暗殺者

カーチャ・ボルジア

 3年に及ぶ戦闘で国力が消耗してきるのはクレア、共和国のみではない。ラグライナ帝国すらも戦費や兵力が底を付こうとしていた。それに加えてボルティア事件の勃発で国内の世情すら不安定になりつつある。帝国の財政を任されている行政官ユリネーツとしては、なんとしても戦費を捻出しなくてはいけなかった。だが、近隣諸国と戦争を続けている以上は交易による利益は期待できない。国内市場は飽和状態であり、海外市場への進出も出来なければ市場経済がジリ貧になるのは止むを得ない事なのである。植民地政策とは国内で飽和した市場を他国に求める事から始まる。植民地になるべき土地で戦闘が続いているのは決して好ましい状況ではないのであった。だが、帝国には一つだけ戦争により利益を生み出し続けている貴族がいた。ボルジア家である。暗殺と謀略を司るこの家にとって戦争状態は誠に好ましい事なのである。秘薬カンタレラを始めとした毒物はいくら高値を付けても売ることが出来た。コーリア事変以来の政情不安が始まってからボルジアはその権力を行政の中にまで伸ばすまでに成長しているのである。ユリネーツはその点に目を付けた。
 ボルジアの持つ毒物の独占取引を帝国のものにすれば財政は潤う。当主サーネは高齢で子供は娘が一人いるだけであった。サーネさえ死ねば、ボルジアには後継者争いが起こるだろう。そこへ帝国政府が介入すればボルジアを潰す機会が生まれる。だが、どうやって段取りを付ければ良いのか? そんな頭を悩ます毎日が続いていたある時にあの男が接触してきたのだ。50才を過ぎたと思われるその男はサーネの妻の親戚筋のミニットという者だと名乗った。彼によるとボルジア内部でも謀略のイメージがボルジアの代名詞となる事を好ましく思っていないものがいると言うのである。特に当代の兄弟関係者には現当主のやり口に反発しるものが多い。分家の中でもサーネとその弟は特に仲が悪く、弟が亡くなってからも子供であるクギョーはサーネやマリアから差別を受け続けており、サーネに不信感を持っている人物の筆頭である。クギョーを挑発すればサーネ暗殺に加担するであろう。これならボルジアは内部分裂を起こす。しかも、共和国の一部隊がハルバートへ侵攻しているとの情報までユリネーツに語って聞かせた。今なら仮にサーネを暗殺しても犯行は共和国の将軍に寄るものと見せかける事が出来ると言うのである。
 驚いたユリネーツは早速、軍部に問い合わせた。確かにモンレッド戦線から離脱した騎兵部隊がリュッカへ侵攻、ここでの追撃も振り切ってルーン方面へ向かった事が明らかとなった。更にボルジアの系図にクギョーという人物がいることも間違いない。サーネやマリアが出かける時は荷物持ち、狩へ行けば犬の代わりに得物を取りに行かされるという扱いでボルジアの中では下僕同然にしか見られていないという情報も得られた。確かにあの男の筋書き通りに話が進む可能性は高い。ユリネーツはクギョーを懐柔し、サーネを暗殺させることにした。

 謀略で家を興したボルジアが謀略で滅びるとはな。サーネの葬儀に帝国行政官の一員としてユリネーツも参加した。公式にはサーネは共和国の暗殺隊に殺されたとされている。庭からは殺害された3匹の犬が発見されており、内2匹は毒殺されていた。更に館の下僕が施錠したはずの玄関ドアは何者かによってこじ開けられた跡がある。厨房で働いていたはずの料理人は刃物で背後から刺し殺されていた。庭からは血がついた短剣が発見されている。状況からすれば、外部から何者かが侵入したことは間違いなかった。ハルバートへ向かった共和国の女将軍が毒物の扱いに長けていた上に短剣を武器として佩用しているという情報もある。すべてはカーチャ部隊の犯行であることを物語っていたのであった。後は狼藉者のカーチャを逮捕して公開処刑すれば形がつく。すべては思惑通りに事は進んだ。

