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4999年2月11日 07:13
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、第2会議室
全捜査員を集めて行われた朝の定時例会の冒頭、捜査を指揮するビューロー卿が朝の挨拶を行った。その内容は捜査員達に衝撃を与えるの十分過ぎるものであった。
「極めて残念なことだが、昨日の夜にまた失踪事件が発生した」
捜査官達の間にざわめきが起こる。ビューロー卿はそれを手で制してから報告を続けた。「被害に遭ったのは2番街に住むエレハイム・カッセルとその妹ソフィア。4番街の酒場《溶岩親父》で働いていたウェイターとダンサーだが、今日の朝になっても自宅に戻っていないと両親が届け出ているのだ。これで合計の被害者は13人となった。そこで、我々警視庁としては、事件解決を早めるために、昨日解決した3番街での連続殺人事件に動員されていた捜査員を、明日から全て本件に投入することとなった」
捜査官達の間から再度ざわめきが上がった。これにより、シルクス警視庁は合計で63人の捜査官──事件捜査を担当する捜査官133人の約半分を連続女性失踪事件に投入することとなったからである。ここまで大々的な捜査はシルクス警視庁の歴史──4985年に警察署から格上げされて以来──では初めての事であった。
「既にシルクス市民の間には、動揺と我々警視庁に対する不信感が現れつつある。事件の可及的速やかな解決こそが、市民と国家の安全を守るために必要不可欠なのだ。では、仕事を始めてくれ」
ビューロー卿はそれだけ言い残し、足早に第2会議室を後にした。残された捜査官達は近くに立っていた同僚とこの新しい情報について相談を始めていた。
「これで本気になったわけですか……」最初に口を開いたのはデニムだった。
「ああ」サーレントの声には力強さがみなぎっていた。「これで捜査も大分楽になるぞ」
「そうですね」セントラーザも同意見だった。「じゃあ、早速始めますか?」
「どこから行くかね?」
「アナセル・ロヴノと、グレスト・シュトライザーの自宅です。彼らからソロン博士との関係などを聞き出します」
「フェールスマイゼンの調査だな?」
「はい。8番街の聞き込みはその後に回しましょう。とりあえず、この薬が最も有力な手掛かりの1つになった以上、それを丹念に追っていかねばなりません。でしょう?」
セントラーザとサーレントは無言で頷いた。
「では、行きましょう」
デニム達が1階への階段を上る途中、唐突にセントラーザが訊ねた。「サーレントさん」
「どうした?」サーレントは後ろを振り返らずに訊ねた。
「今回の事件の動機、どう思います?」
「連続女性失踪事件のか?」
「はい」
サーレントは間髪いれずに返答した。「俺は知らん。それは犯人に聞け」
4999年2月11日 08:25
シルクス帝国首都シルクス、8番街、アナセル・ロヴド邸
宝石商の未亡人であるアナセル・ロヴドの自宅は、ジョセフ・キーシングの住む家と同様、一戸建てであった。夫人の性格なのだろうか、草木が植えられている小さな庭は隅々まで手入れが行き届いていた。
「アナセルさん」デニムが玄関のドアをノックしながら声を出した。「アナセルさん、いらっしゃいますか?」
「留守なのかしら?」
「朝早くここに来る俺達のほうが非常識かもしれんが……」
サーレントが呟いた時、ドアの向こう側から人の歩く音が聞こえてきた。そして、ドアが静かに開き、50歳ほどの女性が顔を覗かせた。寝巻きのままで現れた彼女の髪は乱れており、まだ起きてから時間がほとんど経っていないことを示していた。眼のほうはまだ半開きといった状態である。
彼女は眠たそうな声を出した。「私がアナセルですか……何か御用でしょうか?」
