(0)注意 サブタイトルにあるように、本文章は『君が望む永遠』(Windows98以降)のレビューである。 なお、本作品の初回出荷分は一部CGの不具合をソフ倫から指摘され、8月中旬以降に製品回収の措置が取られている。アージュのオフィシャルサイトによると、CG修正後の製品が2001年10月中旬に発表されるとのこと。通信販売の受け付けは2001年10月1日から再開される。この文章を書いているのは販売再開前であるため、手元にあるソフトはCG修正前の物であり、レビューも製品回収前のバージョンに基いて行われる。この点は予め御了承願いたい。また、かつて図書館長日誌にて書かれていた内容とは異なる記述も多いのだが、そこも御理解願いたい(まーなんだ、大人の事情って奴ですよ)。 あと、ここでは『君が望む永遠』のネタバレ情報が当然のように満載されている。未プレーの方は注意。 |
(1)ゲームとしての客観的データ 今回のレビュー対象となるソフトは、2001年8月にアージュが発表した18禁ADV(Windows95/98/2000/Me対応)。 物語は全体で2章構成。どちらのパートも、白陵大付属柊学園(第1章開始時)に通う高校3年生・鳴海孝之の視点で進められる。 第1章では、彼とその親友である平慎二と速瀬水月、そして水月の親友として遅れて彼らの輪に加わることになった涼宮遙の4人による人間模様が作品の中心を占める。一方、第2章は第1章終了時からほぼ3年後──高校を卒業した後の開始となる。こちらでは、第1章の登場人物達に加え、更に数多くのサブキャラクター達が登場する。 プレーヤーが為すべきことは、鳴海孝之の視点で全2章構成の物語を読み進め、彼の周囲で発生する人間関係上のトラブル──主として孝之と女性2名以上による三角関係──に何らかの形で「決着」をつけることである(この時、最終的に1人の女性と結ばれている状態になれば「グッドエンド」と見なされる)。 以下に示す動作環境から伺えるように、この作品では高性能化したPCのスペックに合わせたゲーム作りが為されている。そのため、複数台のマシンをお持ちの方は、できる限り高いスペックのマシン(最低でも以下の動作環境を完全に満たすマシン)でプレーすることを推奨する。性能限界のマシンを使った場合、画面処理に時間が掛かったり、「メモリが足りません」という警告メッセージが出たりするので注意が必要である。
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(2)APRIL FOOLが下した『君が望む永遠』に対する評価 正直申し上げると、この作品の第1章が体験版として発表され、インターネット上で大きく取り上げられていた時には、「体験版でどうしてここまで盛り上がっているのだろう?」と不思議に思っていた。しかし、製品版をプレーしてみて、「技術的になかなか凄いことやっているのだから、評判になったとしても不思議ではないよなあ」と納得したものである。しかし、体験版当時から続いているキャラ萌え先行(?)の人気の沸騰ぶりからは、距離を置いておきたいとも考えている(後で説明するが、本作品にはキャラ萌えよりも注目すべき点が存在する)。 では、私が下した『君が望む永遠』に対する評価を御覧頂きたい。
なお、製品回収騒ぎが発生していなかった場合の総合評価は77点(=52+25)。 それでは、今から『君が望む永遠』の持つ特質がいかなる物であったのかを考察してみたい。 |
(3-1)シナリオ概略 最初に、本作品の主要な登場人物を全て紹介しよう。