 葬儀会場となった教会には帝国軍の将軍達やセルレディカまでが献花に訪れていた。今更ながらボルジアの権力を思い知る。その上、殺した張本人のクギョー、幕の黒幕のユリネーツ、真の被害者になるはずのマリアまでが顔を見せている。謀略をした人間とされた人間が同じ場所で故人を偲んでいる。その非日常的な空間があたりまえのように棺の回りに広がっている事に違和感を感じているのはユリネーツのみなのだろうか? そういえば、マリアの夫は誰なのだろう? ノーザン家から婿入りしたというアワーの顔をユリネーツは見たことが無い。おそらくはこの会場へ来ているはずであるが、それらしき人物は見当たらない。ミニットというあの男は本当にボルジアの親戚筋の者だったのだろうか?後日になって紳士録を当たってみたが、ミニッツ・サザンという名前を確認することは出来なかった。この会場にいるべき二人の男の姿が見えない・・・
 献花を続ける参列者の列を見ていると、ふっと二つの事象が頭の中で結びつくことに気がついた。居るべき場所にいない二人の男、旧姓ノーザンのアワー・ボルジアとミニット・サザン。Hour と Minute、Northern と Southern。まさか・・・
「偶然にしては出来すぎている。これは同一人物だ・・・ 俺としたことが謀られた・・・」
 足が震えた。次に何が起こるかは彼自身が一番良く分かっていた。逃げよう。どこへ?判らない。だが、ここは危険すぎる。冷静になれ。冷静に。そっと会場を後にするのだ。
 ユリネーツは気を落ち着けるためにテーブルの上の水を一息で飲んだ。出来るだけ自然に会場を抜け出そう。そう思って、教会の入り口へ足を向けようとした時、目の前が暗くなるのを感じた。腰の力が抜ける。遠くで誰かが叫んでいるようだ。もう何かが起きたのだろうか? そしてすべてが暗闇に包まれた。

