になりま…」

 ソフィアに向き直り、改めてお礼を述べようとしたその時、ユーディスの体がぐらっと
大きく揺れた。

「・・・あれ?」
「にいさま!?」

 そのまま崩れ落ちるように横に控えていたヴィネにもたれかかってしまう。
 ヴィネとミーシャが慌てて支えるが、ぐったりと力の抜けた兄の体はずっしりと重かっ
た。

「あ、ゴ、ゴメン。急に何か眠気が…力が…」

 何とか立ち上がろうとするが、どうにも出来ずそのまま脱力して崩れ落ちるユーディス。

「一体どうしたんでしょう…とにかくどこかで休ませてあげなければ」
「………」

 いつもは冷静なヴィネも訳が分からず焦りが感じられる。
 滅多な事では表情を変えないミーシャも、ハッキリと顔が青ざめていた。
 その様子を見ていたリリエが、何かを思いついたかのように手を打ち合わせた。

「そうですわ。ロンド家の皆様に、マドリガーレ家にお越し頂いてはいかがでしょう?」

 その唐突な申し出に、誰もがリリエを注視する。
 だが、当人は自分の思いつきが気に入ったらしく、どんどんと話を進めていく。

「ええ、ぜひそうしましょう! このままユーディス様を放っておく訳にはいきませんし、
メンツを潰されたリーフ家が何か仕掛けてくるやもしれませんし。私達のお屋敷ならここ
からも近いですから」
「…よろしいのですか?」
「はい。もちろんソフィア様が良いとおっしゃれば、ですが」

 相手の真意が分からない以上、ヴィネはマドリガーレ家に借りを作りたくはなかった。
 だが言われたとおり、今はまずユーディスの安全と介抱が先だ。

(利用出来るのでしたら利用すれば良い…)

 そして、判断を預けられた形のソフィアは何事かじっと仮面の下で考えていたが…。

「…ロンド家の皆様に異論がないのであれば、リリエの好きになさい」
「…はっ」

 顔の動きだけで背後に控えるナハトに指示を出し、馬車の用意をさせる。

「やれやれ、最後まで人騒がせな坊やだよ」

 そうぼやきながら、バーネットがひょいと意識のないユーディスを担ぎ上げる。
 だが、それはミーシャの目にはいささか乱暴な行為に映ったようだ。

「…失礼ですが、もう少し丁寧にお願い致します」
「あー、はいはい。悪いけど私はメイドじゃないんでねぇ」

 無表情なまま非難の目を向けるミーシャを軽くいなすと、バーネットは肩に担ぎ上げた
まま馬車まで駆けて行った。
 ミーシャは残った姉達に一礼すると、すぐさま早足で兄の元に追いすがる。

「ありがとうございます、ソフィア様。何から何までお世話になりっぱなしで申し訳ござ
いません」
「いえ、お気になさらず。これも何かの縁ですわ」

 お互いに心の内を隠して社交辞令を交し合うヴィネとソフィア。
 そんなソフィアを、リリエが妙に満足そうに見つめていた。


 とても懐かしい夢を見た。
 自分自身よりも大切な存在が一つ、いや、一人増えた時の夢を。
 今では当たり前過ぎるほど当たり前だけど、やはり何事にも『始め』があって…。
 そこでユーディス・ロンドは目を覚ました。

「ん…ここは…?」

 少し呆けた頭で周囲を見渡す。辺りは闇に包まれていてほとんど様子が分からなかった。
 少なくともパーティ会場ではないようだ。

「暗いな…まだ夜か」

 だが意識が覚醒してくると、天窓から入る月明かりのお陰で、ぼんやりとではあるが部
屋の様子が分かってきた。調度品はどれも高級かつセンスの良いものばかりで、この部屋
の持ち主が相当な大貴族だと連想させる。
 だが。

「寒いな、この部屋は…ウチとは大違いだ」

 寒い、とは物理的な気温の事ではなく、生活の気配とでもいえば良いのだろうか?
 本来人が住む事によって定着する『温かみ』のような物がこの部屋からは一切感じられ
なかった。
 ロンド家では、いつもヴィネやミーシャが心を込めて手入れをし、いくつもの思い出を
重ねる事で育まれた確かな『温もり』が感じられるのだが。

「人が住んでいない部屋なのかも…ん?」

 と、ここでようやく自分の状況に気付く。

「そう言えば、何で俺はここで寝てるんだろう?」
「クスクス…」
「!?」

 突然聞こえてきた上品な笑い声に、ハッと身を硬くするユーディス。
 それも無理はない。ついさっきまで確かに気配を感じなかったのだ…!

