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『更正施設としての群青学園の問題点』
〜アシノン様による『CROSS†CHANNEL』レビュー


注意

 サブタイトルにあるように、本文章はアシノン様から御投稿を頂いた『CROSS†CHANNEL』(Windows98以降)レビューです。
 ですので、背景が黄緑色となっている部分(レビュー本体)の著作権はアシノン様にあります。ただし、当図書館長のほうで、一部補記や文言の修正など、文の大意は損ねない範囲で細かい修正を加えております。予め、御了承下さい。


アシノン様による『CROSS†CHANNEL』レビュー
項目評価
操作性2
音楽7
画像9
システム3
設定0
人物8
脚本9
主観評価15
合計53


(0) 注意

 本文章は『CROSS†CHANNEL』(Windows98以降)のレビューである。
 ただし、インターネットで無数に公開されている『CROSS†CHANNEL』のレビュー中では、本文書は酷評として分類される物であり、その厳しさは現在のインターネット上では10本の指に入る(と言うか5本の指に入ると思われる)。そのため、この作品に心から酔いしれておられる方や、作品を無条件で賛美する方は、以下の文章に一切目を通さないことを非常に強く推奨する。
 あと、『CROSS†CHANNEL』のネタバレ情報が当然のように満載されている(クリアしている事は大前提)。未プレーの方は注意。

 それと、考察の必要上たまに差別用語が止むを得ず飛び出すので、理由はどうあれそういうものがとにかく許せない方も以下の文章に一切目を通さないことを非常に強く推奨する。


(1) 序論

 えーと、この作品非常に評価高いですね〜。
 レビューサイトの総元締めとも言えるエロゲー批評空間でも絶賛の嵐。名だたるレビュアーが惜しみない賛辞を送ってます。
 いきなりネタバレでこの作品を纏めさせていただくと、

「どうしようもない狂気の中でも人間らしくあろうとする主人公の葛藤の物語」

って事になると思います。
 これを巧みな文体と『YU-NO』や『痕』にも通じる構成、冴え渡ったギャグでゲーム化したのですから評価が高いのもうなづけると言うものですね。エロゲーに(ある意味)最も大事なCGも多少の好みの差はあれ、万人受けする綺麗な絵柄ですし。声優さんを含めた音楽も中々のものでした。

 ……って、こんな事本気で言ってると思います?
 いや、確かに前述の通りではあるんですよ。実際問題、私自身美希や冬子に萌え狂ったし、ラバ(=桜庭浩)はお気に入り。男性声優陣の無駄なまでの豪華さ(※)には度肝を抜かれました。作中のフレーズ「(米国笑)」は一部の友人とのやり取りに使ったほどで、個人的にはギャグもツボに入りました。
 とまあ、このように見るべき点も多々あるので、どーしようも無く破綻しまくった設定を無視した上なら絶賛も出来ます。
 しかし、アニメ版『ぴちぴちピ○チ』(※)よりも破綻しまくった設定を受容した上で『良いゲームである』と評価できるか?」と言われれば、私は間違いなく「No」と答えますね。正直、『北斗の拳』や『野望の王国』に『シスプリ』キャラが萌え絵のまま出てくる位設定が破綻してると思います。
 それでは、どういう風に破綻してるのか、「主人公が通う群青学園」を主軸に検証して行ってみましょう。

図書館長注:男性声優陣の無駄なまでの豪華さ

 裏を取っていないのだが、桜庭浩役の「十文字隼人」氏が子安武人氏と、島友貴役の「牛久京也」氏が山口勝平氏とそれぞれ同一人物であるとの情報が流れている。複数の筋で流れているので、確度はそれなりに高いようだが……。

図書館長注:アニメ版『ぴちぴちピッチ』(※伏字のままでは説明が面倒なので、図書館長の権限で伏字を解除しました)

 テレビ愛知製作のアニメ。2003年4月よりテレビ東京系で土曜朝8時から放送されている。
 オフィシャルサイトの記事によると、主人公は七海るちあという女性。設定では、彼女は7つあるマーメイドの国の1つ、北太平洋のプリンセスとのこと。小さい頃、海で遭難した男の子にあげた真珠を返してもらう為、人間に化けて(?)人間界にやって来ている。基本的なストーリーは、るちあや彼女と同様にマーメイドである女性2人(名前はそれぞれ「宝生波音」「洞院リナ」)が繰り広げるラブコメのようだ。
 ただし、彼女達3人(というよりもマーメイド全体?)には、「マイク片手に歌って踊る事によって、海の水妖を倒す事ができる」という設定があるようで、作品中でも3人がマイク片手に水妖を追い払うシーンが幾度と無く登場する。
 インターネットで軽く検索したところでは、賛否両論あれど結構話題になっているようだ。このうち、批判的な意見を代表するサイトの1つとして「めたもるゆきにゃー」の御紹介を受けたので、こちらに記しておく。
 公式サイトはこちら。既に2004年4月以降の放送も決まっている。

 本論に入る前に、主人公である黒須太一の最大公約数的に外形的な特徴を、一通り並べておきます。今後のレビューでは、ここを確認しながら読み進めると良いでしょう。

a. 非常な美形だが当人は自分が醜いと信じて疑わない
b. セクハラ魔人
c. 特異体質なので、人間離れして夜目が効く
d. 血を見ると理性が保てないので(破壊衝動?が開放されるので)血を見るのは嫌い。


(2) ゲームとしての客観的データと設定概略

図書館長注:『CROSS†CHANNEL』ってどういうゲームなの?

