-

-本編(1) / -本編(3)

-

(2)

-

4999年1月20日 11:10
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

 シルクス帝国首都シルクスの安全と治安を統括するシルクス警視庁。その最高責任者である警視総監の執務室は、尖った形状をしている建物の南西側の角に位置していた。南側に大きく作られたガラス張りの窓からは、帝都シルクスの町並みを見下ろすかのように高くそびえ立つ帝城と、その周囲を取り囲む幅40mの大環状道路を見ることができる。
 この部屋──そしてこの建物の主であるナヴィレント・ティヴェンス警視総監は、毎日のように、帝城の威圧的な姿を目にしていた。普段は帝城の姿に対して特に感慨を抱かない彼であったが、この日は帝城の姿がより一層大きくなったかのような錯覚を覚えていた。帝都シルクスで発生した新たな難事件が、彼の心に無言のプレッシャーとして圧し掛かっていた証拠でもあった。
「女の子が連続して失踪した? どういうことだ?」
 警視総監の直属の部下であるキロス・ラマン秘書官が、報告書に目を落としながら早口で説明を始めた。「1月5日から今日までに、判明しているだけでも4人の10代の女性が失踪しています。彼女達の失踪に関しては、目撃情報が限られており、我々も捜査に手間取っております」
「単なる失踪の可能性はあるのか?」
 ラマン秘書官は首を横に振った。「捜査官や被害届を受理した事務官の話によると、彼女達には自発的に家出したり失踪したりするだけの理由が存在しないそうです。例えば、1月17日に届出がありましたセリス・キーシングの場合、彼女が喘息を患っていたため定期的に薬の投与を受けており、その薬が切れると激しい発作に襲われてしまうんだそうです。母親の話によりますと、既に1回、セリスは激しい発作を起こしており、『薬無しでの生活が困難であることは身を以って思い知っているはずだ』と言うのです。いずれにせよ、捜査官達や事務官達は、一連の事件は全て故意によって引き起こされているのではないかと考えています。ただ、現在のところ、犯人の目星は全くついていないようですが……」
「彼女達が別の犯罪を引き起こしたという可能性は?」
「現在調査中です。ただ、捜査官達はその可能性を『皆無に等しい』と見積もっています」ラマンは報告書から目を上げた。「閣下、実は、この事件に関しまして、現場の捜査官達と被害届受付係のほうから、捜査官の増補の要請が出されておりますが、いかが──」
 ティヴェンスは首を大きく横に振った。「今はそんな人員の余裕は無い。内務省や内閣の面々は、別の事件を最優先課題と位置付けておられるのだ。従って、我々もその意向に従わねばならん」
「では、増強の予定は無いのですか?」
「3番街での連続殺人事件か、シルクス港での宝石盗難事件の一方が解決するまでは増強できない。そう返答しておいてくれ」
「……かしこまりました」
 ラマン秘書官が退出したのを見届けてから、ティヴェンスは忌々しげな表情を浮かべ、首を横に振った。
 ──しかし、同時に3つの大事件が発生するとは……。どうやら、今年は警視庁にとっての厄年になってしまったようだな……。
 現在、シルクス警視庁は連続女性失踪事件の他にも、2つの大きな事件を抱えていた。
 1つは3番街で発生した連続殺人事件である。犯行が行われた時間帯がいずれも深夜であることや、被害者の年齢や犯行手口に一定の法則性が見出せない点、そして犯人が魔法の技術に長けた人物であるらしい点など、捜査官達にとっては頭の痛い課題が山積みされている事件であった。警視庁は囮捜査を試みた──無防備な格好をさせた捜査官を3番街に派遣したのだが、その結果は大失敗に終わった。犯人は囮を完全に無視し、捜査官達が歩き回っている場所とは全く別の所で新たな犯行を重ねていたのである。既に、この正体不明の犯人によって7人が殺害されていた。
 もう1つの事件はシルクス港で発生した宝石盗難事件である。シルクス港の脇に建てられていた倉庫街の中で、エブラーナ近郊の封建領主が保有する倉庫の鍵が壊され、時価50万リラ相当の宝石・装身具が盗まれたのである。こちらの事件のほうは、手掛かりや証拠品が多数残されており、3番街での連続殺人事件と比較すると、事件は大きく進展していた。だが、シルクス港の倉庫街を日常的に使用する各地の封建領主達の間からは、可及的速やかな事件の解決を求める声が上がっており、これらの声が内務省、そして警視庁に対する圧力となっていたのである。警視庁もこの声を無視するわけにはいかず、封建領主達の求めに応じる形で、捜査官の多くを宝石盗難事件の捜査に割り当てていた。その結果、現在進行中(?)の連続女性失踪事件の捜査はなおざりにならざるを得なかった。
 ──しかし、よりにもよって3つ同時だとは……。
 4998年9月に警視総監に就任したナヴィレント・ティヴェンスにとっては、3つの異なる犯人達から同時に挑戦状を叩き付けられたような気分であった。地道な捜査手腕と卓越したライフル銃の腕前、それに加えて管理者としての才能が認められ、ここまで順調に出世の道を登ってきた彼にとっては、56歳にして初めて味わう大きな困難と挫折であった。
 ──この椅子に座れるうちに、何としても解決したいものだ。お城にお住まいになられている「あの御方」のためにも……。
 彼は警視総監の椅子の背もたれに手を置き、目の前の帝城を無言で眺めた。一般市民として生を受け、リマリック帝国軍と警察機構の組織を実力だけで勝ち抜いてきた彼には、当然のように多数の味方と敵が存在する。味方となったのは、ナヴィレント・ティヴェンスと同じように封建領主以外で出世した民間人であり、彼の敵となったのは、彼のような新参者の出世を快く思わない、頭の「固い」封建領主達であった。それぞれの陣営のリーダーが、共に眼前の帝城に住んでいる人物である点が、この対立をより一層複雑かつ解決困難にしていた。図らずも、シルクス帝国を二分するパワーゲームの一方に加担してしまった現状においては、ティヴェンス警視総監の成功と失敗は、彼の側のチームの得点と失点に直結していたのだ。
「『あの御方』の信頼を裏切ることだけは避けねば……」

