-

-本編(1) / -本編(3)

-

(2)

-

4975年7月22日 15:30
リマリック帝国領レイゴーステム、魔術師ギルド1階、ロビー

「どうだった?」奥の部屋から現れたシルヴァイル・ブロスティンに対して最初に声を掛けたのはリスティルだった。
 シルヴァイルは僅かに頬を綻ばせた。「6系統使えるって言われた。素質は緑系統魔術……回復呪文だって」
「6系統?」リスティルは目を丸くした。「それはかなり凄いじゃない。私と一緒だよ」
「そんなに凄いことなのですか?」魔術については素人同然のナイアスが訊ねた。
「ええ、そうよ。普通の人間では、5系統使いこなすのが精一杯って言われているの。より多くの系統の魔術を使いこなせると言うのは、その人がそれだけ優れた魔術師になれるであろうということを証明しているのよ」
「だとすると、シルヴァイルさんの将来は魔法戦士ですか?」
「多分ね」シルヴァイルは頷いた。「今日、素質を調べてもらった後に、魔術師ギルドの人から『ここで勉強しないか』と誘われたんだ。『あなたなら立派な魔術師になること請け合いです、今なら授業料はただです』ってね。せっかくだし、僕はこの申し出を受けることにしたんだ。明日からしばらくは、宿とここを往復する毎日になりそうだよ」
「おめでとう、これであなたも魔術師の仲間入りよ」
「ありがとう」シルヴァイルは照れながら応えた。
「では、《タイクーン・グラハム》に戻りますか?」
 ナイアスの質問に残り2人は頷いた。そして、彼らは3人並んで魔術師ギルド玄関から外へ出た。だが、この時、3人の死角から1人の少年が近付き、リスティルの体に勢い良くぶつかってしまった。
「きゃあっ!」
「うわっ!」
 短い悲鳴を上げて転倒してしまう2人。魔術師ギルド玄関前の石畳の上に、少年の持っていたバスケットとリスティルの持っていたバックパックの中身が散乱する。シルヴァイルら2人は、少年の持っていたバスケットに入っていた野菜を踏まぬように気を付けながら、転倒していた2人を何とか抱き起こした。
「大丈夫ですか?」ナイアスが少年の体を起こしながら訊ねる。
「ああ。俺は大丈夫だぜ」少年は服に付いた土ぼこりを払いながら立ち上がった。「そっちのドワーフのお姉ちゃんは?」
「痛……」シルヴァイルに背中を支えられたリスティルは顔をしかめていた。「ちょっと……後からぶつかるなんて危ないじゃないの。どこ見てたの?」
「え? 何……って、お姉ちゃんの可愛い髪型だけど……」
 少年のふざけているのか本気なのか分からない言葉を聞き、リスティルの顔が赤くなる。しかし、彼女も怒っているのか照れているのか判然としない状態だった。「な……何言い出すのよ! ふざけないで!」
「ははっ、今のは冗談。それより、これをどうにかしようぜ」少年はそう言って散乱した野菜を手で示した。
「ああ。そうだったね」
 周囲の視線を集めながら、4人は大急ぎで散乱している品物をバスケットとバックパックに戻した。約2分後、荷物整理が終ると、少年は立ち上がって軽く頭を下げ、逃げ去るようにして3人の目の前から姿を消した。
「何だったんだろ、あの子……」シルヴァイルが溜息混じりに呟いた。
「さあ……私に聞かないでよ」
「あの……」
「でも、『私の髪形が可愛い』なんて言ってくれたの、親以外じゃあの子が最初よ。お世辞やおべっかだったとしても、嬉しいわ」
「あの……リスティルさん……」ナイアスが躊躇いがちに声を掛けた。
「そう言えばそうだね」
「シルヴァイルやナイアスって、私の才能や性格は気に入ってくれているけど、私の髪型とか服装のことは全然気にしていないんだね。私はそれでも別にかまわないんだけどさ、やっぱり……」
「あの……リスティルさん?」ナイアスはリスティルの肩を突ついた。
 ようやくナイアスの言葉に気付いた彼女は後ろを振り返って訊ねる。「あれ? どうしたの?」
「バックパックから果物の匂いがするのですが……」
「果物……まさか!?」
 リスティルはバックパックを地面に下ろし、袋の口を開けた。中から漂ってくるのは、柑橘類特有の甘酸っぱい香りだった。
「これが原因……」リスティルはそう言って、中から小振りのオレンジ──日本で言うところの温州みかんのようなものを取り出した。「あの子とぶつかった時、間違ってこれを私のバックパックの中に入れてしまったみたいね。時間が無くて慌てていたから……」
「ぶつかったことへのお詫びの印?」シルヴァイルが疑問を口にする。
 ナイアスは首を捻っていた。「う〜ん、どうでしょう……。とりあえず、これはあの少年に返してあげるのが筋ですが……」
「でも、あの子の自宅ってどこなんだろう?」
 シルヴァイルの疑問に即答できる者は誰もいなかった。

