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4999年3月1日 08:28
シルクス帝国首都シルクス、8番街、路地

「つまり、幻影説は無しってことだな?」路地を歩きながらサーレントが訊ねた。
「ええ」セントラーザは頷いた。「端的に言うと、『幻影を使うなら別の方法を使っていたはずだ』というわけです。私も、父さんの言う通りだとと思いました。……けど、専門家に聞かなきゃ分かりませんけどね」
「だとすると、デニムが見たという水色の光は本物の神聖魔法ってことだよな?」
「そういうことになりますね」デニムは頷いた。「ビューロー卿にもそのことは報告しましたが、セントラーザの言葉を聞いたら頭を抱えていましたね。警視にとっては、考えねばならないことが増えたわけですし」
「政治的問題、という奴だな?」
「その通りです。タンカード神殿とバソリー神殿のどちらかが犯行に関わっている可能性がありますからね。捜査も今までよりやりにくくなるかもしれません」
 その後、3人はしばらく無言のまま路地を歩いていたが、不意にサーレントが口を開いた。「……ところでデニム、お前はどこの神を信仰してるんだ?」
「へ? なぜそんなことを聞くんです?」デニムはサーレントに顔を向けて聞き返した。
「いやな、これで今回の連続女性失踪事件が聖職者の犯罪であることがほぼ確実になったわけだろう? だとしたら、どこかの神殿の司祭を捕まえねばならなくなる。もしも、自分の信じる神の司祭が犯人だったとしたらどうする? 色々と捜査もやりにくくなるかもしれないし、逆に『信者のつて』ということで説得もやりやすくなる。これから共に戦っていく仲だし、このくらいのことは知ってても損はないだろう?」
「そうですか……」デニムは一度言葉を切った。「僕の叔母はバソリー神殿の司祭なんですが、僕と両親は知識神シャーンズ様の信者でして、戸籍もシャーンズ神殿に登録されています。……そんなことを訊ねる先輩はどうなんです?」
「俺? 確か、実家の戸籍はタンカード神殿に登録されてるって聞いたな。でも、結婚した時にタンカード神殿の戸籍を消し、新しく戦争神マレバスの神殿に戸籍を作り直したはずだ」
「え? そうなんですか?」デニムにとってはサーレントがマレバス信者だという話は昔から聞いていたが、彼の実家がタンカード神殿の信者だったという話は聞いたことが無かった。
「両親は熱心な信者だったが、それが逆に俺は嫌いだったな」サーレントは遠い目をしながら話した。「俺の両親は尊敬できる人間だし、その考えは今でも変わってないが、ただ1つだけ問題点があるとしたら、その宗教の『好み』を俺に押し付けようとしたことだったな。反抗期だった俺は、それに徹底的に逆らって、そのせいで竜神タンカードを信仰する気になれなくなった。あの神様の言うこと自体は間違ってないと思うが、『押し付けられた』という記憶だけが残り、好きにはなれなくなったんだ。見合いで結婚したうちの家内がたまたまマレバス神殿に戸籍を置いてたから、これをいい機会にして戸籍を移したんだ──教義も竜神タンカードと似ている点が多かったしな」
「私の家は商業神クリーヴス様の信者ですね」セントラーザが答えた。
「……ということは、3人ともマイノリティーなわけだな」
 サーレントの言葉に、デニムとセントラーザは微笑んで応えた。

