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4999年3月27日 13:41
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁地下1階、第2会議室

「サーレントがいない? どこへ行った?」レイモンド・フォン・ビューローはサーレント・スレイディー警部補の行方を探していた。彼はダリル・キーシング邸の家宅捜索の責任者であったからだ。
「私にもさっぱり」質問された巡査部長は首を傾げていた。「ただ、『私用につき席を外しております』としか教えられませんでした」
「イングラス事務官とフローズン巡査は?」
「この2人もスレイディー警部補に同行しておりますが……」
 ──どこに消えた?
 巡査部長から離れて3人の姿を探しているビューロー警視の目に、警視庁で働く事務官の女性の姿が入った。連続女性失踪事件に関する文書管理を任せていた女性であり、彼女は警視庁のあらゆる場所に出入りしていたのである。
「ちょっと良いかな?」ビューローは事務官を呼び止めた。
「はい、何でしょう? お仕事ですか?」
「サーレント・スレイディー警部補とその部下達はどこにいるか知らないかね?」
「4階の廊下ですれ違いました」女性は事務的な口調で答えた。
 ──4階……警視総監室のあるフロア……だとすると……もう発覚したのか……?
「……警視、どうされました?」事務官は表情が凍り付いているビューローに訊ねた。
「いや……気分が悪くなった……」

4999年3月27日 13:43
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

 ナヴィレント・ティヴェンス、キロス・ラマン、デニム、そしてセントラーザの4人は警視総監執務室の応接用のソファに腰を下ろしていた。
「では頼む」警視総監が命令した。
「分かりました」部屋の中でただ1人だけ立っていたサーレントは頷いた。「私が今回の事件の捜査過程に不審を抱いたのは、7番街のアパートと倉庫街からの情報が途絶えてしまったことがきっかけでした」
「どういうことだね?」ラマンが訊ねた。
「行方不明になっていた女性達と犯人達の足取りは、かなり早い時期から特定されていたのです。シルクスの各所で失踪した女性達は、シルクス港とそれに隣接する6番街で目撃されており、またそれに同伴している中年男性──恐らく彼は犯人の1人ですが──も目撃されているのです。また、犯人達の足取りに関しては、我々が喘息の特効薬フェールスマイゼンに関する情報──」
「ちょっと待て」ラマンは手を上げてサーレントを制した。「フェールスマイゼンが事件と関係していた? そんな話はビューロー警視から一言も聞いていないぞ。初耳だな」
「本当なのですか?」
「ああ」ラマンが答える横で警視総監の首が縦に振られた。
「そうでしたか……。それもビューロー警視の共謀説の根拠の一部になりそうですが、今は私の話を先に進めましょう。それで、フェールスマイゼンというのは、被害者の1人であるセリス・キーシングが常時服用していた薬なのですが、それを薬の開発者であるフラマリス・ソロン医師から偽名で購入した中年男性がいるという話を聞き、偽名で使われた住所の場所に向かったところ、その場所は無人であり、その向かい側の部屋で何やら密会が行われていたという話を聞き、我々もその現場を目撃したのです」
「はい」椅子に座っていたデニムが頷いた。「それで、僕達3人はこのフェールスマイゼンを買った怪しい人物がいるという話と、7番街の一角で何らかの謀議が行われている可能性があることをビューロー警視に報告し、注意を喚起するように進言したのです」
「で、我々の話を聞いたビューロー警視は、半信半疑ながらも進言を取り合ってくれて、7番街の問題のアパートを監視する為に人員を派遣してくれたのです」サーレントがデニムの説明を継いだ。
「それだけなら何も問題は無いぞ」ティヴェンスは面白くなさそうに言った。
「ええ。ここまでの話なら別に問題は無かったんですけどね。ところが、我々警視庁の人間が監視を開始した直後から、7番街のアパートでの目撃情報が全て途絶えてしまったんです。それだけじゃありません。我々がビューロー卿に話をつけた直後から、フェールスマイゼンを購入していた不審人物の出現がぱったりと止まってしまいました。また、倉庫街やシルクス港で幾度と無く目撃されていた女性達と疑惑の中年男性の情報が、捜査官達による監視が始められた直後から全く途絶えてしまいました。……さて、ここまでの話で、私の説明した言葉の中にある単語が繰り返されていること、分かります?」サーレントは口を閉じて4人を見回した。
 4人は無言で考えていたが、デニムが最初に気付き、執務室内の沈黙を破った。「先輩……、これって全部、警視庁が行動を起こした『直後』ですよね?」
 サーレントは無言で頷いた。