4976年7月22日 16:44
リマリック帝国領レイゴーステム、高級住宅街、ジョージ・ローディ邸

 約1時間後、一般市民達の情報を得た3人は問題の少年の住む自宅へと向かった。その家はレイゴーステムの高級住宅街の一角に位置しており、外壁は漆喰と塗料によって真っ白に塗り上げられていた。玄関から中の様子を窺い知ることはできなかったが、3mを超す白い外壁と、道路から玄関へと続く階段の存在が、中に存在するであろう建物の高級感と堅牢さを3人に印象付けていた。
「ここがあの子の住む家みたいね」
「そのようです」ナイアスは頷いた。「彼の名前はブレシス・ローディ。ここに住む金貸しのジョージ・ローディさんの三男だそうです」
「金貸しの息子……そんな風には全然見えなかったな」
「まあ、そう思われても仕方ありません。僕も意外でしたから」
「じゃあ、早速入るわよ」
 リスティルを先頭にして、3人は階段をゆっくりと上へ昇って行った。そして、最上段に到着してから、リスティルが敷地の中に向かって大声を上げた。「こんにちはー! 忘れ物を届けに参りましたー!」
 だが、建物の中からの返事は無い。
「どうしたのでしょうか?」
「留守──」
「しっ! ちょっと待って!」男達2人の立ち話をリスティルが中断させた。「中から口論が聞こえてくる!」
「口論ですか? 僕には全く聞こえなかったけど……」
「ドワーフの私には聞こえるのよ。それよりも、口論の続きなんだけど……ってあ、こっちに近付いて来てる!」
 リスティルの言葉が終る頃には、敷地の中から中年男性の怒声と少年の嘆願の声がシルヴァイルら人間の耳に届くようになっていた。怒声と悲鳴は時間が経つ毎に急速に大きくなり、玄関が内側から開かれた時に最大となった。3人の眼前に立っていたのは、身長2mの大男と、大男に襟首を掴まれている少年──ブレシス・ローディの姿だった。ブレシスは大男から逃れようと必至に手足をばたつかせていたが、その抵抗は今のところ不調に終っていた。
「お、親父! 明日からは真面目になるから──」
「今日という今日は絶対に許さん!」大男──ジョージ・ローディは大声で息子の嘆願を拒否した。「今日は食事無しだ! ここで反省──」
 ジョージ・ローディがブレシスを放り投げようとした瞬間、ローディ親子とシルヴァイル達3人の目が合った。5人の間に沈黙が流れる。ブレシスはシルヴァイル達の姿を見て、額に冷汗を浮かべていた。ジョージは見たことの無い珍客に見られたくない場面を見せてしまったことを後悔し、ばつが悪そうな表情を顔に浮かべていた。シルヴァイル達は親子喧嘩に対してどう応えれば良いか分からず、無言で相手の反応を待つしかなかった。
 沈黙を最初に破ったのはナイアス・ヴォーゲルだった。「……あのう、ジョージ・ローディさんですか?」
「……ああ、私のことですか?」ジョージはブレシスを掴んだまま応えた。
「はい。実は、そちらの息子さんが魔術師ギルド前でこちらを落としていったようですので、それをお届に参ったのですが……」ナイアスはそう言って懐からオレンジを取り出した。
「あ……う……」橙色の果物を目にしたブレシスの顔色が悪くなる。
「ということは……。さては!」ジョージは息子を更に高く吊り上げた。「この人達からアクセサリーを盗んだんだな! 正直に白状するんだ!」
「え? 僕達から『アクセサリーを盗んだ』?」
 意外そうな顔をして訊ねるシルヴァイルに対し、ジョージとブレシスは渋々頷いていた。