 アシノン様のレビュー中に詳細な記述が無かったので、私のほうで注釈を加えることにした。

 今回のレビュー対象となっている『CROSS†CHANNEL』というゲームは、2003年9月にFlyingShineが発表した18禁ADV。オンラインでは体験版が先行して公開されており、それをプレーしたところでは「ちょっと不可思議な設定が漂う感動系・純愛系の学園物18禁ゲーム」という印象を受ける人が多かった。
 オフィシャルサイトには、ゲームのストーリーとしてこんな文章が紹介されていた。


夏。

学院の長い夏休み。
崩壊しかかった放送部の面々は、
個々のレベルにおいても崩れかかっていた。
初夏の合宿から戻ってきて以来、
部員たちの結束はバラバラで。
今や、まともに部活に参加しているのはただ一人という有様。

主人公は、放送部の一員。
夏休みで閑散とした学校、
ぽつぽつと姿を見せる仲間たちと、主人公は触れあっていく。

屋上に行けば、部長の宮澄見里が、
大きな放送アンテナを組み立てている。
一人で。
それは夏休みの放送部としての『部活』であったし、
完成させてラジオ放送することが課題にもなっていた。
以前は皆で携わっていた。一同が結束していた去年の夏。
今や、参加しているのは一名。

そんな二人を冷たく見つめるかつての仲間たち。
ともなって巻き起こる様々な対立。
そして和解。
バラバラだった部員たちの心は、少しずつ寄り添っていく。

そして夏休み最後の日、送信装置は完成する―――
装置はメッセージを乗せて、世界へと―――


 しかし、このストーリー紹介は、重要な情報をほぼ全て端折っており、このテキストだけでゲームの全貌と特性を掴むことは不可能である(ゲーム紹介のトップページにある「この空が、消えてなくなるその日まで──」という文言のほうがはるかにゲームの本質に近い)。
 ネタバレ記事や第3者によるレビューを総合して判断すると、この作品は「1週間の周期で永久にループを繰り返す世界」を舞台とした話であり、この一種の極限状態に置かれた人々の姿を通して、人間関係のあり方を問いかける作品……ということになるようだ。作品のテーマ故にメッセージ性がかなり強く、レビュアーの間では、シナリオライターの力量を評価・賞賛する意見が大勢を占める一方、作者が発したメッセージや作品全体に漂うメッセージ性の強さに対して賛否両論が寄せられている。

 登場人物についてはこちらのページで紹介されている。ただし、こに記述されている内容も、登場人物達の表層を捉えているに過ぎず、登場人物達の真の姿を伝えているとは言い難いので注意すること。

 なお、この作品には「オートセーブ機能をオンにしている場合、永遠にゲームがクリアできなくなってしまう」という重大なエラーがあるので、プレー時には修正差分ファイルのダウンロードをお忘れなく。また、体験版をプレーしただけの感想だが、マウスホイールを使わないとバックログを参照できない(製品版で解決されているかどうかは未確認)など、「体験版に限れば」ユーザインターフェースや操作性に問題ありという印象を受けた。


(3) 設定の矛盾点1 〜 更正施設としての群青学園の問題

 主人公達の通う群青学園は「障害者の通う学校」である事は誰にも異論が無いと思います。
 では、その群青学園の位置付けや目的とは何でしょうか? 更正施設? それとも隔離施設?

 さっさと結論を言っちゃうと、「そのどちらも果たせない税金の無駄遣い施設」なんです。作者はどちらかとい言うと更正施設と言う扱いにしたいようですが、成功しているようには見えませんね。

 まずは、「更正施設として何故駄目なのか?」と言う点について説明してみます。
 一言で言うと、「障害に対して適切な治療が出来ない」からです。何故なら、肉体的障害者と精神障害者を一緒の施設に置いているから。