「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんです。ここは月の塔。マドリガーレ家にあ
る双子の塔の一つです…」

 そう声の主は謝罪すると、ゆっくりと窓際の椅子(そこにいた事にすら今気付いた)か
ら立ち上がり、ユーディスに近づいてくる。
 途中、天窓から差し込む月明かりに照らされた影は白銀に煌いていた。

「初めまして、ユーディス殿。お加減はいかがですか?」
「お陰様でゆっくり休めましたよ…ところで、貴女は?」

 自分が寝ているベッドの傍まで歩み寄ってきた女性―――そう、女性だ―――に、とり
あえず礼を言うユーディス。
 この辺りは『大物だから動じない』というより、単に状況が分からないので混乱したま
ま素の反応を返してるに過ぎない。
 そこがユーディス『らしさ』とも言えるのだろうが…。
 しかし、ユーディスの誰何の声に、その女性はただ淡い微笑みのみで応える。
 そして全く関係のない質問を返してきた。

「ユーディス殿は本当に妹想いなのですね。何度も寝言で名前を呼んでいましたよ」
「…夢を見ていたから。とても懐かしくて、大切な想い出を」

 そう語るユーディスの顔は、本当に穏やかで幸せそうに彼女には見えた。
 それは、ユーディスが彼女の思い描いていた通りの人物であると確信を抱かせるに十分
でもあったようだ。

「…実は、ユーディス殿にぜひともお願いがあるのです。聞いて頂けないでしょうか?」

 このような状況で、お願いも何もあったものではないだろう。
 自分の事は何も語らず、一方的にお願いをするなど普通ではない。
 普通ではないが…ユーディスは何故か、目の前の女性の頼みを、無下に断る気にはなれ
なかった。
 それどころか、可能な限り願いを叶えてあげたいという気にすらなっていたのだ。

「ん、まあ俺に出来る事でしたら」

 それにしても権謀術数の政治の世界で生き抜くというのならあまりに無防備な答えだ。
 本人は文字通りの意味で『自分に出来る事なら』という意味で使ったのだろうが、ひと
たび請け負ったと解釈され、無理難題を吹っかけられておかしくなかった。
 この簡単に相手に言質を取られかねないやり取りだけでも彼の政治的センスのほどが伺
えた。
 だが、彼女はそんな事を気にする様子もなく、ややホッとした表情を見せた。

「ユーディス殿にしか出来ない事です。その…」

 そして一瞬だけ躊躇したかのような間の後、ハッキリと願いを告げた。

「お友達になって頂けませんか?」
「…はい? 友達、ですか?」

 意外な言葉に思わず確認すると、笑顔のままコクッっと頷かれる。
 どうやら自分の聞き間違いではないらしい。
 ユーディスは相手から目を離し、じっと腕組みをして考え込む。

(えーと…パーティ会場でヴィネとミーシャを守って、急に眠くなって倒れて、気がつい
たら見知らぬ部屋にいて、見知らぬ女性に話しかけられて、友達になって欲しい…?)

 必死で頭をフル回転させて状況を把握しようと頑張るが、如何せん寝起きで回転率が60%
ほどしか上がらないのでは無理そうだった。

(いつもなら迷った時はヴィネがスパッと道を示してくれるのになぁ)

 心の中で溜息をつきながら、これ以上考えても無駄だと結論を出す。
 素直に相手に事情の説明を求めようと顔を挙げた瞬間。

「…あ」

 激しい既視感(デジャヴュ)に襲われた。

 彼女の顔。月明かりに照らされた信じられないほどの白さ。いや違う。
 彼女の髪。白銀を織り込めた絹糸のような輝き。それも違う。
 彼女の唇。薄闇の中でもなお艶やかに色づく薄紅色。しかし違う。
 彼女の瞳。笑みを浮かべ、こちらを煙に巻き、全てを承知しているかのような雰囲気に
も関わらず、何かを訴えかけてくる瞳…。
 それは9年前、ユーディスが出会っていた瞳だった。

(ああ、そっか。あの時と同じなんだ)

 新しく出来た家族。
 当時は知らない人々ばかりのロンド家の中で不器用に生きようとしていた少女。
 引っ込み思案で人との関わりを避けるくせに、誰かが支えてあげなければいつか折れて
しまいそうな雰囲気。
 当時の自分はそれが気になって、必要以上に兄として振舞おうと頑張って…。
 そして突き付けられた『兄』の意味。
 今思うとあの時の自分の行動がベストだったのかは分からない。
 しかし結果的にそれが正しい選択だった事は疑いようのない事実だった。
 なら今も、あの瞳と同じだと感じた自分の直感を信じよう。

(どうせ考えても大した事ないんだし…まあ何とかなるさ)

 いつも通りにそう割り切ると、一転して清々しい気持ちが胸に満ちてくる。
 そしてユーディスは、あの時と同じく右手を差し出しながら誓いを告げた。

「いきなり友達って言うのも変な話だけど、俺もキミが一人で泣いてる姿は見たくないな。
余計なお節介かも知れないけど、こちらこそよろしくっ」

 月の少女は、そう言って差し出されたユーディスの手を少しだけぼうっと見つめた後。

「あ…はいっ。ありがとう…とても、とても嬉しいです!」

 しっかりとその手を握り返して心からの笑顔で答える。
 その笑顔は、やはり9年前に見たあの笑顔とどこか似ていてユーディスを喜ばせた。


「は〜、そんな事があったんですかぁ」

 翌日の帝国第三騎士団「エーベルリッター」詰め所。
 昨夜の出来事をネルから聞いて、感心したような戸惑ったような、微妙な反応を見せる
アレクシス・フォン・カイテルの姿があった。