4999年1月20日 21:15
シルクス帝国シルクス、某所

「しかし、君の手腕は見事なものだな」髭面の男はそう言いながら髭無しの男の持つグラスに白ワインを注いだ。
「偶然が重なっているだけだ」髭無しの男はそう言って白ワインを喉に流し込んだ。「3番街で発生した連続殺人事件にシルクス港での宝石盗難事件……。いずれも、我々が手配して起こしたものではない。我々とは関係無いところで勝手に起きた事件だ。私と部下たちは一切関わっていないぞ」
「それは驚いたな。しかし、たとえ偶然だとしても、その偶然を生かしている点は見事だな」
「今のは誉め言葉だな?」
「そうだ」髭面の男はそう言うと、自分のグラスに白ワインを注いだ。「警視庁の動きが封じられるのはいつまでだと思う?」
「2月一杯が限度だ。もっと早く動き始めるかもしれん。あの組織は、人数は少ないが職員は有能だからな。油断してかかると酷い目に遭うことになる。それに、あの組織のリーダーが我々の統制から外れている点も気になる」
「君達の『チーム』とは反対側に属しているわけか」
「その通りだ。私のお偉方とかは、去年の9月に彼の就任を阻止しようと動いたが、皇帝陛下と宰相がそれを力でねじ伏せ、奴の警視総監就任を認めたのだ。警視庁が我々の手の内にあれば、彼らの行動を送らせることも可能だ」
「手は打ってあるのか?」髭面の男はそう言って白ワインを口に含んだ。
「無いわけではない。今から試すところだ」