「はい。実は、我々はシルクス警視庁のもので、連続女性失踪事件を調べております。それで、あなたに1つお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「はあ……(ふあ〜)」アナセルは大きく欠伸をした。「……別に構いませんが……」
「1月20日に、フラマリス・ソロン博士からフェールスマイゼンをお買い求めになりましたね?」
「ええ……そうですが……」
「失礼ですが、理由をお聞かせ願いませんか?」
アナセルは目を擦りながら答えた。「……実は、私の姪があの日に遊びに来てたんです。そしたら、その子が急に喘息の発作を起こしましてねえ……ええ、大変でしたよ。ですから、姪の喘息の発作を抑えるために、私が買いに出掛けたんです。普段は姪はファルーザ神殿から薬を買っていましたけど、丁度あの日は切らしてたんです」
「つまり……?」デニムの後ろでセントラーザが小声で言った。
「こちらはシロってわけか」サーレントも小声で応じた。
「姪のお名前と住所を教えて頂けますか?」デニムはそう言って、懐から繊維紙と羽根ペンを取り出した。
「ええ……構いませんが……」アナセルはデニムが取り出した繊維紙に姪の名前と住所を書いた。「これがそうです。……それにしても、今のお話があの事件の解決に役立つのでしょうか……?」
「はい。そうなると思います」
──間違った可能性が否定できたのだから、大きな収穫なのだろうな。
4999年2月11日 09:54
シルクス帝国首都シルクス、7番街、アパート4階
グレスト・シュトライザーの住所とされた場所は、7番街の中では最も貧しいスラム街の一角に位置していた。
「こっちが当りっぽいな」4階へと続く階段を上りながらサーレントが言った。
「そうですね。こんなところに住む人があんな高額の薬を買えるとは考えにくいですし」デニムが応えた。
「まあ、世の中には例外ってものも時々あるからな。実は、スラム街の貧しい住人達が無け無しの銭を出し合って、幼い喘息持ちの少女にフェールスマイゼンを買ってやったという美談だった……ってな可能性もあるからな。実際にグレストとか言う人物にあって話を聞いてみよう」
3人が辿り着いた4階の部屋の玄関には、表札も何も掛けられていなかった。彼らの目の前にあるのは、古臭い木製のドアだけであり、何者かが生活しているという痕跡は全く見られなかった。
「空家なのかしら?」
「さあ」デニムはアナセル・ロヴド邸を訪れた時と同様に、玄関の扉を数回叩いた。「すみません。こちらは警視庁です。どなたかいらっしゃいませんか?」
デニムは手を止めて中からの反応を待った。だが、1分経っても応答が無い。
「どうする?」サーレントが訊ねた。
「もう1回試してみましょう」デニムは更に力強くドアを叩いた。「グレストさん、いらっしゃいませんか!?」
「ここにはいねぇよ」突如として、3人の背後から男性の声が聞こえてきた。
「どういうことです?」セントラーザが振り向いて訊ねた。
「言っただろ? ここにはいねぇって」
不精髭を生やしぼろぼろの服に身を包んだその男は4階と5回の中間の踊り場から降りてきた。彼の右手には陶器の瓶が握られ、3人のいる場所に近付くにつれ、ウイスキーの持つ独特の匂いが彼らの鼻に伝わってきた。
「あの……朝から酒を?」デニムが躊躇いがちに訊ねた。
「別に構わねぇだろ? 俺は夜働いてんだし。え?」
「そりゃまあ……そうですが……」
「それはそうとしてだ、あんたに聞きたいことがある」サーレントはそう言って、懐から10リラ銀貨を取り出し男に投げた。
「へへっ、こいつぁありがてぇな」不精髭の男は銀貨をズボンのポケットにしまった。
「グレストとかいう人物がここに住んでないか?」
「いいや、全然」不精髭の男は首を横に振った。「この部屋はここ2年の間全く使われんかったよ。空家のままさ(ヒック)」
「では、向かいの部屋はどうなんだ?」サーレントはそう言って向かい側の部屋のドアを手で示した。
「わざわざそんなことも聞くんですかい?」
「聞いてはまずいかね?」
不精髭の男は無言のまま手を差し出した。
「商売繁盛なことだ」サーレントは10リラ銀貨を男の手のひらに乗せた。