 凄く当たり前の話ですが、肉体的な障害と精神的な障害は治療方法が全く違います。一般的に前者は整形外科やリハビリテーション科、後者は精神科や心療内科の管轄と言うのは誰でも知っていると思います。これを同じ施設に置くと言うのは、「骨折したのに『同じ医者だから』と産婦人科に連れて行く」位無駄なことです。
 無駄なだけなら「まだ」良いんですよ(本当は良くないけど)。それどころか、この群青学園のやり方では

  a. 肉体的障害だけしか患ってない者でも精神障害を患う危険性が高い。
  b. 精神障害が却って進行するだけ。
  c. 肉体的障害者にとって非常に危険。


と言う、デメリットしかないんですよ。

 まずは a. と b. について。
 面倒なので一々医療文献を引用はしませんが、知り合いの医療従事者に「突発的に自殺する程の精神障害者が珍しくないような学校に精神的には健常な奴が通ったらどうなる?」とか「単なるコミュニケーション不全(フラワーズの二人)が突発的に自殺する程の精神障害者が珍しくないような学校に通ったらどうなる?」とかと聞いてみましょう。絶対に「そんな施設は現実に有り得ない。そんな事をすれば精神的障害のない者や軽度の者が確実に発狂するから」と言う趣旨のコメントが返ってきますから。
 具体的にどう言う事かと言えば、「貴方が、以下のような人々と一緒に、鉄格子付の学校で高校生活を送ると言う状況で、正気を保つ自信はありますか?」って事です。

  ●しゃべらない奴
  ●突然飛び降り自殺をかます奴
  ●顔は綺麗でお嬢様でも気に入らないことがあれば割腹自殺未遂(冬子)
  ●極端な男嫌い(霧)
  ●人を利用することしか考えてない(美希)
  ●気に入らないことがあればすぐ自殺未遂する「女子高生」(みみみ先輩)
  ●血を見ると暴れるセクハラ大王(太一)

 私には自信がないですけど、貴方はどうですか?
 人間の倫理がいかに脆く、行動・思考が他者の影響を受けやすいかと言うのはかの有名なアイヒマンテスト(※)で実証済みだと思うのですがね。

図書館長注:アイヒマンテスト

 1963年、アメリカのエール大学でスタンレー・ミルグラム教授が行った実験。被験者に、隣室にいる男性に質問をして間違った答えが返ってくると罰として電気ショックのスイッチを押してもらうという内容。問題は複数問用意されており、被験者には間違う度に電圧を上げていくようにとも指示されていた。なお、実際には、隣室に控える男性に対しては一切の電気ショックを加えておらず、隣室の男性は電気ショックを受けた時の演技をしているだけなのだが、この事実は被験者に対して伏せられている
 実験が進むにつれ電気ショックの電圧も上がり、隣の部屋にいる男性の反応が呻き声から絶叫・苦悶の声(の演技)に変化する。これを聞いた多くの被験者は自分の行為に躊躇するのだが、その際に大学の研究者が「大丈夫、続けて下さい」と発言し、実験を続行するよう促す。結果、被験者の65%が、用意されていた装置では最大の電圧とされた450ボルトの罰を与えたのである。
 このテストが本当に恐ろしいのは、「電気ショックを与えた」被験者がごく普通のアメリカ市民だったこと。スタンレー・ミルグラム教授は新聞に「記憶に及ぼす罰の効果」に関する実験を行うとの広告を出し、電気ショックを与える役にごく普通のアメリカ市民(男女各40名)を選んでいたのである。このテストによって、平凡な一般市民であっても、権威ある者からの指示・命令によって、容易に残虐性を発揮し得ることが証明された。
 テストの名前に使われている「アイヒマン」というのは、第2次世界大戦当時のゲシュタポの高官だったアドルフ・アイヒマン(1906〜1962)のこと。イスラエルで裁判に掛けられた際、彼は第2次世界大戦中に行ったとされるユダヤ人に対する拷問と毒殺に関して「私はただ上官の命令に従っただけだ」と主張していた。

 なお、周囲の状況による人間の行動・精神・倫理の変化に関するテストとしては、フィリップ・ジンバルドによる監獄実験公式サイト)も挙げられる。

 一応学園なので、学園生活を通じた箱庭療法(※)ロールプレイング療法(※)の可能性を探ってみました。

アシノン注:箱庭療法

 ユング派のセラピスト、カルフによって始められ、日本で河合隼雄らによって広められた精神療法。
 砂箱の中に石、人形、おもちゃなどのアイテムを自由に配置させることで、その人の心理状態を分析し、またその砂場遊びのような行為そのもので、その人の心を癒す。箱庭療法は、言葉で表すことが難しいイメージの世界を表現し、それを自分で客観的に見つめることに効果的である。継続して箱庭を作っていくことで、より深く本質的な効果が期待できる。〔by Yusion〕(引用:はてなダイアリーより)

アシノン注:ロールプレイング療法

 別名「役割演技法」。「特定の役割(role)を自発的・想像的に意識的に行うこと(playing)」で、自己と他者との関係や他人の感情を学び、被治療者の更正を促す治療法。社会的適応の教育、習慣や態度の改善、心理療法等に用いられる。