この他にも、「名前が登場しない」脇役キャラが数人存在するのだが、以上に記した主要キャラクターほどの存在感は無いので、ここでは特に触れないこととする。 冒頭にも述べたが、本作品のストーリーは全2章構成となっている。 第1章(高校時代)は実質的な1本道シナリオであり、ここでは孝之達4人の友情と、孝之と涼宮家の交流が描かれている。特に目立った分岐も無く孝之は遙との関係を進展させていく。しかし、第1章の最終日、孝之とのデートを待っていた遙が交通事故に巻き込まれ負傷、昏睡状態に陥ってしまう。この際、孝之はデートに来る途中で水月と会い、彼女の誕生日プレゼントを買うのに付き合わされて、デートの待ち合わせ時間に若干遅刻してしまったのである。少しだけ遅れてデート現場に到着した彼を待ち受けていたのは、交通事故現場の惨状と病院へ急行する救急車、そしてデートの相手となるべき女性が事故に巻き込まれたことを伝える警察無線の声……。 製品版に先行して発表された体験版ではここまでのストーリーが収録されている。また、製品版ではここまでのストーリーに大きな分岐が存在しなかった(と思われる)ため、ゲームとしての本編は遙が入院した後の第2章からということになる。ここまで辿り着くのには3時間以上が必要であり、導入部としては極めて長いと言えるだろう。 事故からほぼ3年後──第2章が開始してから早々、今までずっと昏睡状態を続けていた遙が目を覚ます。しかし、この時彼女は「3年間」という時間の流れを実感することができず、自分がまだ高校生であると思い込んでいた。また、彼女の周囲の環境は当然のことながら激変しており── ●鳴海孝之は大学受験失敗後フリーターとなり、ファミレス「すかいてんぷる」にバイトとして勤務。 ●速瀬水月は水泳の道を辞めてOLとなり、現在は鳴海孝之と半同棲生活を送っている。 ●平慎二は当初の目標通り大学に進学。友人としての3人の交際は継続されている。 ●涼宮茜は高校へ進学、水泳部に所属。 ※第1章に少しだけ登場した穂村愛美は家庭の事情により高校を中退。看護婦として遙の入院先に勤めている。 ──というように、それぞれが事故と3年前の記憶を抱えながらも自分の生活を確立し、平凡な日々を送っていた。遙の目覚めは、そんな彼らの生活と人間関係にあまりにも大きな一石を投じることになったのである。特に孝之にとっては、遙の目覚めは3年前の事故以降「凍り付いていた」2人の関係を再開させる契機になっていることも意味しており、今まで続けられてきた水月との関係をどうするのかということも含め、孝之は選択を迫られることになった。第2章では、選択をつきつけられた鳴海孝之が逡巡し迷走した挙句、複数存在する女性達の中から1人を選ぶ過程が描かれる。 最初のプレーでは、攻略対象キャラ(=孝之が最終的に選択できる女性)は速瀬水月と涼宮遙、そして涼宮茜の合計3人だけ。大空寺あゆなどと一緒になるシナリオを見たければ、1回3人のエンディングに到達しなければならない。 なお、ゲームとしての難易度は低めであり、攻略情報を参照せずに全員のエンディングをすぐ見ることも容易だと思われる。ただし、演出の関係上、プレー時間は長いので注意が必要。「CV・エフェクトを飛ばさずにプレーした結果、全員のエンディングを確認するのに30時間以上掛かった」と語るレビュアーも存在するほどである。 <注記>筆者が見たグッドエンディングは以下の順番。 水月→愛美→蛍→あゆ→まゆ→遙→茜 |
(3-2)三角関係の構図 ここまでの部分で「客観的な(=誰が呼んでも納得・合意してもらえる)」情報の提示が終わった。ここから、筆者自身によるレビューとなる。 さて、私の周囲で『君が望む永遠』について語られる時、多くの方が共通して述べている事柄がある。それは主人公・鳴海孝之の「ダメ人間さ加減」である。物語を客観的な目で観察すれば、彼の言動が三角関係の泥沼化を招いているケースが多いことは一目瞭然であろう。端的にそれが現れているのはまゆエンドと遙エンドの2つ。 前者(まゆ)の場合、ごく一時期の間とはいえ、孝之はまゆ・水月・遙の3人を同時に相手にするような状況に追い込まれてしまう。ここで水月・遙(厳密には遙の「代理人」である茜)が主人公を正面から拒否し、ようやくまゆとの関係が確定するのである。このような修羅場を作り出してしまったことは明らかに孝之自身の責任なのであるが、女性側からのアプローチが無いと事態が打開できなかった点もまた、彼の決断力不足を示している。 