「どうも、旦那」男は銀貨を同じポケットに入れてから説明した。「こっちとおんなじ。誰もいねぇはずさ」
「いない『はず』?」セントラーザが眉をひそめた。「どういうこと?」
「確かに空家なんだが(ヒック)……、時々、無人のはずの部屋から話し声が聞こえてやがんだ……。全部、夜中のことなんだけれど、まだ確かめちゃいねえ」
「話し声?」デニムが訊ねる。
「ああ。幽霊か人間か、詳しいことは知らねえ──」
「人間だ」サーレントが断言するように言った。「絶対、人間に違いない」
「……まあ、どう考えようが、知ったこたぁねぇがな。物音が聞こえてたのは間違いねぇぜ。……んじゃな」
男はそれだけ言い残して、自分の部屋がある5階へと戻って行った。
「……どうする?」上の階でドアが締まる音がしたのを確認してからデニムが訊ねた。
「そりゃあ……調べるっきゃないよね? サーレントさん」
「うん……まあな」サーレントは躊躇いがちに頷いた。
4999年2月11日 19:30
シルクス帝国首都シルクス、7番街、アパート4階の一室
前日──厳密には同じ日でもあるが──の深夜に、4番街でエレハイム・カッセルとその妹を誘拐した男達3人は、午後6時から指定されたアパートの一室──「グレスト・シュトライザー」の「住所」となった部屋の向かい側の部屋に入り、報酬を受け渡す相手の男性が到着するのを待ち続けていた。元々の予定では午後7時の受け渡しの約束であったが、既に大幅な遅刻となっている。
彼らがこの部屋を借りているのはあくまでも違法である──シルクス帝国政府には届けていない──ので、彼らの行為が露見することだけは避けねばならなかった。室内に用意されている照明は僅かに蝋燭1本だけである。
「遅いな」蝋燭の側で男達の1人が呟くように言った。
「ああ。金ができてなかったんじゃねえのか?」
「まさか」最初に口を開いた男が反論した。「金が足りないなんて話、聞いたことないぜ。俺達の雇い主は、金の支払いだけはしっかりしてたんだからな。今度もそう信じようや」
「俺達、裏切られたんじゃ──」
「そんなことはねえだろ!」
2人から少し離れた場所で木窓の隙間から様子を窺っていた男が、木窓を閉めて室内の2人のほうを振り向いた。「おい、声が大きいぞ。この部屋を借りてることが極秘だってこと、承知してるだろうな?」
「……ああ」男達の1人が渋々頷いた。
「だったら、もっと静かにしてることだな」男はそう言って木窓を僅かに開き、路地の監視を再開させた。
4999年2月11日 19:32
シルクス帝国首都シルクス、7番街、グレスト・シュトライザーのアパート近くの路地
「今窓が閉まって……また開いたぞ」サーレントは4階の部屋を眺めながら言った。「風がほとんど吹いていない今だと、人間が住んでるってことだな。良かった良かった、無駄足にならずに済んだな」
「そうですね。……ところで先輩」デニムがアパートのほうを見つめたまま訊ねた。
「……どうした?」
「どうして、あの男の言葉に過剰に反応したんですか? 『あいつは人間に違いない』って大声で言い出して……」
「実はな……」サーレントは一息ついてから答えた。「俺、幽霊が大の苦手なんだ……」
「幽霊が嫌いって……本当ですか?」
「そうなんだ。子供の頃に温泉に遊びに行った時な、風呂場で男の子供の幽霊を見てしまったんだ……」
「へえ……」セントラーザは興味深げにサーレントを眺めていた。
「次の日の朝になって、宿屋の主人に聞いてみたら、数年前に風呂場で足を滑らせて死んだ子供が実際にいたって話してた。それを聞いたら、足がすくんで動けなくなって……。それ以来だな、幽霊とかゾンビとかスケルトンとか聞くと、体の芯から震え上がるようになったのは」
「こいつはいいこと聞いちゃった」セントラーザはニヤッと微笑んだ。
「おいおい」サーレントは苦笑いした。「今じゃ、昔ほどは怖がらなくなったぞ。残念だったな」
「へえ、そうなんですか。今度、試して──」
