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4999・03・20 21:44
シルクス帝国首都シルクス、6番街、倉庫街の某所

 ナターシャ・ノブゴロドは夕食として出されたパンを齧りながら、20日目が終了しようとしていた監禁生活のことを振り返った。
 ──この苦しい生活も、長続きすると慣れてしまうものだわ……。
 犯人達が帝都シルクスの某所に彼女を監禁してから、新たにこの倉庫へ連れこまれた女性は存在しなかった。暫定的な「最後の」犠牲者となった彼女は、最初は乱暴に扱われたものの、倉庫に入ってからは扱いも穏やかになり、彼女が男達の慰み者になるという悪夢は回避されていた。監禁されていた他の女性達の大半もこの状態を不承不承ながらも受け入れ、大人しく毎日を過ごしていた。
 ──それにしても……あの男は何だったのかしら……?
 現在の彼女の関心は、3月17日に出現した謎の若い男性に向けられていた。その口振りと行動から推測するに、彼女達を誘拐した組織には実行グループの1人として属し、既に4人の誘拐に関与していたと考えられた。そして、何らかの理由で逃げ回っており、帝都シルクスに舞い戻って来た時に組織の幹部と顔を合わせ、口論をして殴られた。その直後に倉庫から出たが、彼が再び倉庫に戻って来る気配は全く見られなかった。
 ──あの人、組織から抜けたがっているように見えたわね……。
「ねえ……お姉さま」
 ナターシャは隣から掛けられた声に気付いた。「ん? セリスちゃん、どうしたの?」
「何かボーっとしていたけど……また考えごと?」
「うん、ちょっとね……」
「食べないと体に悪いよ」セリスはナターシャに心配そうに言った。「栄養をつけなきゃ強くなれませんって、父さんや母さんがいつも話したわ。食事くらいは楽しく食べないとダメだよ」
「そうね、分かったわ」年下の少女から諭されたナターシャは微笑むと、アジのフライをフォークで切り分けた。その隣では、セリスが海草の入ったコンソメスープを美味しそうに飲んでいた。
 ──肉料理が1度も出されていないのが不満だけど、それに文句を言っても始まらないわね。
 ナターシャはフォークで切り分けたフライを口に入れた。全ての人質が食べられるよう味は薄めに調理されていた。濃い味付けの肉料理が大好物だったナターシャには不味く感じられたが、飢えに苦しまないだけましだと考え我慢することにした。アジのフライの次に彼女が手を伸ばしたのは、犯人達がデザートとして用意したリンゴであった。皮と種を取り除いて8つに切り分けられた後、上からプレーンヨーグルトが掛けられただけというシンプルな料理である。1人に与えられた量は3きれ──3/8玉であった。
 ──デザートに果物が出されるのはありがたいわね。
 ナターシャはヨーグルトで手が汚れることも気にせずにリンゴを手で掴み、そのまま口に入れた。
 ──色々な果物を食べたけど、リンゴが出される回数が最も多いわね。犯人の趣味かしら?
 彼女が指についたヨーグルトを舐めていた時、女性達が監禁されていた区画に中年の男性が現れた。鼻の下と顎に黒々とした髭を蓄えた中肉中背の男であり、腰にはカトラスを下げていた。ナターシャが組織の幹部と睨んでいたその男は、女性達が食事を取っている様子を満足げに眺めていたが、やがてナターシャに見つめられていることに気が付くと、ゆっくりとした足取りで彼女に近付いた。
「……どうしたの? 私に用なの?」ナターシャはきつい口調で言った。
「同じ台詞をお前に返そう。どうして私を見つめていた? 不満でもあるのか?」
「不満というわけじゃないけど……」彼女は一旦は口をつぐんだが再び口を開き、今まで抱いていた不満の1つを述べることにした。「ここに来てから肉料理を食べてないの」
「だから肉料理を食べさせろ、か?」髭面の男は苦笑いした。「……それは気付かなかったな。普段から魚しか食わないから、そんなことは全く考えなかったぞ。部下に言って、明日の夜にでも用意させようかね?」
「ええ。できればお願いするわ」ナターシャは頷いた。
「肉料理か……船の上じゃ食わないしな……」髭面の男はそう呟くと、現れた時と同じように悠然とした足取りで敷居の裏側へ消えて行った。
 ──犯人達は船乗りなのかしら?