4999年3月1日 10:42
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

「事件の概要について説明してくれ」
 ナヴィレント・ティヴェンス警視総監は窓の側に立って帝城の姿を眺めながら、報告のために部屋を訪れていたキロス・ラマン秘書官に落ち着いた声で命令を出した。
「分かりました」ラマンは繊維紙のメモに目を落とした。「男性2名の遺体が発見されたのは、帝都シルクスの7番街にあるスラム街の一角です。第1発見者は、犯行現場のすぐ隣に住むリテラ・ミグラスボーンという少女で、彼女の母親が我々に通報してくれました。現場ですが、宿泊施設や商店街からは離れており、昼間でも人気の少ないことで知られている場所です。被害者の男性の年齢は共に20代後半だと思われます。また、2名のうち1名の手には、血の付いたブロードソードが握られていました」
 警視総監は秘書官のほうに振り向いて訊ねた。「……血が付いていた?」
「はい」
「昨夜、7番街でこの他にも殺人事件や傷害事件は発生しているのかね?」
 ラマン秘書官は首を横に振った。「1件も起きていません。念のため、他のブロックで事件が発生したかどうかを調べましたが、傷害と殺人に限ればこちらも皆無でした」
 ティヴェンスは秘書官の微妙な言い回しに気付いた。「……ならば、別種の事件は発生していたのか?」
「はい。7番街から女性1名の捜索依頼が出されています。失踪したとされるのはナターシャ・ノブゴロド、17歳。7番街にある酒場《火山灰カクテル》の従業員です。おそらくは連続女性失踪事件の一部ではないかと──」
「20人目だな」ティヴェンスは手を挙げて秘書官の言葉を遮った。「こちらのほうはビューロー警視が報告が来るはずだ。今は7番街の殺人の報告を続けてくれ」
「分かりました。……で、ブロードソードの血に関する情報は皆無に等しい状態でして、連続女性失踪事件との関連性は現在のところ不明です。ビューロー警視との相談が必要になると思われます。それから2名の死因ですが、魔術師ギルドに勤める薬師の話によりますと、2名とも打撲傷が死因だということです。1名は左側頭部、残るもう1名は股間に激しく殴打された跡があります」
 厳密に言うと、前者の男性は脳幹にまで及んだ脳挫傷とそれに伴う脳内出血が、後者の男性は睾丸破砕によるショック症状が直接の死因である。
「身元は分かったのか?」
「いいえ。捜査官達が7番街で聞き込みを続けておりますが、手掛かりは集まっておりません。リテラ・ミグラスボーンが死体を発見してからまだ半日すら経っていないのです」
「分かった。捜査官を叱咤激励して、何とかして被害者の身元と犯人を割り出すんだ。連続女性失踪事件以来落ち込みつつある我々の評判と威信を取り戻すためにも、是が非でも頼むぞ」
「承知致しました」
 キロス・ラマンがそう言って部屋を後にした。ドアが閉まり、室内に自分1人だけが残されたのを確認してから、ナヴィレント・ティヴェンスは深々と溜息を吐き、窓に写る帝城の姿に目を向けた。その壮麗な姿も、今の彼にはプレッシャーをかける存在でしかなかった。
 ──連続女性失踪事件といい、今日の事件といい、ここ最近は難題が多すぎる……。とにかく、是が非でもこの2つだけは解決せねばならんな……。
 彼は自分の執務机の引き出しを開け、羽ペンと何も書かれていない羊皮紙のスクロールを取り出した。そして、ペンの先を藍色のインクに浸し、白紙のスクロールに滑らかな字を書き始めた。

帝都シルクスにお住まいの皆さんへ

 現在、我がシルクス警視庁では、今年1月から連続して発生している連続女性失踪事件に関する有力な情報と、3月10日に7番街で発生した殺人事件の被害者の身元に関する情報の提供を皆さんに呼び掛けています。もし、皆さんが提供して下った情報が、犯人逮捕や身元確認に役立てられた場合、最高で10000リラの報奨金を皆さんに御支払いしたいと思います。
 皆さんの御協力をお待ちしております。

4999年3月1日 警視総監 ナヴィレント・ティヴェンス


 シルクス帝国の一般市民が普通の生活を1ヵ月送るのに必要な金は2000リラ前後と言われている。警視庁は一般市民の年収の半分に近い金を「情報」に払い、是が非でも事件を解決して見せようとしていたのである。金を支払う立場にあるティヴェンスとしては、この広告によって「真実」が得られることを心の底から願わずにはいられなかった。

