本編(19)
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(20)
4999年3月24日 12:07(休廷日)
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド2階、異端審問所書記室
法廷が休みなので、ラプラスとマンフレートの仕事は地下ではなく2階のオフィスで行われた。前日に行われた審理の記録の再整理と、異端審問所全体の経理事務の決裁がその内容である。地下で裁判の様子を直に聞きそれを書き留めることよりも簡単な仕事であることは確かだが、ラプラスにとっては退屈な仕事でもあった。
「フォルティアとかいう女性はなかなかの美人ですね」
「そうかもしれんな」マンフレートの言葉をラプラスは軽く聞き流すと、机の上に置かれていた繊維紙の書類をまとめ、「既決」と書かれた箱の中に入れた。「君の好みだという話も聞いたしな」
「時々ここに来るんですよね、彼女のような美人が」
「そうなのか……。それにしても、あんなに若いのに監獄行きとは哀れだな」
マンフレートの顔が曇った。「そうですね……」
バディル勅令で定められた異教崇拝に対する刑罰は、原則として死刑だけとされていた。罰を加重する場合は、処刑方法が非公開の絞首刑から公開の斬首刑、更には火刑とより厳しくなるのである。また、リマリック帝国時代には、配偶者に対する連座制が敷かれていた。なお、異端者に対する刑罰はシルクス帝国時代になってから大きく変更され、懲役刑や禁錮刑が言い渡される──エブラーナ盗賊ギルドの地下に監禁される──判決も見られるようになった。
「彼女の罪状は何なのでしょうか?」
「さあ」ラプラスは首を横に振った。「全然教えてもらってないからな。ナディール教団に参加していたという話だけは聞いているし、それが冤罪である可能性が高いという話も聞いた。まあ、明日になれば分かることだ」
「本当に冤罪だったら良いのですけどね……」マンフレートは溜息を吐いた。
「それは誰だって一緒だろう。不必要な殺人ほど気持ち悪いものは──」ラプラスの言葉が終わらないうちに、下の階から騒ぎ声が聞こえてきた。
「何事でしょうか?」
ラプラスは無言で耳を澄まし、階下の喧騒に注意を向けた。叫び声や怒鳴り声が数多く聞こえ、その中には人間の悲鳴も混ざっていた。
──剣戟の音は聞こえていない。剣での切り合いではなさそうだが……。
「どうします?」マンフレートが訊ねた。
「気になるな。見に行ってみよう」
ラプラスとマンフレートは書記室を離れると、他の職員達と共に1階へと駆け下りた。
盗賊ギルドの1階ロビーは大混乱の最中にあった。その混乱の中心には1人の大男と女性が立っていた。上半身が裸である大男の右手にはロングソードが握られ、その左手は女性の髪の毛をつかんでおり、彼女の喉元にロングソードの刃先が突き付けられている。男の両手首には鉄製の手枷がはめられていた。しかし、既に鎖は引き千切られている。一方、女性のほうはシーフ風の服装をしていたが、全身に痣や擦り傷を作っており、男が髪を引っ掴んだまま左右を振り向くのにも反応を示さなかった。
「あの男、脱走者か……」ラプラスが野次馬達の背後から顔を覗かせながら言った。
「ええ。地下にある牢獄から脱獄したようですね」
「それにしても、人質となった女性は大丈夫なのだろうか?」
マンフレートが女盗賊を無言で観察していたが、首を横に振って答えた。「手遅れでしょう。回復呪文で治療できないほどの傷ですね。ひょっとしたら死んでいるかもしれません」
「分かるのか?」ラプラスは意外そうな表情を見せた。
「医者としての心得がありますから、多少は分かるんですよ。とりあえずは、彼女の腕をじっくりと見て下さい。普通は関節はあのように曲がらないんですよ」
ラプラスは女盗賊の肘と膝に目を向けた。慎重に観察すれば、マンフレートの言う通り彼女の肘と膝は不自然に曲がっていた。「曲がっていた」というよりも「ぶら下がっている」と表現すべきだとラプラスには思われた。それに加え、肘と膝からは激しい出血が続いており、大男達の足元には大きな血溜まりができていた。