「ふふ。あまりパーティは気が進まないですけど、昨夜は少し楽しかったですよ♪」

 にこにこといつもの優しい笑顔でアレクシスに語るネル。
 実に平和な、仲の良い二人の一コマ。

「そうですかー。私が徹夜で書類を片付けてる間にそんな楽しい事がー」
「………」
「それはよかったですねー。せ・ん・ぱ・い♪」
「………え、ええ。そ、そうですねぇ………」

 なぜか、冷たい汗が滑り落ちるのを止められないネルだった。


 一夜明けて、マドリガーレ家を辞するロンド家の3人を見送ったリリエは、中庭に通じる
廊下でナハトを見かけた。
 普段、彼から姿を見せようとしない限り見る事の出来ないナハトの姿。
 それはつまり、彼の方から話したい事があるという事。
 リリエにはそれが何なのか、既に予測がついていた。

「…これは、あの方の為ですよ」
「オレにはそうは思えん…」
「でも、いつまでも<今のまま>だなんて…あのコが不憫過ぎます。きっと彼なら、あの
コの良い友達になってくれるでしょう」
「なぜそう思える?」

 未だに納得しかねる様子のナハトに、とびきりのイタズラな笑みでリリエは答えた。

「女のカン、ですよ♪」


 まだ昼間だというのに営業している小さなバー。
 そこで、帝国を代表する二人の名将が旧交を温めていた。

「…お前が護衛を引き受けていたとは…昨日は笑いを堪えるのが大変だったぞ」
「うっさい。アンタこそ似合いもしないパーティに出席してたくせに」

 ベルンハルト・フォン・ルーデルとバーネット=L・クルサード。
 親友かと聞かれれば顔をしかめて否定する二人が、昨夜の騒ぎを肴に杯を交わしていた。

「しかし、面白いヤツだったね。ただの暴走だったのか…」
「とんでもない潜在能力の持ち主だったのか、か。まあ、いずれ戦場に出れば分かる事だ」
「願わくば、心強き味方とならん事を…ってね」

 笑い半分期待半分で、二人は未来の名将へ杯を捧げるのだった。


 どことも知れない帝国の闇の中。

「感じた…まだ“種”が生きてたなんて…」
「もうすぐ戦乱が始まる。そうすれば“種”の成長など一瞬の事」
「この実験が上手くいけば、いよいよ帝国を私達のモノに…!」

 そして再び静寂が訪れる。
 今はまだ、闇の中。



 あれから幾日かが過ぎ。

「さて、それじゃ行くか」

 いよいよユーディス達が部隊へ合流する時が来た。
 あのパーティ後に部隊の人事が決定したが、いかなる力が働いたものか、指揮官の最有
力候補だったヌワンギ・リーフではなく、ユーディス・ロンドが新設の部隊指揮官に任じ
られる事となっていた。
 首を傾げるユーディスだったが、「これで戦功を立てやすくなりましたね」というヴィ
ネの言葉に「そうか、ならいっか」と案外簡単に事態を受け入れていた。

「にい様…これを」
「ん? なんだいミーシャ…あ、蒼い薔薇?」
「はい、昨夜庭で見つけました」
「珍しいですね…確かにロンド家の庭には蒼い薔薇が咲くと伝えられてきましたが」
「蒼い薔薇は奇跡の花とも呼ばれているそうです。きっと、にい様をお守りするでしょう」

 そう言って薔薇を差し出すミーシャの腕には引っかき傷のような跡が残っていた。
 きっと、薔薇を探す時に切ったに違いない…。
 そうまでして自分の身を案じてくれたミーシャの心が、ユーディスには何より嬉しかった。

「よし! せっかくだ。俺一人と言わずこの薔薇には俺達の部隊全員を守ってもらおう!」
「それは良い考えです。まだ新設部隊で軍旗もなかったところですし」
「にい様のお考えの通りに…」
「とはいえ、この薔薇はせっかくミーシャが俺の為に取ってきてくれたものだから、俺が
独り占めしちゃうけど。その幸運を生かして、俺が二人を守ってやるからなっ」

 そうユーディスがいたずらっぽく二人に笑いかけると、二人はそれぞれの信頼をこめた
笑みを返す。その笑顔がある限り、ユーディスは常に希望を失う事はないだろう。

「最初から幸運も味方してるんだ。まあ何とかなるさ!」



 時はクルス暦1252年。未だ戦争の始まっていない、偽りの平和な時間。
 この翌年、ついに帝国の大陸統一への野望が動き出し、幾多の運命が翻弄される事になる。
 だが、それはまたの機会に語るとしよう…。

(2002.09.06)


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