「待って下さい!」セントラーザの言葉はデニムによって中断させられた。「誰かがアパートに入ります!」
4999年2月11日 19:34
シルクス帝国首都シルクス、7番街、アパート4階の一室
「遅かったじゃないか」男達の1人が客に文句を言った。
「すまん。こちらも色々とあったのでな」客──エレハイム達を運び去った御者の1人──はそう言って、懐から袋を取り出し、蝋燭が置かれている机の上に静かに乗せた。「これが約束の報酬だ。100リラ銀貨と10リラ銀貨だけで構成されている。全部数えてみれば15000リラになるはずだ」
「人間1人で7500リラか」木窓から外を見張っていた男が鼻を鳴らした。「『シンジケート』の中間マージンはいくらになる?」
「それは君達の知ったことではない。『シンジケート』が決めることだ。下っ端であるはずの君達が知らなくても良いことだ。下手に知って消されたいとでも思うかね?」
「いいえ、滅相も無い」男達の1人が慌てて首を横に振った。
「それならば良い。無駄な詮索はしないことだ」客はそう言うとドアのほうへ向かった。「そうだ。君達にもう1つ伝えねばならんことがある」
「何だ?」
「次の仕事は2月26日に知らせる。それまではフリーだ。良いな?」
「了解した」
客は返事を確認すると、振り返らずに3人の部屋を後にした。
4999年2月11日 19:37
シルクス帝国首都シルクス、7番街、グレスト・シュトライザーのアパート近くの路地
「1階を見ろ」サーレントが2人に注意を促した。「誰か出て来たぞ」
「先程の男性ですね」デニムも男の姿を確認した。「用事が終わったのでしょうか?」
「多分な……って、ちょっと待て。また誰か出て来たぞ」
男に続いて現れたのは、3人組の男性の一団であった。彼ら周囲を警戒しながら1階に現れたが、辺りに人影がいないことを確認すると急に警戒を解き、ごく普通の若者に戻ったかのように会話を始め、最初の男とは正反対の方向へと歩き出した。彼らが着用していたのはごく普通の麻製の服であり、着衣にこれといった特徴は見られなかった。
「あの部屋にいた人達なの?」セントラーザが声を潜めて訊ねた。
「多分ね」デニムは軽く頷いた。
「で、これでこの部屋の怪しさが増したわけだな」
「尾行しますか?」デニムが訊ねる。
「……どちらを尾行してみるかね?」
「分かれてみましょう」セントラーザが提案した。「私とデニムが3人組、サーレントさんが残り1人」
「よし、それでやってみよう。ただし、無理はするな。身の危険を感じたらすぐに警視庁へ引き上げるんだ」
サーレントの言葉にデニムとセントラーザは頷いた。
4999年2月11日 19:47
シルクス帝国首都シルクス、7番街
男達3人はデニムとセントラーザに尾行されているとは気付いていなかった。
「2500リラずつもらったな?」
「ああ」男達の1人が頷いた。「これで当分は楽ができそうだぜ。滞納していた家賃も払えそうだしな」
「くれぐれも派手な豪遊だけはするんじゃないぞ。足がつくからな」
金回りが急に良くなることは、その人物に臨時収入があったことを意味する。この事実が犯罪捜査の突破口になることは決して少なくない。
「それは分かってるぜ」
やがて3人は7番街の一角にある十字路へ到着した。
「じゃあ、とりあえず、明後日の7時に会おう」男達の1人が提案した。
「分かったぜ」
「じゃあな」
男達は軽い挨拶を交わすと、小走りで別々の路地の中へ消えて行った。
4999年2月11日 19:48
シルクス帝国首都シルクス、7番街
眼前を移動していた怪しい男達が十字路で別々の方向へ分かれ、小走りで離れ始めていたことにデニム達は気付いていた。
「……ねえ、デニム」セントラーザが小声で囁いた。
「うん」
「どうする?」
デニムは躊躇うこと無く答えた。「正面の奴を追おう」
セントラーザは無言で頷く。
2人は音を立てないように注意しながら歩く速さを速めた。だが、正面を小走りで動く男はすぐに左へ折れ曲がり、2人の前から姿を消した。
──気付かれたか?