 精神科・心療内科の治療者の立場からすると、似たような症状の患者が居た場合には、解釈の幅が広がると言う意味である程度の人数・患者が居たほうが有難いんです(ロールシャッハとかと一緒で、ある程度数が居ないと判断の材料に困るから)。医師にもよるが、他人の箱庭を見せる事で「他者を客観視する」と言う刺激を与え、「更正」を促す場合もあります。
 群青学園を矯正施設として考えた場合、学校と言う形式を取ることによって生徒が集まり各種テストを行った時の「サンプル」が増えるのですから、箱庭療法やロールプレイング療法を行うには適していると考える事ができるかもしれません。でも、ゲーム中ではこの点を検証する材料を見つけることができませんでした。ゲーム開始直後から異常事態の真っ只中でしたから。

 それから、c. について。
 血を見ただけで殺人鬼に変身しかねない太一に肉体的障害者が抗いえると思いますか?

 答えは言うまでも無いですね〜。警備員がいても危ないですよ。現に、ゲーム中では主人公が血を見て暴れ出してバッドエンド……と言うお話がありますし、別世界で主人公が暴れ回ったことをうかがわせる記述も見つかっています。
 この状況は『バトルロワイヤル』にも通じる物がありますね。これでは、守られるべき障害者の人権が守られない事は容易に想像できるんじゃないでしょうか? アウシュビッツじゃあるまいし……。

 以上の点から考えて、「群青学園は更正施設としては駄目」と言う事が明らかになりましたね。

アシノン注:他の登場人物の抱える症状について

 島友貴は肉体的障害者としか扱われていません──近親相姦志願者だけど(米国笑)。現実世界の感覚から言うと少々まずい分類に入るのですが、そんなことを言い出すと、かなりの数のエロゲーキャラが群青学園送りになりそうなので、そう言う事にしておきます。日本の法律上、義理だろうが三親等内は近親相姦扱いで結婚できません。これはほぼ万国共通。そういった意味では、ソフ倫規定なんてない方が良いと思います(笑)。何度「実妹の」壁に涙したことか……ぱじゃまソフトとかさ。「毒(妹)をくらわば皿(血縁)」まで!!」って位の漢気が欲しい……。(図書館長注:私はここまでの割り切りができていません。そもそも、「皿」以前の「毒」の段階で引いてしまう人間なのに/苦笑)
 フラワーズの1人・美希は保身のための計算もできますし、太一のような突発的な凶暴性もないので、日常社会ではさして問題なく過ごせます。霧を上手くコントロールできてたし。ゲームの時のような異常事態に陥らなければ群青に入らなくても一般社会で十分やっていけます。そういう意味では太一の一番の犠牲者かも知れません。
 霧は、ただの潔癖症です。心療内科に行けば十分で、鉄格子付の学校に通う必然性はありません(と言うか、彼氏ができれば直るレベルだし)。それが証拠にラストでもあっさり直るし。北方健三に言わせれば「処女を捨てろ!! 話はそれからだ」の一言で切り捨てられるだろうな〜。


(4) 設定の矛盾点2 〜 隔離施設としての群青学園の問題

 次に「隔離施設として何故駄目なのか?」と言う点について説明してみます。
 一言で言うと、「太一が自宅通学できるから」です。
 先ほども述べたように太一は「血を見ただけで殺人鬼に変身しかねない」程の危ない人物です。作品中でも何度も太一は血に怯えていました。そんな危険人物が普通に町をウロウロしてるのって有り得ないですよね。普通の世界では、他人がうっかり事故に遭って血を流しているところに通り掛かる可能性も無いとは言い切れませんし。

 「太一が特例過ぎたのでは?」という意見がありそうですが、それは有り得ません。
 作品の中では、「適応係数」と言う形で調査選別が行われている以上、障害者をその手の学校に通わせるのは法律に基づいた全国的なものと考えるのが妥当です。
 更に言うなら、「適応係数」と言う数値で表されている以上、ある程度統計的科学的根拠を持つのは自明の理です。そして、太一の内に秘めた凶暴性が計測されているからこそ係数80オーバーと言うとんでもない数値が出るわけです。このことは、この「適応係数」を算出するための調査が、かなり高度な技術を背景にしているのではないかと言うことを匂わせています。また、上で「とんでもない数値」と書きましたが、逆に「きちんと数値化されている」と考えると、彼のように血を見ると凶暴化するという現象は、彼に限ったことではない(他にも類似例もしくは先例が存在する)のではないかという憶測を立てることも十分に可能です。
 逆に言えば、計測されてなければ、太一の適応係数は美希と同じくらいかそれ以下になるのは当然だと言うことです。太一の異常性というのは美希と同じ共感能力の低さと暴力衝動なので。