4999年2月5日 11:20
シルクス帝国首都シルクス、5番街、内務省4階、内務大臣執務室

 帝城の南南西──5番街の先端に位置する内務省の庁舎は、2世紀以上も昔に建築された石造りの建物である。皇帝の直轄地──皇室に参加しているテンペスタ家とルディス家が支配する地域──で適用される法律は、全てこの建物の中で作られていた。
 この建物の主であるイシュタル・ナフカス──宰相兼内務大臣は42歳。リマリック帝国大学の法学部教授から転身して政界に身を投じた彼女は、4992年に34歳の若さで西リマリック帝国の法務大臣に就任した。その後、リマリック帝国が崩壊してシルクス帝国が成立してからは、法務大臣時代の実績が認められ、シルクスの政界の頂点である宰相に就任し、リマリック帝国時代の法務省を受け継いだ内務省のトップも兼任することとなった。その政治的手腕と公平さは誰もが認めるところであり、ナヴィレント・ティヴェンスも彼女のことを年下でありながら尊敬していた。そして、彼女がシルクス帝国を分断する権力抗争から身をひいていた点が、彼女の素晴らしさを更に高めていたのである。
「お忙しい中、突然お呼びして申し訳ありませんでした」
 魔術師が好んで着用するローブを身に纏ったイシュタル・ナフカス内務大臣は、手を差し出しながらティヴェンス警視総監に話しかけた。その物腰と仕種には優雅さも感じられる。
「いえいえ。これも私の任務ですからな」ティヴェンスは手を握りながら返答した。
「ありがとうございます。とりあえず、こちらでお話しましょう」彼女はそう言って、ティヴェンスを室内の中央に置かれている応接机に案内した。
 応接机に面した布張りのソファに腰を下ろしたティヴェンスは、机の上に載せられた木製の盆に向けた。その中には、甜菜から取れた砂糖を焼き固めて作られた菓子が、盆からはみ出しそうになる程に詰まれていた。以前、内務大臣──宰相自身からティヴェンスが聞き出した話によると、この菓子は旧帝国首都リマリックの名物で、70代になった彼女の両親が毎年手作りして、【召喚魔法ペガサス】で送り届けているのだそうだ。
 ──多分、ついこの間に仕送りがあったのだろう……。
 そんなことを考えながら、ティヴェンスは盆の中に手を入れ、つかんだ砂糖菓子をそのまま口に運んだ。「名物に旨い物なし」という言葉があるが、ここに盛られている菓子は、この一般原則の例外として扱っても良いほどの美味であった。彼女の両親はいまだに健在であったということでもある。
 宰相イシュタル・ナフカスが腰を下ろした頃には、隅で待機していた秘書によってティーカップが2つ置かれ、温められた紅茶が静かに注がれる。秘書が黙礼して部屋から退出した時には、高級茶葉の豊かな香りが部屋中に広がっていた。
「寒いですね」イシュタル・ナフカスは差し障りの無い話題を選んだ。
「ええ。リマリック帝国大学の話では、今年の冬は予想以上に寒くなるということでしたが、本当にその通りになりましたね。まあ、3月までは辛抱しなければならないでしょう」
「私の両親も無事だと良いのですけど」彼女は紅茶を一口だけ飲むと、ティーカップを置き、今までの温和な表情を崩し、鋭い眼差しを持った真剣な表情を見せた。「……ところで、警視総監閣下」
 ティヴェンスもいつもの真顔に戻る。「何でしょうか?」
「今朝の閣議で、シルクス港で発生した宝石盗難事件の捜査を急ぐように、との要請が出されました」
「それについては──」
「指名手配を完了した、とは伺っています。でも、まだ犯人は見つからないのでしょうか?」
「残念ながら、まだ犯人は見つかっておりません。既に、帝国内の全都市に対して指名手配書を送付致しましたし、帝国に出入りする全ての船舶に対する検査を行うように要請致しました。我々が得ている情報では、犯人は帝国から逃げ出してはおらず……恐らくは帝都シルクスのどこかに潜伏しているはずなのですが……」
「だけど、まだ見つかっていない……」
「はい。残念ながら……。捜査を指揮するレイモンド・フォン・ビューロー警視には、毎日のように『犯人を早く見つけろ』と言い続けていますし、警視のほうも鋭意努力してくれているのですが、犯人のほうが1枚上手でして、奴を逮捕することはできないのです。奴さえ逮捕できれば、シルクスで発生している連続女性失踪事件の捜査も大々的に実施できるのですが……」
「その事件も気になっているのですが……」イシュタルは溜息をついた。
「現在までに失踪した女性は10人です。残念ながら、こちらも未解決です」
「何とかお願いします」イシュタルは頭を下げた。「シルクスの治安ということもあるのですが、年頃の娘を持つ母親としては、あの事件が怖くて仕方無いのです。いつ娘がさらわれるのか不安なのです」
「閣下のお気持ちは分かります」
「娘達も心配しています。特に17歳になる長女は外出を控えるようになってしまったんです……」
「そうでしたか……」
「ですから、是非とも警視庁の皆さんには頑張って頂きたいのです。『捜査が遅れている』という批判は私も耳にしますし、私のところにも同じような抗議や苦情が寄せられていますし……」
「分かりました」ティヴェンスはそう言いながら立ち上がった。「我々警視庁の面子もかかっています。鋭意努力しましょう」
「頑張って下さい」イシュタルは微笑んだが、すぐに厳しい顔付きに戻った。「でも、市民や内閣は言葉ではなく具体的な成果を期待しています。希望的観測を述べる回数には限度があることは、決して忘れないで下さい」
 ティヴェンスは宰相の厳しい言葉に一瞬だけたじろいたが、表面上はすぐに平静さを取り戻した。「大丈夫です」