「関節を外されているのではなく、関節部分の骨が丸ごと砕かれています」マンフレートは冷静に分析した。「激しい出血から見ても、恐らく彼女は死亡── 」
「通さんか!」大男の声が会話を中断させた。野次馬達の騒ぎ声が一瞬にして止み、辺りが静寂に包まれた。「この女の命が惜しいのなら、俺をここから無事に解放するんだ。さあ、早くしろ!」
「自分で半殺しにしておきながらよく言うよ」ラプラスは小声で言った。
「それはそうと、どうします?」
「今考えてるところだ」
──この建物の管理権は盗賊ギルド側にあるから、この大男の排除は彼らの仕事になるはずだ。放っておいても、ラフディアス氏辺りが掛けつけて何とかしてくれるかもしれんな……。
その後も、大男は人垣を見回しながら、同じ言葉をくり返していた。「俺を釈放しろ! さもないと、女の命はないぞ!」
──しかし、女性が生きている可能性がある以上、ここで行動を起こさねばならん。それに、このままでは午後の仕事の邪魔になるしな……。私が魔法で排除しよう。
「マンフレート」ラプラスは小声で言った。
「何か?」
「反対側に回って大男を牽制してくれ。その間に私が呪文を唱える」
「……大丈夫なのですか?」
「ああ。10秒の時間さえあれば大丈夫だ」ラプラスの言葉は自信に満ちていた。
「……分かりました」マンフレートの返答に自信は感じられなかった。
マンフレートは一瞬だけ間を置いてから頷くと、レイピアの柄に手を掛けてからラプラスの反対側へと向かった。そして、野次馬達を掻き分けて人垣の中に飛び込むと、右手をエストックの柄に掛けたまま大声で叫んだ。「異端審問所からの脱走者だな! 刑務所や拘置施設からの脱走が死刑になることぐらい、重々承知のはずだろう! 今ならまだ見逃してやる!」
「あんな生活には耐えられん! 毎晩一睡もできん上に殴る蹴るされた上に、水や火で責められ、その治療もろくにしてもらえない……、そんな人間以下の生活に耐えられるとでも思ってるのか!」大男の言う通り、その体には暴行による切り傷や火傷の後が無数に見られた。女性の負傷が激しかったので今まで注意を向けなかったのだが、彼も体の各所から血を流していた。
──確かに哀れだが、それとこれは別問題だ。
ラプラスは懐の青系統呪文の魔法発動体に手を伸ばし、小声で呪文詠唱を開始した。
「今なら助かるんだ! さあ!」マンフレートも大声で説得を続けた。
「こんな苦しみを味わうくらいなら……脱走したほうが──」
大男の言葉が終わる前に、ラプラスの呪文が発動した。「かの者の息を奪え!」
ラプラスの懐から青い光が漏れ出す。その次の瞬間、呼吸を止められた大男は喉を両手で抑え、死力を振り絞って呼吸しようと無駄な努力を試みた。しかし、その努力は失敗に終わる。呪文発動後30秒、大男はゆっくりと膝をついて盗賊ギルド1階ロビーの石の床に倒れ込んだ。誰が何をしたのかを悟った人々はその場から動かずに、ラプラスの冷静沈着な表情をじっと見つめていた。
「……おい! 何をしている!」自分が周囲から注目されていることに気付いたラプラスは大声を上げた。「2人を早く医務室に運べ! まだ生きているのかもしれないのだぞ!」
ラプラスの命令で、凍り付いていた人々が再び動き始めた。
4999年3月24日 17:12
シルクス帝国首都シルクス、4番街、酒場《溶岩親父》
デニム達3人による情報集めの最後となったのは、エレハイム・カッセルと妹ソフィアが勤めていた酒場であった。4番街の中では最も貧しい地域に位置し、店の近くにはホームレスの姿も見受けられた。警視庁でデニム達が聞いた話によると、この店の近くに帝都シルクスの盗賊ギルドは存在していると言われていた。
「あまり長居したくない……」デニムの腕を掴みながらセントラーザが呟いた。
「確かにそうだな」デニムは同意した後、サーレントのほうを向いた。「早くしませんか?」
「ああ。では入るぞ」サーレントは酒場の木戸を押し開けた。