 ……さて、ここまで論議を進めたところで、こんな疑問が沸き起こった方はいると思います。

「『適応係数』のように数値化が可能なほど、各人の精神的問題を詳しく把握できるような世界なのに、その技術が群青学園で生かされているとは言えないんじゃないか?」

 上にも書きましたが、このゲームに登場する主人公達の抱える問題は、人によって様々です。群青学園には、霧のように単なる男嫌いの女性、美希のように打算的であることを除けば普通の社会生活を100%正常に送ることが可能である人物も存在します。リハビリテーション科の専門であるはずの、精神的問題を持たない身体的な障害者も群青学園には通っています。その一方で、太一のように状況によっては殺人を犯しかねないほど危険な人物も通っています。
 群青学園には、各人の抱えている問題や状況、症状の程度を無視して、心や体に何らかの障害を持つ人間が同じように集められているとしか考えられないんです。また、学園内で各人の状況に応じた対応が行われているとは認められないと言うわけなんです。「適応係数」のような全国調査が行われていない現代の我々の社会でも、障害や問題に応じた個別的な治療や対処法が行われ、いわゆる養護学校でも生徒の状況や障害の内容に適した対応を取ろうと努力がされているのに、群青学園にはそう言ったものが全くと言ってもいいほど無いんです。
 これが事実だとしたら、群青学園の実態って「気違いや片輪は隔離して社会的に抹殺しよう!!」と言う差別心剥き出しの運営方針でしか機能してないってことになるんですよね。しかも杜撰ですし。
 その行動原理の不自然さと思考回路の意味不明さはVガンダムのザンスカール帝国(※)レベルではないでしょうか?

アシノン注:ザンスカール帝国
 Vガンダムの敵役勢力。「戦争は悪だから、人類皆強制洗脳して争うを無くそうぜ!!」と言うマリア主義を国是としていた。その割に自分から戦争を仕掛けたり、非戦闘員の虐殺を平気でしていた。行動と理念の矛盾っぷりは製作者の正気を疑わせるに十分であった。(図書館長注:実は、その種の狂気が描きたかっただけなのかも……。アニメの現物を見ていないので判断はできませんけど)
 個人的には、ナチスドイツのほうが行動と終始一貫していた分、まだ「理解できる」。言うまでもなく、ナチスを礼賛してるわけではないので念の為。


 ここで論議をまとめてみましょう。

a. 群青学園を更正施設として捉えると、設備上・運営上の問題が多すぎて更正には役立ちそうに無い。
b. 群青学園を隔離施設として捉えると、隔離があまりにも緩いという技術上の致命的な欠陥がある。
c. 技術的問題を全て無視しても、隔離施設としての群青学園の設置意義について道徳上の重大な疑念が生じる。

 ……こんな無駄遣いで危うい施設を放置するなんて事が、民主国家において有り得ると思いますか?

 年末の道路工事ならいざ知らず、色々な意味で人の命がかかってるんですよ?
 普通の民主主義国家なら、まず有り得ないと思うんですけどねえ〜。

 精神障害のようにデリケートな現実にある題材を扱う以上、自分の表現に都合のいい部分だけをただ「利用」するのではなく、多少の困難を伴っても、ある程度実態に即して描写するのが、創作者としての礼儀ではないのでしょうか。

 皆様はどうお考えですか?


(5) 設定の矛盾点3 〜 登場人物達の言動にまつわる疑問
 最も大きな設定上の問題は群青学園にあるのですが、その他にも、このゲームの登場人物の設定には、どこか「変」と思えるところがいくつかありました。

a. みみみ先輩が30過ぎである疑いがある
 ……全く伏線ないです。って言うかみみみ先輩って闇の一族(ワーズワース)?
 どこをどう見ても10代にしか見えませんぜ。
 もしも、本当に30代だとすると、何のための設定なんでしょう? 必要性を全く感じないんですが。
 適応係数のことを指して「30過ぎ」と言ってることも考えられますので、もう少し調査してみる必要がありそうです。

b. 山辺美希が「共感能力ゼロ人間」
 ……はあ、そうなんですか。太一の方がよっぽど酷い(冬子に対する扱いとか霧[半]レイプ事件とか新川豊自殺追い込み事件とか)んで気づきませんでした。
 ついさっきまで(わかりやすいという意味では)ゲーム中随一の萌えキャラが平然と人を殺せるキャラになられてもな〜……。『君が望む永遠』で「遙隠し妻エンド」を迎えたくらい違和感があるなあ。

c. ラバって群青学園に「自分で入った」んだよね、それって可能?
 ……有り得ないです。
 親の権力を利用? 親が許しませんよ、常識で考えて。
 まして金持ちなら普通以上に世間体を気にせざるを得ないのですから(政治家や芸能人が身内の不祥事で世間から責められることがあるのは皆様もご存知と思います)。