 ナターシャが犯人達の素性に関してある着想を得た──実際にはそれは正しかったのだが──のと同じ時、監禁されていた女性達の中には別のことを考えた者達が存在した。12人目と13人目の被害者であったエレハイム・カッセルと妹ソフィアの2人である。
「ねえ、今の見た?」ソフィアがエレハイムの耳元で言った。
「うん」エレハイムは頷くと、ナターシャを指差した。「喘息少女を看病してるあの女、ただのバカだと思ってたけど、結構頭良さそうじゃん」
「それよりも、犯人のヒゲモジャヤローのほうが超頭ワルーって感じじゃん」
「でも、それがどうしたって言うのさ?」
 ソフィアは室内を見回し、見張りの男性が別の方角を向いていることを確認してから言葉を続けた。「ねえ、思ってたよりも簡単に脱出できそうじゃない?」
「ちょっと待って」姉が妹の言葉を遮った。「それってヤバくない?」
「超OK。私に任せてよ」

4999年3月21日 11:58
シルクス帝国首都シルクス、8番街、喫茶店《Little Sweet Cafe》

 シルクスでの連続女性失踪事件が発生して以来、デニム達はこの店を20回以上も利用していた。サーレントの自宅のすぐ近くにあるために、サーレントは結婚直後からの常連客として知られていたが、今ではデニムとセントラーザの2人も常連客の中に加えられていた。彼らは「いつもの場所」に座り、他のシルクス市民よりも早い昼食を取っていた。昼食時の混雑が始まる頃には、3人はデザートの紅茶とケーキを胃袋に収めようとしているのだ。
「もう大丈夫だな?」サーレントがセントラーザに訊ねた。
「はい」セントラーザは力強く頷いた。「リデルが死んだ時には取り乱してしまってごめんなさい。でも、もう大丈夫です。彼の敵討ちの為にも、死に物狂いで頑張ります」
「そいつは心強いが、本当に死なない程度にしろよ」
「大丈夫ですよ。私のことを心配してくれる人がここにいるから、その人を悲しませることだけはしたくないんですよ」彼女はそう言って会話に加わっていない残り1人のほうを向いた。
「それって……?」デニムがティーカップをソーサーに置きながら訊ねた。
「うん。今回もデニムに迷惑を掛けちゃったね。リデルが亡くなった日の昼休みには、デニムが付いていたおかげで、無理して我慢せずに泣くことができたんだし、ショックから立ち直ることもできたの……。本当にごめんなさいね」
「別に気にしなくてもいいよ」デニムは微笑んだ。「いつかは逆に、僕が君に迷惑を掛けてしまうことがあるかもしれないし、その時にはセントラーザの助けが必要になるから、その時はどうか頼むよ」
「何だか頼りない話ね。でも、大丈夫よ。その時は私に任せといて」
 恋人同士と形容しても差し支えなくなった2人の様子を見てサーレントは微笑んでいたが、やがて真顔に戻ると、躊躇いがちに口を開いた。「……なあ、デニム」
「どうしました、先輩?」デニムがサーレントのほうを向いた。
「今度の事件、何かが変だと思わないか?」
「そひゃあ……(ゴクッ)そりゃあ変でしょう」イチゴのショートケーキを口に入れていたセントラーザが言った。「だって、シルクスの街から女の子だけが20人もまとめて消えるなんて事件、私は今まで聞いたことも見たことも──」
「いや、そういう意味じゃない」サーレントは首を横に振る。「確かに、事件そのものも変だ。20人の女性がまとめていなくなるなんて尋常じゃない。……でもだな、それとは別の所で何か引っ掛かるところがあるんだ」
「何のことです?」
「犯人の行動だ。連中の動き方が何かおかしいんだ。まるでこっちの動きを読んでるように思えるんだ」
 サーレントの言葉にデニムは眉をひそめた。「『動きを読んでいる』?」
「こちらが何か手掛かりを掴んだら、その途端に相手の足取りが消えてしまう……そういうことが何度かあっただろう? 例えばフェールスマイゼン。俺達があの薬を定期的に買っていたという謎の人物を発見した途端、その野郎はソロン博士から薬を買うのを止めてしまい、どこかへ姿を消してしまった。他にあの薬を売っていたファルーザ神殿とタンカード神殿で似たような奴が現れたという報告は聞いてない。明らかに、俺達警視庁の動きに合わせて反応してるんだ」
「でも、それって普通じゃないんですか?」セントラーザが反論する。「ソロン博士のところに警視庁の人が来たって噂が流れても不思議じゃないでしょ? そしたら、よほどの間抜けじゃない限り、博士から薬を買うのは止めちゃうと思うんですけど……」
「1つだけなら偶然で片付く。でも、他にもいくつかあるぞ。シルクス港や倉庫街での目撃情報だってそうだ。『女の子を港で見た』って話を何度か聞いてたら、人員を強化した直後から目撃情報が途絶えてしまった。それに、倉庫街での目撃情報も無くなってしまったから、倉庫街のどこかに監禁されていると考えても、どの倉庫なのかが見当もつかなくなってしまった。7番街のアパートだってそうだ。俺達が存在を発見し、警視庁の他の仲間が見張り始めてから、あの部屋を使ってるという話を全く聞かなくなった。『後手に回ってる』と言うよりも『見透かされてる』と言ったほうが適切だが、とにかく動きが変に見える」
 サーレントから初めて受けた指摘を聞き、デニムとセントラーザは顔を見合わせた。
 ──確かに「見透かされている」かもしれない。犯人達はかなり知能的なのだろう……。でも、どうしてそこまで効率良く行動できるんだ? それが分からないとどうしようもない……。
 デニムは思考を一旦中断させ、サーレントに訊ねた。「どうしてだと思います?」
「それが分かればいいんだが、今のところはさっぱり分からん」
「でも、調べる価値はありそうですね」デニムがサーレントのほうに向き直ってから言った。
「ああ。これが事件の突破口になるかもしれんしな」