4999年2月5日 11:58
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

「ビューロー卿はどこだ?」
 執務室に入るなりすぐに、ティヴェンスはラマン秘書官に質問した。
「現在、捜査の陣頭指揮のために出掛けておられますが」
「なるほどな」
 ティヴェンスはそう言って自分の椅子に腰掛けた。この時の荒々しい仕草が、ラマン秘書官には不自然に写った。
「内務大臣から何か言われましたね?」愚問とは分かっていたが、ラマンは訊ねることにした。
「ああ……。3つの事件を早く解決しろと圧力を掛けられた。状況次第では、私を解任せざるを得なくなるらしい」
「かなり露骨な脅しですね」
「実際に大臣がそう話したのではない。私がそう受け取っただけだ。しかし、大意としては間違ってないはずだ」
「そうですか。で、その圧力をそのままビューロー卿にお伝えするつもりだったのですか?」
「まさか」ティヴェンスは首を横に振った。「現場の人間に『首になりたくないなら働け』と命じるのには限度があるぞ。彼らのやる気を殺ぐことになりかねないしな。だから、彼らには遠まわしな表現を使ってそのことを話すつもりだが……」
「夜になってからでも良いと思われますが」
「そうだな」

4999年2月6日 20:10
シルクス帝国首都シルクス、某所

「そろそろまずいようだ」髭無しの男がティーカップを口に運びながら言った。
「まずい? 人手が足りなくなったのか?」
「違う」髭無しの男は首を横に振った。「『商品』確保のほうは順調に進んでいる。だが、警視庁のほうが危険になっている」
「危険……捜査が本格的に開始されるのか?」
「そういうことだ。警視総監が宝石盗難事件の捜査チームに対して、かなり強力な圧力を掛けたようだ。警視総監のほうは遠まわしな表現を使って控えめに述べたつもりだったのだが、現場の捜査官達がその言葉に震え上がったらしい」
「警視庁の足止めはこれ以上不可能か……」
「方法を変えねばならんな」