 それ以前にラバの異常さって他のゲームなら単なるギャグ要員レベルだよね。精々ホモでインポでひとつの食い物に執着してる放浪野郎って程度でしょ? それで群青学園送りなら『家族計画』の劉さん(ホモ、正確にはバイセクシャル)や『ToHeart』の主人公(インポ)やKeyのヒロイン全員(偏食)や『Ys』のアドル(冒険者と言う名の放浪野郎、18禁ゲーの登場人物じゃないけど)は群青学園送りですぜ。
 結局ラバってエロゲーと言うかゲーム的には健常者、精々変わった奴でしかないんですよね。


(5) 予防線 〜 予測されるコメントに関する反論

Q1. ゲームなんだから設定に拘りすぎるのは良くない。
A1. 私もそう思いますよ。でも最低限の設定や世界観の統一って必要不可欠と思いますけどね。
 『大戦略』で「ドラゴン部隊」が出てきても笑って許せますか? いくら面白くても私は許せません。
 『パティシエなにゃんこ』に『沙耶の唄』を掛け合わせるのってどう思います? プレイしたいですか? 私は絶対に嫌です。
 勿論ゲームはフィクションですが、心理的な部分や国家のあり方まで現実を無視するのってどうかと思います。私は「ものには限度ってものがあると思うの」(byピアナ Sultanより)ですが……。

 念のために申し上げると、これはあくまで私の価値観・考え方であって読者様に対して何らの強制も致しませんのでお気に召さなかったら忘れてください。無論折角のレビューですし、お気に召して下されば嬉しいですけど。


Q2. こんな悪意のある見方するのはお前だけだ。パラノ(以下自粛)ですか?
A2. とりあえず違うと思います。胃潰瘍で心療内科に通ってますが、そう診断されてはいません。
 別にそんな特殊な見方とも思いません。何故なら、このゲームは現代日本を舞台にしてるわけですし、まして人間心理の物語な訳ですから、ゲームだろうが小説だろうが、ある程度は現実の人間や社会の仕組みを元に解釈するのは妥当なことと思いますが、如何ですか?


(7) 結論

 この作品ってテーマありきでそれ以外のものはバッサリと切り落としまくってる──いや、故意に切り捨てまくってる作品だと思います。これだけの文章が書ける人間がこの程度の設定の矛盾に気づかないと言うのは不自然でしょう。結局他の存在はキャラクターにしても舞台にしても、太一と言う狂人の物語を書くための書き割りに過ぎないのでしょうね(それでも障害者の描写のいい加減さは酷すぎると思う)。

 私は正直最大限好意的に解釈しても「見るべきものはあるが作品としては不合格」としか評価できませんでした。と言うか、障害者施設の書き方について余りにも酷すぎるとしか思えませんでした。下手をすれば「『障害者=ナチスにおけるユダヤ人』と取られても仕方がないのでは?」とすら思える設定の前には、太一の人間らしさへの挑戦など霞んで見えました。
 今では「作者はナチスにおける動物愛護運動(※)のような人間の矛盾点を書きたかったのかな?」と思っています。この作品の本当のテーマは「人と人とのコミュニケーションの難しさ・大切さ」と言うより、「ヒューマニズムや相互理解なんて下らねえ、そんなものは幻想だ 」とか「人間は矛盾する生き物である」と言うブラックユーモアだったのかもしれません。

アシノン注:ナチスにおける動物愛護運動

 ナチスは同じ人間である筈のユダヤ人はガス室送りにしたが、動物愛護には熱心でSSの隊員が猫を虐待したかどで「紳士的でない」と厳罰に処せられたのは歴史オタクなら割と有名な逸話。

 個人的にはこの作品は「人間心理や演出を深く考察すれば非常に優れているが、世界を構成する背景が余りにも駄目と言う点でVガンダムに通じる作品である」と言い切ってしまっていいと思います。

 このレビューをご覧になったあなたの感想はどうですか?



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関連リンク

FlyingShine(『CROSS†CHANNEL』製作元)

めたもるゆきにゃー(サイト内で『ぴちぴちピッチ』レビューを公開)

『カテジナの変貌の理由』Quattro's SIDE内)
『Vガンダムについて-他のガンダムシリーズと比較して-』Quattro's SIDE内)
『2004年・1月28〜30日・ヴィクトリー・忌呪』黒色彗星帝国内の日記)

『Pizzicato Polka〜彗星幻夜〜』レビューLegend of Camellia内)

ErogameScape−エロゲー批評空間−


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図書館長追記:

 『CROSS†CHANNEL』というゲームに対する予備知識が完全に欠落していた状態で、アシノン様からの投稿を受け付け、その原稿に目を通した私の率直な感想は「え゛」という驚愕に満ちたものでした。この驚愕の内訳というものは

(1) 最近、この種のゲームをプレーしておらず、『CROSSS†CHANNEL』のような話題作の存在を見落としていたこと
(2) 『CROSSS†CHANNEL』の評価は、一般的には絶賛と形容しても差し支えないほど全般的に高いこと
(3) 上記のような状況下において、アシノン様からの本レビューは、インターネット内で1・2を争う酷評に分類され得ること
(4) 批判対象は「作品のテキスト・テーマ性」ではなく「作品内世界の設定」が中心だったこと