4999年3月1日 12:10
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド地下1階、第1法廷

 異端審問の行われる法廷は全て地下に設置されていたため、室内には無数の蝋燭が灯されていた。ラプラスをはじめとする書記達が座るテーブルと、告発人及び弁護人の座る机は、蝋燭ではなく魔法の照明によって煌々と照らされていたため、彼らの仕事に支障を来すことは無かったが、それでもなお法廷内は暗く、被告人となった人物に恐怖感を与えるのには十分となっていた。特に、巧みな証明配置によって、被告人からは裁判官の姿を見ることができなくなっており、このことが被告人への心理的圧迫となっていた。6人の裁判官の座る椅子は2mほど高い場所に置かれており、彼らはそこから被告人を威圧的な眼差しで眺め、1段下で展開されている告発人と弁護人の丁々発止のやり取りを聞き、自分達の良心とシルクス帝国の法律、そして自らが仕える神──この6人の場合は2体の竜神である──の教義だけに従い、判決を下すのであった。
 シルクス帝国の異端審問制度では、裁判官は2竜神と運命神ゾルトスの神殿のみから派遣されている。一方、各2人ずつ存在する弁護人と告発人は、2竜神の神殿から各1人ずつと、シルクス帝国内で信仰が公認されているその他の主神(メジャーゴッド)のうち2つの神殿(毎年抽選で変更される)から派遣される司祭1人ずつの、合計4人が就任している。彼らは被告人の容疑によって立場を変えている。ホーリーシンボルを持つ神の異端者──邪悪神の信者や聖職者が被告の場合は、竜神の神殿から派遣された2人が弁護人となり、残る神々の神殿から派遣された2人が告発人となる。ホーリーシンボルを持たない異端者──新興宗教団体の参加者の場合は、両者の立場が入れ替わるのである。弁護人と告発人が入れ替わる制度については、特に法律や勅令で明文化はされていなかったものの、シルクス帝国で活動する各神殿の間では「暗黙の了解」として受け入れられていた。
「──以上が起訴事実です」告発人──異端審問における検察官──となっていた戦争神マレバスの司祭ブルーム・ライアンは、机の上に置かれた繊維紙の書類を見ながら言った。「間違いありませんか?」
 法廷中央の椅子に座らされ、椅子に備えつけてある鎖によって椅子に縛り付けられていた被告人の男性は、ライアン司祭の言葉を聞き無言で頷いた。逮捕された時、彼は懐に破壊神レゼクトスのホーリーシンボルを持っていたのである。彼を有罪とする証拠はこれ1つで十分であり、法廷で抵抗しても無駄であることを被告人は十分に承知していた。
「弁護人からは?」裁判長を務めるグレイブ・ゾーリア──タンカード神殿の司教が訊ねた。
「何もありません」弁護人1人であるバソリー司祭アテナ・オナシスは早口で答えた。弁護人となっている司祭達も眼前の被告人の有罪を確信しており、その弁護活動は名目に過ぎなくなっていた。裁判に関わる人間全てにとって、この法廷での弁論は体裁を整えるための儀式に過ぎず、死に行く被告人にとっては暇潰しの茶番劇に過ぎなかった。
 ゾーリア裁判長は木槌を叩いてから声を張り上げた。「判決。被告人を有罪とし、3月3日午前11時にエブラーナ市中央広場において火刑に処するものとする。以上で閉廷する」
 裁判長の木槌が2回鳴り響き、法廷の端で待機していた警備兵達が現れる。彼らは鎖を解いて被告人を椅子から「解放」すると、彼の両脇を抱えながら法廷の外へ連れ出した。この後、被告人は盗賊ギルドの地下に設置されている牢獄に監禁され、3月3日までを薄暗い空間の中で暮らすこととなる。
 書記室長であるラプラスと書記室に属する部下達の仕事は、裁判の成り行きを書記用に設けられたブースで聞き、裁判に関わった者達の間で交わされる言葉をできる限り多く書き残すことであった。無論、人間の耳で聞いた言葉を一字一句正確に紙に書き写すことは不可能である。そこで、異端審問では書記役を4人に増やし、彼ら4人が書いた記録を照合させることによって最終的な裁判記録を完成させることにしていた。また、書記役となる4人の書記室員は5分毎に1人が交代するように決められており、職員1人の負担ができる限り少なくなるように配慮されていた。
 その一方で、裁判官や弁護人及び告発人の言葉も可能な限り形式化されており、書記室の負担をできる限り減らすように配慮されていた。例えば、先程のゾーリア裁判官の判決文を書記室員が記録する時も、彼が使った繊維紙のメモ用紙の上には、