デニムは心の中で舌打すると、セントラーザを引き離して走り始めた。そして、問題の男が消えたと思われる場所で立ち止まり左右を見回した。右側には誰もいない。そして、左側を向くが、そこにも問題の男の姿は見られなかった。路地の中にある交差点を折れ曲がったのだ。
デニムはセントラーザを無視して路地の中に飛び込んだ。そして、音を立てようとも構わずに20mを走り、次の十字路へ辿り着いた。彼は立ち止まって左右を見回したが、既に問題の男の姿は消えた後であった。
──しまった! 見失ったか……。
4999年2月11日 19:50
シルクス帝国首都シルクス、7番街
デニムが追っていた男は、帝都シルクスの路地の角を何度も不規則に折れ曲がっていた。最も安全に尾行をまく方法である──彼をこの世界に引きずり込んだ「シンジケート」の人間はこう言って教えていた。男は「シンジケート」の教えを忠実に守っていただけであり、背後から内務省事務官が尾行を試みていたことは知る由も無かったのだが、彼は尾行から身を守ることに成功していたのである。
──それにしても……俺はここまで落ちぶれてしまったのか……?
彼は立ち止まらずに首を横に振った。
──いや、全ては「あの方」の為だ。そう、「あの方」の……。
彼は父親との喧嘩の果てに家を飛び出し、このアウトローな世界に足を踏み入れていた。全ては彼が崇拝していた「あの方」が原因であった。彼が父親から教わっていた世界観を否定し、彼が求めていた思想の全てを提示し、そして彼に新たなる人生への道を開いた。彼がその男によって導かれ辿り着いた世界とは、薄汚い犯罪の世界であった。無論、「あの方」がそのようなことを公衆の面前で教えていたわけではなく、彼が「あの方」や「シンジケート」に命じられていたこととは明白に矛盾する内容であった。
しかし、彼は「ある人物」の命令を「快く」受け入れていた。罪悪感を感じたことも一切ならず存在したが、結局は「『あの方』の御命令だから」という考え方を受け入れていた。彼は「あの方」の教える言葉ではなく、「あの方」そのものを崇拝していた。
だが、彼はそれでも構わなかった。今では「あの方」が自分を支えてくれる全てだったのだから。
4999年2月11日 21:05
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、第2会議室
今回の連続女性失踪事件の捜査を指揮するレイモンド・フォン・ビューロー警視は、デニム達3人から得られた報告にも顔色を変えなかった。「──尾行に失敗したことも含めて、全て本当かね?」
「報告したことは全て事実です」3人の中で最も地位の高いサーレントが代表して答えた。「それをどう解釈されるかは警視次第ですがね。いずれにせよ、我々3人が掴んだ手掛かりは、連続女性失踪事件の解決に役立つかもしれない情報だと思われます。このまま調査を継続させるだけの価値はあると思いますが?」
「しかし、我々が追っている事件との関連性との間に、いくつもの中間段階が存在するではないか? まず、フラマリス・ソロン博士から喘息の特効薬であるフェールスマイゼンを買ったグレスト・シュトライザーについてだが、彼がソロン博士に対して提出した書類の記録されている住所は無人だった。次に、その正面の部屋も無人だった。そして、この部屋には不審人物が出入りしている可能性が極めて高く、君達3人が不審人物の出入りの様子を目撃している。また、グレスト・シュトライザーがフェールスマイゼンを購入した目的は、セリス・キーシングの延命措置の為だと推測される。……これだけの中間段階を経た上で、君達は『あの建物に出入りしていた4人の人物が連続女性失踪事件の重要参考人になる』と主張するわけだな?」
「ええ。その通りです」
ビューロー卿は納得しかねる、という表情を浮かべて訊ねた。「論理的にはあまりにも弱過ぎないかね? グレストが薬を購入した動機とか、この薬の購入元ををソロン博士にした理由とか、グレストが用意した架空の住所と目の前の部屋に入っていた謎の男達との関係とか、問題点を挙げればきりが無いぞ。推測としては興味深い出来映えだとは思うが、推測を支えるだけの事実に乏しいことが致命的だな。今のままだと、グレスト・シュトライザーを私文書偽造で指名手配し、謎の4人組を建造物侵入で現行犯逮捕することぐらいしかできないぞ。それから、もし、今その措置に踏み切ったとして、連中が本当の犯人だったとしたらどうするのかね? 次からの犯行は防げるかもしれんが、行方不明になった女性達を探すのが今よりも困難になると思われるが」