4999年3月21日 20:03
シルクス帝国首都シルクス、6番街、倉庫街の某所

 犯人グループの幹部の約束通り、3月21日の夕食には初めての肉料理が出された。薄くスライスした肉を鉄板上で焼き、それをキャベツやキュウリと一緒に巻いてたれに浸けるという単純な料理であったが、ナターシャをはじめとする人質の女性達には概ね好評であった。ナターシャは自分の要求がここまであっさりと認められてしまうことに驚きを覚えていたが、それはそれとして、久し振りの肉料理をゆっくりと堪能していた。
 ナターシャとその他大勢の人質達が食事を取っている横では、エレハイム・カッセルと妹のソフィアが、犯人達の隙を確認しながら、「作戦」の最終打ち合わせを行っていた。
「決めた通りやるよ」ソフィアがエレハイムの耳元で囁いた。
「うん」
 エレハイムが頷いたのを見て、ソフィアは静かにエレハイムから離れた。それを確認した姉は無言で小さく頷くと静かに立ち上がり、人質達を見張っていた若い男性に目に声を掛けた。「……ねえ」
 若い男性は振り返りながら訊ねた。「どうした?」
「……トイレ、行きたいんだけど」エレハイム・カッセルは恥ずかしそうに言った。
「ちょ、ちょっと待て」男は慌てて首を横に振った。「今はダメだ。女の見張りがいる時だけだというルールだぞ。それに、俺に見られてもいいと言うのか?」
「……我慢できないの。早く連れてって」
 エレハイムから出された突然の要求を聞き、若い男は大きく狼狽した。「商品」ということで粗雑に取り扱うことが禁止された彼女達を見ていると、何度と無く激しい欲求が湧き上がって来るものであるが、この若い男性はそこを人並み外れた忍耐力で我慢し続けていた。しかし、女性のほうから「『アプローチ』が行われた」という事実に、若い男性は忍耐を続けることができなくなった。
「やれやれ……じゃあ、先に歩け」
「分かったわよ」
 エレハイムは手で髪を掻き揚げる仕草を行った──ソフィアに対する合図であった──後、倉庫の奥に用意されていた仮設トイレへ向かった。2人が消えたことを確認したソフィア・カッセルは、人質達を監視している残り1人の男性に目を向けた。男は食事の様子を興味無さそうに眺めていた。だが、腕のうち1本は常に腰に下げられているシミターに伸びており、彼の油断無さを暗に物語っていた。
 ──武器を取るのはヤバそうだし……むちゃくちゃムズいってカンじかな……。でも、やらなきゃダメのようね……。
 男性がソフィアに背中を向けていることを確認すると、彼女は無言で立ち上がり、できる限り足音を立てないように注意しながら男性の背後に近寄った。しかし、男はソフィアの気配を感知すると、素早く後ろを振り返った。「……何だ?」
 ──チョベリバってカンじぃ〜。
 ソフィアは事前に用意していた嘘を述べた。「ブローチを無くしたんだけど……」
「ブローチ?」男は首を傾げた。「そんな物持ってたのか?」
「そ。胸につけてたやつなの。どこ行ったか知らない?」
 男は数秒間ソフィアを無言で眺めていたが、やがて首を横に振った。「そんなものは知らん。ここに来る途中で落としたんだろ? 俺はそう思うがな」
「やっぱり……」ソフィア残念がる演技を見せた。
「何のブローチかは知らんが、諦めるんだな」
「はあ〜い」ソフィアは渋々と自分の居場所へ戻った。だが、心の奥では、この男を簡単な嘘で騙しおおせたことと、男の頭の回転は想像以上に鈍いことを知ったことに満足していた。