4999年2月8日 16:07
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁1階

 この日は珍しく平和な1日であった。いつもならば、毎日必ず誰かがのこの窓口に現れ、新たな犯罪が発生したことをデニム達に訴え出るのであった。だが、この2月8日には、誰1人としてこの窓口に現れなかったのである。デニム・イングラスが被害届の窓口に配属されてから初めての「奇跡」であった。
 しかし、デニムの心中は穏やかではなかった。彼の心の中には常に、1月5日以降に発生した連続女性失踪「事件」のことが引っ掛かっていたのである。最初の「犯行」からは既に1ヶ月以上が経過し、失踪した女性達の数は更に増えて合計11人となっていた。だが、彼女達の足取りは全く掴めていなかった。重要な目撃証言は、最初の「被害者」となったルザミア・ヴィンセンスが1月5日にシルクス港で目撃されたという情報のみであり、その他に手掛かりとなるような有益な情報は全く得られていなかったのである。まるで雲隠しにあったかのように、11人の女性が忽然と姿を消したのであった。また、事件の情報が広まるにつれシルクス市民の間に事件に対する関心と不安感が広まりつつあった。犯人──存在したと仮定して──からの犯行声明や要求の発表が一切行われていないこと、被害者の生死が未だに不明のままであること、そして犯行現場の手掛かりが少な過ぎる──そもそも「犯行」が何処で行われたのかが定かではない──ことが、市民の不安を増幅させていたのである。
 ──いなくなった女性達、本当に大丈夫だろうか……。
 デニムは閑散としていたロビーを眺めながら溜息を吐いた。デニムの彼女達に対する不安も日に日に高まりつつあった。特に、彼は被害者となった女性達の両親と直接顔を合わせていたため、この不安感──そして心配を掻き立てていた。彼が後ろを振り返ってみると、上司であるサーレント・スレイディーの不安と焦りと落胆の入り混じった顔が目に入った。
 ──デスクワークに回されて捜査に参加できなくなったため、余計に心苦しいんだろうなあ……。
 デニムが再度溜息を吐いた時、彼らの近くに1人の中年官僚が歩いてくる姿が目に入った。
「スレイディー警部補、イングラス事務官。よろしいかね?」中年官僚の男性は事務的な口調で2人に話し掛けた。
「はい。何でしょうか?」デニムは立ち上がりながら訊ねた。
「突然で申し訳無いが、新しい辞令が下った」
「人事異動ですか?」サーレントも立ち上がっていた。「では、ここは──」
「被害届の受付は別の人間に任せる」中年官僚はサーレントの言葉を遮った。「今は優秀な人材をより1人でも多く『最前線』に回すべき時なのだ。そして、我々は君達2人を十分に有能な人材であると判断したのだよ。とりあえず、君達2人には、今すぐに第2会議室に来てもらいたいのだ。これはティヴェンス警視総監の御意向でもある」
 デニムは怪訝そうに訊ねた。「第2会議室? あそこは宝石盗難事件の──」
「いや、違う」中年官僚は首を横に振った。「宝石盗難事件は昨日の夜に犯人が逮捕されて無事解決した。今日の午後から、あそこは連続女性失踪事件の捜査本部となった。君達にはその捜査チームの一員として加わってもらいたいのだ」
「現場復帰ですか?」サーレントが瞳を輝かせながら訊ねた。
「その通りだ」中年官僚は頷いた。「つい先程、ティヴェンス警視総監閣下が、帝都シルクスで発生している連続女性失踪事件に対して大規模な捜査を開始すると決裁された。シルクス港で発生した宝石盗難事件が片付いたから、そこに投入されていた捜査員達を全てこの事件に割り当てるおつもりだ。しかし、宝石事件の捜査員だけでは人員が足りない。……というわけで、君達にも捜査に加わってもらいたい。よろしいかね?」
 2人ともこの命令に逆らう気は毛頭無かった。