「その点も承知しています」サーレントは素直に認めた。「ですが、これが突破口の1つになりうるのは否定できないでしょう? もう1つの突破口であるシルクス港倉庫街の監視に比べれば、確実性が低いのは認めますが」
「ふむ……」
「それに、いくつかの謎は現状の情報だけでも説明可能です。例えば、グレストがタンカード神殿やファルーザ神殿からではなくソロン博士からフェールスマイゼンを購入した理由ですが、これについては、公文書偽造に問われるのを嫌ってのことだと思います。ソロン博士に対する書類提出に嘘を書いた場合は、ただの私文書偽造で済みますが、神殿に対する書類を偽った場合は、間違い無く公文書偽造に問われ、最悪の場合は死刑に処せられてしまうんです。また、グレストが薬を買い始めた理由をセリス・キーシングの治療だと推測するのは、書類の偽造と時期的問題という2つの要素が存在するからです。不幸なことに、私の頭はこの2つを偶然の一致で片付けられるほど単純にはできてないものでしてね」
「私の脳味噌が単細胞であるかのような言い草だな」ビューロー卿は嫌味を込めて言い返した。
「いえ、そう言うつもりで今の表現を申し上げたのではありません。単に、ここにいる3人──特に私は札付きのひねくれ者でして、少しは穿った見方をしないと納得できないような人間ばかりである、という意味で申し上げたまでなのですが」
──僕はひねくれ者じゃありませんよ……多分……。
デニムは心の中でサーレントに反論した。
ビューロー卿は無言で足踏みしていたが、やがて足を止めると3人に向かってこう言った。「……話は分かった。ならば、新しく捜査に加わることになる人間の一部を、問題となったアパートの監視に付けよう。そして、君達には、今まで通りの聞きこみ調査を担当してもらうことにする。この方針で納得してもらえるな?」
「承知致しました」サーレントは頷いた。とりあえず、ビューロー卿が3人の出したアイデアを部分的にせよ受け入れてくれたことで、彼らは納得し満足することにした。
「では、明日からも頼むぞ」
ビューロー卿はそう言うと、別の捜査官の報告を受けるために3人の所から離れた。ビューロー卿の注意が他の捜査官に向けられたのを見て、デニムとセントラーザは大きく安堵の溜息を吐いた。警視庁とシルクス帝国の官僚機構では最下層に位置している2人にとっては、ただの中間管理職に過ぎないビューロー警視でさえも「雲の上の存在」に見えていたのである。無論、彼らが警視に提示した推論に、彼ら自身があまり自信を持っていなかったことも影響していたのだが……。
「先輩、上手く行きましたね」
「俺も自信は無かったがな……。結果が良かったから、それで良しとするか」
「それにしても、サーレントさんってすごいんですね」セントラーザが茶化すように言った。
「まあな。伊達に年を食ってるわけではないしな」
4999年2月13日 19:28
シルクス帝国首都シルクス、某所
「『商品』はどうなっている?」髭面の男が訊ねた。
「既に13集まった。残るは7だ」
「品質のほうはどうだ? 大丈夫なのか?」
「(モグモグゴクッ)……それは心配ない」髭無しの男はライ麦のパンを飲み込んでから答えた。「今回の『商品』はズバリ『多様性』が売り文句だ。全く異なるタイプの『商品』を用意できている。どのタイプの顧客にも満足していただけるぞ。無論、『シンジケート』にも喜んでもらえるだろう」
「期待して良いのだな?」
「最も新しく『入荷』した『商品』が上玉でな、今まで私が用意しなかった新しい趣向だ。『お手軽な』『商品』を求めておられた殿方にはぴったりだろう」
「腰が軽い『商品』?」
「そういうことだ。……とりあえず、残り7つの『商品』も良い品になると思う」
「楽しみだな」
4999年2月16日 16:34
シルクス帝国領リマリック、リマリック内務局1階
「デスリム・フォン・ラプラス様」
カウンターの奥から女性の声が聞こえてきた。ラプラスはそれを聞くと、無言で立ち上がりカウンターまで歩み寄った。