4999年3月21日 20:09
シルクス帝国首都シルクス、6番街、倉庫街の某所、仮設トイレ

 エレハイムと男性が向かった仮設トイレは、倉庫の角に木の板を2枚立てただけという極めて簡単な構造となっていた。無論、今日のトイレのように便器が置かれているわけではなく、糞尿を溜める為の穴が地面に掘られているだけであった。穴には厚い木の蓋──芳香発生能力が付与されたマジックアイテムである──が被されていたが、用を足す時には蓋を取り外さねばならず、この時には仮設トイレ全体が異臭に覆われた。穴の底には脱臭能力を付与されたマジックアイテムの宝石が埋め込まれていたが、既にマジックアイテムの能力は限度を迎えていたのである。
「……早くしろよ」
 男の言葉に対し、エレハイムは無言のまま立っていた。
「どうした?」男は彼女に近付きながら訊ねた。
 エレハイムはゆっくりと後ろを振り返り、妖しい瞳と笑みを浮かべながら男に言った。「今ね、アタシ、『飢えて』るの」
「……飢えてる?」男はエレハイムの言葉を理解できなかった。「毎日2食をもらってるのに、それが不満なのか?」
「アタシは男に『飢えて』るの。ねえ、いいでしょ?」
「ちょ、ちょっと待て──」
 若い男性が制止しようとするのを無視して、エレハイムは彼に抱き付いた。男と同じ位の背を持っていたエレハイムは強引に男の唇を奪うと、男の背中に回していた左手で男の頭を抑え、2人がキスをしている状態が終わらないようにした。一方、若い男性のほうは突然の事態に狼狽を見せていたが、すぐに理性ではなく本能を優先させる決断を下すと、男もまた両手をエレハイムの背中に回した。
 ──超グッドじゃん、これ。
 エレハイムは背中に回していた右手をゆっくりと男の腰の位置まで動かした。相手が何の反応も見せない──彼女を「征服」することに夢中になっていた──ことを確認すると、彼女は右手を素早く動かして、男が腰から下げていたブロードソードを抜き、男の背中に当てた。ここに来て始めて異変に気付いた男の両目が大きく見開かれる。
 ──超バカだったわね。やっぱり男は本能だけの生き物ってワケね。
「……声を出さないで。殺すわよ」
 エレハイムの脅しに若い男は頷くしかなかった。