 時計の針が17時を回った時、シルヴァイル達3人はローディ邸の応接間にいた。彼らは上座に腰を下ろし、テーブルに出された茶菓子と紅茶に手を伸ばしているところだった。食べ物に目が無いナイアスは、すぐ隣でローディ親子との面談が行われることも忘れ、茶菓子を堪能して腹の中に収めることに全神経を注いでいる。
「本当に申し訳無い」ジョージ・ローディは深く頭を下げた。既に4回目である。「息子の教育が行き届かなかったばかりに、皆さんには迷惑を掛けてしまいました。盗んだ品物はお返ししますから、どうか御容赦をお願いしたい」
 リスティルは机の上に置かれていたネックレスに手を伸ばした。元々は彼女の品物だったのだが、つい15分前まで、その所有者は眼前に座るブレシス・ローディとなっていた。「結局、私達はスリの被害者だったわけね。わざとぶつかって物を撒き散らし、それを片付けるついでに物を盗むなんて……。まあ、品物が無事に戻って来たから良かったけど……」
「どうだった? 中々の腕前だっただろ?」ブレシスはニヤリと笑った。だが、その直後には父親の拳がブレシスの脳天に命中し、彼は手で頭をかばい呻き声を上げた。
「でも、自分がスリの道具として使っていたオレンジを私達に取られるなんて、まだまだ未熟ね。それに、あなたが盗んだ私のネックレス、実は安物だったのよ。リマリックの露店で買った物だけど、20リラ(≒20USドル/筆者注)もしなかったと思うわ。だから、あなたの腕前も本職の盗賊に比べればまだたかが知れている。金持ちのお坊ちゃまがスリルを楽しむだけにちょっかいを出しただけなんでしょう?」
 リスティルの言葉にブレシスはうなだれた。そして、無言で首を縦に振った。
「まあ、物が盗まれたことに気付かなかった僕達もどうかしていたけどね」シルヴァイルは肩をすくめた。「それにしても、どうして金融業者の息子さんがこんなことに手を出していたんですか? 建物や装飾品、それに茶菓子や紅茶を見ていたら、スリに手を出さないと食べていけないほど生活に困っているようには見えなかったのですが……」
「本当に申し訳無い」ジョージは謝罪の言葉を口に出して平伏した。これで5回目である。「確かに生活には全く困っていないのです。ですが、どうもこの三男坊だけは普通の生活では飽きたらないようでしてな、スリに限らず色々と危険なことに手を出して私達を困らせておるのです。ついこの間は、ザルヴァイラス男爵様の御料地の中にある封印された祠に、幼馴染みのルッカとかいう少女と2人で行こうとしていておったのです。こっちのほうは、すんでのところで引き留まらせることに成功したのですが……」
「冒険が好きなのかしら?」
 リスティルの言葉に、ローディ親子は無言で考え込んだ。約1分後、ブレシスが先に口を開く。「冒険……っつうよりも、スリルが欲しいだけかもしれねえな。レイゴーステムの街の中で生活するだけじゃ得られないような……」
「全く、これだからブレシスは……」ジョージは小声で愚痴を漏らすと、ティーカップに残っていた紅茶を一気に喉へ流し込んだ。「そういう『スリル』とかいうものを求めて何になる? 徒に命を落とすだけではないか」
「でもよお」ブレシスは父親のほうを向いた。「俺の兄貴達2人が店を継いだら、俺には何が残るってんだ? 本店は上の兄貴が継いで、1つだけある支店は下の兄貴が継いだとしたら、俺は何をもらえるんだ? 何ももらえないだろ? それだったら──」
「家を飛び出して自分1人で食っていく?」
 リスティルの言葉にブレシスは無言で頷いた。
「しかし、それは分かるがだからったってスリに手を出しても良いとは一言も教えたことは無いぞ」
「結構難しいものね……」リスティルは肩をすくめた。
「スリって物取りのことだよね。だとしたら、盗賊ギルドに届出はしてある?」シルヴァイルが訊ねた。
「ああ、それは抜かり無いぜ。七つ道具もバッチリ貰って──」
 ブレシスの言葉が終わらないうちに、ジョージは息子の頭上に拳を振り下ろしていた。鈍い衝撃音とブレシスの呻き声が上がる。
「……くぅ〜、親父……今のはやり過ぎじゃ──」
「こいつは……スリだけじゃなく盗賊の七つ道具まで手にしおって……。いつの間に、こんなに反社会的になった? 仕事に手を出すにしても、それは人様に迷惑を掛け過ぎだろうが」