クロ、3-3-11、中央広場、火刑、閉廷


とだけ書かれていた。足りない部分にどういう言葉が挿入されるかは事前に決められており、この作業は裁判が終了した後にいつでも行えるものであった。
 ──想像していたよりも楽だったな。
 速記の特技の持ち主として書記室長に赴任したラプラスにとって、書記室員達の負担を減らすために用いられている一連のアイデアは二重の喜びであった。異端審問所の意外な裏幕を垣間見れたという宗教学者としての喜びと、書記としての負担が減ることになるという労働者としての喜びであった。
「ラプラスさん、どうでしたか?」ゾーリア司教が裁判官席から身を乗り出してラプラスに訊ねた。
「仕事の感触は分かりました」ラプラスは自分が書いたメモ用紙を整理しながら答えた。「この感じでしたら、無事に仕事をまっとうできそうです」
「それは非常に心強い。今後もよろしく頼みますぞ」
「こちらこそ。……それはともかく、いつもこんな感じなのですか?」
「邪悪神の司祭が被告だったら簡単ですな。共犯者の氏名を吐かせる作業もありますが、これは法廷外で行われるものですから、書記としての仕事にはほとんど影響が無いはずですぞ」
 共犯者の名前を吐かせる作業は、地下に作られた取調室で行われ、場合によっては、特別尋問──「拷問」の隠語──が用いられていた。リマリック帝国時代の法制度の多くを受け継いだシルクス帝国では、「拷問は容疑者の証言の信頼性を低下させる」という学説も登場しており、取調べ目的での拷問は皇帝の勅令により禁止されていたのだ。しかし、この規定には穴があり、改宗や棄教などの目的であったり、「被告の犯罪が国家にとって極めて重大な危険となる」と認められた場合には、「止むを得ず」拷問も認められていたのである。無論、「国家にとって極めて重大な危険」という語句は極限まで拡大解釈されており、異端審問所に限らず、帝国内の警察機関では拷問が日常茶飯事と化していてたことは言うまでもない。同様のことは、エルドール大陸に存在する大抵の国に当てはまることであった。
「ええ。そちらは別の部下に任せています」
「それは結構。……では失礼します」
 裁判官席から椅子が動く音が重なって聞こえてきた。足音が続き、更にドアが開く音が法廷内に響く。そして、足音が遠ざかると、ドアが閉じられる音が聞こえてきた。
「今日はこれで終わりなのか?」ドアが閉じられてから、ラプラスは隣に座るマンフレートに訊ねた。「思ったよりも楽だったが」
「その通りです。この後は、当分の間は裁判の開催予定はありません」
「平和な日々だな」
「はい」マンフレートは鞄に繊維紙を詰めながら応えた。「しかし、我々が平和であるということは、シルクス帝国の国内が平和であることの証左でもあります。良いことではありませんか? 我々にとっても、帝国にとってもね」
「この平和が長続きすれば良いがな」ラプラスはそう言って立ち上がり、左手に握られた速記用のメモを掲げて見せた。「ただ、今日は平和とは縁遠そうだ。まだ、こいつの整理が残ってるぞ」

4999年3月1日 18:10
シルクス帝国首都シルクス、7番街、酒場《7番街の楽園》

 帝都シルクスの7番街に位置している酒場《7番街の楽園》は、この日もいつもと変わらぬ繁盛を見せていた。エブラーナの郷土料理の店として4957年にオープンして以来、エブラーナでの庶民食となっている白身魚の専門料理と、シルクス帝国中から集められたワインが高い人気を集めていた。
 前日深夜──厳密には今日未明、7番街の路地で連続女性失踪事件の犯人達に襲われた格闘家の女性は、浮かない表情を顔に出していた。
 ──私……どうなるのかしら……。
 昨夜の事件は正当防衛であったにもかかわらず、無罪放免になるという確固たる自信が彼女には無かった。襲ってきたのは男達──連続女性「失踪」事件の犯人達であり、それを体1つで撃退した彼女の非となる点は1つも無いはずであった。しかし、犯人達の中に神聖魔法の使い手が混ざっていたことが、彼女には大いに気掛かりであった。
 ──犯人達が神官達だったと言ったって、信じてもらえるのかしら……。
 彼女が溜息を吐いた時、カウンターの奥から店主の声が聞こえてきた。「おーい、フォルティアちゃん!」
「……はい?」彼女は後ろを振り返った。
 店主は生魚の切り身──いわゆる「刺身」である──をカウンターの上に置いた。「これを5番テーブルの御客様に」
「はい」
 彼女は答えてから皿を手に持とうとしたが、その前に店主が彼女──フォルティアに訊ねた。「フォルティアちゃん、大丈夫か? 今日は浮かない顔だけど……」
「うんうん」彼女は首を横に振った。「大丈夫です。大したことじゃありませんから」
「ならいいけど、無理するんじゃないぞ」
「はい」
 彼女は白身魚の切り身が盛られた皿を手に持って、店の中央にある5番テーブルへ向かった。テーブルに腰を下ろしていたのは、シルクス帝国の官僚と思われるような、身形の良い人物と女性──おそらくは妻であろうとフォルティアは思った──であった。
「お待たせ致しました。白身魚の切り身でございます」
「ああ。ありがとう」男性が応えた。「あと、それから、4997年物のリムダレール産白ワインをグラスで2つ、頼むよ」
「はい、ありがとうございます。しばらくお待ち下さい」
 丁寧に頭を下げてから5番テーブルを離れようとする彼女の耳に、夫妻の言葉が飛び込んできた。
「──殺人事件だと?」夫が訊ねた。 「そう」女性の声が聞こえる。「今日の朝、7番街の路地裏で死体が2つ見つかったのよ。どちらも撲殺されたそうだわ」
「物騒な話だな」
 ──死んだ……私が殺した……?
 夫妻の言葉を聞き、フォルティアは危うく体のバランスを崩しそうになった。