後者(遙)の場合、孝之は「遙と一緒になる」という決断を一度は下す。この決断は少し前に用意されている選択肢によって変化し得るものであり、「プレーヤーの手による決断」と言い換えることも可能である。ところが、ゲーム中の孝之はプレーヤーの決断をあっさりと覆す行動に出てしまう。なんと、彼はプレーヤーの与り知らぬところで勝手に速瀬水月とベッドを共にしてしまったのである。このシーンを見た時、私は「優柔不断だからってそこまでやるかオイ」と笑い出していたのだが、遙に思い入れのある人間に感情移入していた人間にとっては、これは遙とプレーヤーの両者に対する背信行為であり、一部のファンからは「孝之に殺意を覚えた」という声すら上がったのである。 この他にも、茜妊娠エンドなどで病人(遙)相手に病院内で淫行に及ぶ姿や、愛美エンドで警察に頼らず身の破滅を招いてしまった点など、彼の言動・思考は「感情移入の対象としては」あまりにひどいものが揃っている。ドラマの登場人物として観察する限りにおいては、「こいつはダメだなあ」と笑い飛ばせて終わりにできるので全く問題無いのだが、鳴海孝之はプレーヤーの代理人たる主人公なので始末が悪い。魅力らしい魅力があるとすれば、同年代の人間相手であれば自然体で接することができる点(水月ルートなど)と、それなりにユーモアのセンスがあり頭も結構良い(「すかいてんぷる」内の会話参照。あゆとの問答は頭の悪い人間には不可能である)点ぐらいであろうか。オフィシャルサイトには「主人公=プレイヤーという究極の一体感を提供いたします」と書かれているが、これはプレーヤーをトラップに嵌めた上で裏のメッセージを伝えようとするアージュの販売戦術かと思ってしまったほどである。 しかし、彼の存在がこのストーリーに不要だったのかと言うと、ストレートに否定できない側面がある。 彼のような人間が不可欠になるのは、本作品が三角関係を中心とする人間模様に焦点を当てた作品であるという事情が関与している。 そもそも、「三角関係」が発生する条件は一体何であろうか? そこから考えてみよう。 この問いに対する回答は、大体以下のようなところに落ち付くであろう。 (1)三角関係で争奪戦の対象となっている人間(ここでは鳴海孝之)に、突出した魅力・人気がある場合。 (2)三角関係で争奪戦の対象となっている人間が優柔不断である場合。 そして、鳴海孝之が関わる三角関係は、その殆どが(2)の原因によって行われるものである。 逆に言えば、三角関係の縺れによる修羅場や流血の惨事を避けるためには、三角関係の争奪戦の対象となっている人物(ここでは鳴海孝之)が素早い決断を下し、人間関係が破綻する前に手を打っておかねばならないのである。特に、(2)の原因による三角関係においては、三角関係の争奪戦対象者の決断と発言・行動が非常に重要な意味を帯びてくる。 本作品においても、水月・遙のどちらか1人を選択するという状況下で彼がもう少し早い時期に決断を下せていれば、水月エンドなどで見られたような修羅場の発生は回避できたはずである。修羅場が発生していたとしても、周囲に与えるダメージは小さくなっていたと思われる。少なくても、私が当事者として同じ状況に立たされていたら絶対にそうしている。特に、本作品で登場した孝之を巡る三角関係には「『不誠実な姉の代理人である』涼宮茜」という厄介な要素が加わっているために解決が難しく、尚更早急に手を打たねばならない。 しかし、鳴海孝之は散々迷走しまくった挙句、関係者全員の傷を広げる結末を招いている。その結末が修羅場の数々。殺人事件に至らずに済んだのが不思議なくらいである。 「どうしてこうなったのか」って? 理由は簡単。 そうしないとストーリーの「山場」となる「修羅場」を書くことができないから。 ……これ、私の邪推し過ぎだろうか? もっとも、「修羅場」としての描写はまだ手ぬるいような気がする。次項でも触れることなのだが、実を言うと、私は本作品プレー中に数回「殺人事件起きないかなぁ〜」と、ジェットコースタードラマを楽しむ視聴者のようなことを考えたことがあったのである。 