4999年2月8日 16:15
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、第2会議室

 デニムとサーレントが地下の薄暗い第2会議室に到着した時、部屋の中には既に20人ほどの捜査官達が待機して、小さな声で連続女性失踪事件のことを相談していた。宝石盗難事件の捜査の時に様々な年齢の人物が集められていたらしく、頭には僅かな白髪しか残されていない老人や、デニムと同様に警視庁に配属されてまだ間も無い女性捜査官の姿も見られた。
「かなりの数ですね」デニムは小声でサーレントに話しかけた。
「お偉方は本気だ、ということだな。そのほうが、俺達も安心して捜査できるからありがたいがね」
「確かにその通りです」
 その時、先程デニムが見かけた女性捜査官が2人の存在に気付いた。赤茶色のロングヘアを持つ彼女は僅かに微笑み、2人に向かって手を振った。デニムも同じように、微笑みながら彼女に手を振った。彼女はそれ以上の反応を示さず、顔を会議室の別の方向に向けた。
「……警視庁では始めて女から声をかけられたようだな。しかも美人だ」
「そんなことはないですよ」サーレントの意見に対しデニムはむきになって反論した。
「むきになることも無いだろう? 事実だし。むきになって反論しているから、逆にそう思われるんだぞ」
「じゃあ、そういう先輩はどうだったんです? もてていたんですか?」
「捜査が忙しかったからそんなことを気にする余裕すらなかった。声を掛けられたとしても気付いてなかったな。そういうわけだから、女房も警視庁の外から見つけることになったんだぞ。……しかもお見合いでだ」
「美人で素晴らしい奥様じゃないですか」デニムは昨年11月上旬にサーレントの自宅に招かれており、その時にサーレントの妻であるノア・ジェストマイア・スレイディーと会っていたのである。この部屋に待機している女性捜査官とは異なりショートヘアであったが、美人であるという点では共通していた。
「外から見たらそうかもしれんが、一緒に暮らすとこれが結構大変なものでな……。あいつの良い点だけじゃなく悪い点もはっきり見えてしまうものだぞ……。実は、俺の女房って、料理は得意だが掃除は大の苦手なんだ。だから、休日には俺が代りに家の掃除をしてやっている」
「それは初耳ですね」
 デニムが応えた時、部屋の一角から男性──デニム達をこの部屋に連れて来た中年官僚の声が聞こえてきた。「今から1回目の捜査会議を開始する。準備はよろしいかな?」
 捜査官達の話し声が止み、室内が静寂に包まれた。
「では始める。まずは、今回の捜査は、宝石盗難事件の時と同様に私が担当することとなった。私と始めて顔を合わせる者もいるので、この場で改めて自己紹介をさせて頂く。私はレイモンド・フォン・ビューロー。以上だ」
「……簡単な説明ですね」デニムはそっとサーレントに耳打ちした。
「時間を浪費して詳しく話すべきだと思ってるのか?」
「いいえ、全然」デニムは首を横に振った。
 中年官僚──ビューロー卿はすぐに仕事の話を始めていた。「事件の概要を簡単に説明する。1月5日以降、帝都シルクスから11人の女性が失踪した。彼女達はいずれも安定した家庭に生まれ育ち、家出・駆け落ち・亡命・出家など、現在の家庭を放棄するだけの合理的理由は1つも存在しなかった。また、彼女達が失踪した前後の状況も、彼女達が自発的に姿を消したという可能性を否定している。以上の情報を総合して考えると、得られる結論は1つとなる。彼女達は極めて悪質な事件に巻き込まれた可能性が高い、ということだ」
「誘拐とか殺人とかですか?」捜査官の1人が声を上げた。
「その通りだ」ビューロー卿は頷いた。「従って、今回の事件にはできる限り早急な対処が求められる。被害者達の安全確保のためだけでなく、更なる事件発生を防ぐためにも、我々は全力を挙げて犯人を逮捕せねばならない。手掛かりが少ない事件ではあるが、君達ならば必ずや犯人を捕まえられるものと確信している。また、帝国政府のほうも捜査に全面的に協力することとなっている。既に、内務省からは事件の懸賞金として5万リラが、その他の捜査資金として15万リラが用意された」
 「総額20万リラの援助」と聞き、捜査官達の間にざわめきが起こった。前回の宝石盗難事件のときに捜査本部に用意された予算は8万リラに過ぎず、しかも実際には犯人が早期に逮捕されたためにそのうちの6万リラは使われずに返還されていたのである。警視庁首脳部の事件に対する意気込みが、目に見える数字という形で捜査官達に伝わっていたのだ。
「静かに」ビューロー卿は会議室内を静かにさせてから話を再開した。「今回の事件に対しては、警視総監ナヴィレント・ティヴェンス閣下も大変心を痛めておられ、我々捜査官に対しても早期解決をお求めになっている。そして、シルクス市民達の間からは、事件に対する不安とその早期解決を望む声が上がりつつあるのだ。我々はこの2つの期待に応えるべく戦わねばならない。何もせずに新たな被害者が現れるのを見過ごすわけには行かないのだ」