「今年に入ってから──」真面目に返答しようとした息子の頭を父親の鉄拳が襲う。
「あの……殴り過ぎじゃ……」ブレシスのことが心配になったリスティルが声を掛ける。
「いや、それは大丈夫。私も父から何度も頭を殴られていましたからな。それに、口だけでしつけができると思ったら、それは大間違いですぞ。皆さんの家がどうだったのかは知りませぬがが、これが我がローディ家のしつけの方法でしてな」
「はあ……そうなの……まあいいですけど」リスティルは溜息は漏らした。「……でも、このブレシスのことはどうするつもりなの? 今のままだったら、また懲りずに1人だけで危険で違法なことに手を出してしまうでしょう? 今回は、たまたまお父さんが事件を見つけたから穏便に済んだけど、他の街の人がブレシスを捕まえたらどうするつもり? お父さんだって無事じゃすまないでしょ?」
「まあ……。父親である私としては、息子が悪いことをしていなければそれで満足なのですが。放任主義と思われるかもしれませんが、これもローディ家のしつけでしてな。それに、今年で16歳になるブレシスは、もう大人扱いしても良い頃。長男と次男も、16歳になった頃には実社会に出て色々と苦労していたことですしな」
「なるほどね……。だったら、こうすればいいんじゃないかしら?」
「……リスティル、じゃあどうすればいいと思ってるんだい?」シルヴァイルが訊ねた。
「ねえ……私からの提案なんだけど……私達と一緒に組まないかしら?」
 リスティルの口から飛び出した提案を聞き、男達4人が一斉に動きを止める。茶菓子を平らげることに専念していたはずのナイアスですら、口と手を止めてリスティルの顔を見つめていた。
「一緒に組むってえと、冒険者かい?」ブレシスが訊ねた。
「そう」リスティルは頷いた。「さっき聞いた話だと、ブレシスって盗賊ギルドの正規会員になってるんだったよね? それだったら、私達と一緒に組んでもいいと思うんだけど。今、私達には盗賊のなりてがいないから困っていたところなのよ。それに、4人で一緒に活動するんだったら心配もいらないでしょ? 一応、私達3人は世間様の常識は心得ているし」
 リスティルからの提案を聞き、ジョージ・ローディは腕を組んで考え込んでいた。若い頃から堅気の世界しか知らなかったこの金融業者にとっては、冒険者という存在そのものに対して、アウトローで危険な連中というイメージを抱いていたのである。その冒険者に息子を送り出してくれと提案されることは夢にも思っていなかった。だから、彼はリスティル達の言葉を聞いても、首を横に振ることしかできなかった。「御好意はありがたいのですが、今ここで『はい、そうですか』とすぐに受け入れるわけにはいきませんな」
「そうですか……」リスティルは残念そうな表情を浮かべずに応えた。このような回答になることはあらかた予想していたのである。
「私のような人間にとっては、たとえ合法的であったとしても、息子をそう簡単に危険に晒すことはできませんな。それに、これはブレシスの問題でもある以上、彼との相談が不可欠……だろう?」
「ああ」ブレシスは頷いた。「そんな、今すぐに『冒険者になれ』と言われても決まるわけねえし。だから、ちょっと待ってくれねえか。親父だけではなく、他にも色々と相談したい相手がいることだしよ」
「それなら別にいいわ。……とにかく、私達に盗賊が足りないのは事実よ。こうして出会ったのも何かの縁だし、せっかくだから一緒に冒険してみないかしら? 私達は《タイクーン・グラハム》にいるから、もしその気になったらそこに来て。私達はいつでも待ってるから」リスティルはそう言って立ち上がった。ナイアスとシルヴァイルも後に続く。
「もうお帰りですかな?」
「はい」ジョージの言葉にシルヴァイルは頷いた。「僕達のほうの用事は全て終りました。それに、盗まれていたネックレスも無事に戻りました。これ以上の長居はお邪魔になるだけでしょう? それに──」
「それに?」ブレシスが訊ねた。
「お仕置の続きと御相談に時間が必要でしょう?」
 シルヴァイルの言葉にローディ親子は顔を見合わせ、ジョージは苦笑いを、ブレシスは諦めの表情を浮かべていた。