酒場《溶岩親父》の中からは、タバコとアルコールが交じり合った独特の匂いが漂ってきた。デニムにとっては特に気になることも無かった──デニムの父親はヘビースモーカーであった──匂いであるが、セントラーザは思わず顔をしかめると右手で鼻をつまんだ。
出入り口で立ち止まっていた2人を無視するかのように、サーレント・スレイディーは平然として店内へと入って行った。デニム達は慌てて店内に入ると扉を閉め、独特の雰囲気に包まれた酒場の様子を観察した。煤で薄く汚れた柱や壁と数少ない照明のために、店内は全体的に暗くなっていた。照明が並んでいるのは、バーテンダーが働くカウンターの周辺と、店の中央部に1段だけ高く作られた台──デニムは踊り子の舞台だと思った──の周りだけであった。それぞれのテーブルには火の点いた蝋燭が1本ずつ立てられているが、照明としてはあまりに不十分である。早くから店を訪れていた男達は、突如として現れた女性客──セントラーザに好奇の目を向けていた。
「場違いなところに来ちゃったみたい……」セントラーザが小声で呟いた。
「大丈夫だ……多分」デニムの返答も自信は無かった。
2人が酒場の雰囲気に圧倒され動けなくなっていた時、サーレントはカウンターに腰掛け、既に情報収集に取り掛かっていた。「マスター」
「……あんたは誰だ?」バーテンダーはサレーントを不審そうに見つめた。
「それよりも酒と情報が欲しい」サーレントは懐から10リラ銀貨を1枚取り出し、バーテンダーの眼前に置いた。「強くない奴でいいから1杯頼む」
「……ウィスキー1杯とピーナッツ一式ってところだが、構わねえか?」
「ああ。水割りでな」
サーレントが応えると、バーテンダーはカウンターに並ぶ瓶の1つを取り出すと、瓶を傾けて茶色の液体を陶器製のタンブラー(取っ手の付いていない厚底のコップ)に注ぎ入れ、続いて別の瓶に入れられていた透明の液体──シルクスの井戸水──を注ぎ足し、静かに掻き混ぜてからサーレントの眼前に置いた。
「ありがとう」サーレントはウィスキーの水割りを喉に流し込んだ。
「そうそう、あとこれがある」バーテンダーは皮を剥いたピーナッツが入った皿を取り出した。「……で、情報が欲しいって言ったな? 何を聞きたいんだ?」
「エレハイム・カッセルとソフィア・カッセルのことだ。ここの店員だったんだろう?」
「ああ……」バーテンダーの顔が暗く沈んだ。「良い子達だったんだがな……」
「ここではどういう仕事をしてたんだ?」
「ソフィアが踊り子、そしてエリィがウェイターだったが、ソフィアと一緒に踊ったこともある。2人とも情熱的で明るい子達だったぞ。……まあ、言葉遣いが変だったのはどうしようもねえが、根は優しくていい子だったぞ。客からの人気も高かったし、この店にとっちゃあシンボルみたいなもんだったぞ……」バーテンダーは溜息を漏らした。
「彼女達が誘拐される直前、何か話してなかったか?」
「そうだな……新しく知り合いの男性が見つかったとか話してたぞ。ソフィアの言葉では『ダークとエドとザール』の3人組だということらしい。考え方が自分達に合っていたんだろうか、とても仲良くなったと言って喜んでたぞ。失踪した日の少し後には、もう1回3人と会う予定も入れていた──」バーテンダーは言葉を切ると、店の中央に位置するステージを指差した。「丁度良かったな。今からショータイムだ。見て行くといい」
「『ショータイム』?」サーレントは聞き返した。
「ソフィア達がどういうことをしてたのか、知りたいだろ?」
酒場に集まっていた男達の声が止み、その視線がステージに集まる。ステージの中央には露出度の高いビキニの衣装だけを身に纏った女性が立っていた。彼女は顔を回して男達を一瞥すると、手と足を静かに、しかし優雅に動かし始めた。男達はその姿を眺めながら手拍子を加え始めた。すると、彼女は男達のリズムに合わせて動きを早める。その優雅で美しい踊りを見た男達は更に激しく、そして早く手を叩く。踊り子の女性はテンポの速くなった手拍子に会わせて体を大きく揺らし、その踊りは更に激しく、速く、そして官能的になる。