……という4種類の「驚き」が入り混じっていたものでした。

 その後、インターネット上で資料を色々と調べてみたところ、確かにアシノン様のレビューにもあるように、『CROSS†CHANNEL』というゲームにおいて、精神障害者及び肉体的障害者の記述に疑念が生じる部分がある「らしい」と私も考えるようになりました。ここで「ある『らしい』」としか記述することができないのは、現時点において私がプレーしているのは体験版のみであるという事情に因ります。しかし、体験版のプレーだけでも、群青学園や登場人物の設定について「おや?」と思わされる個所、そして本編の設定を類推させるに足るだけのデータを見つけることができました。

a. 適応係数という全国テストの存在、そしてこのテストが群青学園で生活する人間に重要であること
b. 校舎の3階及び4階に、厳重な鉄格子(と思われるフェンス)が設置されていたこと
c. 群青学園が市街地から遠く離れた(山を隔てている)場所に「隔離されている」こと
d. 太一が「血を見ると凶暴になる」ということ
e. 太一の適応係数の高さに友貴が驚愕する反応を見せていたこと
f. 曜子、冬子、霧のように、対人関係能力に何らかの問題を持つ人間が多く集まっていること


 以上のことから、体験版のみのプレーだけでも、「群青学園は普通の高校じゃない」ことは類推できると思います。

 ですが、この『CROSS†CHANNEL』というゲームには、もう1つとんでもない設定が隠されていました。それが、ゲーム概略を説明する部分で私が簡単に触れた「1週間でループを繰り返す世界」というもの。ネタバレテキストを多数読んだところでは、

a. この作品はいわゆる「パラレルワールド」の概念をベースにして作られていること
b. 作品内では「A」と「B」という2つのパラレルワールドが存在すること
c. 2つの世界のうち、「B」は生物が消失してしまったこと
d. 本編に登場するキャラクター達は元々「A」の人間であること
e. キャラクター達が迷い込んだ世界は「B」であり、この「B」内部で1週間無限ループが発生していること
f. 無限ループする世界には祠が設置されており、この祠が無限ループからの脱出の鍵を握っていること
g. キャラクター達が無限ループする世界にはまってしまったのは、主人公・黒須太一の願望が原因であるらしいこと
(ただし、彼の願望によって無限ループが生じたのかどうかは情報不足につき判断できない)
h. 「B」で発生した神隠しの原因はキャラクター達及びプレーヤーからは不可知であること


……という世界設定が存在しているらしいのです。
 そして、この「無限ループする世界」は本作品のゲームシステムとも関わっており(といっても、実質的な関連はVNにおけるフラグ管理だけなのですが)、プレーヤーは無限にループする1週間の中のいくつかを「観察」しつつ、無限ループから脱出するべく奮闘するのが主たるゲーム内容となっているのです。

 ループする世界を扱ったゲームとしては、本サイトでも取り上げたことがある『Prismaticallization』というものが挙げられます。両作品を比較するレビューは色々あるのですが、『Prismaticallization』ではループとゲームシステムが密接に繋がっていること、「はい」「いいえ」のみの分岐を設けることによって逆説的にゲーム性を演出することに成功したこと、下手なテーマ性・メッセージ性を排除したことなど、『CROSS†CHANNEL』と異なる要素が山ほどあります。個人的には、『CROSS†CHANNEL』よりも『Prismaticallization』のほうが明らかに「良くも悪くもやりすぎ」であり、面白く映っているのですが……まあ、これは余計な話でしたか(『Prismaticallization』はADVよりもパズルゲームに近いというのもあるんですけどね)。

 本作品のゲームレビューで世界設定が取り上げられる際、多くの場合には、こちらの「パラレルワールド」と「無限ループ世界」が扱われ、「えいえんのせかい」や「ネルフの存在意義」と同じように、レビュアー達の考察・論議の対象となっているのです。その結果、世界設定の一部であるはずの群青学園のほうは軽く触れられるにとどまっている(コミュニケーション能力に何を持つ人間が多数登場することの背景として述べられるだけ)のが現状のようです。「障害者をダシにしているのでは?」という批判が出ていることも事実なのですが、その批判の矛先は「障害者が多い」という事実そのものに向けられることが多く、障害者を多数登場させる為に用意された群青学園という設定の詳細が批判の矢面に立たされることは極めて珍しいように感じられました(というか、群青学園の設定に対するまとまった批判って、今のところ本レビューだけのような気がします)。

 以上のことを考えると、レビュアーの心理やレビュー傾向に関して、以下の興味深い「謎」が導き出されてきます。

「群青学園の設定に対する分析が今まで殆どなされなかった理由は?」

 人によっては「謎」とも思わない項目になるでしょうが、群青学園の設定を「狙い撃ち」にしたレビューを頂き、推敲する過程で精読した人間としては、どうしても気になってしまうところです。
 今のところ、この「謎」に対する答えとしては、以下の6つの意見が考えられます。