4976年9月15日 04:41
リマリック帝国首都リマリック、東部高級住宅街、ゼーブルファー・ロストファーム邸、寝室

 質素な装飾品に囲まれたダブルベッドの上でシルクのシーツにくるまれながら、1組の男女が体を横たえていた。1人はこの館の主であるゼーブルファー・ロストファーム。そしてもう1人は、ゼーブルファーの妻であるマーヴェル・ラムサール・ロストファームであった。夫より1歳年上の44歳であるマーヴェルだが、その体はまだ30歳当時の若さを保ったままである。絹のシーツに被われた上からも、胸元の豊かなふくらみが呼吸に合わせて上下に動いていた。肥満体であることを否定する腰のくびれも残されていた。
「……ねえ、あなた」マーヴェルは横を向き、ゼーブルファーの胸に手を添えて訊ねた。
「ん? どうしたんだ?」
「今日の『饗宴』、なかなか楽しかったわよ。素人を相手にするのもたまにはいいわね」
 ゼーブルファーとマーヴェルの語る「饗宴」は、リマリックにあるロストファーム公爵宅のワイナリーを改造して作られた通称“プレールーム”──実態は警察機関に設置されている「特別尋問」室(=拷問部屋)と大差無かった──で行われていた。夫妻は「饗宴」の主催者となり、雇っているメイドや護衛・冒険者達を相手に過激なプレーを繰り返していた。大蔵大臣の重責を担うリマリック帝国屈指の実力者がゼーブルファーの表の顔だとすれば、この退廃的な「饗宴」の主催者というのは裏の顔であった。
 ただし、リマリック帝国で行われている「特別尋問」とは異なり、プレーに関わる人間は全て、「饗宴」への参加に「同意」していた。これが彼らの「饗宴」を特別なものにし、また秘密裏の存在にさせていたのである。「饗宴」の存在が発覚すれば彼らの失脚・投獄は免れないので、「饗宴」の存在も、ワイナリーを改造した“プレールーム”の存在も秘密でなければならなかった。また、帝国政府の高官の中で、「饗宴」に興味を持ちそうな人間を選び出し、彼らを来賓として招待することも忘れなかった。帝都リマリックの警視総監も来賓の中に含まれており、しばらくの間は、ゼーブルファー達の「饗宴」が官憲の摘発対象に加えられることは無さそうだった。
「気に入ってもらえたか」ゼーブルファーは唇の端を歪めて笑った。
「ええ。普段はメイドばかりを相手にしていたから、ちょっと飽きてきたところなの。冒険者だけあって、体も立派だったわ。お客様にも満足して頂けたことだし」
「それは良かった」ゼーブルファーは安堵の溜息を漏らし、来賓として加わっていた女性の顔と肢体を思い起こしていた。もう1人の来賓であった内務省官房長も、「饗宴」に加わっていた女性の姿を見て満足そうに不気味な笑みを浮かべていた。
