謀略
カーチャ・ボルジア
「決心はついたのか? クギョー?」
「ボルジアの相続権が得られるというのは間違いないんだろうな?」
「そのためにやるのだろう。ボルジアで生まれたとはいえ、たかが先代の弟の子供だ。直系でないお前に、今のままでは居場所はない。だが、サーネには一人娘がいるだけだ。本来なら分家のお前がボルジアの後を継ぐべきなのだ。しかし、マリアの娘婿に入ったあの男はボルジアの権力を利用して帝国に毒薬を蔓延されて巨額の富を築き、更にはサーネの信用を得てボルジア家を相続しようとまでしておる。このままでは帝国の由緒正しき貴族であるはずのボルジアには悪名のみが蔓延るぞ。サーネが遺言状を残す前にやるのだ。今なら、お前が正当なボルジアの後継者だ。」
「判った。行政官の貴公が言うなら間違いないだろう。帝国教会もそれを望んでいるのだな?」
「教会はこれ以上、闇世界に活性化してもらいたくはないのだ。毒を盛られる事を怖れている枢機卿も多い。」
「共和国との戦闘状態が続いている今が最後の機会だ。今夜を逃せば、俺に嫌疑がかかる。」
「いい知らせを待っているよ。」
池を泳ぎきったカーチャは小走りに塀の影の暗がりに駆け込んだ。館からの灯りでも、ここは照らされない。塀の中を窺って見た。庭園には樹木が茂り、レンガが幾層にも積み重ねられて作られた花壇は非常に美しい。中央には円錐形の石積みの上にキャンドル形の噴水が三基儲けられて、噴き上がった水が円形の池に落ちている。その水は塀の側からウォールライトに照らされて、逆光により乱反射していた。見事な庭である。
「共和国の評議委員の庭とは比べ物にならないな。」
カーチャは軽く舌打ちをした。景観よりも実用性を重視した共和国行政官のセンスの無さをつくづくと感じさせられたのである。そういえば、セグトラも設計に参加したのだっけ。共和国軍の仲間の顔をふと思い出した。首都ではもう戦闘が行われているのだろうか? 戦線から離脱したことを多少後悔したが、今は自分の仕事を完遂しなくてはならない。そのためにここまで来たのである。短剣の柄を外して、共和国から持ってきた毒入りの餌を取り出した。犬がいるとやっかいなのである。毒を握りしめると塀を飛び越えて、植え込みに身を隠す。夜半まではここに待機して機会を伺うこととした。
サーネ・ボルジアはいつものように夕食を取ると、食後のお茶を楽しんでいた。齢80才を超えた高齢ではあるが、食欲は衰えていない。必ず食事にはワインを一杯付けるほど丈夫な胃と肝臓を備えていた。実質のボルジア家の当主は娘婿のようにはなってはいるが、貴族同士のパーティーや教会、軍との公式行事には自ら顔を出している。まだまだ、引退する気はなかった。対外的にはボルジアの当主はサーネ・ボルジアなのである。自分が本当に動けなくなっても、娘婿のアワーが後は引き継いでくれるだろう。カンタレラを始めとした毒物の販売の元締めとなり、土地があるだけで経済的に没落しつつあったボルジア家の威厳を復活させたのはアワーの手腕に他ならない。おまけにこの戦争と帝国内部の派閥争いが毒物の需要を一層と高めた。戦争が末期に近づくにつれ、誰が暗殺されてもおかしくない世情が出来上がっているのである。自分が殺されたくなければ政敵を暗殺するしかない。そのためには毒が必要である。いずれにしろ、毒が必要となればボルジア家が利益を得ることとなる。家が栄えるもの当然であった。だが、それは帝国の裏社会での覇権を握る事でもある。貴族たるボルジアの誇りを汚すものだと反発する者たちもいることは事実である。しかし、アワーがすべてを解決してくれるだろう。アワーの生家であるノーザン家は新興の貴族であり、ボルジアとは家柄が合わないと婚姻前は言われていた。だが、本人達の意思を尊重して彼をボルジアへ迎え入れたのはサーネ自身なのである。彼がボルジアに恩義を感じないはずはない。仮に多少の無茶をしたとしても政敵は排除してサーネの安泰は保ってくれるに違いなかった。折をみて、この家と土地もアワーに託そう。だが、政情が不安定な今はアワーに当主を譲る時ではない。まだまだ、サーネはボルジアを支えるつもりであった。ダージリンティーを飲み干すとサーネは自室へと向かった。その足取りは確かであった。
やはり犬はいた。カーチャの周囲には3匹の犬が横たわっている。2匹は姿を見つけられる前に毒殺した。1匹はやむやく短剣で首を掻ききって殺した犬である。いずれも吼えられる前に始末している。家の中のものには気付かれていないだろう。夜半が過ぎた。おそらくは厨房であろう。最後まで灯りが見えていた窓の奥が暗くなったのを確かめてカーチャは行動を起こした。正面ドアから入るのは無理だろう。どこかの窓でも破るか。そう思いながらも入り口のドアを探ってみる。ところが、少し力を入れてみるとドアは音もなく開くではないか。
「???」
これほどまでに外敵の侵入を拒む設計がされている館がこんなに無用心なはずがない。不審に思いながらも、カーチャは館内に足を踏み入れた。先ほどまで灯りが漏れていた部屋を覗いてみた。やはり厨房である。人影はない。使用人達は自室へ引き上げたようである。サーネ・ボルジアの部屋はどこだろうか?おそらくは2階の奥だろうと検討をつけて階上へ上がってみた。広い館である。だが、廊下には燭台が設けられて灯りには困らない。2階の一室、一室の鍵穴から中を覗いては見るが殆どの部屋の中は暗闇であった。さて、どうしようか? 廊下は明るいので、このままウロウロしていては発見されてしまう。いっそ、一室に侵入し使用人を脅してサーネの部屋を聞き出そうかと考えてながら、ふと廊下の奥をみるとドアが開けっ放しになっている部屋があることに気が付いた。なんだろうか? その部屋に近づいて見る。この部屋のドアのみは他の部屋とは違い、金の細工が施されており特別な部屋である事が窺えた。中にはこれも、刺繍で飾られた立派な寝台があることが見て取れる。しかし、広い寝室である。リビングも兼ねているのだろうか?家具調度品も中には幾つも置かれている。中に入ってみた。寝台の上には人がいた。80才ほどの老人である。この館にこの年齢の人物はサーネしかいなかったのではないのか? そっと、ドアを閉めると廊下から持ってきた蝋燭でその老人を照らし出してみた。横たわった老人は動こうともしない。それどころか、肌は土色に変色している。
「死体か? 顔立ちは街で集めたサーネのものに似ているようだが・・・」
その顔は確かにサーネ・ボルジアのものであった。だが、まだ黒味を帯びていたはずの髪の毛は完全に白髪に変わり、顔の造形もどこかおかしい。よくよく調べてみれば、全ての歯が抜けてベッドの上に転がっているではないか。
「この症状は・・・・ カンタレラ・・・」
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