サーレントは女性のダンスに目を向けながらも、店に入っているはずのデニム達の姿を探した。しかし、デニム・イングラスとセントラーザ・フローズンの姿は《溶岩親父》の店内からは完全に消えていた。
──やはりこういう店は苦手だったようだな……。
店内の興奮が最高潮になったところで、女性は激しい動きを見せていた体を止めてポーズを決める。その美しい姿に対し、男達は万雷の拍手と声援、そして「おひねり」──チップを贈るのである。
「どうだった?」バーテンダーが訊ねる。
「素晴らしいが……かなりの重労働に見えるな」サーレントは率直な感想を述べた。
「まあな。踊りの実力だけではなく、顔とスタイルも良くなけりゃできない仕事だし、男の前で自分の体をさらけ出すだけの度胸が無けりゃ無理な仕事なんだ。今は服を着たままだが、深夜に踊る時、勢いとアルコールに任せて、踊りながら服を脱いでしまうことも良く起こったしな」
「カッセル姉妹もそうだったのか?」サーレントは小声で訊ねた。
「そりゃそうさ。あの子達の肝の座り方は大変なものだったし、男達に裸を見せることにも躊躇いをあまり感じてなかったようだったな。むしろ、自分達の体を『武器』として使ってたようにも思えた。……だから、踊り子としちゃあ素晴らしかったんだがな」
──娘が生まれたとしても、とてもそんなことはさせられんな……。
サーレントは軽く溜息を吐いた後に訊ねた。「話を元に戻すが、カッセル姉妹が3人と会う約束をしてたと聞いたが、それは本当なのか?」
「そうだとも。2月の5日だったと思うぞ。ここを丸1日休んでデートしてたな」
「デート?」サーレントは聞き返した。
「そう」バーテンダーは頷いた。
「……そこまで親しかったのか?」サーレントにとってこの情報は初耳であった。
「3人が彼女達をどう見てたかは分からん。ただ、彼女達が3人を気に入ってたことだけは確かだ。……5人のうち4人が死んじまった今となっちゃあ、もうどうでも良いことだがな」
「このことを知っているのは?」
「さあ……店にいる奴はみんな知ってるんじゃないのか?」
「分かった、ありがとう」サーレントは立ち上がった。「機会があったらまた来よう」
「ああ。……それにしても、あんた誰だ?」バーテンダーが最初の質問を繰り返した。
「……この街に住むしがない冒険者だ」
酒場《溶岩親父》の外では、デニムとセントラーザが退屈そうに待っていた。
「どうしたんだ?」サーレントが2人の顔を見ながら訊ねた。
「私……タバコの匂いが苦手なんです」セントラーザが答えた。「それに、店の雰囲気が『女性お断り』って感じだったから、怖くて足がすくんじゃったんです。足手まといになっちゃいましたね……」
「いや、俺のほうも不注意だったな。俺が1人で入ってれば良かったかもな」
「情報は集まりましたか?」デニムが訊ねた。
サーレントは首を横に振った。「真新しい話は聞けなかった。ただ、昔ここを聞き込みした奴から油を絞らねばならなくなったことだけは確かなようだ。なぜ、あれほど重要な情報を隠していたのかを聞き出さねばならん」
4999年3月24日 18:23(休廷日)
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド1階、食堂
「聞いたわよ、あなたの英雄的活躍」キャサリンはそう言って微笑んだ。
「『噂は光よりも速い』か」ラプラスはリマリックに伝わる諺を持ち出して応えた。
「そういうこと。呪文で大男を一撃でしとめるなんて、さすがに魔術師は強いなと思ったわ。私は神聖魔法の使い手だから、あそこまで思い切ったことができないのよ。それにしても見事だったわ」
「2人とも助けられれば良かったがな」ラプラスは紅茶の入ったカップを握り締めたまま溜息を吐いた。「あの後に医務室に運び込まれたんだが、どちらも既に死んでしまった。大男のほうはあの場で殺してしまっても良いと思ったが、せめて人質の女性は助けてやりたかったな」