 ──マーヴェほどではなかったが、若くて瑞々しい女性だったな。しかし、こういった女性達と交わることによってマーヴェの美貌が──
「でも……」ゼーブルファーの想像を遮るかのようにマーヴェルが声を上げた。
「どうした?」
「彼女……処女だったわね。これは意外だったわ」マーヴェルは苦笑いを浮かべた。「あなたも意外だったでしょ?」
「ああ」ゼーブルファーは微かに首を動かした。「フィアンセだとかいう冒険者の男……ええと……」
「レスフェルト・ヴィルヌーブ。自分の護衛の名前ぐらい覚えないとダメでしょう?」
「ああ……。彼が恋人に手を出していない禁欲的な男だったとはな……。まあ、雇った時に、『堅物そうな男』という印象は持っていたから、予想通りと言えなくもないがな」
「……とりあえず、朝になったら、彼女の手当をして上げないと大変だわ」マーヴェルが不安げに漏らした。
「その心配は要らない。既に、メイド達に回復呪文の準備を整えさせている。それに、フィアンセのレスフェルトは遠出をしている最中だ。12月にならないとリマリックに戻って来れなかったはず。だから、それまでの間に、傷を治して『口止め』をするか、『調教』を完了させねばなるまい。彼女が我々の言いなりになったら、あの男とて手は出せまい……。それか、金で解決するか……」
「それはダメよ」マーヴェルはゼーブルファーの上に覆い被さった。「金と権力で片付けてしまうのは簡単だけど、それじゃあ面白くないわ。ここの駆け引きが『調教』の醍醐味なんだから」
「またそれを言う……」
「いいじゃないの、それが私の唯一の楽しみなんだから」
 マーヴェルはそう言って微笑んだ。だが、ゼーブルファーにはその笑みが不気味に思えてならなかった。ゼーブルファーにとってマーヴェルとは、加虐嗜好の性癖を持つ同好の士であり、互いを愛する関係にある大事な女性であったが、時には彼女に対して、単なる愛情や好意とは全く異なった感情──強いて言うならば「恐怖感」を抱くこともあった。このような時には、彼女の妖艶な笑みも悪魔の誘惑に感じられてならなかったのである。
 ──まるで、マーヴェは若い女性から力を吸い取っていく「吸血鬼」ではないか……。
「どうしたのかしら?」マーヴェルは真顔に戻って訊ねた。
「いや、何でもない」ゼーブルファーは首を横に振る。「さて、今からどうするかね? 明日……いや、今日は休みだが」
「それなら決まってるでしょう?」マーヴェルはそう言って夫の体に腕を絡ませた。「今夜はもう1回いくわよ」