4999年3月2日 09:20
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

 ナヴィレント・ティヴェンスの立てた悲観的な予測は、良い意味で裏切られた。
「被害者の身元が判明した?」
「その通りです」警視総監の質問に対し、ラマン秘書官は頷いて答えた。「昨日の朝に張り紙を16ヵ所に張り出しましたところ、7番街に住む大工など13名が情報を提供してくれました」
「で、名前は何だ?」
「こちらです」ラマンはそう言いながら、繊維紙のメモをティヴェンスの目の前に置いた。

ダルクレント・パロス(28)…3月1日に死亡
エドバルト・ゼルス・ガートゥーン(27)…3月1日に死亡
ザール・ボジェット・フォン・シュレーダー(27)…現在失踪中


「名前が3つ書かれているが……」
「証言によりますと、被害者達は常に3人組で行動していたそうです。そのうちの2人が殺害され、残り1人のザール何とかという男の行方が分からなくなっています。彼らが住んでいたとされる7番街のアパート3箇所も発見しましたが、どの部屋からも手掛かりらしき物は何1つ見つかりませんでした」
「なるほど。それにしても、この行方不明になったザール・シュレーダーいう人物、どこかで名前を聞いたことがあるような気がするんだが……」
「確かに私も……って、思い出した!」ラマンは突然大声を上げた。
 ティヴェンス警視総監は少しばかりの不快感をこめて訊ねた。「どうした?」
「はっ……これは申し訳ありません。しかし、この人物の名前に心当たりがあったんですよ。彼の名字である『シュレーダー』って、現大蔵大臣のシュレーダー卿と同じですよ。ひょっとしたら、大蔵大臣の息子か親戚かもしれませんね」
 ラマンの指摘を受け、ティヴェンスはようやく思い出すことができた。「そうだった! 確か、こいつはシュレーダー大蔵大臣の次男だったはずだ!」
 バーゼルスタット・フォン・シュレーダー大蔵大臣──シルクス近郊に領地を持つ騎士である。西リマリック帝国時代である4996年2月からその職に就き、同国の財政改革に取り組んだ大物政治家でもある。西リマリック帝国の内務大臣であったイシュタル・ナフカスの推挙により、シルクス帝国においても大蔵大臣の座に留まり続けており、その手腕は他の国々でも高く評価されている。今年の11月で57歳になる彼には3人の息子がいたが、次男は父親と幾度と無く衝突し、4996年8月から別居した状態が続いている。次男が別居した理由については、当事者である2人が共に口をつぐんでいるため、余人が知ることは全く無いのである。
「思ったより厄介な事件になりそうですね」
「確かにな」ティヴェンスは顔の表情を険しくさせた。「殺人事件の捜査に政治的な問題が絡むのは、とても悪い兆候だと言わざるを得ない。何とかして、政治家達の圧力を撥ね除けて事件を解決せねばならないと、この事件も迷宮入りになってしまうぞ。……それはそうとして、残りの2人についての情報を教えてくれないか」
「分かりました。2人はシルクス生まれです。共に敬虔なタンカード神の信者の家族に育ち、成人した後に家を離れ、7番街の大工職人の元に同時に弟子入りし、そこで顔見知りになったようです。4996年5月に大工職人を辞めてからは、人前に姿をほとんど見せなくなり、街に姿を見せる時は、いつもザール、エドバルト、ダルクレントの3人組で行動していたそうですよ」
「3人の性格とかは分かるか?」
「情報提供者達の証言によりますと、殺された2人については、共に親と同じく敬虔なタンカード神の信者だったことと、友達付き合いが上手ではなかったことだけが判明しています。両親も同様の証言をしてくれました。残るザールについては、まだ情報が不足しております。唯一はっきりしていることは、彼が左利きだったことですね」
「分かった。この後も引き続き──」
 ティヴェンスがねぎらいの言葉をかけようとした時、執務室のドアが開き、警視庁の女性職員が執務室の中に現れた。「警視総監閣下、御客様です」
「誰だ?」
「バーゼルスタッド・フォン・シュレーダー大蔵大臣です」
 その言葉を聞き、ナヴィレント・ティヴェンスは深々と溜息を吐いた。「やはりな……」
 ついこの間まで一介の捜査官に過ぎなかったキロス・ラマンには、捜査官として出世した警視総監の深い溜息の意味が、痛いほどはっきりと分かった。そして、直属の上司に負けず劣らぬ程の深い溜息を漏らしていた。