 クギョーは酒場のカウンターでバーボンを飲んでいた。昨日はサーネ・ボルジアの葬儀だった。まだ、遺言状は書かれていないはずだ。すべては俺のものになる。ボルジア当主の地位を得て、分家の息苦しさもなくなり社交界へも登場出来る。財産も十分にあるはずだ。アワーが反発するかもしれないが、遺言状さえなければ他家からやってきた男などにボルジアの親族が相続権を認めるはずが無い。なによりも俺には帝国の行政官がついているのだ。負けるはずがない。グラスはいつに間に空になっている。バーテンにバーボンのおかわりを注文した。そろそろユリネーツがやって来る時間である。その時、隣に緑色の髪飾りを付けた赤毛の女が腰を降ろした。
「マスター、オレンジジュースを頂戴。あら? お隣の方は立派な服装の方ねえ。貴族さんかしら?」
 屈託の無い笑顔で話し掛けてくる女性にクギョーも気を許す。
「今日までは貴族の端くれだったがな。明日になれば立派な貴族さ。」
「ふーん。そうなんだあ。貴族と言えば、昨日は偉い貴族の葬式があったそうね。皇帝までやって来て、クレイン教会は大騒ぎだったらしいじゃない。」
「俺もあそこに居たんだぜ。」
「それじゃあ、高貴な貴族さんなんじゃない。尊敬しちゃうなあ。昨日は葬儀中に帝国の行政官の人が倒れて大変だったらしいけど、見ていた?」
「その話は初耳だ。俺は早く帰って来たんでな。」
「見ずに済んで良かったね。周囲の人が駆けつけた時にはもう死体になっていたらしいから。葬儀の場だと言ってもついでに、もう一人とはいかないものねえ。」
「はっはっは。そうはいかねえだろうな。」
 クギョーにとっては本当にこの話は初耳であった。葬儀に参加しなくては怪しまれると考えて、出席はしてみたものの自分が殺した相手を前にして祈りを捧げるのはどうにもバツが悪い。早々に退席して帰宅したのであった。どちらかと言えば小心者の部類に入る男なのである。
「なんだか、物騒よね。死んだ貴族の人も寝室で殺害されたって言うじゃない。」
「共和国の暗殺隊に殺されたらしいな。憲兵隊が市内をくまなく捜索しているらしいから、直に発見されるだろう。」
「見つかったらどうなるのかな?」
「そりゃあ公開処刑さ。女性だって噂だから全裸で見せしめにされてから殺されるだろうな。」
「可愛そうだけど、敵軍だから仕方ないのかなあ。でも、よくあのお屋敷に侵入出来たよね。」
「堀を泳いで、庭から入ったって話だな。堂々と玄関の鍵を壊して侵入したらしい。」
 すべては自分が行った工作なので、そこは辻褄があっている。この点についてクギョーは饒舌になった。何よりも辻褄が合わないと進入した賊がサーネを殺した事にならないのである。自分に嫌疑がかからないようにするには、このような場でも仮想の殺人事件をもっともらしく話す必要があった。
「賊は厨房の料理人に発見されたらしいな。可愛そうに料理人は刺殺されていた。更に2階へ上がると寝ていたご当主のサーネ様の口に毒薬を流し込み暗殺してしまったらしい。お気の毒に。」
「へーえ。その共和国の暗殺隊って人は寝ている人に毒を飲ませて殺したんだ。しかも、堂々と玄関から入って!?」
「かなり手馴れた暗殺隊らしいな。共和国では有名な部隊だと聞いたが。」
その時である。赤毛の女はケラケラと笑い始めた。
「な、何が可笑しいんでぇ!」
「だって、アタシは死んだサーネの心臓に短剣を付き立ててから、ドアに施錠をして窓を破って脱出したのよ。普通なら窓から賊が入って、被害者を刺殺したと言うはずじゃない。どうして、玄関から入って毒殺したことになっているの?」
「き、貴様は共和国の女将軍か!」
 驚くバーテンダーに当身を食らわせて気絶させると、逃げようとするクギョーの腕を逆手に捻り上げる。クギョーの口からうめき声が漏れた。店には他には誰も居ない。
「うふふ。びっくりしたわよ。面会しに訪れた人が死んでいるんだものね。でも、すぐにこれは罠だと気が付いたわ。それで、アタシを嵌めようとした人物を逆に罠をかけることにしたのよ。死人に短剣を刺すのは可愛そうだったけどね。」
「お、お前は・・・」
「あれから、憲兵に追われて大変だったわよ。犯人は検討もつかないしね。でも、ボルジア内部でサーネが死んで得をしそうな人物を考えたらアナタが最初に頭に浮かんだの。で、網をかけたって訳。」
「て、てめえ汚ねぇ・・・」
「汚いのはお互い様じゃない。で、もう少し話してもらうわよ。アナタのような小心者が一人でこんな大それた事をするはずがないわ。誰かに頼まれたんでしょう? 言って頂戴!」
 カーチャは更に腕を捩じ上げる。肩からは軋む音が聞こえた。本気で腕を捻じ切るつもりのようだ。クギョーが叫び声を上げる。
「助けてくれ! 最初は乗り気じゃなかったんだ。あの行政官に頼まれて・・・」
「行政官?」
「財務を担当するユ・・・ グフ!」
 突然にクギョーは口から血を噴き出した。あっと思ったときにはもう息がない。見ると首筋にナイフが刺さっているではないか。いったい誰が? 店の入り口を振り向くとそこには身長2mはある、袈裟姿の大男が立ち尽くしていた。その姿は・・・
 唖然とするカーチャを前にして、その僧侶姿の男は低い声で語った。

「我はベンケー。ドラゴン修道院の修行僧。女性の下着1000枚を集める修行の成就を目指す者なり。」

(2002.12.14)


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