4999年3月27日 13:44
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁1階

 ニベル・カルナスは4階への階段を上っている途中、地下1階から何者かが階段を駆け上がってくる足音を耳にした。
 ──誰だ?
 カルナスは踊り場から下を観察した。足音が大きくなり、5秒も経たないうちにビューロー警視が1階へ現れた。彼は周囲の様子を全く気にする様子も無く、大股で1階ロビーへ入って行った。彼がどこへ向かおうとしているのかは自明であった。
 ──外出するのか!?
 カルナスは音を立てないようにして1階へ下りた。
 ──4階には行けなくなったが、これは止むを得まい。

4999年3月27日 13:49
ルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

「ちょっと待ってデニム、どういうことなの?」セントラーザが訊ねた。
「いいかい? 7番街のアパートは監視の開始『直後』から情報が途絶えた。倉庫街とシルクス港での情報も、カッセル姉妹の失踪事件が発生してからビューロー警視の指示によって捜査人員が大幅に増員された『直後』に無くなった。フェールスマイゼンを購入していた不審人物は、その存在がビューロー警視に報告されてから消息を絶ち、2月17日前後になるはずの購入予定日に現れていない。ビューロー警視への報告は2月11日だったから、これも『直後』と考えていい。偶然がこんなに連続して起きたなんて、考えたくもないだろ?」
「犯人が学習した可能性は?」ティヴェンスが疑問を口に出した。
 これにはサーレントが答えた。「それは否定しません。しかし、閣下の仰る『学習』の期間が不自然なほど短すぎます。普通、こちらが行動方針を切り換えたり、今までとは異なる捜査手法が導入された時には、たとえ相手に学習能力があったとしても、少しの間はこちらが優位に『ゲーム』を進めることができる時期が存在するのです。ところが、今回の捜査ではその時期がほとんど存在しないのです。《ブルーエルフ》関連の調査で、ようやく少しだけ先んじることができたのですが、そこでも重要証人の1人であったアルザス・フォーリーとその奥さんが殺されてしまいました。無論、こちらが新しく使った捜査手法が見当外れだった時は別問題ですが、私が考える限りでは、それは無いと思います」
「つまり、どういうことだ?」ラマンが先を促す。
「犯人達は警視庁の採った新しい戦術に的確且つ瞬時に対応しています。そんなことする為には、リアルタイムで警視庁内部の動向を監視できる人間が存在しないと不可能なんです」
「それで、警視庁内部にスパイがいると疑ったわけだな」
「はい」サーレントは頷いた。
「しかし、警視庁内部の監視だけなら、ビューロー警視以外の人物でも実行できたはずではないのかね?」ラマン秘書官が疑問を口に出した。
「ここから先がその説明に相当する部分です。ビューロー警視に対する疑惑を決定付けたのが、シルクス港と倉庫街での情報収集活動の結果なんです。我々が最重要な場所だと考えていた場所であるはずなのに、あそこからの情報が皆無になってしまったんです。それも、ビューロー警視が人員補充を実行した直後にですよ」
「犯人が警戒しただけじゃないんですか?」セントラーザが訊ねた。
「だからったって、たった1日で急激にゼロになることは無いはずだぞ」サーレントが反論した。「他の地域からの情報はまだ集まっていたし、中には増員したおかげで情報量が増えた場所もある。あの地域だけゼロになったんだぞ。少しずつ減ったり『ほとんどゼロ』になったんじゃなくて、1つも情報が得られなくなったんだ。不自然と思わないのか?」
「つまり、どういうことだ?」ラマンが訊ねる。
「あの地域に派遣された人間は、聞き込みで得られた情報を全て握り潰したり、犯人達が行動しているのを黙認したりするように行動していたはずです。そんなことをする為には、捜査官に対して集団サボタージュをするように命令したり、元から犯人達の一味になっている人間だけを問題の地域に派遣したり、犯人達の『味方』だけが倉庫の張り込みを行なっている時間帯を作り出したりせねばならないのです。そんなことを実行に移せるのは捜査官達の配置場所を自由に決定・変更できる人物であり、今回の事件の捜査でそんなことができるのはレイモンド・フォン・ビューロー警視だけなんです。犯人達とは全く関係無い捜査官が情報をつかんでいたりしていたら、既にどこからかその情報が他の捜査官達に漏れ出していますし。それに、警視が犯人グループにつるんでいたと考えれば、重要な情報全てが犯人グループに漏れ出していたことも納得ができるんです」
「だとすると、7番街のアパートに対する監視にも同様の疑惑が向けられるべきだな」
 警視総監の意見にサーレントは無言で頷いた。
「では、今日の未明に行われた《ブルーエルフ》の家宅捜索は?」ラマンが訊ねた。
「秘密であるはずだった家宅捜索の情報が漏れた可能性は高いと思います。《ブルーエルフ》に対する家宅捜索では、相当数の繊維紙が前日の夜から暖炉で燃やされていたようなのです。それに、アルザス・フォーリー料理長が奥さんと一緒に殺害されてしまいました。証拠品となるはずだった来客記録の書類は《ブルーエルフ》の店内か別の場所で灰になり、今頃は植物の肥料になってるはずです」