主人公の言動についてはもう1点触れておきたい。 遙エンドルートで主人公が見せた言動は、普通のADVでは反則技に類するものであり、本来ならば認められない性質のものである。特に合理的な理由も無く、外的要因による明確な制約が課せられていない状況下において、主人公が自らその決断をあっさりと覆し、プレーヤーの意向とは全く正反対の行動を取ることは、プレーヤーの意思を選択肢での決断を通じてキャラに反映させ、それに基いてキャラを動かすことによってのみゲーム内世界に干渉することが可能になるというADV(特にVN)のゲームシステムにおいて、「プレーヤーの意思を拒絶し、数少ないADV/VNの『ゲーム性』を崩しかねない行為」と等価になってしまう。 製作者側がADV/VNのゲーム性の限界突破を狙い、主人公にあのような言動をさせたのだったら、私は(やや不本意ながらも)製作者達の行為を「大いなる挑戦」と評価したところであるのだが、手元に揃えられている資料を見る限り、その可能性はあまり高く無さそうである。となると、私は主人公の言動をゲーム性の観点から批判せざるをえない。 ただし、『君が望む永遠』をドラマとしてみた場合には、彼のダメさ加減はそれほど大きな問題にならないことも併せて述べておきたい。ドラマとしてストーリーを楽しむならば主人公と視聴者(=プレーヤー)の意思を一致させる必要性は低くなる上に、優柔不断で「ダメな」人間としての鳴海孝之の描写は結構良い出来だったからである。 無論、私はこんな人間に感情移入することなど真っ平御免である。 |
(3-3)バッドエンドから見た『君が望む永遠』の登場人物達 主人公のことについては、前項で語った通りである。では、次に女性キャラ達のほうはどうだったのかを考えてみよう。 本作品の女性キャラクターに対しては、インターネット上の各所で様々なファンクラブが立ち上げられている。特務機関IHHHとかMMMとかAAAとか任意団体DDDとかいうように、どこぞの国際機関か秘密結社を思わせるようなサイトも出現している(サイトの中身は別にして、このネーミングセンスは高い賞賛に値する)。中には、勢い余って「http://andesu.to/」というドメイン名を取得した猛者まで現れている。その勢いは今までの萌えゲーの存在を少なからず置換しかねないほどに膨れ上がりつつある。特に注目すべきは大空寺あゆであり、「あゆ」という単語が指し示す人物が『Kanon』の月宮あゆから大空寺あゆへと変更されつつあるほどである(※)。また、典型的な妹属性キャラの一面を持つ涼宮茜の人気もネット上にて拡大中だ。 ※世間一般には、「あゆ」と言えば川魚の「鮎」か歌手の「浜崎あゆみ」さんのどちらかを指しているのだが、そんなことはここでは無視する。 以上のように、本作品の女性キャラはインターネット上で好評を博しており、多くのサイトでは今まで通りの「萌えキャラ」の一部として彼女達が扱われている。しかし、『君が望む永遠』という作品はそれほど単純なものではない。
以上、バッドエンドのレビューも兼ねて、女性キャラクター(の一部)の解説を試みたがいかかだっただろうか。 ここまで述べたバッドエンドの数々は、萌えゲーマーの一部(特に涼宮茜のファン)にとっては、見たら思わず絶句しかねない展開である。しかし、私は以上に記したようなバッドエンドが存在するからこそ、本作品の脚本に対して高い評価が可能になるのではないかと考えている。 「一途な気持ち」「永遠の愛」「純粋な愛」といった単語は一見すると耳障りが良い。それ故、多くのギャルゲーマーの幻想を満たすには非常に良い物だと言えるであろう。しかし、理性や現実による一定のコントロールが存在しない場合、これらの感情は狂気を帯びかねない代物にもなりうる。実際に発生しているストーカー犯罪や幼女誘拐事件などは、まさにこの「狂気」が発現した好例であろう(調教系18禁ゲームに手を出す場合には、このことを常に念頭に置くべきである)。 