4976年10月22日 20:19
リマリック帝国領レイゴーステム、宿屋《タイクーン・グラハム》1階、食堂兼酒場

 ブレシス・ローディと別れてからのシルヴァイル・ブロスティン達は、その後いくつもの依頼を着実に成功させていた。迷宮に潜って秘宝を発見するような大々的な成功には巡り会っていなかったものの、その堅実な仕事ぶりは早くもレイゴーステムの街で評判になりつつあった。シルヴァイル自身の魔術師としての修行も順調に進んでおり、3人の冒険者としての前途は非常に明るいものであった。しかし、パーティーに盗賊がいないという問題点は是正されることは無かった。3人が期待を繋いでいたブレシス・ローディが《タイクーン・グラハム》に現れることは無く、また3人が新しい盗賊をパーティーに迎え入れることも無かった。
 そんな中、シルヴァイル達に新しい仕事の依頼が舞い込んだ。3人は少し遅い夕食を終えると、新しい仕事の概要を確認するべく、依頼の仲介者である《タイクーン・グラハム》主人の待つカウンターへと赴いた。
「ああ、食事は終ったか。それなら丁度良かった」
「あたらしい仕事の依頼があると伺いましたが?」
「その通りだ」ナイアスの質問に主人は首を縦に振った。「ここから北に2日ほど行った所にあるシーディング村。この村の周りに山賊達が現れたということで、その退治の依頼が舞い込んで来ている。丁度、今、手が開いている冒険者はお前達だけだったから、お前達に退治しに行ってもらいたいというわけだ」
「山賊の人数などは分かるかしら?」リスティルが訊ねる。
「依頼を持って来たシーディング村の住民によると、相手の人数は5人から15人の間らしい。村から少し離れた廃屋をアジトにして活動を始めているようだ。村に連中が現れたことは1回も無いが、このままだと狩猟と林業に支障が出るから、できる限り早く排除して欲しい、ということだ」
「レイゴーステムの官憲は動かないのかな?」
 シルヴァイルの質問に主人は首を横に振った。「いや、こういう山賊退治の仕事は冒険者が請け負うのが普通だ。相手の数が多くなったらお役人や兵士も動き出すが、それまでは冒険者が事態の解決に当たることになっている。その代わりに、冒険者の活動全般に便宜を図ってもらっているんだがな。本当だったら、武装した連中が集団で集まるような場所なんて、お役人達は決して認めないだろうよ」
「確かにそうね」リスティルは頷いた。「それで、話を元に戻すけど、山賊退治に関する細かい条件ってあるの?」
「詳細は村で聞いてくれ、ということらしい」主人は首を横に振った。「肝心の報酬だが、村のほうで金品を用意する他、山賊達の持っていた財産の大半をそのままもらっても良いということだ」
「ゴブリン退治の時と条件は同じですね」ナイアスが言った。
「村人にとっては、ゴブリンも山賊も一緒だ。村の大切な食料なんかを持ち去ってしまう困った連中だからな。……で、どうするかね?」
 主人の質問に最初に答えたのはシルヴァイルだった。「断る理由なんて無いよね?」
「そうね。そろそろ次の仕事が欲しかった頃だし。ナイアスもこれでいいでしょ? 人数がちょっと少ないのが気になるけど」
「はい」ナイアス・ヴォーゲルは頷いた。
「決まりだな。それなら、一緒に戦ってもらう『仲間』を紹介しよう」
「仲間?」リスティルとナイアスが同時に口を開いて訊ねる。
「今、リスティルが言っただろう、『人数がちょっと少ない』って。だから、新しい冒険者を2人紹介しようと思う」主人はそう言い、すぐ近くの椅子に腰を下ろしていた女性を手で示した。「こちらが新しいパートナーの1人……と、あれ? 連れはどうした?」
「トイレって言ってた」
 主人の質問に答えた女性は立ち上がってシルヴァイル達のほうを向いた。あどけなさだけが現れている顔や、「成熟している」とはとても言い難いプロポーション、甲高い声など、その姿は明らかに「女性」ではなく「少女」として形容すべきものであった。身長もドワーフであるリスティル──現在142cm──よりも僅かに高い程度であり、少女としての外見を一層際立てていた。
 ──僕達よりも若いのだろうか? だとすると、14歳か13歳……?
 シルヴァイル達の微かな不安を無視するかのように、少女は明るい声で自己紹介を始めた。「ごめんなさい。お友達が今いないので、私だけで先に自己紹介を済ませるよ。私はルッカ・クトローネ。これからは『ルッカ』と呼んでいいよ」