「だとすると、この殺人事件にもビューロー警視は関与しているのか?」ラマンが訊ねた。
「多分」
「何てことだ……」ティヴェンスは頭を抱えていた。「これが事実だとすると、警視庁史上最悪のスキャンダルになる……。どうにかできないものか……?」
「何よりもまず、捜査体制の立て直しが必要でしょう」デニムが答えた。「犯人達に接触している可能性のある全ての人員を捜査チームから排除して調査し、シロと分かった者だけ捜査に復帰させます。この調査はできる限り急がねばなりません。可能でしたら、今から5分後にでも始めるべきじゃないんでしょうか? 世間や内閣からは、閣下の監督責任を追及する声が出て来るかもしれませんが、その声に対処するのは事件解決後でも構わないでしょう」
「いざとなったら内務大臣に全てお任せしよう」ラマンが答えた。「それにしても、警視庁内部のスパイ狩りを行うとなると、かなり困難な作業にならないか? 身内の犯罪捜査なんて、誰も進んでやりたがらないぞ」
「でも、外の人間に全部を任せちゃうのもまずいですよ」セントラーザが言った。「自分達の犯罪について厳しく当たれない警察を、普通の人が信用すると思います? 私だったら『あんな能無しは信用できん』と思っちゃいますよ」
「『他人には厳しく、自分にはもっと厳しく』だな」ティヴェンスはシルクス地方に伝わる警句を持ち出した。その言葉に残り4人の首が縦に振られる。「方針は確定した。連続女性失踪事件の捜査チームに対する捜査のほうはラマン秘書官に任せるとして……まずは何から取り掛かる?」
「ビューロー警視を未成年者略取及び殺人の幇助、そして捜査妨害の容疑で逮捕──」
「それはまずい」警視総監は首を横に振った。「ビューロー警視が本当に犯人グループの一味だったという確証が見つかったわけではない。君達の話も可能性の高い疑惑に過ぎない。まずは、彼が私に対して捜査情報を隠匿していたこと──報告義務違反を口実にして事情聴取に入ろう。彼が確実に罪を犯していると分かっているのはこれだけだからな」
「分かりました」サーレントは頷いた。
 ティヴェンスはラマンのほうを向いた。「ビューロー警視を探し出してくれ。見つかったらここに呼ぶんだ」
「分かりました」ラマンはソファから立ち上がると、小走りで執務室から出て行った。
「……やれやれ」ティヴェンスは額に手を当てながら言った。「警視庁の『スパイ狩り』が終わったとして、次は何に取り掛かろうか? 連続女性失踪事件に7番街路地での殺人、《7番街の楽園》で逮捕された8人の救出、そして今回の殺人事件……。難題が山積みされた状態だぞ。もう1つ大きな事件が発生したら、もはや対処が不可能になってしまう」
 デニムは体を前に乗り出した。「今のところは、有力な手掛かりの洗い直ししかすることは無いでしょう。でも、連続女性失踪事件と今日の殺人事件、更には7番街での殺人事件はどこかで繋がっていると考えるべきでしょう」
「どうしてだ?」
「現在手配中のザール・シュレーダーと殺された2人の仲間は、失踪して殺されたカッセル姉妹や、現在失踪したままのナターシャ・ノブゴロドと面会しているのです」
「ちょっと待て。それも初耳だ」ティヴェンスが声を上げた。「彼らが《ブルーエルフ》という店に通っていた、という話は聞いていたが、『彼らが実際に会っていた』だと? 誰がそんなことを話してたんだ?」
「そのことを話したのが、深夜に殺されたアルザス・フォーリーなんです」サーレントが答えた。「彼はそのことに関する証拠の品も持っていました。ですが、今では灰になっているはずです。この他にも、カッセル姉妹が勤めていた酒場《溶岩親父》の関係者からも同様の話を聞き出すことができました。間違い無い事実と思ってもよろしいでしょう」
「しかし、以前の報告では──」
「《ブルーエルフ》の店主であるダリル・ギスティムが、僕達よりも前に店を訪れていた捜査官達に嘘をついていたんです。それが今日の未明の家宅捜索の理由になっていたんですけどね」
「それは分かった。しかし、繋がっているという確証は無いはずだぞ」
「はい」デニムは素直に認めた。「しかし、誘拐された女性達の間に、性別と年齢と居住地──帝都シルクスに住んでいたこと以外の、有力で追跡する価値のある共通項が見つかったのは、これが初めてなんです。これは時間──」
 大きな音を立てて執務室のドアが開かれた。出入り口に現れたラマン秘書官は息を切らしている。「大変です!」
「何があった?」
「レイモンド・フォン・ビューローが逃げ出しました!」
「『逃げ出した』? どういうことだ?」ティヴェンスは立ち上がった。
「今から10分ほど前に、彼が警視庁を無断で退出するところを目撃した人間がいるのです! 現在、ニベル・カルナス警部補が追跡の為に警視庁を後にしています」
「分かった」ティヴェンスは頷くと、デニム達3人に目を向けた。「仕事だ。奴を生きたままここに連れて来い。馬の使用も許可する」
「はい!」
「了解!」デニムとセントラーザは立ち上がりながら答えた。

