注意 サブタイトルにあるように、本文章はアシノン様から御投稿を頂いた『CROSS†CHANNEL』(Windows98以降)レビューです。 ですので、背景が黄緑色となっている部分(レビュー本体)の著作権はアシノン様にあります。ただし、当図書館長のほうで、一部補記や文言の修正など、文の大意は損ねない範囲で細かい修正を加えております。予め、御了承下さい。 |
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図書館長追記: 『CROSS†CHANNEL』というゲームに対する予備知識が完全に欠落していた状態で、アシノン様からの投稿を受け付け、その原稿に目を通した私の率直な感想は「え゛」という驚愕に満ちたものでした。この驚愕の内訳というものは (1) 最近、この種のゲームをプレーしておらず、『CROSSS†CHANNEL』のような話題作の存在を見落としていたこと (2) 『CROSSS†CHANNEL』の評価は、一般的には絶賛と形容しても差し支えないほど全般的に高いこと (3) 上記のような状況下において、アシノン様からの本レビューは、インターネット内で1・2を争う酷評に分類され得ること (4) 批判対象は「作品のテキスト・テーマ性」ではなく「作品内世界の設定」が中心だったこと ……という4種類の「驚き」が入り混じっていたものでした。 その後、インターネット上で資料を色々と調べてみたところ、確かにアシノン様のレビューにもあるように、『CROSS†CHANNEL』というゲームにおいて、精神障害者及び肉体的障害者の記述に疑念が生じる部分がある「らしい」と私も考えるようになりました。ここで「ある『らしい』」としか記述することができないのは、現時点において私がプレーしているのは体験版のみであるという事情に因ります。しかし、体験版のプレーだけでも、群青学園や登場人物の設定について「おや?」と思わされる個所、そして本編の設定を類推させるに足るだけのデータを見つけることができました。 a. 適応係数という全国テストの存在、そしてこのテストが群青学園で生活する人間に重要であること b. 校舎の3階及び4階に、厳重な鉄格子(と思われるフェンス)が設置されていたこと c. 群青学園が市街地から遠く離れた(山を隔てている)場所に「隔離されている」こと d. 太一が「血を見ると凶暴になる」ということ e. 太一の適応係数の高さに友貴が驚愕する反応を見せていたこと f. 曜子、冬子、霧のように、対人関係能力に何らかの問題を持つ人間が多く集まっていること 以上のことから、体験版のみのプレーだけでも、「群青学園は普通の高校じゃない」ことは類推できると思います。 ですが、この『CROSS†CHANNEL』というゲームには、もう1つとんでもない設定が隠されていました。それが、ゲーム概略を説明する部分で私が簡単に触れた「1週間でループを繰り返す世界」というもの。ネタバレテキストを多数読んだところでは、 a. この作品はいわゆる「パラレルワールド」の概念をベースにして作られていること b. 作品内では「A」と「B」という2つのパラレルワールドが存在すること c. 2つの世界のうち、「B」は生物が消失してしまったこと d. 本編に登場するキャラクター達は元々「A」の人間であること e. キャラクター達が迷い込んだ世界は「B」であり、この「B」内部で1週間無限ループが発生していること f. 無限ループする世界には祠が設置されており、この祠が無限ループからの脱出の鍵を握っていること g. キャラクター達が無限ループする世界にはまってしまったのは、主人公・黒須太一の願望が原因であるらしいこと (ただし、彼の願望によって無限ループが生じたのかどうかは情報不足につき判断できない) h. 「B」で発生した神隠しの原因はキャラクター達及びプレーヤーからは不可知であること ……という世界設定が存在しているらしいのです。 そして、この「無限ループする世界」は本作品のゲームシステムとも関わっており(といっても、実質的な関連はVNにおけるフラグ管理だけなのですが)、プレーヤーは無限にループする1週間の中のいくつかを「観察」しつつ、無限ループから脱出するべく奮闘するのが主たるゲーム内容となっているのです。 ループする世界を扱ったゲームとしては、本サイトでも取り上げたことがある『Prismaticallization』というものが挙げられます。両作品を比較するレビューは色々あるのですが、『Prismaticallization』ではループとゲームシステムが密接に繋がっていること、「はい」「いいえ」のみの分岐を設けることによって逆説的にゲーム性を演出することに成功したこと、下手なテーマ性・メッセージ性を排除したことなど、『CROSS†CHANNEL』と異なる要素が山ほどあります。個人的には、『CROSS†CHANNEL』よりも『Prismaticallization』のほうが明らかに「良くも悪くもやりすぎ」であり、面白く映っているのですが……まあ、これは余計な話でしたか(『Prismaticallization』はADVよりもパズルゲームに近いというのもあるんですけどね)。 本作品のゲームレビューで世界設定が取り上げられる際、多くの場合には、こちらの「パラレルワールド」と「無限ループ世界」が扱われ、「えいえんのせかい」や「ネルフの存在意義」と同じように、レビュアー達の考察・論議の対象となっているのです。その結果、世界設定の一部であるはずの群青学園のほうは軽く触れられるにとどまっている(コミュニケーション能力に何を持つ人間が多数登場することの背景として述べられるだけ)のが現状のようです。