4999年3月21日 20:13
シルクス帝国首都シルクス、6番街、倉庫街の某所、女性達の監禁場所

 シミター持ちの男に対する「アプローチ」に失敗したソフィアであったが、次善の策は既に練られていた。彼女は壁を背にして腰掛けたまま、シミター持ちの男に訊ねた。「……ねえ」
「……どうした?」男は面倒くさそうに訊ねた。
「……私もトイレが……」
 男は顔をしかめた。「お前もなのか……?」
「そうよ。……早くしてよ。みんなの寝床をおしっこで汚したいの?」
「確かにそうだが……しかし──」男は部屋を見回し、18人の人質を監視しているのが自分1人だけであるという事実を確認した。つまり、別の場所から増援が必要になるのである。「しょうがないな……。おーい!」
 シミター持ちの男に呼ばれて現れたのは、腰にダガーを4本下げていた盗賊風の男性であった。「何があった、兄貴?」
「この女がトイレの事を気にしてる」シミター持ちの男はソフィアを指差して言った。
「了解、兄貴」盗賊風の男は頷くと、手を動かしてソフィアに立ち上がるよう指示した。「ほら、すぐ行くぞ」
「早くしたいのよ」
 ソフィアは立ち上がると、盗賊の男性に促されるようにして仮設トイレへと向かった。
 ──トイレの中じゃなくても行動は起こせるわ……。
「悪い物でも食べたのか?」仮設トイレに向かう途中で盗賊が訊ねた。
「いや」ソフィアは首を横に振った。「水浴びの時に、水を飲み過ぎただけよ」
「ふん、なるほどな」盗賊は鼻を鳴らした。
 ──シミター持ちの男からはここは見えないはずだわ。
 ソフィアと盗賊の男性が歩いていた場所は、倉庫に並べられていた大型の木箱によって、人質達やシミター持ちの剣士からは死角となる場所であった。倉庫内に数多く置かれていた松明や魔法性の照明も、どういうわけかこの「回廊」部分だけは不足気味となっている。
 ──ここって、行動を起こすにはバッチシじゃん。
 ソフィアは急に立ち止まると、後ろを振り返って言った。「ねえ」
「どうした?」男は右手をダガーの柄に伸ばし、近寄りながら訊ねた。「トイレは先──」
「ここでいいの」
 ソフィアはそれだけ言うと、十分に近付いていた盗賊の股間に鋭い蹴りを見舞った。男は低い呻き声を上げると、その場にうずくまり動けなくなった。彼女は男の下げていたダガーのうち1本を抜くと、素早く男の首筋に当てた。
「……立って」
 ソフィアから命令され、男はよろよろになりながらゆっくりと立ち上がった。その時、「回廊」の奥──仮設トイレから姉の声が聞こえてきた。「ソフィア?」
「こっちは大丈夫」
「分かったわ」エレハイムは若い男の首筋にブロードソードを当てたまま、ゆっくりと前進した。そして、ソフィアの隣に並ぶと小さな声で訊ねた。「どうする?」
「続けるわよ。こんなチョベリバな場所からはとっとと出てやる!」
 2人は男達を盾に取ったまま、女性達が監禁していた場所に現れた。この異常事態に最初に反応したのは、シミター持ちの男性であった。「待て! どういうつもりだ!」
「あたしたちを解放しなさい!」ソフィアが叫んだ。「でないと、こいつは地獄行きだよ!」
「お前達! 何をしでかした──」
「黙れ! このヘボ男!」エレハイムがシミター持ちの男の大声を遮った。「大声を出してもこいつらは殺すよ! まずは、そこのあんたが武器を置きな! さあ、今すぐ!」
 シミター持ちの男はカッセル姉妹の顔と彼女達の人質となってしまった男達の顔を眺めながら、この異常事態にどう対処するべきか悩んでいた。そして、数秒の思考の末、座っている女性の中でまともな戦闘能力を持っているのがナターシャ・ノブゴロドだけであることを彼は思い出した。
 ──彼女を封じれば大丈夫だな。
 男はシミターを抜くと人質達の間に分け入り、ナターシャ・ノブゴロドの首筋にシミターの切っ先を突き付けた。
「どういうつもりなの?」ナターシャは冷静さを装いながら訊ねた。
「立つんだ!」
 シミターを持った男はシミターが握られていない左手でナターシャの黒い髪の毛を掴むと、ナターシャが悲鳴を上げて抗議するのを無視して彼女を無理矢理立たせた。そして、シミターを彼女の首筋に押し当てると、エレハイムとソフィアに向かって大声で叫んだ。「さあ! こいつの命が惜しくないのか! 自分達だけが助かる為に、他の人質を殺しても良いと思ってるのか! さあ、こいつの命を助けたければ、ここで投降するんだ!」
 カッセル姉妹にとってはこの展開は完全に予想外であった。他の人質18人の存在を無視してしまったことは、明らかに彼女達の思慮と頭の回転の足りなさが原因であり、2人はそのツケを払わされようとしていた。