4999年3月27日 13:58
シルクス帝国首都シルクス、北大通り

 ニベル・カルナスによるビューロー警視の尾行は続いていた。カルナス警部補の30m前方を行くビューロー警視は、周囲を警戒しながら小走りで北大通りを北に向かっていた。だが、周囲を気にするあまり人とぶつかることも多く、人々から罵声や文句の声が飛び出すこともあった。ビューローはこれらの声を無視し、一旦停止して背後を振り向くこうとはせず、ただひたすら北を目指していた。
 ──ビューロー警視の自宅……確か1番街の高級住宅街だったな。だとすると……もうすぐ右折するはずだが……。
 カルナス警部補の予測は的中した。ビューロー警視は大通りの真中で立ち止まると周囲を見回し、尾行が存在していないことを確認する──カルナス警部補には気付いていなかった──と、先程と変わらぬ速さで1番街へと続く道の中へ消えて行った。
 ──そろそろ決戦は近いか……。
 カルナス警部補は腰に手をやり、官給品のブロードソードの存在を確認すると、ビューロー警視と同じ位の速さで1番街へと続く道へ入って行った。

4999年3月27日 14:02
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁1階、裏庭

「ちょっといいか!」サーレントは馬の蹄の手入れをしていた職員に向かって叫んだ。
「どうされたのかね?」初老の職員はサーレント達のほうを向かずに答えた。
「空いている馬はどれだ!? 3頭欲しい!」
「どうしてかね?」
「連続女性失踪事件の犯人を逮捕できる好機なんだ!」スレイディー警部補の声は更に大きくなった。「早く教えろ!」
 初老の男性は顔を伏せたまま別の厩を指差した。「あの馬達なら手入れが終わっとる」
「分かった!」
 3人は厩に駆け寄ると、大急ぎでロープを解いて柵を外し、馬達を裏庭に出した。警視庁で飼われている20頭の馬はごく普通の乗用馬であり、軍馬のような高度な訓練を受けているわけではなかった。しかし、徒歩で逃げる人間を追跡するだけなら、普通の乗用馬で十分である。
「馬には乗れるのか?」サーレントが鞍にまたがりながら訊ねた。
「私は大丈夫です!」そう答えるセントラーザは既に鞍にまたがっていた。「デニムはどうなの?」
 デニムは右足をあぶみに乗せ、慎重に鞍にまたがった。そして、背中から垂れ下がっていた手綱を手に握ってから答えた。「多分、大丈夫……だと思う。子供の時に乗っただけだから、自信は無いけど」
「では、出発するぞ!」
「出発……先輩、どこに行くんです?」
 サーレントはデニムの質問を聞き呆気に取られた──目的地がどこになるのかは全く考えていなかった──が、すぐに気を取り直して言った。「1番街にある奴の自宅だ!」
「根拠は何なんです?」セントラーザが訊ねた。
「そんなものは無い。俺の勘だ」