「障害者をダシにしているのでは?」という批判が出ていることも事実なのですが、その批判の矛先は「障害者が多い」という事実そのものに向けられることが多く、障害者を多数登場させる為に用意された群青学園という設定の詳細が批判の矢面に立たされることは極めて珍しいように感じられました(というか、群青学園の設定に対するまとまった批判って、今のところ本レビューだけのような気がします)。 以上のことを考えると、レビュアーの心理やレビュー傾向に関して、以下の興味深い「謎」が導き出されてきます。 「群青学園の設定に対する分析が今まで殆どなされなかった理由は?」 人によっては「謎」とも思わない項目になるでしょうが、群青学園の設定を「狙い撃ち」にしたレビューを頂き、推敲する過程で精読した人間としては、どうしても気になってしまうところです。 今のところ、この「謎」に対する答えとしては、以下の6つの意見が考えられます。 (1) 障害者施設や精神病治療・リハビリテーションに関する知識が不足している 直接的な原因として考えられるのがこの意見。レビュアーがその手の知識を全く持っていないならば、設定に対して興味や疑問を抱くことも少ないでしょう。それに、設定に興味を抱いた場合でも、専門書が手元に無かったり、知人・友人にハビリテーション施設の関係者や精神科医などがいない場合には、事実関係の確認に手間が掛かることは想像に難くないと思います。インターネットでの情報検索にも、ちょっとした手間とコツが必要ですし。 (2) 群青学園の施設としての問題点を指摘する材料が足りない 「実際に群青学園で何が行われていたのか」を「正確に」知るには、「平時の」群青学園の日常生活を描いたテキストが必要です。しかし、体験版でこのようなテキストを発見することはできませんでした。本編にはこの種のシーンがあるかもしれませんが……。 (3) 「障害者を出していることそのもの」が批判の対象となっている これについては、「理由として想定可能だが、賛同はできない」というのが私の立場です。障害者や病人をゲーム──特に18禁ゲームに登場させること自体は、特に問題無いと思います。ただ、「登場させる以上、現実と極度に乖離した嘘は書いちゃダメだ」と考えています(『KANON』で登場した「不可解な不治の病」に噛み付いたのはこれが原因ですし)。 (4) 無限ループする世界のほうを考えるのに手一杯で、群青学園まで頭が回らない 身も蓋も無いと言ってしまえばそれまでですが、こんな考えの方もいないとは言い切れないでしょう。 (5) 群青学園の存在を「ただの道具」と割り切っている 群青学園の設定・状況をある程度「正確に」知りつつ──隔離施設の色彩が濃い特殊な学校であることを認識しつつも、その設定を「だからどうした」と言い切って分析・批評の対象外とする意見。こう考える方が多いだろうという推測は、ストーリーとキャラクターを重視するレビュアーが多いことから導き出されます。これは各レビュアーのスタンスの問題になりますので、これ以上詳細な言及を行いません……が、ある意味私自身の考えの対極に近い考え方であります。 (6) 群青学園の設定に、既存のギャルゲーの対する一種のアンチテーゼやオマージュを感じている ギャルゲーにありがちな設定を持つ萌えキャラを色々と出しておきながら、その全員が一種の隔離施設である群青学園に所属し、軽度の精神障害者として扱われている(ように見える)──この事実を「障害者の描写や取材に手を抜いている」と考えるのではなく、「既存のギャルゲーに対するアンチテーゼとして、故意に『一般的なギャルゲーのヒロインのような軽症の人間も、重度の人間と一緒に隔離される』という障害者隔離施設を描写したのではないか」と解釈するという、結構ブラックな発想です。少数派ですが、「エロゲー批評空間」などでこの意見を提唱するレビューが存在したので、ここに書き記します。 この発想、ブラック過ぎるとはいえ、有り得ないとは言い切れないんですよね……。 群青学園の設定と多少関連する話になりますが、本作品における障害者の扱いについては、もう1つ付け加えるべきことがあります。それは「本作品のレビューにおいて、身障者が多数登場していることを批判しているテキストは決して多くない」ということ。これを「身障者を特別視しない人間が多くなった」と肯定的に捉えるのか、「所詮はゲーム」と割り切ってしまうのか、「この種の描写に気を配る人間が少なくなってしまった」と否定的に考えるか、人によって意見が分かれるところでしょう。 しかし、本作品の女性キャラの多くが「いつものように」萌えキャラの一部として扱われる現状や、『Kanon』『加奈』のような一部純愛系ゲームの過去の記録(?)なども照らし合わせて考えると、「精神的・肉体的障害や病気も『萌え』の記号と化しているのではないか」という疑念も浮かび上がってきます。「萌え」という感情に「弱者に対する保護欲」という一面が含まれていることを考えますと、決して有り得ない話ではありません。ただ、このことを熱烈なファンが聞いたら、頭から湯気を出して怒り出しそうですね……。 参考ながら、オタク御用達(?)の萌えアニメ/漫画の世界では、「主人公・ヒロインの『退化』」と呼ぶこともできる、「障害の『萌え』記号化」と関連のありそうな現象が起こっているそうです。詳細につきましては、「黄昏刻閑居人談・電脳版」内の連載コラム『「萌えアニメ」は何処へ向かっているのか』(1,2,3)で詳しく述べられていますので、そちらを御覧下さい。 前出リンクの記事を読んだ限りですと、最近の萌えアニメ/漫画の世界にはついて行けそうにありません。 ……無理してついて行く必要性も全く感じませんでしたが。 |