4999年3月2日 09:48
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁3階、第1応接室

「遅れて申し訳ありません」
 謝罪の言葉と共に入室してきたティヴェンス警視総監に対し、シュレーダー大蔵大臣は立ち上がって手を差し伸べた。「いえいえ、そんなことはありません。私のほうこそ、無理してここまで押しかけてしまい、逆に御迷惑をかけてしまったようですな。大変申し訳なく思っております」
 ──そう思うなら、最初から来ないでくれ……。
 ティヴェンスは内心の愚痴を口に出さぬよう注意しながら、挨拶の続きを言った。「立ったまま話をするのも疲れるでしょう。ソファに腰を落ち着かせて話を続けませんか?」
「分かりました」シュレーダーはそう言って腰を下ろした。
 それを確認してから、ティヴェンスは大蔵大臣の真正面に座り、応接机の上に置かれていた木箱の蓋を開けた。彼は木箱の中に入っていた葉巻を1本取り出し、客に見せて掲げて訊ねた。「タバコはいかがでしょうか? 葉巻しかありませんが……」
「これはありがたいですな。それでは、早速頂きます」
 シュレーダーは葉巻を木箱から取り出して口にくわえると、懐から取り出したマッチを使って素早く火をつけ、ニコチンとタールが燃える時に発する香りを楽しみ始めていた。彼が味わっている葉巻は、シルクス帝国で生産される葉巻の中でも最高級品であり、政界きってのタバコ通である彼を十分に満足させていた。
 客人が葉巻で精神を落ち着け始めたのを確認して、ティヴェンスは口を開いた。「ところで、大臣閣下がここにお見えになった理由を、我々に教えて頂けませんか?」
 シュレーダー大蔵大臣は白い煙を吐き出してから答えた。「次男の件です。噂に聞いたところでは、うちの息子が、7番街で殺された2人と共に行動していたそうですな。彼の消息は分かったのでしょうか?」
「残念ながら……」ティヴェンスは首を横に振る。「事件に巻き込まれることを恐れて、シルクス市内のどこかで隠れているのでしょう。仲の良かった友人のうち2人が殺されたのですから、身を隠したくなるのも頷ける話です。警察としては、我々に保護を求めてもらったほうが助かるのですが……。犯人から息子さんの命を守ることも容易になりますし、逆に息子さんから話を聞き出して、犯人の特定を行うことができるかもしれませんからね」
「次男が殺されそうになる理由は分かりませんか?」
「今の我々では分かりかねます。情報が決定的に足りません。むしろ、この点に関しては、大臣閣下のほうが我々よりも詳しく御存知だと思われますが?」
「私もさっぱり……」シュレーダーは弱々しい声で答えた。「私と彼は住む世界が異なりますからなあ」
「『住む世界が異なる』とは?」警視総監は体を前に乗り出した。
「……このような事態に至っては、致し方ありませぬ。閣下には特別にお教え致しましょう。……簡単に申し上げれば、私とザールは考え方がまるで違うのです。次男のザールは、私や他の家族・息子達とは異なり、昔ながらの騎士道の世界に憧れを抱き、ただ1人だけ竜神タンカードを崇拝しているのです。我が家の家系は先祖代々、技術神ナランド様に仕え、戸籍も墓もナランド様の神殿に登録しているのですが、次男はそのことが気に入らなかったのです」
 ──いつもとは変わった世代対立だな。
 捜査官として様々な事件を担当し、その過程で多数の家庭問題にも立ち入ってきたナヴィレント・ティヴェンスも、シュレーダー家における家族の不和は珍しいケースに思えた。彼が知っている「普通の」世代間の政治的対立は、父親が守旧派(=タンカード神殿)の意見を代弁し、息子が父親に猛反発する(=改革派の肩を持つ)という構図で成り立っていた。しかし、シュレーダー家では、両者の政治思想が見事なまでに入れ代わっていたのである。