4999年3月27日 14:06
シルクス帝国首都シルクス、1番街、レイモンド・フォン・ビューロー邸前

 カルナス警部補によるビューロー警視の尾行は、1番街にある彼の自宅前まで続けられた。帝都シルクスの中でも指折りの高級住宅街の中に位置するビューロー警視の自宅は、地上2階建ての白い立派な建物であり、芝生が敷き詰められた庭まで造られていた。自宅が6番街の小さなアパートであるカルナス警部補にとっては喉から手が出るほど欲しい豪邸であったが、今の彼にはそのような妄想や夢を頭の中で描くだけの時間は与えられていなかった。
 ──やはり、自宅に逃げ込むようだな。
 ビューロー警視は自宅前で立ち止まると、周囲を見回して尾行がいないことを再度確認した。そして、道に面した木の柵を押し開け、家の中へ入ろうとした。
 ──そろそろだな。
 カルナス警部補は意を決すると、路地の影から飛び出して大声を上げた。「警視!」
「……カルナス警部補か。一体、どうしたのかね?」
「なぜ逃げ出した?」カルナスは懐から官給品のブロードソードを抜いた。
「何のことだね? 私が、一体、何をしたと──」
「さあ、そんなことはどうでもいい。連続女性失踪事件の捜査責任者が、部下からの報告も聞かず、部下達に何の断りもせずに警視庁から自宅に慌てて帰った──何かやましいことがあるとしか思えんぞ」
「私は体調を崩しただけだ」ビューロー警視は首を横に振った。「女性事務官に──」
「『そう伝えた』? 確かにそうだ、多くの捜査官達はそれを信じるだろう。だが、私やサーレント・スレイディー警部補はそうとは信じていない。今頃、彼らは警視総監室で警視のことを色々と話しているはずだぞ」
「私のことだと?」ビューロー警視の額に冷や汗が流れた。
「ああ、そうだ。詳しいことは俺も知らないが、サーレントやその部下達は、警視が何らかの形で連続女性失踪事件の妨害に関与していると思ってる。警視総監との談判も、そのことが話題になってるはずだ」
「ほう……それで?」ビューローは左手を上着のポケットに伸ばした。そして、カルナスに悟られないようにしてホーリーシンボルを握り締めた。「……私に何を望んでいるのかね?」
「投降……いや、自首だ」カルナスはブロードソードを構えた。
「断ったらどうする?」
 カルナス警部補は逡巡した後、明瞭な言葉で言った。「あなたを逮捕する」
「なるほどな……」警視は目を閉じた後、口元を僅かに動かし始めた。
 ──呪文の詠唱か!
 カルナスはブロードソードを構えたままビューロー警視に駆け寄った。だが、彼が警視に駆け寄る前に、ビューロー警視の唱えた呪文が完成した。「光の剣よ、出でよ!」
 ビューロー警視の上着のポケットから水色の光が発せられる。次の瞬間、彼の右手に、バスタードソードと同形状の大きな両刃剣が出現した。その刀身は水色に輝いており、その周りに発生した水色と白のプラズマが微かな音を立てていた。
 ──神聖魔法!?
 カルナス警部補は慌てて立ち止まり体勢を立て直した。ビューローは水色に輝くバスタードソードを構えると、ゆっくりとした足取りで自宅前の道路へ歩み出た。近くを通り掛かった人々は突然開始された決闘を観戦すべく、2人から10mほど離れ、遠巻きにする格好で、彼らの動きを無言で見守っていた。決闘の当事者である2人も相手の隙を窺う為に、剣を構えたまま無言で立ちすくんでいた。