 ──「ルッカ」? どこかで聞いたことのある名前だな……。でも、どこだったっけ?
 シルヴァイルは胸の奥に沸き起こった新たな疑問を無視して訊ねた。「ええと……今、何歳?」
「9月で13歳になったばかりだよ」
 ルッカ・クトローネが想像以上に低い年齢だったことを知った3人は互いに顔を見合わせた。リスティルの顔には不安が広がっている。3人の動揺を見て感じ取った主人は、咳払いしてから言った。「一応付け加えておくが、彼女は素質に恵まれた召喚術師だ」
 主人の言葉を聞いたシルヴァイルは安堵の表情を浮かべた。「『祝福された子供』だね?」
「あったりー!」ルッカはそう言って軽く拍手した。
「……何ですか、それ?」ナイアスが訊ねる。彼の隣では、リスティルが怪訝そうな表情を浮かべている。
「召喚術師としての素質に恵まれている人のことを『祝福された子供』って呼ぶんだ。10000人に1人しか存在しないと言われているけど、こういった人達は、生まれた時から多くのモンスターを召喚獣として使役する才能に恵まれていて、幼い頃から召喚魔法を勉強させてモンスターと接触させていれば、10歳にならないうちに多数のモンスターを召喚することが可能になるんだ。今のルッカがどのくらいモンスターを仲間にしているかは知らないけど、これから冒険を続けていくのだったら、とても心強い仲間になるはずだよ」
「さすがは宿屋一の物知りだな」
「マスター、からかわないで下さい」シルヴァイルは照れ笑いした。「ナランド神殿の司祭様のお話を棒読みしているだけですよ」
「召喚術師……こんな小さい子供がねえ……」ドワーフの社会ではまだ未成年であるリスティルが呟いた。
「いやいや、召喚術師の子供というのは決して珍しくないからな。逆に、子供ならではの純真な心を持っているが故に、モンスターとの交渉もスムーズに進みやすいものだ。我々冒険者の世界では、『優秀な召喚術師を探したければ子供を見つけろ』なんて言われているほどだからな。まあ、所詮は子供なので、人間相手の交渉では足手纏いになるかもしれんが、召喚魔法の腕前は確かだ。私が保障してやる」元冒険者でもある主人が言った。
「それは心強いですね」元冒険者の言葉を聞き、ナイアスもようやく納得した。不安が無いと言えば嘘になるが、残された不安は彼女が子供であるが故に仕方無いものばかりであった。とりあえず、今は貴重な戦力が1人増えたことに満足するしかなかった。
「それはそうと、君が自己紹介してくれるんだったら、僕達も自己紹介しないといけないね。……初めまして。僕はシルヴァイル・ブロスティン。魔術を勉強中の戦士です。これからよろしくお願いするよ」
「よろしく〜」ルッカはシルヴァイルの手を握った。「魔法戦士だったら、とても心強いね。それに、頭も良さそうだし」
「ありがとう」シルヴァイルは隣に立つ2人を手で示した。「で、こちらが仲間のリスティル・ゴートさんとナイアス・ヴォーゲルさん。それぞれ、専業の魔術師と商業神クリーヴスの神官戦士をしています。僕よりも強く頼り甲斐のある人達ですよ」
「シルヴァイルさん、過大評価ですよ」ナイアスの顔は照れの為に赤くなっていた。
「それは良かった。私は新米の召喚術師だから何もできないけど、よろしくね」
「こちらこそ」
「よろしくお願いします」
 ルッカはリスティル、ナイアスの順に握手を交わした。「さて、後は私のお友達を紹介しないと……」
「どういう人なの?」リスティルが訊ねた。
「え? 私の幼馴染み。んで、とっても格好いい人なの。今は盗賊をやっているけど──って、やっとトイレが終ったみたい」ルッカは相方の男性を見つけると、大きく右手を振った。「何してるの! こっちこっち!」
 盗賊はルッカの姿を確認すると、大股で5人のほうに歩み寄った。そして、軽く右手を上げてシルヴァイル達に挨拶した。「よっ、こんばんは」
「ああっ! あなたは!」リスティルがやって来た盗賊を指差して大声を上げる。
 彼女が指差した先に立っていたのは、ブレシス・ローディだった。「お姉ちゃん、お久し振りだぜ」

-

『Campaign 4980』目次 / 登場人物一覧
-本編(1) / 本編(3)


-

-玄関(トップページ)   -開架書庫・入口(小説一覧)