それに、実際の恋愛・男女関係では、打算的な愛というものも少なからず存在する。それを良いと考えるか悪いと考えるかは別問題であるが、存在するという事実を否定することは困難であろう。 本作品は現実世界に存在する三角関係を題材として取り扱った作品である以上、当然「三角関係の修羅場」の描写は不可欠になる。また、現実世界に存在する恋愛の姿をゲームに反映させるとなれば、現実世界で問題となっているストーカーの問題や、純粋な愛情が変容した「狂気と紙一重の愛」をゲーム中に取り上げても一向に問題は無い。愛美の存在とその行為はまさに「狂気」に相応しいし、茜は表面上「まとも」に見えるが、1歩間違えば愛美と同類に転落する可能性を秘めている。茜妊娠エンドでの茜の行為は、明らかに正常ではない。 鬼畜系・陵辱系18禁ゲームでは、ゲームの性格上、この種の異常性愛(もしくはそれと紙一重の領域の題材)を扱うことは決して珍しくない。しかし、過去これまで、いわゆる「感動系」「純愛系」18禁ゲーム──特にVNにおいて、こういった題材が取り上げられることは滅多に見られなかった。VNタイプの大作・名作の中で、ストーカーなど「恋愛の暗黒面」を描いた作品は殆ど無かったのではないだろうか。SMの描写があったLeafの『痕』も、狂気の源泉は「恋愛感情」ではなく「種族としての特性」だったと思われる。また、同じく狂気が全面に押し出されていた『雫』も似たようなものであったと記憶している。『To Heart』以降の純愛系VNでは、人間の暗黒面や狂気は触れられることが少ない領域となってしまった感がある。『Kanon』では人間の狂気どころか悪意すらも完全に他人事という世界──別の意味で「狂っている」世界が現出されている。 そんな状況下において、『君が望む永遠』が踏み込んだバッドエンドの描写を行ったこと──特に、いわゆる純愛系VNと分類される作品の中で恋愛の狂気面を取り上げたことは、今までのギャルゲーの流れに一石を投じるという意味では、高く評価されて良いところであろう。 ちなみに、グッドエンドの中では、水月エンド(実質的なトゥルーエンド)、あゆエンド(大空寺あゆというキャラをこの目で見届ける為)、愛美エンド(理由は前出)の3本に目を通すことを推奨する。残り4本を見るかどうかについては、プレーヤー各人の好みと時間的余裕を考慮して決めるほうが良いだろう。 |
(4)『君が望む永遠』が為したこと 【注意:この節では盛大に毒を撒き散らしてしまいました。一部の方に嫌悪感を与える可能性がありますので御了承下さい】 今まで、本作品におけるバッドエンドを肯定的に評価するコメントを長々と書いてきた。 さて、ここまで本論を読み進められた方の中には、こんなことを思った方も当然いらっしゃるのではないだろうか? 「アージュのオフィシャルサイトの広告と書かれていることが違うではないか」 実は、私自身もここまでの意見をまとめた後に、アージュのオフィシャルサイトで『君が望む永遠』の広告を見た時、似たような違和感を覚えたのである。 この違和感の原因は何か? ここではそれを考えてみることにした。 そもそもアージュのスタッフは本作品で何をプレーヤーに見せようとしていたのだろうか? オフィシャルサイトに置かれている『君が望む永遠』の広告には数多くの宣伝文句が書かれていたのだが、その中から問題となっているシナリオに関連する部分だけを抜粋してみた。