 昼間の都市に似つかわしくない異様な静寂は、ビューロー邸の玄関が内側から開かれる音によって中断された。ドアの隙間から顔を出したビューロー警視の妻は、玄関前の道で開始された主人と何者か──このメイドはカルナス警部補の顔を知らなかった──の決闘を見ると、短い叫び声を上げた。
「お前は来るな!」ビューロー卿は女性の方角を向いて叫んだ。
 互いに睨み合っていた均衡が破れ、ビューローに僅かの隙が生じた。カルナスはこの隙に乗じようとした。
「覚悟!」
 カルナスはブロードソードを大きく振り上げ、ビューローに駆け寄った。慌てて正面を向き直ってビューロー警視は、右手に握られているバスタードソードを振り上げる。ブロードソードとバスタードソードがぶつかり合い、鈍い金属音が白昼の高級住宅街に響き渡った。第1撃が失敗に終わったことを知ったカルナスは数歩後退し、ブロードソードを構え直す。
「……こちらから行くぞ」ビューローはバスタードソードを両手で持った。
 ──一撃を食らったら、こっちが死んでしまう……。回避できないのか……?
 ビューロー警視はバスタードソードを振り上げながらカルナスに駆け寄った。カルナスはブロードソードを構え直し攻撃を備えた。ビューローはカルナスの数歩手前で大きくジャンプすると、落下しながら大きな水色の刃をカルナスの頭上に振り下ろした。
 ──危ない!
 カルナスはブロードソードでバスタードソードの一撃を受け止めようとした。だが、バスタードソードとぶつかったブロードソードは瞬時に叩き折られた。
 ──しまった! 横に逃げるべき……
 カルナス警部補に後悔の時間は与えられなかったはずであった。ところが、次の瞬間、誰の目から見ても信じられない出来事が発生した。ビューロー警視の持っていたバスタードソードが、前触れもなく紫色の光を発したかと思うと、音も無く粉々に砕け散ったのである。この出来事には、その場に居合わせた全ての人間が呆気に取られた。戦っていた当事者達も、何者かが妨害に入ったことだけしか認識することができなかった。
「カルナスさん! 今よ!」カルナスとビューローの耳に聞き覚えのある女性の声が届いた。
 ──そうだ! 奴は今なら!
 カルナスは中腰のまま動いた。着地の衝撃と突然の怪現象のために油断していたビューロー警視は、カルナスの仕掛けたタックルに対応することができず、勢い良く地面に押し倒された。その後の戦いは、素手での戦いに熟達していたカルナス警部補のワンサイドゲームと化し、ビューロー警視は僅か10秒足らずで気絶させられたのである。
 ビューローが完全に無力化したことを確認してから、カルナス警部補は声が聞こえてきた方角を向いた。野次馬達の後ろで馬にまたがっていたデニム、サーレント、セントラーザの姿が目に入る。
「カルナスさん、カッコいい〜」セントラーザは手を大きく振りながら呼び掛けた。
「……剣が消えたのは?」
「僕の仕業です」カルナスの質問に答えたデニムは、左手に持っていた紫系統呪文の魔法発動体を掲げて見せた。「【ディスペル・マジック】の呪文を使ったんです」