 多くの捜査官達の首が縦に振られた。デニムの隣でもサーレントが力強く頷いていた。
「明日から早速捜査を開始する。この部屋に待機している24人の捜査官を3人1組の8チームに編成し、各チーム毎に帝都シルクスのうちの1ブロックの聞き込みを担当してもらう。人数が少ないと思われるかもしれないが、現在捜査中の3番街連続殺人事件が解決され次第、その捜査員をこのチームに投入する手筈が整っている。現時点では『少数精鋭』ということで頑張って頂きたい」ビューロー卿は懐から羊皮紙を取り出した。「では、早速チームを発表する」
 この後、デニムとサーレントの耳には聞き慣れない名前──宝石盗難事件の捜査に当たった者達──が耳に入ってきた。2人は捜査官達の名前を覚えようと必死になったが、覚えられたのは目立った身体的特徴を持つ数人の人物のみであり、その他多数の捜査官達の顔と名前を一致させることはできなかった。やがて、チーム分け発表は第7チームまで進み、残るはデニム達が配属されるであろう第8チームのみとなった。
「第8チームには」ビューロー卿は羊皮紙を見ながら言った。「リーダーとなるサーレント・スレイディー警部補の他に、デニム・イングラス事務官、そしてセントラーザ・フローズン巡査が参加する。……以上だ」
 ──「セントラーザ」って、確か女性の名前ではなかったか……?
 デニムは先程の女性捜査官のほうに顔を向けた。彼女はデニムの姿を認めると、先程の同じように微笑みながら──今回はウインクもしながら──小さく手を振った。デニムのほうはかすかに微笑み返すだけにしておいた。
「何か質問は無いかね?」ビューロー卿の声がデニムの耳に届いた。「では解散する」
 捜査責任者が部屋から退出すると、会議室内に捜査官達のざわめきが戻った。女性捜査官──セントラーザ・フローズンは、軽く溜息を吐くと小走りでデニムとサーレントの元へ近寄った。改めて近くで彼女を観察すると、適度にグラマーな体格であることが分かった。それと、大きく見開かれた茶色の瞳もとても印象的で、彼女の優雅で美しい赤茶色のロングヘアをひき立てていた。
「どちらがサーレントさんでどちらがデニムさんなの?」
「俺がサーレントだ」サーレントは自分を指差しながら説明した。「で、こっちの若いのがデニムだ」
「ええと……そう、私がデニム・イングラスです」デニムはややぎこちない口調で挨拶を述べた。「10月に警視庁へ入ったばかりでして、色々と分からないこともあるのですが……」
「そこまで堅くならなくても大丈夫。敬語使わなくてもいいわよ。私も同じだから」
「え? そうなんですか?」デニムは意外そうに訊ねた。「10月1日の宣誓式には顔を見せてなかったよう──」
「いきなり風邪ひいて休んでたの。次の日には『基本がなっとらん』と雷落とされちゃったけどね」セントラーザはそう言うと舌を出して笑った。
「そうだったんです──」
「だ・か・ら、敬語はいいって」セントラーザは言葉に合わせて指を立て、デニムの言葉を遮った。「同期なんだから気にしないで。下手に敬語使われると調子狂っちゃってこっちが大変なのよ」
「分かった。気を付けるよ」
「ありがとう。……それから」セントラーザはサーレントのほうを向いた。「年上の人相手にも敬語使わないことがありますけど、そこは我慢して下さいね。まだ社会勉強が足りない未熟者ですし」
「俺は一向に構わん。仕事をしっかりとしてくれるなら、どんな奴だろうが気にせんからな」
「はい、頑張ります……って、しまった。自己紹介を忘れちゃった」
 セントラーザはそう言うと真顔になり、両足を揃えて直立すると軍隊式の敬礼──肩を右手の位置まで上げてから折り曲げ頭に添える──の姿勢をとった。サーレントもそれに合わせて同じ格好を取った。警察官としてではなく官僚として国家に仕えることになっていたデニムは「文官式の敬礼」──直立した後に右手を胸の辺りで折り曲げる──をした。
「小官はセントラーザ・フローズン巡査。この度、帝国政府の命により、恐れ多くも連続女性失踪事件の捜査に参加させて頂くことになりました。何卒よろしくお願い存じ上げます」
「了解した」サーレントはそう言うと、直立不動の姿勢と敬礼を解いた。「楽にして」
「はあ……終わった……」セントラーザは深く息を吐いた。「こう言うのって苦手なんです」
「実は俺達もそうなんだ、なあ?」
「ええ……まあ、そうですね」
「とりあえず」セントラーザはそう言って手を差し出した。「これからよろしく!」
「こちらこそ」
「大変だが頑張れよ」
 3人の手が堅く握り締められた。こうして、第8チームの活動が正式にスタートした。

-

『異端審問所の記録』目次 / 登場人物一覧
-本編(1) / -本編(3)


-

-玄関(トップページ)   -開架書庫・入口(小説一覧)