(1) 障害者施設や精神病治療・リハビリテーションに関する知識が不足している
 直接的な原因として考えられるのがこの意見。レビュアーがその手の知識を全く持っていないならば、設定に対して興味や疑問を抱くことも少ないでしょう。それに、設定に興味を抱いた場合でも、専門書が手元に無かったり、知人・友人にハビリテーション施設の関係者や精神科医などがいない場合には、事実関係の確認に手間が掛かることは想像に難くないと思います。インターネットでの情報検索にも、ちょっとした手間とコツが必要ですし。

(2) 群青学園の施設としての問題点を指摘する材料が足りない
 「実際に群青学園で何が行われていたのか」を「正確に」知るには、「平時の」群青学園の日常生活を描いたテキストが必要です。しかし、体験版でこのようなテキストを発見することはできませんでした。本編にはこの種のシーンがあるかもしれませんが……。

(3) 「障害者を出していることそのもの」が批判の対象となっている
 これについては、「理由として想定可能だが、賛同はできない」というのが私の立場です。障害者や病人をゲーム──特に18禁ゲームに登場させること自体は、特に問題無いと思います。ただ、「登場させる以上、現実と極度に乖離した嘘は書いちゃダメだ」と考えています(『KANON』で登場した「不可解な不治の病」に噛み付いたのはこれが原因ですし)。

(4) 無限ループする世界のほうを考えるのに手一杯で、群青学園まで頭が回らない
 身も蓋も無いと言ってしまえばそれまでですが、こんな考えの方もいないとは言い切れないでしょう。

(5) 群青学園の存在を「ただの道具」と割り切っている
 群青学園の設定・状況をある程度「正確に」知りつつ──隔離施設の色彩が濃い特殊な学校であることを認識しつつも、その設定を「だからどうした」と言い切って分析・批評の対象外とする意見。こう考える方が多いだろうという推測は、ストーリーとキャラクターを重視するレビュアーが多いことから導き出されます。これは各レビュアーのスタンスの問題になりますので、これ以上詳細な言及を行いません……が、ある意味私自身の考えの対極に近い考え方であります。

(6) 群青学園の設定に、既存のギャルゲーの対する一種のアンチテーゼやオマージュを感じている
 ギャルゲーにありがちな設定を持つ萌えキャラを色々と出しておきながら、その全員が一種の隔離施設である群青学園に所属し、軽度の精神障害者として扱われている(ように見える)──この事実を「障害者の描写や取材に手を抜いている」と考えるのではなく、「既存のギャルゲーに対するアンチテーゼとして、故意に『一般的なギャルゲーのヒロインのような軽症の人間も、重度の人間と一緒に隔離される』という障害者隔離施設を描写したのではないか」と解釈するという、結構ブラックな発想です。少数派ですが、「エロゲー批評空間」などでこの意見を提唱するレビューが存在したので、ここに書き記します。
 この発想、ブラック過ぎるとはいえ、有り得ないとは言い切れないんですよね……。


 群青学園の設定と多少関連する話になりますが、本作品における障害者の扱いについては、もう1つ付け加えるべきことがあります。それは「本作品のレビューにおいて、身障者が多数登場していることを批判しているテキストは決して多くない」ということ。これを「身障者を特別視しない人間が多くなった」と肯定的に捉えるのか、「所詮はゲーム」と割り切ってしまうのか、「この種の描写に気を配る人間が少なくなってしまった」と否定的に考えるか、人によって意見が分かれるところでしょう。
 しかし、本作品の女性キャラの多くが「いつものように」萌えキャラの一部として扱われる現状や、『Kanon』『加奈』のような一部純愛系ゲームの過去の記録(?)なども照らし合わせて考えると、「精神的・肉体的障害や病気も『萌え』の記号と化しているのではないか」という疑念も浮かび上がってきます。「萌え」という感情に「弱者に対する保護欲」という一面が含まれていることを考えますと、決して有り得ない話ではありません。ただ、このことを熱烈なファンが聞いたら、頭から湯気を出して怒り出しそうですね……。
 参考ながら、オタク御用達(?)の萌えアニメ/漫画の世界では、「主人公・ヒロインの『退化』」と呼ぶこともできる、「障害の『萌え』記号化」と関連のありそうな現象が起こっているそうです。詳細につきましては、「黄昏刻閑居人談・電脳版」内の連載コラム『「萌えアニメ」は何処へ向かっているのか』(1,2,3)で詳しく述べられていますので、そちらを御覧下さい。

 前出リンクの記事を読んだ限りですと、最近の萌えアニメ/漫画の世界にはついて行けそうにありません。
 ……無理してついて行く必要性も全く感じませんでしたが。

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