4999年3月27日 17:30
シルクス帝国首都シルクス、2番街、シルクス警視庁4階、警視総監執務室

 デニム達からの報告を聞いたティヴェンスは満足げに頷いた。「見事だった」
「ありがとうございます」デニムは嬉しそうに答えた。
「ビューロー警視の剣が神聖魔法で作られた奴だったので助かりました。あれが普通の鋼鉄製の剣でしたら、殉職者が1人増えていたところでした。際どいタイミングでしたが、何とか間に合いました」サーレントはいつものように平静な表情を保っていたが、部下が手柄を立てたことには内心で喜んでいた。
「事情聴取のほうはどうだ?」同室していたラマン秘書官が訊ねた。
「カルナス警部補とフローズン巡査が担当しています」サーレントが答えた。「今のところ、自分自身が捜査妨害に関与していたことは認めています。ただ、その他のこと……誘拐犯達の素性やビューロー卿に対して捜査妨害を命令した人物、誘拐された女性達の居場所、そして警視庁内で誘拐犯に協力した人物達については黙秘を守っています」
「特別尋問の用意は?」ティヴェンスが訊ねた。
「まだですね」サーレントは首を横に振った。「そもそも、拷問……じゃなくて特別尋問の実施の為に、『被告の犯罪が国家にとって極めて重大な危険となる』かどうかの認定を行わなければなりません。今回の事件では、その裁可は内務大臣のお仕事でしょう? 内務省からの連絡はどうなんです?」
「返事はまだだ」ラマンが答えた。「明日のうちには許可が出るだろう」
「用意だけはさせておきますか?」
「ああ。今夜中に──」
 警視総監が言い掛けた時、警視総監執務室のドアが開き、セントラーザが現れた。「新しい情報です!」
「何か分かったのか?」サーレントが訊ねた。
「警視庁内での『スパイ』を全員白状しました」セントラーザはそう言って繊維紙をサーレントに手渡した。「合計で7人です。半分以上が6番街の担当者でした」
「……なるほどな」サーレントが繊維紙を見ながら頷いた。「倉庫街とシルクス港を捜査していたチームの責任者も犯人達に荷担していたのか。これでは分からないはずだ」
「これもです」デニムが別の人物を指差した。「7番街のアパートを監視していた人の中にも犯人への協力者がいました。彼が見張りを担当している時間帯に、犯人達が行動していたのかもしれませんね」
「すまん、私にも見せてくれ」執務机の奥から警視総監が不満の声を上げた。
「あ、失礼しました」
 サーレントから手渡されたリストを見たティヴェンスも、驚きの表情は隠せなかった。「これほどの人間がいたとは……しかも、配置されていた場所は全て重要な調査対象……なるほど。確かに、君達の話通りとなったな」
「しかし、どうして白状する気になったんだろう?」デニムが疑問を口にした。
「カルナスさんのアイデアなの。実際にはまだ手配が進んでいなかった特別尋問のことを口に出したら、ビューロー警視の顔が真っ青になっちゃって、慌てて口を開いたの。今まで特別尋問の様子を何度も見ていたそうだから、それで震え上がっちゃって、それでぺらぺらと……」
「どうしますか?」サーレントが訊ねた。
「この7人を逮捕しろ。今すぐだ」ティヴェンスはリストを机の上に置いた。
「分かりました」
 サーレントはリストを手に取ると、敬礼をしてから執務室を後にした。デニムとセントラーザも敬礼すると、サーレントの後を追って行った。3人が部屋を出てから、執務机に腰掛けていたティヴェンスは、隣に立っていたラマン秘書官のほうを向いて言った。「ラマン秘書官」
「はい、何でしょう?」
「君を連続女性失踪事件の捜査責任者に任命する。ビューロー警視がああいうことになってしまった以上、私の信頼できる部下に捜査を任せるしかない。かなりの難事件だったが、警視庁の中から『スパイ』が一掃された今ならば、以前よりも少しは楽になったはずだ。やってくれるか?」
「承知致しました」ラマン秘書官は頷いた。「久々の現場復帰ですな」
「ああ。そろそろ反撃を開始してやる。是が非でも犯人達を逮捕し、誘拐され生き残っている18人を取り返してくれ。頼むぞ」

4999年3月27日 20:17
シルクス帝国首都シルクス、6番街、倉庫街の某所

 夕食のおかずとして出されていた海草サラダを食べていたナターシャ・ノブゴロドの耳に、主犯格と思われる髭面の男の罵声が飛び込んできた。「どういうことだ! 警視庁から味方が消えただと!? どういうことだ!?」
 仕切の向こうでは、彼の部下と思われる若い男性が状況説明を行っていた。しかし、その声は18人の耳には届いていなかった。そして、髭面の男が再び怒鳴り散らし、その声と共に食器が割れる音が倉庫内に響き渡った。「ふざけるな! そんなことがあってたまるか!」
 ──普段から冷静なはずのあの男が怒って、物に八つ当たりしている。よほど面白くないことが起きたみたいだわ……。
 カッセル姉妹による脱走未遂事件が起きた時にも、髭面の男は冷静さを失わなかった。最終的には彼女達を殺害し、その遺体の一部を切り取ってナターシャ達に見せるという残虐な行為にも走ったが、それは人質達を萎縮させる為に行った演出であることをナターシャは承知していた。監視の人数が増え、倉庫全体の照明の数が増やされたが、人質18人の待遇が悪化することは全く無かった。
「もういい! あっちに行け! 消えろ!」髭面の男は大声で叫んだ。その6秒後、何者か──恐らくは髭面の男──が仕切用の木箱を蹴る音と、髭面の男の罵声が再び聞こえてきた。「くそっ! 追加で2人調達せねばならんという時に、何ということだ!」
 ──追加で2人……だとすると、更に2人さらうつもりなのかしら?

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『異端審問所の記録』目次 / 登場人物一覧
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