「その対立が家出の原因かもしれませんね」
「確かにその通りかも……」シュレーダーはうなだれるように言った。
「話は変わりますが、閣下はこの人達を御存知でしょうか?」警視総監はそう言いながら、被害者達の似顔絵を応接机の上に並べた。「息子さんと共にいたと言われる者達で、彼らが殺人事件の被害者となりました」
「いいえ、全くありません」シュレーダーは首を横に振った。「会ったこともありませんし」
「1回も無いのですか?」
「はい。ザールが家出してからも、私は彼と時々会って話合いを持っていたのですが、その時はいつも彼1人でした。『考えの似た友人がいる』ということは何度か教えてくれたのですが、名前やその素顔とかは全く教えてくれませんでしたし、会わせてもくれませんでしたな」
「その友人達に会わせない理由は言いましたか?」
「ええ」シュレーダーは頷いた。「『俺と親父の問題なので他人に立ち入らせたくない』……ザールはそんなことを言ってました。『友人達は私と会いたくなさそうだ』とも話していましたが……」
「息子さんと最後にお会いになったのはいつですか?」
「そうですね……」シュレーダー大蔵大臣は天井を仰ぎ見ながら呟いた。「昨年の11月でした。確か、7番街にある《イエローリボンガーデン》という名前の酒場だったと思います」
 ティヴェンス警視総監は懐から繊維紙のメモ用紙を取り出し、店の名前を書き留めた。「分かりました。我々警視庁としても、息子さんの行方は何としてでも見つけ出したいと考えております。事件の捜査上、ザールさんの協力がどうしても必要なのです。また、彼が狙われている可能性が存在する以上、それも阻止せねばなりません」
「今、『息子が狙われている』と──」
「可能性は否定できないはずです」ティヴェンスの声は冷静そのものであった。「日頃から仲の良い3人組がいて、そのうちの2人が同じ場所で殺され、残り1人が行方をくらましているのです。犯人の目的が3人全ての殺害であり、犯人がまだ生き残っているザールさんを狙っているかもしれないのですよ」
 ティヴェンスは敢えて言及しなかったのだが、ダルクレント・パロスとエドバルト・ゼルス・ガートゥーンを殺したのは、実はザール・ボジェット・フォン・シュレーダーだったという可能性もあった。だが、父親の前で実の息子を犯人呼ばわりするわけにはいかなかったし、ティヴェンス自身もザール犯人説を全く信じていなかった。そして、警視総監のこの無言の配慮は大蔵大臣も理解していた。
「そうですか……」シュレーダーの声は重くなっていた。
「息子さんが見つかりましたから直ちにお知らせします」
「分かりました」大蔵大臣はそう言いながら立ち上がった。「それでは、次男の件は是非ともお願い致しますぞ」
「我々にお任せ下さい」
 2人は無言で手を握りあった。そして、客人であったバーゼルスタッド・フォン・シュレーダーは、後ろを振り返らずに無言のまま応接室から退出した。ナヴィレント・ティヴェンスは小さな溜息を吐いた後、ゆっくりと立ち上がり、ラマンの待つドアのところへ歩み寄った。
「御用件は?」
「7番街の《イエローリボンガーデン》に捜査官を派遣させ、ザール・シュレーダーに関する聞き込みを行え。今すぐだ」

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『異端審問所の記録』目次 / 登場人物一覧
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