また、この他にも、本作品スタッフはとある雑誌にて、本作品の製作意図について「自分が決定をするということと、出た結果に対して責任を負うこと」というコメントを残している。 しかし、ゲームの実態は、上の宣伝文句とは異なる点が多々ある。間違い無く事実だと断言できるは(a)(f)の2個だけであり、残りの点については多かれ少なかれ実態とは異なる個所があるように感じられた。乖離が特に著しいのは(h)(及びその結果として導出される(c))の2点。(b)(d)については、スタッフが考えてシナリオを作ったようには感じられたものの、ストーリーの時間配分を誤っている(第1章が長い)上に、ジェットコースタードラマのような起伏の激しさはあまり見られず、改善の余地が残されているように思えた。(e)(g)については、表面上の事実に限れば広告通りかもしれないのだが、その感情に至るプロセスについては、本来アージュが意図していたと思われる「主人公への感情移入を前提とした感情」とは異なったものになっているのではないだろうか。 私が見た感じでは、明らかにアージュの宣伝文句とゲームの中身は食い違っているのである。 果たして、これが何を意味するのか? その答えは以下の3つのいずれかに絞られるはずである。 (A)プレーヤーをトラップに嵌めた上で、恋愛の両面性や暗黒面を伝えようとするアージュの販売戦術の一環だった (B)アージュ側が広告に書かれているような作品を作ろうと努力を払ったにもかかわらず、結果として全く異なる作品が完成した (C)私のような解釈が少数派である 私としては、(A)が答えであって欲しいと思った。また、(B)が答えだったとしても、まだ許容できるところだった。「今回の失敗を教訓にして、次からはもっと良い作品を作って下さい」と暖かく声をかけられるからである。本作品の演出やCG、rUGPなど、技術面では高い評価を与えることができるので、脚本さえしっかりとすれば傑作の名に恥じない名作が作れるのではないだろうかと思われる。 しかし、インターネット上で散見される本作品のレビューを読んだ限りでは、どうも(C)が正解だったのではないかという気がする。「感動した」「泣いた」「××萌え〜」というサイトが百出するという、感動系・純愛系18禁VNのレビューで頻繁に観察できる光景がここでも繰り返されていた。しかも、少なからぬサイトが「主人公(=鳴海孝之)の心の痛みが身に染みました」「彼と一緒になって悩んでしまった」「彼の苦しみに感情移入できた」といった言葉を書き記しているのである。 つまり、実際には── (C)'アージュは広告に書かれているような作品を作ろうと努力を払った。しかし、結果として当初の意図とは異なる作品が完成したらしい。ところが、ゲームが表に出た後、プレーヤー達の多くがアージュの最初の思惑通りの反応を返してきた。 (C)''企画段階から、アージュは現在の製品版のような作品を作ろうとしていた。そして、スタッフの期待通り、ユーザーが熱烈な反応を返した。 ──という2つの仮説の一方が真実らしい、ということになる。 いずれの仮説を採るにしても、アージュの「先見の明」「市場動向を的確に把握する能力」は高く評価されるべきであろう。体験版を含めた同社の販売戦略も巧妙であり、もしもCGによる製品回収騒ぎが無かったとしたら、アージュが「第2のLeaf/key」へ大化けしていたのではないだろうか。 それにしても、「あの」鳴海孝之に感情移入し、性格・心理の暗黒面に目を瞑ったままヒロインに対して萌え感情だけを連発させるだけのギャルゲーレビュアーが多いという現状は、様々な意味で危険なのではないか。本来ならば、他人の書いたレビューにはあまり口出しするべきではないのだが、この点が非常に気になったので付記しておく。 |
(5)後書き タイトルにあるように、バッドエンドを中心に考えたレビューであったが、いかがであっただろうか。 もしも、本作品に今まで説明してきたようなバッドエンドが存在しなかったとしたら、脚本面から本作品を高く評価することは困難であったことだろう。この作品を契機にして、ギャルゲーマー諸氏がより広い視点を確保して様々なタイプのゲームをプレーしてもらうことを期待したいところである……のだが、本作品を取り巻く昨今の熱狂的状況は、私の期待・希望とはまるで正反対の方向に流れている感が否めず、そこが気掛かりである。 なお、今回のレビューではあまりに多数のサイトの情報を参照したが、その中でも特に重要と思われる3ヵ所を御紹介しておきたい。同時に、こちらの3サイトの運営者諸氏には、この場で厚く御礼申し上げたい。 |