夢から醒めて
朝霧 水菜
「ん・・・・・」
まどろむ意識を覚ましながら、私は身を起こした。
布団で眠るのなんて、何年ぶりになるかもわからなかったので、ちゃんと寝つけるか不安だったが、
その心配は無事に杞憂に終わった―というか、体の方がかなり疲れていて、あっさりと寝てしまった。
数十年前は見慣れていた和室―それが懐かしく感じるようになっていたなんて、
(それだけ・・・戦場に居たのが長かった・・・という事ですか)
胸中で呟くと共に嘆息し―かぶりを振って、その考えを振り払う。
今はそんな事を考えるべきではない―少なくとも、『ここ』に居る間は。
「さて、と・・・そろそろ身支度を整えないと・・・・」
自分にそう言い聞かせて、もう1度布団に潜り込んでしまいたい誘惑を断ち切り、立ち上がる。
(大分と・・・顔色も良くなってきた・・・かな・・・・)
鏡台の前に立って、そこに映る自分の姿を見て、呟く。
ここに来た時には、本当にこれが自分の顔なのかと、目を疑ったぐらいに酷い顔をしていた。
まあ、そりゃあ、丸一日飲まず食わずに精神的な疲労も考えると、ああなっても当然だとは思うけど。
「んっと・・・・」
帯を解いて寝巻き代わりに着ていた浴衣を脱ぎ、まだ少し肌寒さの残る朝の空気に裸身を晒す。
長期に渡る戦場生活で疲れた体には、このひんやりとした空気が心地よかった。
(と・・・余りのんびりもしてられませんね・・・早く着替えないと・・・・)
また、ぼんやりとしていた自分を叱咤して、鏡台の脇に用意してもらっていた、
戦場では着慣れていた私服ではなく―巫女服を手に取り、袖を通す。
薄汚れていた私の私服を洗濯する間だけ借りられる服というのが他になかったらしい。
それでも、戦場よりも身軽な感じがするのは、やはり【狭霧】がないせいだろうか。
「水菜、起きてるか? そろそろ朝飯なんだが・・・」
―ガラガラッ・・・
間もなく、障子戸を開けて私に宛がわれた部屋に、エアードさんが顔を覗かせる。
いや、エアードさんではなかった。今、目の前に居るのは蒼主空也さん―戸籍上では、だけど。
「っと、なかなか似合ってるぞ(^^)」
「どうしてそこで笑顔になるんですか・・・」
何故か満足げに頷く蒼主さんに嘆息混じりにそう返しながら、袴の帯を締めなおす。
和服自体は着慣れていないわけではないし、袴も昔の剣術修行ではよく愛用していた物だ。
ただ、それとこの俗に巫女服と呼ばれる物とでは、やっぱり、どこか気分的な部分で違った。
「何を、お前は巫女服の良さという物が―――」
「あー・・・早くしないとせっかくの朝食が冷めてしまいますよ・・・・」
何やら妖しげな論議に突入しそうな雰囲気を感じて、
強引に話を打ち切り、蒼主さんの背中を押すように私は宛がわれた寝室から出たのだった・・・
―事の経緯を要約するとこんな感じだった。
『エアード・ブルーマスターの墓』(仮)の前でのひと悶着の後、
過労から倒れるように眠ってしまった私の扱いに困った蒼主さんが、
居候をさせてもらっているという結城紗耶さんの神社に運び込んだのが3日前の事。
それから丸一日以上意識を失っていた私が目を覚ましたのが昨日のお昼過ぎ。
まあ、幾ら眠っていたとはいえ、十分な栄養が取れないままだった私の回復を待つ間、
私について、大方の事情を蒼主さんから聞いていた紗耶さんの了承の元で、
この神社に身を寄せる事となったのがその日の夕方くらい。
その後は何日かぶりの食事を頂いた後で、再び眠りへと落ちて、目覚めたのが今朝。
「それにしても・・・ここは静かな所ですね・・・・」
正午を過ぎて、緩やかに夕方へと1日が流れていく縁側に腰を下ろし、
茶道具を借りて私が淹れたお茶で、紗耶さんに作っていただいたお萩を茶菓子にしてくつろぎながら、
静かで澄んだ空気を味わうように、ずずっ、とお茶を啜り、一息つく。
「そうですか? まだ、これでも賑やかになった方なんですよ」
言いながら、紗耶さんもお萩を取り、頬張る。
彼女と蒼主さんの間には、春華さんという娘が居る―それがここに来て最初に知った事だった。
それを聞かされたときの自分は、しかし、意外に落ち着いていたように思う。
まあ、エアードさんぐらいの格好良さなら、
そういう人が他に居ても不思議ではないと思っていたのかもしれないし、
何より、シチルでの2度目の別れ以来、ずっと気になっていた、
【エアードさんが向かったのがクレア本陣ではなかった】理由がようやくわかったからかもしれない。
「自分で思っていたよりも・・・戦場暮らしが長かったみたいです・・・・」
言いながら、湯のみに映る自分の顔を見やった。
―そこにあるのが、皮肉った笑みでもなく、疲れた微笑でもなく、単なる苦笑であった事に安堵する。
(戦場では・・・人間的にひねくれてしまいやすいですからね・・・・)
かつて、自分がそうであったように―あの荒んだ雰囲気が人を歪めてしまうのか。
「まだ、戦争は続いているんですよね。帝国と、共和国やクレアとの戦争は」
言いながら、悲しげな眼差しで、紗耶さんが遠くを見やる。
地理的な方位はよくわからないけど、多分、そっちの方に聖都クレアがあるのだろう。
同じように、そちらを見やりながら、私は改めてその事実に気づかされていた・・・
「ふぅ・・・一時はどうなるかと思ったが、案外、普通に打ち解けてるみたいだな」
物陰からその2人の様子を伺いながら、蒼主は取りあえず胸を撫で下ろした。
別に適当な山小屋でも見つけて、そこで水菜の回復を待つという選択肢もあったのだが、
その間の紗耶や春華の事を考えると、それを選ぶわけにはいかなかった。
かと言って、ここで紗耶と水菜を会わせるのも彼にとっては一種の賭けだった。
(そういや・・・あの黒猫の姿を見かけないな。まあ、居ない方が好都合なんだが)
居たとしたら言われていたであろう、罵詈雑言を考え、一つ身震いをする。
「さて・・・頼まれてた米と醤油の買い足しを早く済ませてくるか」
最後に、もう1度、2人の様子を伺ってから、彼は渡されたメモを片手にその場を後にした・・・
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