「こちらが今回の御引越しの費用となっております」女性はそう言ってカウンターの上に布袋を置いた。「合計で3500リラとなっております。1000リラ金貨2枚と100リラ銀貨15枚です」
「分かりました」ラプラスはそう言うと、カウンターの上で布袋を開き、袋の中身を確認した。「金貨が1、2……で、銀貨が1、2、3……(中略)……13、14、15。間違いありません」
「分かりました。それから、エブラーナでのお住まいは、内務省エブラーナ局長の公舎です」
「え? 誰か住んでいるのでは──」
「実は」女性職員は声を落とした。「今のエブラーナ局長は地元の人間でして、エブラーナに自宅を別に持っていらっしゃるんです。ですから、局長公舎は空家になっているのです。局長のほうも別に構わないと仰っております」
「それはありかたいですな」
「はい。それでは良い旅を」
「ありがとう」
ラプラスは懐に布袋を入れてからカウンターを後にした。
──それにしても、引越しはいつも大変だな……。
2月に入ってからのラプラスは、時間の多くを引越し準備のために消費していた。まず、最初に行われた作業は、大学での授業引継ぎの作業である。リマリック帝国大学で宗教学と宗教史を専攻していた教授(及び助教授)はラプラスだけであったため、彼の弟子達に相当する助手の中から、宗教史の授業を担当させる者を選び出さねばならなかったのである。また、宗教史を聴講している生徒達に対する説明も行わねばならなかった。ラプラスが異端審問所書記室長に就任することは、彼の着任当日までは国家機密と指定されていたため、彼は「シルクス帝国政府の要職に就くことになった」と歯切れの悪い説明を行わねばならなかった。
その次にラプラスが取り掛かったのは、自宅に山積みにされていた宗教学と宗教史の文献を整理し、必要なもの──異端宗派に関する文献が中心となった──だけを選別する作業である。この作業には助手達と数人の学生達の手も借りねばならず、その日の夜はリマリック市内で彼らに酒と食事を奢ることになった。衣類や生活用品の整理は、書籍などの整理が終了してからようやく開始された。
生活用品に対する配慮が遅れたのは、彼が学者であるからだけではなく、彼には妻子がいなかったからである。冒険者と学者としての生活に全神経を注いできた彼には、冒険者時代の友人や同業者としての友人ならば星の数のように存在したのだが、どういうわけだが女性には縁は無かったのである。冒険者時代に彼と冒険を共にしていたのは全員が男性だったし、学者としてリマリック大学に入った彼が出会った女性達は、その全員が所帯持ちか「予約済み」──既に恋人がいる──であった。他人の恋路を邪魔するほど図々しい性格ではなかったラプラスは、恋愛のことはすっかり忘れて、ただひたすら勉学に励んだのである。その結果、彼はリマリック帝国大学の教授という栄誉ある地位を獲得し、エルドール大陸では屈指の宗教学者として名を馳せたのだが、逆にまともな恋愛を経験することなく40年の時間が過ぎ去ってしまった。ラプラスが恋愛と呼べるようなものを経験したのは、まだ彼が10歳の時に出会った村の娘と付き合ったことぐらいである。キャサリンという名前を持ったこの女性との交際は2年間続いたが、ラプラスの両親が自宅をリマリック市内に移したことが原因となり、2人は離れ離れとなってしまったのである。
──シャーンズ神殿で戸籍も移し終えたから大丈夫だな。
シルクス帝国の全国民は、帝国領内に配置されている様々な宗派の神殿や祠のいずれかに、自らの戸籍を登録しなければならなかった。この制度によって、帝国政府は国民1人1人の信仰する宗派を把握して、宗教政策を立案するための基礎資料を得るだけではなく、帝国内における人口動態や家族構成などの情報を得ることも可能になっていた。ラプラスがリマリックの知識神シャーンズの神殿で行った作業とは、「デスリム・フォン・ラプラス」という人物の戸籍を、リマリックのシャーンズ神殿からエブラーナのシャーンズ神殿に移動させることであった。
──やるべきことは全て終えたな。後は……、そうだ、あれが残っていた。
ラプラスはリマリック内務局の建物を出ると、木枯らしが吹く中を早足でリマリック大学へと向かった。午後5時から予定されている壮行会に主賓として出席するためであった。
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