マンフレートは首を横に振った。「それは無理でした。人質となった女性は、私達が1階ロビーに着いた時には、既に死んでいたようです。ラプラスさんが悔やんだところで始まる話ではありませんよ。それに、大男のほうは絞首刑が確定していた人物でしたから、殺してしまったところで実害は無いはずです。処刑方法は多少変わってしまいましたけどね」
「そもそも、あの大男って誰だったのかしら?」
「2月1日にナディール教団を信仰していた罪により死刑となった男です。4月1日の早朝に処刑が予定されていました。元々、精神が不安定な人物でしたが、処刑が間近になったということが引き金になって『爆発』し、牢内で暴れていたところを抑えようとして看守4人が彼の地下牢内に入ったところ、自力で鉄製の手錠を引き千切り、看守4人のうち3人を殴り殺し、残った女性1人に深手を負わせ、殺された看守が持っていたロングソードを奪いそのまま地上へ脱出──というわけです。そして、地上1階のロビーに現れたところを、ラプラスさんが呪文で仕留めたわけです」
「見事なものだわ」キャサリンはラプラスを手放しで誉めていた。
「ありがとう、キャシー」ラプラスはマンフレートのほうを向いた。「問題の大男についてもっと詳しく教えてくれないか?」
「エブラーナに住んでいた男性で大工見習いでした。幼い頃から腕力だけは強いことで知られていて、エブラーナの街に住んでいるザナッグ・ドーストンという格闘家に弟子入りしていたそうです。脱出劇で見せた腕っ節の強さは、彼の元で修行して身に付けたものなのでしょう」
「ナディール教団に入った理由は教えてくれたのか?」
「いいえ。逮捕されてからは自分の罪状以外は頑として口を割らなかった人物なのです。ですから、1階ロビーで大男自身が話していた通り、かなり過酷な拷問を行って棄教や情報提供を迫ったのですが、それに全て失敗してしまったのです。ただ、この格闘家に関しては色々と噂が流れているんです」
「どういうことです?」キャサリンは体を前に乗り出した。
「ザナッグ・ドーストンという格闘家には、ナディール教団の司教ではないかという疑いを掛けられています。確証はありませんが、我が国で逮捕されたナディール教徒の多くが、彼の弟子か知人だったのです」
「ナディール教団の総元締めなのかもしれない……?」
ラプラスの言葉にマンフレートは無言で頷いた。
「でも、今回の事件ではどうなのかしら? 彼も関係してるのかしら?」
「分かりません」マンフレートは首を横に振った。「明日になれば分かります」
4999年3月25日 10:02(異端審問第2日目)
シルクス帝国領エブラーナ、エブラーナ盗賊ギルド地下1階、第1法廷
異端審問の第2日目の審理は、前日に発生した脱走事件の影響を全く受けないかのように、予定通り行われた。既に、被告人を含めた全ての人間が所定の座席に席を下ろし、グレイブ・ゾーリア裁判長による開廷の言葉が発せられるのを待っていた。
「今から審理を開始します」暗闇の中からグレイブ・ゾーリアの声が聞こえてきた。段下の書記席では、ラプラス達が一斉に羽根ペンと鉛筆を動かし始める。「本日は被告人1番に関する起訴状の朗読と、それに対する被告人1番の罪状認否を行います。それでは、告発人は起訴状の朗読を開始して下さい」
「分かりました」告発人の1人であるガーラル・シモンズ司祭は、羊皮紙のスクロールに目を落としながら説明を開始した。「我々タンカード神殿は以下の罪状により被告人1番であるフォルティア・クロザックを起訴します。起訴の対象となる被告人1番の行為は3つ存在します。第1に、被告人1番は新太陽暦4988年10月頃から、被告人1番の父親及びザナッグ・ドーストンと同行して、エブラーナ市内にあるナディール教団の会合に顔を出し、新太陽暦4989年1月7日に同被告が『セリア・キャスフォーク』の偽名を使ってナディール教団に参加したことです。本行為はバディル勅令第1条及び第2条に違反しています」
シモンズ司祭の言葉を速記していたラプラスは、起訴状の中身を聞き眉をひそめた。
──エブラーナ時代からナディール教徒だった? これは本当に冤罪なのか……?