「どうする?」姉が妹に訊ねた。だが、妹は無言のまま答えない。
「さあ! とっとと決めろ!」
 シミター持ちの男が再度叫んだ時、人質達が監禁されている場所に犯人グループの増援が現れた。彼らの1人である髭面の男は、倉庫内で発生した異常事態にも狼狽した表情を見せず、冷静そうに辺りを見回してから口を開いた。「ふむ……この『商品』は『不良品』らしいな」
 髭面の男の発言を聞き、ソフィアが怒りを爆発させた。「バカなことは言ってねーで、早くあたし達を解放しな! でないと、こいつら2人の命は無いよ!」
「なるほどな」髭面の男は頷くと左手を上げた。次の瞬間、髭面の男の正面にライトクロスボウを構えた男女が2人ずつ現れる。既にボルト(クロスボウ専用の矢)はセットされていた。
「待ってよ!」エレハイムの顔色が青くなる。「どういうつもり!? 仲間なのにこいつらを殺し──」
「ああ、その通りだ」髭面の男は頷くと命令を下した。「『人質』から殺れ」
 次の瞬間、4台のライトクロスボウのうち2台から鉄製のボルトが発射され、それぞれエレハイムとソフィアの抱えていた人質の胸に命中した。男達は命令を下した髭面の男を睨んでいたが、数秒も経たない内に彼らの瞳から光が失われた。人質というカードを突如として失った2人の女性は、呆然とした表情を浮かべていた。
「猶予は10秒間だ」髭面の男は強い口調で言うと、頭髪を引っ張られて無理矢理立たされているナターシャ・ノブゴロドを指差した。「もしも10秒間経っても降伏しないなら、次はこちらの人質を殺す」
「う、嘘よ!」ソフィアが叫んだ。「あなた達には大事な『商品』──」
 髭面の男は右手を上げると、誰にでも見えるようにして指を折り曲げ始めた。「今から数えるぞ。10、9、8──」
「ど、どうする?」エレハイムが妹に訊ねた。
「──7、6、5──」
「チョベリバって感じね……」ソフィアは呟くように言った。
「──4、3──」
「分かったわ! 降伏すればいいんでしょ!」
 ソフィアがダガーを投げ捨てた。姉もそれに続いてブロードソードを投げ捨てた。2人が武装解除したことを確認すると、髭面の男の背後に待機していた手下達がカッセル姉妹を床に捻じ伏せ、その体に縄を掛け始めた。シミターをナターシャの喉元に突き付けていた男は、彼女の髪を掴んでいた左手を離すと、その無防備の背中を乱暴に押して、人質達の輪の中に彼女を戻した。彼女は男を鋭く睨んだが、その視線は男には伝わらなかった。
 髭面の男はシミター持ちの男のところに歩み寄った。「君の判断かね?」
「彼女を人質に取ったことですか?」男は誉められることを期待した。
「奇抜だが興味深い判断だ。今後の参考にさせてもらおう」
「ありがとうございます」シミター持ちの男は頭を下げた。
「ただ」髭面の男の顔が険しくなった。その声も1オクターブ低くなる。「失態の責任は取ってもらうぞ」
「え──」
 次の瞬間、髭面の男は腰に下げていたダガーを抜き、眼前の男の腰に深く突き刺した。男の口からは微かな悲鳴が漏れたが、それはすぐに聞こえなくなった。髭面の男は死体を空いている場所に投げ捨てると、室内に集まっていた人々に向かって命令した。「死体をトイレの穴に入れるんだ」
「それは無理です」犯人達の中から反論が上がった。「死体3つを入れるほどの余裕はありません。死体を投棄するのでしたら、港か洋上になさるのがよろしいのではないでしょうか?」
「しかし、こいつらを魚の餌にするのは面倒だな」髭面の男は頷いた。「分かった。3人の死体は麻袋に詰めた上でシルクス港に捨てるんだ。重りを付けることを忘れるな。3人にはこのまま海底に沈んだままでいてもらわねばならんからな」
 その言葉を聞いた犯人達の数人が、死体を殺害現場から引きずり出し始めた。その様子に満足した髭面の男は、続いてきつく縛り上げられたカッセル姉妹に向けられた。その口には布製の簡単な猿轡がはめられており、2人は言葉にならない呻き声を上げることしかできなかった。
「……どうしやすか、これ?」ソフィアの縄尻を持っていた若い男が訊ねる。
「この2人を『荷造り』しろ。完了したら、死体と一緒にシルクス港の船に運び込め。そこでグルメ通のあの男を呼んで『試用会』を開くぞ。ストレス発散には丁度良いだろう?」
 髭面の男の言葉を聞き、男達の間からは小さな喝采や歓声が上がった。

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