ラプラスは隣で速記の作業に加わっていたマンフレート・セルシュ・ブレーメンの表情を見た。彼の顔には困惑の表情がはっきりと滲み出ている。
ガーラル・シモンズによる説明は更に続いた。「第2に、同被告はエブラーナに住んでいた時、同被告の父親と共謀してザナック・ドーストンをはじめとする複数のナディール教徒を匿っていたことです。その後、新太陽暦4994年11月20日にエブラーナで発生した大火の日まで、同被告は毎日ナディール教団の集会に顔を出していた模様です。その後、同被告はエブラーナを離れ帝都シルクスへと移り住みます。第3の起訴対象となる行為は、帝都シルクスに移住した後、同被告が住みこみで働いていた《7番街の楽園》がナディール教徒の集会場として提供されていたことに対し、同被告が警視庁やタンカード神殿への通報を怠ったばかりでなく、被告人4番(《7番街の楽園》店主)によるナディール教団への協力行為を黙認したことです。第2及び第3の行為はバディル勅令第3条に違反しています」
起訴状主文の朗読が終わった後、ガーラル・シモンズは羊皮紙のスクロールを持って書記席に座るラプラスの所へ歩いて来た。そして、スクロールの紐がしっかりと結ばれていることを確認すると、ラプラスにスクロールを手渡した。「これが被告人1番の起訴状です」
「分かりました」ラプラスは頷くと立ち上がり、手を伸ばして段上の裁判官達にスクロールを手渡した。「これが被告人1番──フォルティア・クロザックの起訴状です」
「了解。受け取りを確認します」グレイブ・ゾーリアの腕が伸び、スクロールが闇の中へ消えた。ラプラスが着席したのを確認して、ゾーリア裁判長が言った。「被告人1番フォルティア・クロザックさん、今から、本起訴状に挙げられた3個の行為についての罪状認否──」
「罪状認否?」フォルティアが聞き返した。
「そうです。要するに、『私はここに挙げられた行為を実際に行ったのか否か』を、我々に対して話して頂くのです」
「……なるほどね」
「では聞きます。初めに第1の行為──ナディール教団への参加についてはどうですか?」
「黙秘するわ」
「何だと、黙秘するのか!?」彼女の言葉を聞き、告発人席に座っていたシモンズ司祭が中腰になって激しい野次を飛ばした。だが、ゾーリア裁判長の叩く木槌の音を聞き再度着席した。
「告発人は静かに」ゾーリア裁判長は静かな、しかし厳しい口調で命令した。そして、再び正面の椅子に固定されているフォルティアに訊ねた。「黙秘ということは、罪状認否を保留すると扱われます。それで構いませんか?」
「保留ねえ……確かにそうね。それで問題無いわ」被告人1番は頷いた。
「次に第2の行為──ザナッグ・ドーストン隠匿については?」
「前と同じく保留するわ」
「最後に第3の行為──シルクスでのナディール教徒隠匿に対する幇助については?」
「これは間違っているわ」フォルティアは首を横に振った。
「再確認しますが、第1と第2の行為については保留、第3の行為は否定。よろしいですな?」
「その通りよ」
「分かりました。……では、被告人1番に対する第2日目の審理を終了します」
裁判長席で木槌が鳴らされる。それを合図にして、2人の兵士達がフォルティア・クロザックを拘束していた鎖を解き、彼女を法廷の外へ連れ出した。法廷のドアが閉められた後、ラプラスはマンフレートに小声で訊ねた。「エブラーナ時代のことが容疑に上げられるとは初耳だったな」
「私もです。……どうなるんでしょう?」
「さあな」
ラプラスの言葉が終わった時、段上から裁判長の声が聞こえてきた。「続いて、被告人2番を入廷させなさい」
兵士達に連れられて部屋に連行されて来たのは、《7番街の楽園》の常連客の男性であった。彼を椅子に鎖で縛り付けた後、早速告発人による起訴状朗読が開始された。タンカード神殿が提出した起訴状によると、被告人2番であるサラーム・パヴィスは、4995年春にシルクス在住のナディール教徒に勧誘されてナディール教団に参加したというのである。バソリー神殿や内務省、そしてシルクス警視庁などは彼も冤罪であると考えていた。
ラプラスから起訴状を受け取ったグレイブ・ゾーリアが訊ねた。「被告人2番サラーム・パヴィスさん、今から、本起訴状に挙げられた行為についての罪状認否を行います。起訴状に書かれていた行為──ナディール教団への参加と布教活動への関与に関し、あなたはその実行を認めますか?」
「…………」サラーム・パヴィスは無言だった。
「どうしました? 保留されるんですか?」
サラーム・パヴィスは重々しく首を横に振ると、かろうじて聞き取れるほどの小さな声で言った。「俺は……やったんだ。そう……起訴状の言う通りだ」
「では、罪状を認めるのですか?」ゾーリア裁判長が聞き返した。
「ああ。その通りだ」被告人2番の首が縦に振られた。
その直後、裁判官席に座るバソリー神殿司教達の間から話し声が聞こえてきた。弁護人席に座るアテナ・オナシス司祭の顔は化粧を通してみても真っ青になっているように感じられた。ラプラスの隣に座っていたマンフレートも「信じられない」といった表情でラプラスのほうを無言で向いた。ラプラスはただ無言で首を横に振るだけだった。
──私にも分からん……。
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